[住職エッセイ](随時に記事を更新します

 

 この住職エッセイのコーナーでは、日常の中で私が感じたことや、考えたことなどを雑記風に書いていこうといます。更新は気まぐれでしますが、月に1~2回をめどにする予定です。

 

No.66   新型コロナウイルスについて思うこと (2020.3.9.更新)

 昨年暮れに中国で発生した新型コロナウイルスの感染拡大が止まらない。まさかここまで大ごとになるとは主思わな分かった。実際、宝林寺においても、初めてのことである。ウイルスで法座を中止することなど。布教使の私にとっても、これは大変な事態で、自坊で法座を中止したごとく、他のお寺様でも、三月はほぼすべてのご法縁がウイルスを理由にキャンセルになってしまった。果たして四月のご縁は中止にならないだろうかと、一日も早い収束を念じている毎日である。

 それにしても思う。目に見えないウイルスが、これほどまでに人間の日々の生活を制限する力があるとは、全く驚きである。地震や津波の被害とは、別の恐怖と、広がりがある。改めて、自然の脅威に対して、いかに人間が無力で、わたしたちの生活が脆弱なものか考えさせられたようにも思う。

 これもまた末法五濁のひとつの験ではないか。人間の欲望充足をどこまでも是として、つまり経済優先を当然のこととして、自然そのもの、あらゆる命というものを人間の欲望充足の道具、材料として、拝む心を忘れた、自然からいただいた恵として感謝する心、それの根底にある生かされてある私を生かし続けていてくれる働きを思うつつましい恭敬心の喪失が、このたびのコロナウイルス感染症の遠因にあるのではないかと思う。まさに正しい教えが失われ、人間の心と行いが邪になったその所業が、おのずともたらして結果なのではないかと、わたしは思う。

今も現に、つぎからつぎへと自然の脅威が襲ってくるが、これらはこれまで耐えていてくれた自然が、もう耐えきれなくなって、もういい加減にしてくれと、悲鳴をあげ、そのことに気付かせるための実力行使に出た事象ではないかと私には思われてならない。そうしてみると、もう手遅れなのかもしれないが、今後襲ってくる種々の脅威を防止する、予防する一番確かな、しかしそれは対処療法的にはいかない、体質改善的な道ではあるが、やはりここの人間が、正しい教えに導かれて、心を清めていくしかないのでないかと思う。本当に、そう思う。今こそ僧侶である私たち、教団はがんばって、正しい教えを伝えるためにご報謝しなくてはならないと、強く思う。

 

No.65 テレビはお医者さんのドラマであふれている (2020.2.12.更新)

 昨年の秋ごろから始まった私の習慣のひとつは、夜は寝る前のひと時、坊守とテレビドラマを見ることである。これは、NHKの朝ドラを毎日視聴していたことでついたちょっとした癖のような習慣である。

 それで、今年になってテレビドラマを見ていて気付いたことがある。それは、これまでのサスペンスドラマが減って、病院を舞台としたドラマが非常に多くなったということである。坊守と夜に見るのは、ほとんど録画した分を見ているのだが、週に五本の病院、ドクターものがある。中には、お坊さんでお医者さんという主人公のドラマもある。いったいどうしてこんなに病院、医療ものが増えたのだろうか。もちろん、昔から、お医者さんものはあった。あかひげや白い巨塔は繰り返して放送されていたし、最近でもドクターエックスなども人気を博している。

だから、病院ものが急につくられたというのではない。けれども、週に五本もあるというのは、ちょっと多い気がする。ただ、わたしとしては、殺人の謎解きのようなサスペンスドラマより、ずっといいように思う。

 病院もののドラマが、急増したという背景には、やはり少子高齢化の問題や、長寿社会という背景があるのだろう。家族制度がほぼ崩壊して、個人がばらばらに社会の中を浮遊するように生きている時代になって、自分で自分を支えるしかない自由の代償ともいえる、孤独な老病死の現実をだれものが見るようになったということだろう。安心して生き、安心して死んでいけない不安の中、たよるべきものが自分だけとなっとき、その自分のもとでは健康しかないとなった、その現代人の心理、社会全体に蔓延している不安の反映が、病院もの、ドクターもののドラマの急増ということになったのではないかと、わたしは想像している。

 後生の一大事の解決という大きな問いが、単なる個人的な宗教的な欲求ではなくて、社会全体、日本人全体の切実な現実問題として突き付けられているように思う。お坊さんであり、かつ救急救命のドクターが活躍するドラマなど見ていると、本山が進めているビハーラ僧がすでに社会から確実に要請され、広く認識されつつあるように感じる。

 もしかしたら、病院もの、ドクターもののドラマのつぎのトレンドは、寺院もの、お坊さんもののドラマになるかもしれない。そうでないと、救いがないではないか。

 

No.64 みんなが懸念している (2020.1.25.更新)

 私は、ご門主様のご親教「念仏者の生き方」が発布された時から、これに疑問をていしてきた。そしてその後に出された「私たちのちかい」にも異議をとなえた。どちらも、浄土真宗のご法義に背いているご教示に思えたからだ。ただ、あまり私の懸念に賛同し、同調してくれる人はいなかった。私がおかしいのかと、内心で心配に思うようなことだったが、このたびいただいたお年賀のなかに、何人かの和上様から、同じ思いをもっているとの賛同の意志を読ませていただいた。また、㋀は報恩講のご縁で、各地のお寺のご縁をいただいたが、その中で宗派の要職にあった方のお寺もあったが、そこでも同じご意見を聞いた。私の疑問や心配は私ひとりのものではないことがわかった。皆が、現在の宗門の在り方に少なからず懸念をいだいている。だが、そのことを声をあげて言うことができない。それは、先頭にたって旗を振っておられるのが、ご門主様であるからである。宗門人として、ご門主に向かってそれはおかしい、間違っているということのできる人はいない。教団の一番の善知識である。そのご門主様を批判して、主張を変えさせることのできる人はおるまい。みなが、それで困っている。これが一部の学者さんや、宗会議員の方の発言であれば、公に議論して是非をつけることもできる。その議論をみて、最終的にご門主さまが裁定をくだされるのが、一番穏当なことなのだろうが、今回はそれができない。だから、内心では、今日の宗門の行き方に疑問をもっていても、口をつぐんで、内心に懸念しつつ、どうにかならないかと、気をもんで見守るしかないことになっている。考えたら、おかしなことだ、本当におかしなことだ。一番大事な教学の誤りを、正すことができずに、黙って推移をみるしかないなんて。

 

No.63  久しぶりの「信心銘」(2019.12.23.更新)

  今年最後の布教出講となった岩国のお寺さまの講師部屋に稲垣瑞釼師の「信心銘」の額が掲げてあった。久しぶりに先生の書を拝見して、ノートに書き留めて帰って来た。今年度最後のエッセイは、自戒を込めて瑞釼師の信心銘を記して終えよう。

  

 南無阿弥陀仏

 信心を得ようと思うのも自力なり

 信心を得たと思うのもはからいなり

 南無阿弥陀仏の本願力のよび声の外に 自分の方から持ち出すものなし

 勅命はそのまま来たれ、はいの信心 および声このままにて往生す

 

 南無至心帰命礼 西方不可思議尊

 本願力にて往生す

 助くるぞよも南無阿弥陀仏 ありがとうも南無阿弥陀仏

 南無の二字も六字なり 阿弥陀仏の四文字も六字なり

 機も南無阿弥陀仏 法も南無阿弥陀仏

 

 六字のうちに生も死も 仏と共に旅の空

 一たび聞けば往生 

 南無阿弥陀仏 是れ即ち決定往生のしるしなり

 

 あらおもしろや あらおもしろや

 南無阿弥陀仏              瑞釼

 

 

 No.62  いろいろあったな (2019.11.23.更新)

 早いもので、もう今年も余すところ40日くらいになった。

 先月10月は、いろいろあった月で、いろいろ考えさせられた月だった。ラグビーのワールドカップでの日本チームの大活躍に日本中が涌き、つづいて天皇陛下の即位のおひろめがあって、世界中からお客さんが来て、国民がそれぞれの思いをいだきながらも、長い皇室の歴史と伝統につつましい誇りを感じつつ、そのご即位を寿いだ。

 その一方で、台風15号の強風による被害と台風19号の大雨による河川の氾濫による水害被害に、大勢の人が被災し、それを見た多くの日本人が胸を痛めてともに涙し、お見舞いの言葉を述べた。

 10月は、喜びと悲しみの泣き笑いの人生を世相を通して見せてもらったような月だった。そういう中を私たちは、懸命に生き、少しでも幸せになりたいと念じながら生きている。

 私は僧侶だから、そう思ったのかもしれないが、台風被害など見ていると、人間のいとなみごとがいかにはかなく、たよりないかをつくづく感じた。いつも吹く風、いつも身近にある水、それらがいつもと違う度を過ごすと、おそるべき脅威に代わり、ひとりひとりの人間が一生かけて築いてきた生活文化というものを一瞬で、壊滅させてしまう。家も車も、田畑もだめになった。そして、形あるものはあてにならないと、愛とか人間のきずなによりどころを求めてみても、大切な人はわけなく死んでしまう。地域の連帯は、きずなは災害の前に分断された。

 本当に私たちは、この世で真にあてになるものを何ももっていないのだとつくづく思った。これならまちがいなかろうと握りしめたものが、するすると指の間から抜け落ちて、今こそ頼りたいときに頼りとなってくれない現実に愕然として立ち尽くして泣くしかない。思い通りにならない人生と改めて嘆息して肩を落とす。

 そうなんだな、そんな私たちのたよりをもたずに、この世に真実の安らぎをもたずに、さまよい歩き、老い、病み、死んでいく。こういう私たちのために、真実のよりどころとなって、真実の安心を与えたいと願われたのが阿弥陀様なんだなと、改めて考えた10月だった。本当にいろいろあった。                釋幸佛

 

 No.61   SDGsと浄土真宗 (2019.10.18.更新)

  先日宇部北組の実践運動協議会の研修、ならびに同朋研修会を開催した。テーマはそれぞれ「SDGsと浄土真宗」、「SDGsと人権」である。午後からの同朋研修会は一般の方々の参加も考えて公開講座の方式で開催した。

 本山が国連で採択されたSDGs(持続可能な開発目標)にそって、実みがある。他には、自然環境や平和、福祉、人権など、自然と社会と人権・福祉に大別される分野の目標が示されている。

 自然環境では、今問題になっているプラゴミのことが提起されて、ストローやペットボトルの飲料のことが問題になった。海洋投棄などによるプラゴミによる海洋汚染、マイクロチップによる人体への影響等が論じられた。だから、皆が少しづつペットボトル飲料の消費を減らし、他でも食べ残しを減らすなどしていくことの大切さが説かれた。

 私は、自分のできるところで、ゴミの分別収集に協力したり、電気をまめに消すようにしたりと、環境負荷を減らす努力をしようとつとめている。だが、問題はそう簡単でないように思う。環境のことは、人々の日々の経済とも結びついていて、経済が関係すれば、そこに国内外の政治がかかわってくる。

 健康の話で、薬がいきわたらないことが世界の医療福祉に問題であるとあったが、その薬を製造するためには、治験のためにたくさんの動物実験をしなければならず、そのためにおびただしい数の動物たちを殺さねばならない。生態系を守るといいながら、自分たちの命が優先されている。

 SDGsはすばらしい目標であると認めつつ、私にはそれは所詮は聖道の慈悲であって、すえ通らない慈悲行にすぎないと思う。すべての人をもれなく救う、一人も取り残さないというのが、その活動の理念だと聞いたが、それはやはりこの娑婆ではかなわない目標であると思う。そもそも複雑に絡み合って生じている種々の問題の解決を導くだけの智慧がない私たちは、結局何が本当に善であり、何が本当の悪なのかさえもはっきりとわからない。ただ自分の信じている善をお互いにぶつけあっているだけである。

 私は今の本願寺教団が、「御同朋の社会の実現をめざす」運動(実践運動)と称して、さまざまな社会実践にまい進しようとしているその姿が、やはり顛倒しているように思えてならない。そのような末通らない実践行を唯一克服する救いの道が、浄土真宗の阿弥陀様のお救いである浄土の慈悲なのに、その浄土の慈悲のまことをわきにおいて、この世を浄土にするような活動に精を出すのは、念仏こそまことと宗祖が教えてくだされたそのお心をわすれて、浄土真宗という仏教教団の本来的な存在意義を忘れたものに思えてならない。

 

No.60 はかない命 (2019.9.16.更新)

 三年前に本堂の玄関の階段の両横の下に睡蓮の鉢を置いた。するとご門徒さんが、すぐにメダカを入れてくれた。それからメダカの飼育が日課となった。今年は二回目の産卵で三代目のメダカが泳いでいる。

 産卵は無数に卵がついて、それを別のバケツにうつして、ふ化するのを待っていると、何日かしてミジンコのよな小さな点が動いているに気付く。メダカの赤ちゃんの誕生である。うじょうじょ泳いでいる。たが、それが五ミリ位になるころには四十数匹にしかいなくなっていた。さらに一センチくらいに育ったころにバケツから平たい洗面器に移して飼育していたところ、台風の風でそのたらいがひっくりかえっていた。水のあるところになげだされたメダカはまだかろうじて息をしていたが、水気のない地面に投げ出されたメダカはすでに絶命していた。家の中に入れておいてやればよかったのにと後悔した。

 運よく助かったメダカは12匹であった。その後メダカはすくすく育って2センチ位になった。これなら親メダカに食べらることもなかろうと思って睡蓮の鉢に移そうとして、網ですくったとき、網にからんで2匹がわけなく死んでしまった。しばらくして、事務室の小さな水槽にその子メダカを入れて飼育しようと2匹移したところ、翌日に2匹とも死んでいた。水道水のカルキが飛んでいなかったのか。せっかくここまで育ったのにかわいそうなことをしたと思った。

  結局最後には8匹が残った。両方の睡蓮の鉢に4匹づつ入れている。餌をやったときに子メダカの姿をみるとほっとする。けれど、あんなにうじゃうじゃいたメダカの赤ちゃんが、8匹になった時、あたりまえに大きくなることの難しさ、というよりもいのちのはかなさということを思った。飼育者としての私は全く失格であった。バケツの中を懸命に泳ぎ回っていたあかちゃんメダカのことを思い出すと、申し訳なく思う。さみしく思う。

 

No.59   ダンゴムシマジック (2019.8.23.更新)

 いつもこの時期にかならず経験することがある。それがダンゴムシマジックである。

 本堂の廊下のすみや納骨堂の壁の隅っこなどに、どこからともなくダンゴムシが入ってきて、それが決まってその隅に巣を張った蜘蛛の餌食となっている光景である。じめじめした庭石の下や水場などにごそごそと隠れて生きているダンゴムシがどういうわけで本堂に入ってくるのか。じめじめもしていないし、暗くもない。普段の生活の場でもない、乾燥した空間になぜ入ってくるのか。そして、どうやってアルミサッシできっちりと閉じられた本堂や納骨堂の内部に侵入できるのか。私には不思議でならない。しかも、その入ってくるの目的が、まるで蜘蛛の餌になるために入ってきているとしか思えないのである。

 何が目的で、普段の生活環境とは全く異なる場所に入ってきて、蜘蛛の餌になるのか。しかも、あのダンゴムシがどうやって近代的なサッシの屋内に入ることができるのか。蜘蛛の巣にかかって死んでいるダンゴムシの屍をハンディ掃除機で吸い取りながら、私はいつも不思議に思うのである。その意図と侵入の方法は、私にはマジックのように理解できない。でも、私とは境涯が違うので、私にはマジックに見えるダンゴムシの毎年の行動も、ダンゴムシになってみたなら、それが普通の行動なのだろうな、とも思う。

 

 

 No.58   第21回仏教讃歌のつどいを終えて (2019.7.14.更新)

 今月7日に山口教区の仏教讃歌のつどいが開催された。このたびは拙寺のライトコールアンサンブルが引き受けであった。教区の大きな大会を小さなお寺の小さなコーラスが開催できるだろうかと内心心配であったが、坊守の奮闘努力と、団員の方たちのご協力と、さまざまな有縁の方がたの助けをいただいて、なんとか開催することができた。

 当日は雨の予報であったのに、曇りとなった。雨がふると、駐車場でのバス等の昇降に不自由が出て心配であったので、本当に阿弥陀様の冥加を思った。おかけで雨のために転倒するような人もでないでくれてよかった。

 開会式は音楽礼拝であったので、最初に敬礼文、三帰依文から始まるのだが、この度はうちの引き受けであったので、住職の私が独唱した。前もって、坊守である家内にけいこをつけてもらったが、それでも当日は足が震えた。だが、つくづく思ったのは、まさかこの歳になって、コーラスで歌を歌うようになるとは、なんていう身の幸せであろうかということである。大学の時にやめていらい、何十年も合唱からは離れていたが、お寺にコーラスができてから、月に二度コーラスで歌うことが復活した。しかも、歌は仏さまのお徳をたたえる仏教讃歌であり、混成合唱団でもある。音楽に情熱をもつ家内のおかげであると感謝している。

 熱心に指導してくださる横山先生をはじめ、毎回の練習に参加してくださる団員の方々にも感謝している。最初は布教のため、しっかりと声をだすことができるようにと、また、男性パートが足りないことからかり出されて参加したような私であったが、今は、昔楽しんだコーラスを楽しむように、ライトコールの一員として練習に励むようになっている。

 

No.57    足音はもうそこまで聞こえている (2019.6.18.更新)

 先月あるお寺さんに⒓年振りにご縁をいただいてお参りさせていただいた。以前の私の記憶では、そのお寺さんはかなりご門徒さんも多く、拙寺からすれば大坊という印象であった。ところがお説教を終えてご住職さまと坊守さまとお話しをするなかで、廃寺のことを考えていると聞かされて、びっくり仰天してしまった。たしかに、最初にご住職様に再会したとき、どうも調子がよくなさそうな感じは受けたが、それはご自身のご病気のせいだけではなくて、現在抱えているお寺の存続についての心労が原因のひとつでもあったのだ。

 お話しによれば、限られた村落にあったかのお寺は、ここ十年あまりでいっきに過疎がすすみ、つまり外部から新しい人が入ることが一切なく、若い人は仕事を求めて、村を出て行ってしまい、結果として、ご門徒が半分以下になってしまったのだという。そのためにこれまで通りに届く、本山や教区からの賦課金の支払いが難しくなってしまったとのこと。ご本山には事情を話して、減免の措置をとってもらえないかと交渉中とのことであったが、それができなければ、もうお寺をたたむしかないという話であった。かてて加えて、このような展望のないお寺の現状にあいそをつかして、跡取りの息子さんがもうお寺をやらないと言い出して、後継者のめどもたたなくなったから、廃寺を真剣に考えているということだった。

 お寺の合併、廃寺は近年ではことさらに珍しいことではないかもしれない。だが、それにしてもこの大きなお寺さまにおいて、わすが十年余りでここまで追い詰められてしまったのかと、ただただ驚きいってしまった。過疎、高齢化という農漁村部の現実は、すごい勢いでそこに存在しているお寺を侵食してきている。門徒の激減、後継者不足、少し前までは、よそ事だと思っていたのに、いまはもうすぐそばまでその勢いは押し寄せてきていて、その足音はもうそれとはっきりわかるまで耳元に届くようになった。

 それぞれのお寺が、何ができるか、何をしなくてはならないか、本気に生き残りをかけた模索をする時代になっている。

 

No.56  すごいよ玉ちゃん (2019.5.21.更新)

 ああ、これが南無阿弥陀仏だと、改めて感動してしまった。それは玉ちゃんのことだ。玉ちゃんとは、事務室に何年もあった球根の呼び名である。水栽のプラスチック鉢に入れて、時々水をあげていた。たぶん最初はどなたからか花の咲いた鉢としていただいたものだと思うが、花の姿も花の名前も、その後にすっかり忘れてしまった。ただ球根は生きていたので、水だけをあげていた。それでもそんな小さな球根が、毎年、毎年 三十センチほどの大きさに育つ細長い葉っぱを二枚にょきにょと出してくる。だが、花はない。それでも、こんな小さな球根のどこからこれほど大きな葉が毎年でてくるのか、私は不思議であった。いつしか、名前がわからないままに、私は玉ちゃんと呼んで、飽きもせず水やりだけをしていた。

 それが三日前くらいに、いつのびてきたのか、50センチくらいの花のつぼみをつけた茎がするすると二枚の葉っぱの真ん中から伸びていて、つぼみがひらくと、ふたつの花のつぼみが背中あわせに向いて、1日づつ時間差で大きな、大きな花をつけた。熱帯風の花で、ゆりの仲間なのか、赤みの強いだいだい色の花が咲いたのである。何年も何年も、はっぱしかつけなかった玉ちゃんがついに大輪と花を咲かせたのだ。本当にこんな大きくて美しい花をあの小さな玉ちゃんが、水と光しか栄養をもらっていない玉ちゃんが、咲かせることができるのか。私は不思議でならなかった。

 「玉ちゃん、すごいよ。すごいよ。やったね、ついに花が咲いたね。すごいよ、たまちゃん、本当にりっぱだよ」といいながら、「仏様にみてもらう。玉ちゃんか一番よろこぶように、仏さまへのお供えにしてあげるからね」と、しばらく本堂のご本尊に鉢を飾った。

 春は様々にいのちの芽吹くとき。手入れをしないでも、毎年成長して自分で株わけして実をつけるいちご、ちゃんと季節になると水中から出てきて咲く睡蓮、水中のごみかと思うくらい小さいのにバケツのなかをすいすいと泳ぐメダカの赤ちゃん。その生き生きとした生命の躍動を目の当たりにすると、ただただ不可思議智慧のはたらと、限りない無量寿のはたらきが、いたるところにいのちのあみをはりめぐらされているのを感じる。ああ、これが南無阿弥陀仏だ、すべてが南無阿弥陀仏のいのちを示しているのだと、お念仏せずにおられない。

  

No.55   花フェス2019 (2019.4.15.更新) 

 宇部北組の実践運動の重点プロジェクトとして「地域にひらかれた寺院活動」をかがけている。その一環として昨年度から花まつりをモチーフにして地元のアクトヴィレッジおのを会場にして「花フェス」の名のもとに行事を始めた。昨年の花フェスは子供会行事と実践運動を兼ねて、主としては花まつりの白象の飾りつけやゲームなどをやってみた。かなり宣伝にも力を入れて、宗教色を隠すように「花フェス実行委員会」という主催者名で開催したが、スタッフを入れていも総勢百人に満たなかった。二年目の花フェスは、前年度の反省を生かして、子供会行事としてではなく、実践運動として誰にでも開かれて、誰もが参加できるものにしようと、白象、甘茶かけ、マルシェ、音楽ステージ、ゲーム、お念珠づくり、葬儀体験、写経と経本づくりなど、盛りだくさんの企画で臨んでみた。また主催もはっきり浄土真宗本願寺派宇部北組と明示しての開催とした。

 阿弥陀様のご加護もあって、当日は快晴となり、ぞくぞくと来場者があって、200人分用意したカレーの無料昼食券がすべてなくなり、スタッフのお昼が足りなくなるのではないかと心配するほどの盛況であった。当初の目論見は、老若男女だれでもが来て、仏縁を結ぶ機会にすることであったが、当日は赤ちゃんをつれてきてくれた若いご夫婦から、80を過ぎたおじいちゃん、おばあちゃんたちまでが、大勢きてくださった。

 私の組長任期の最後の年の最初の行事に、念願かなった花フェスをつとめることができたこと、本当にうれしく思った。組の活動はとかくそれぞれの教化団体、法中会、坊守会、若僧会、総代会、仏教婦人会、こども会と縦割りになって研修会を行って、横の連帯が少ないのだが、この花フェスは、組が一丸となって行う行事となっていて、組全体の連帯感を深めると同時に、お寺とご門徒、地域と結びついて、浅く広くかもしれないが、花まつりというお釈迦様の仏事を通して仏教の教えを広めることのできるとてもよいご縁になったのではないかと組長としても本当にうれしく思う。と、同時に若い法中をはじめ、すべてのスタッフがそれぞれの担当を一生懸命に果たしてくれて、この花フェスの成功に尽力してくれたことに深く感謝したいと思う。本当に皆さんありがとうございました。

 

No.54  岡亮二先生の十三回忌にお参りして (2019.3.14.更新)

 今月七日に岡先生の和歌山県のご自坊念誓寺様で先生の十三回忌がいとなまれた。私も坊守と二人でお参りさせていただいた。

 ご祥月のご命日は二月の十六日であるが、たぶん大学職員となられたお弟子さんたちが多いことから、無理のない時期におつとめすることになったのだろうと思う。

 お参りされた方は、四十人くらいであったろうが、だいたいいつものメンバーだったように思う。私のような龍大の門下生が一番多い。つぎに年配の方は、先生が地元でされていた聖典勉強会の方々、それと龍大を退職後に始められた組内の寺族婦人の勉強会の方々である。お忙しい岡先生が、大学以外のところでご法耕されていたことにいつもながら頭の下がる思いをする。

 一時間ほどの法要のあと、近くのホテルにてお斎の席が設けられた。即席にそれぞれのご縁で集まった方々の幾人から先生の思い出話を聞かせていただいた。私の知らない先生の一面のあれこれを聞いて、おどろいたり、感心したりした。世代を超えて慕われていた先生のことがわかって、私は嬉しかった。 

 法要に参加して、改めて私が大学院時代に一緒に先生のゼミで学んで学友がたくさん集っていることに気が付いた。これまではあまり考えなかったが、先生が送りだしたたくさんの学生の中、私の在籍した世代の院生は特別だったのだと思った。なぜといって、その時の学友がほとんど法要に顔をそろえているからだ。しかもその学友の多くが学者として大学に残り、また他の大学で教鞭をとるものになっている。

 社会人入学で、しかも他大学出身のいささか毛色の違う私だったが、どんなめぐり合わせか、とても優秀な学友の集う世代の先生の門下に入ったのだと改めて思った。

 

No.53  岡亮二先生 学佛大悲心 (2019.2.16.更新)

 今日は恩師岡先生の13回忌である。もう先生がご往生されてまる12年もたつのかと、驚く。来月七日には、玉木先生が事務局となって、先生のお寺で13回忌の法要がつとまる。私も坊守と二人でお参りする予定にしている。その時には、ご法話をすることになった。たくさんの先輩がお参りする中、私のような若輩がご法話をさせていただくのは恐縮至極なのだが、一度お断わりしたこともあったし、また考えてみると、還暦をすぎた私はもう大方の先生の教え子の中では、十分に長老組に入っていることに気づいた。

 法話をすると決まって、改めて岡先生のご講演やご講義のテープや著作を聞き直したり、読み返したりしている。懐かしい先生のお声を聞きながら、先生のお話にある熱意と喜びがこちらの胸にずんずんと入って来るのを感じた。ああ、岡先生だなと思う。きっと先生は、お念仏の話をするのが、本当にうれしかったのだと思う。一生懸命語る先生の言葉には喜びがあふれているのを感じる。お書き物もいっしょである。わかりやすく明確に阿弥陀様の本願のお心、とどけられた真実の行と信、お念仏と信心の関係を熱意をもって述べられている。この先生に自分は教えられたのだと、自分は本当に岡先生を善知識としてお念仏に導かれたのだと有り難く偲ばれた。

 「学佛大悲心」は岡先生から大学院修了のときに頂いた色紙に先生が書いてくださったものだが、この善導大師のご文は、まさに先生自身が実践されたお姿だと思った。阿弥陀様、お釈迦様、諸仏の大悲の大心、お念仏で救うわれにまかせよ、お念仏ひとつをたよればよいと、阿弥陀様の願いをわが願いといただき、その心行の南無阿弥陀仏をみずから称え、実践し、そのお念仏の心に生かされ、その喜びと報恩の心に突き動かされて、この行を伝え弘めていく。それは先生自らが生きた道であり、きっと教え子である私たちにかけられた先生の唯一の願いであったのだと思う。

 

 

No.52 もう終わってしまう ㋀ (2019.1.30.更新)

  早いもので、もう㋀が終わろうとしている。㋀は報恩講のご縁で布教が続いたせいもあるが、大晦日に除夜の鐘を撞いて、新年を迎えた時、よし、まるまる一年新しい年をもらったぞと、昨年できなかったこと、今年新しくしたいことなどあれこれ思いながら、よし頑張ろうと思ってスタートするのだが、もう㋀が終わってしまうのだ。  

 歳をとるごとに、日の過ぎる速度が速くなると聞いてきた。実際、毎年そう感じてきたのだが、還暦をすぎ、自分に残された人生のほうが短いことを思うと、その感もひとしおだ。けれども、最近思うことは、人生のすべてでやりつくせることなどない。すべては、中途半端で終わる。その中途半端で終わることを、今、やれていることを有り難く思う。いつかやれなくなることを、いま、現にこうして私がやれていることがうれしいのだ。

 それにお念仏さまのおかけで、娑婆ごとがどれほど中途半端で終わろうと、私がこの人間境涯の終わりには、中途半端はない。永遠の生死流転を繰り返すことはない。往生即成仏。人間として生まれた本懐を尽くして終われる。これは大きなる安心であり、楽しみだ。 

 最後はばっちりなのだから、その間の娑婆ごとも、今日やれることを、今日の私がやらせていただいていると味わって一日一日を楽しみ慈しんで生きていきたい。さまざな娑婆の体験、経験は、浄土という世界をいただきながら、そこへ帰る途中の道行である。浄土に還ったら見ることのできない、迷いの世界の景色なのだ。そんなふうに思うと五濁悪世は、厭うべき世界ではあるが、どこか懐かしく愛おしい、そんな気がするではないか。

 

 

 No.51   「私たちのちかい」について思うこと (2018.12.27.更新)

 ご門主様は、秋の法要の後に、ご親教を述べられ、先に出された「念仏者の生き方」の肝要を「私たちのちかい」として四か条にまとめて示された。今後はこのちかいを「浄土真宗の生活信条」に代えて唱和することが推奨されることになるようだ。

 最初に思ったことは、誰が誰に対して「ちかい」を立てるのだろうか、ということだった。普通に読めば、信心いただいた念仏者が、阿弥陀様に対して、これこれのことができるように私はなるように誓いますということだろう。四か条のちかいの内容が、悪いということはない。だが、そんな誓いを阿弥陀様は求めておられるのだろうか、なぜ、ご門主は、そんな誓いをたてさせようとするのか、私には、どうも解せなかった。

 信心頂いたら、こうなります、このようになることを誓いますと、ご門主はさかんに信後の行儀のお示しをされるが、宗祖はわずかにご消息に無明の酒のよいからからさめることを示されているだけで、ことさらにこうならねばならない、こうなるはずであると強調はされていない。それは、どんなに信心いただいてところで、悟りをひらいた仏になるわけではないから、やはり業縁しだではどんなことをもしでかすのが、私たちだということをよく承知なさったいたからではないか。それだら如来さまへの報恩の行は、仏徳讃嘆の称名念仏であるとし、そのお念仏を自らも喜び他の人にも伝え信じさせいく、自信教人信をすわりとなさったのだと思う。そして信後のご報謝の姿は、こうすべきと決めるのではなくて、信者それぞれの立場にゆだねたらそれでいいのだとお考えだったのだのではないかと私は思う。

 ご門主はさかんに信心いただいたら、こうなります、こうなりましょうとおっしゃられるが、そもそも何のための信心なのか。それは後生の一大事の解決の道であることをどこかに置き去りにされてきていないか。信心いただいたら、こうなるようにちかいますと唱和するより先に、まずお念仏を称えること、そしてそのお念仏を称えずにおられない信心の喜びということをなぜもっと大事になさないのか、私は率直に言って大いに疑問を感じる。

 

No.50   売り物が違う(2018.11.1.更新)

  最初にラジオのニュースでお坊さんが売電事業を始めると聞いて、どこの宗派の坊さんだろうか、坊さんが電気を売る商売をして儲ける事業をやるとはと呆れた思いで聞いていた。その後何宗かずっと気になっていたが、じきにわかった。今度はテレビニュースで、それが西本願寺の僧侶が中心になって進めていることがわかった。これには驚くと同時に、本当にがっくりきてしまった。同じ仲間の坊さんが、しかもご本山のひざ元の京都のお寺であるとは。

 事業立ち上げの会見の様子をテレビでみたが、西本願寺の僧侶は、自殺者をなくそうと活動している団体の代表を務めているお坊さんであった。これにもびっくりした。なぜなら、私はその団体の出している活動紙を毎月読んでいたし、時にはわずかではあるが、求めに応じて寄付にもついていたからである。

 設立の趣旨は、全国のお寺が過疎と少子高齢化で門徒が激減している、そのためにお寺の維持が難しくなっているから、その経済的な支えとなるようにお寺で売電の事業をはじめ、あわせて太陽光発電などによって自然環境の促進に寄与するためだと話していた。

 門徒現象のために、お寺の収入が減り、寺の維持に支障がでていれば、何か収入を増やすための寺おこし事業をお坊さん自身の創意工夫をすべきであると、ご本山でも推奨している。物品の販売や、食品の加工販売など、あるいは社会福祉事業をしたり、宿坊の経営などだ。そういう流れの中に売電も出て来たのかもしれないが、私にはやはり違和感がある。

 お寺の売り物は、電気ではなくて、お念仏である。お寺が護持されてきたのは、電気を安く売ってくれてたすからではなくて、生死解脱の道を説いてきたからである。そしてその道が阿弥陀様からくだされたお念仏であるという真理を伝えてきたからだ。そのお寺の唯一の売り物、商品であるお念仏を差し置いて電気を売り始めたりたなら、もちろん別の物品の販売でもそうだが、それはもはやお寺でもなんでもない。ただの事業である。もはやご門徒や一般の世間の人々がお寺を護持しようと考える気持ちも失せてしまうだろう。

 守るべきは、法であって、寺ではない。寺がつぶれてしまっては、その法さえ守れないではないか。だからなにがなんでもお寺をつぶしてはならない。そういう意見もあるだろうが、それは本末転倒である。お寺の護持のためにお念仏を捨ててしまうのであれば、そもそものまお寺の存続意義もない。お寺は、そこに住まう者の飯のくいぶちのためにあるのではないはずだ。

 私自身はこう思っている。私も住職として、寺院の護持や経営というものを常に考えている。しかし、ご法義を守り、お念仏を伝える仕事を懸命にやっても、そもそも護持してくれるご門徒がいなくなったら、それはもはやお寺の使命が終わった、つまり宝林寺が建てられた当初の役目が済んだのだと考えている。おみのりを聞くために本堂を建ててくだされ、長年護持してきてくださった、そのご門徒さんがいなくなったなら、お寺が、それと同時に店じまいをするのは自然のことだと思う。護持する門徒はいないのに、寺と僧侶だけが残るのは、不自然ではないか。お寺は僧侶、住職の専有物ではないのだから、なにがなんでもお寺をつぶしてはならないと執着して、そのためにはお金がいるから、門徒から護持費が入らないなら、事業でもなんでもおこして僧侶自身が金を稼ぐのだ。それは違う。僧侶は道を説くべきものだし、その道を説くべき僧侶が金儲けに憂き身をやつすようになったら、誰がそんな僧侶のことばに耳を向けてくれるだろうか。

 

No.49  科学技術の進展は今後どうなる? (2018.10.9.更新)

 科学が進展すれば、いずれ宗教はなくなる。昔からそういう議論はあった。しかし、実際にはなくなるどころかあやしげな新興宗教がつぎつぎに生まれては消えた。オーム真理教などは誰でもが理解できる事例かもしれない。

 たぶんこの議論は、科学技術なかんずく医学の進歩によって、人間の根源的な老苦や病苦が克服されると、宗教をたのむ必要がなくなる、そういうことを念頭においてのものであろう。が、結果は、外れた。日本人の寿命は世界一、三位にあるが、それでも長寿のあかつきに得たものは、死の恐怖であった。臨床宗教士というものの養成が求められる背景はまさに長寿社会がもたらしたものであると思う。

 そもそも科学と宗教はその真理の性質や働きかたは別のものであり、それを同じ土俵で比べあうこと自体が無意味である。科学は自然界の客観的な法則を知識として明らかにするが、その客観的な法則が、技術に応用されて、人間の生活全般の困難を克服して、私たちの願いをかなえるという形で働くが、真理そのものとしては、それによって苦しみの元を断つことはできない。つまり、私たちの思い通り叶えるという方向で、私たちを救う働きをするが、思い通りにならないこと、その一番が死苦であり、自分の思い通りをしたくてならない煩悩であるが、それの始末をつけることができない。それに対して宗教の真理は、なかんずく仏教の真理は、人間の思い通りを実現するのではなくて、思い通りにしたいと思う心、煩悩の始末をつけることによって、根本的に思い通りにならない苦しみから私たちを救ってくれる。思い通りにしたい心がなくなれば、あるがままに物を見、あるがままを受け入れることができるようになる。そうなれば、思い通りにならないと苦しむこと自体が無くなってしまう。それが宗教の救いの在り方である。

 ただ、浄土真宗の教えをいただく者として、今後科学技術や医療技術が進展してきたとき、愛する人との死別の苦しみなどが、精巧なロボットやクローン技術による生命体の作製によって、かなりの程度緩和されるのではないかと思う。浄土でかの人に再会するより、目の前に亡きペットにそっくりなロボット犬やクローン犬の方がいい、それのほうがずっと癒される。淋しさが相当な部分解消される。そんな時代が来るのではないか。科学技術によって無常の世に疑似的な永遠が実現してしまうのではないか。そんな時代になったとき、浄土の教説よりも目のまえにある科学技術や医療技術の成果のほうがリアルに人々の苦を救うようになるのではないか。それはあくまでも疑似的であって、本物ではないのだが、説教で浄土でまた会える未来を期待するよりも、今、ここでそのいのちの蘇りに会えることを人々は求めるのではないか。

 科学と宗教の真理の違いは何も変わらないのだが、科学技術と医療技術の進化は、科学が宗教の世界に別の意味で大きな影響を持ち始めてくるのではないかと、私は感じている。

 

No.48    末法の時代 (2018.9.12.更新)

  まだ一年を振り返るには早いかもしれないが、それにしても今年は自然災害の多い年である。頻発する地震は、北海道から九州まで日本全土を襲った。そして、今夏の殺人的な猛暑、広域にわたる豪雨災害、今も続く台風の襲来。これでもかこれでもかという位に自然の脅威にさらされてきた。お寺での被災地への義援金も、どこへ送金すべきか、送金したのかを覚えていられないほどである。

 そんなさなかの朝の散歩で、坊守と話ながら、末法の世界ということを思った。すでに親鸞聖人の時代も世は末法であったし、今も現にその時代が続いている。お釈迦様がおかくれになって1500年から一万年までの間、教えはあっても、行をするひとも、さとりを開く人もいない時代。

 それにしても末法となり、五濁がすすみ、まさに人間のやってきた業の報いに、天地自然のしっぺ返しを今、私たちは受けているのだろうとつくづく思う。聖人の時代にも、天変地異があり、多くの民衆が飢饉で亡くなっている。末法五濁悪世の現実をひしひしと感じとられての求法であり、弘法であったのだろうと思う。

 現代の私たちには、なかなか末法時代ということを現実的に受け容れることが難しいかもしれないが、現代は聖人の時代より一層五濁の悪が顕著となって、末法悪世を現出している。この大きな仏教の歴史観を背景にして説かれたお救いの法が浄土の法であることを思えば、今こそ浄土真宗の救いを私たちは真剣に求め、説いていかなくてはならないのだと、改めて思う。

 

 No.47  山口教区布教 団夏季布教大会に出講して (2018.8.27.更新)

 何年かぶりに夏季布教大会に出講させていただいた。たぶんこのたびで四度目くらいだったと思う。

 この夏季布教大会に出講することは、青年布教使を卒業して、一人前の布教使として先輩に認めてもらう、そのような場でもあった。その大会にこの度は役員の一人として出講を仰せつかった。

 一日に四人の布教団員のお取次ぎがあり、午前午後と一席ずつ特別講師のお取次ぎがある。私は二日目の午後の最初の席を受け持った。改めてそれぞれの布教使によってその仏徳讃嘆に個性があることを思った。布教使は誰でもが、自分が一番うまいと思っているが、讃嘆にうまいもへたもないのだ。ようはどれほど、本気で熱心に阿弥陀様を褒め称えて、そのお慈悲をお同行の胸に届けられるかということに尽きるのだろう。その限りでは、自分は自分の言葉で、自分の説教をすればよいのだと、再認識する機会ともなった。

 布教使になって26年になったが、自分はどれだけ、自分の言葉で、己の説教をしてこれたか。仲間のお説教を聴聞させていただきながら、そんなことを私は考えていた。

 

 No.46   五木寛之さんの講演を聞いて思ったこと (2018.7.9.更新)

  先日山口別院であった五木寛之さんの講演を坊守と聴きに行ってきた。龍谷大学校友会山口県支部創立30周年記念の行事として開催されたものであった。五木さんの講題は「明治青年のこころ」というものであった。講題にひかされたというよりも、かつて『青春の門』を夢中になって読んだ若い日の自分が懐かしくなって、著者の五木さんという人に直に会って見たかったのである。

 トレードマークの長髪は、さすがに白髪が目立ったが、いつもの五木さんのスタイルは85歳の今も変わっていなかったのには、驚いた。歩く姿勢も声の調子も、そして話の内容もとても若々しかった。

 お話はあっちこっちに飛んで、ほとんど講題とは関係ない内容に終始したが、最後辺で話されたことが私には興味をひいた。五木さんは人生百年時代に入り、たくさんの方が高齢者といわれる時代になった今、どう生きるかという問題を語るよりも、どう死んでいくのかということが切実な問題になってきていると話された。そして、「死んだら終わり」と未来に何の希望もない最後ではない、明るい未来の展望をもって死んでいける、新しい物語が求められていると話された。何か憚るものがあったのか、それが浄土真宗の往生浄土の思想ですとは、おっしゃらなかっが、五木さん自身は腹の中では、そう思っているのではないかと私には感じた。

 どんなに長生きしても死は避けられない。そのあたり前の現実に、日本人の多くが自分の問題として本気で直面するようになった。どう死んでいくのか、悔いなく死んでいくにはどうしたらいいのか、死んだらどうなっていくのか。今さらながらではあるが、長寿時代を迎えて、あらためて後生の問いが大きく問題になってきている。

 それについての解決は、もうとっくの昔に阿弥陀様が与えてくださっているのだが、本願他力による浄土往生即成仏という救いの道は、現代人にはただの昔話なのだろうか。このお救いの法を新しい物語としてリメイクしなくては、現代の人々には伝わらない、受け入れられないのだろか。私は五木さんのお話を聞きながら、そんなことを考えていた。

 

 No.45  「念仏者の生き方」について思うこと (2018.6.14.更新)

  本年度の宗務の基本方針が「念仏者の生き方」に学び、行動するー今、私ができることからーに決まった。

 ご門主様が伝灯奉告法要の初日に出されたご親教の表題が「念仏者の生き方」であった。私は率直に言って、驚いた。そしてこれは大変なことになるのではないかと、心配に思った。

 「念仏者の生き方」に学ぶ、という本が本願寺出版社から出されいるが、その本の最初にこのご親教をご門主様が出された意図がしめされている。

 「私たち念仏者が、浄土真宗のみ教えに出遇い、阿弥陀如来の救いにあずかることによって、それまでの私たちの生き方がどのように変えられ、この現実世界でどのうように生きていくようになるかを示された大切なご教示です」とある。

 念仏者でありながら、お念仏すら称えることを忘れている門信徒に、「念仏者の生き方」を説くのは、危険だと私は感じている。言葉の表面だけをいただけば、「このようにならなければ念仏者とはいわれない。」「念仏者であれば、当然このような行動をするようにならなければならない。」「私はこれこれのことをしているから真実の念仏者だ」と、ある種の念仏者の義務や務めのように考えてしまうのではないか。念仏者であるかないかを、信心の有無をたずねないで、行動規範によって決めていくような方向に進んでいくのではないかと心配でならない。

 生き方を示したら救われない人がでる。それだから、そのままに救うとおっしゃる阿弥陀様のお慈悲に、念仏者としのて行為、お念仏を称える以外の社会的な利他行の実践のあるなしでもって、枠をつけるようなことになるのではないか。そうなったら、そこには他力のお救いではなく、自力のはからいが必ず入って来る。救われるものと救われないものが、信心ではなく、行為で計られるようになりはしないか。「こんなことではだめだ。もっと如来さまのみ心にそうた行動をしなくては、本当に念仏を喜んだことにならない。信心をいただいたことにならない。」

 念仏者の生き方を、お念仏をいただいたら(信心をいただいたら)、このようになっていくのですと、定めれば、このようになれない私は、だめな者になってしまうのだろうか。念仏者の生き方にかなった立派な人だけが救われる教えになりはしないか。私は思うのだが、念仏者の生き方は、目指すものではなくて、お念仏いただいた者の結果として周囲の方が認めるものであって、私たち自身が自分や人に対して、念仏者としての目標や目当てにすべきではないと思う。なぜなら、かかる念仏者になることを目標としてしまったら、後生の一大事の解決の道としてのお念仏を求め、お聴聞し本当に阿弥陀様のお慈悲を喜ぶ信心獲得がどうでもよくなってしまうのではないかと思うからだ。

 お念仏によって、自分がどのように変えられるか、どのように変わっていくのかは、それを目標とすべきものではなくて、どこまでも信心いただいた念仏者のおのずから至る変化であり、お育ての結果である。信心をいただいていてもいないのに、ただいたずらに変わることを目指すのならば、それはかつての賢善精進の誤った道に進むことになるのではないか。 

 

No.44     父の死  (2018.5.19.更新)

 今月6日、実父が行年93で往生した。いつ来てもおかしくないほどに弱っていたが、やはり死は突然訪れた。 

 父に死なれて思うことは、たくさんあった。親というものは、別段何をしてくれるわけでなくても、生きていてくれるだけで、支えてくれるものだということをまず教えられた。11年におよぶ介護の日暮の中、私や妻に支えられていただけに見えた父が、私たちを支えてくれていた。

 また、父に死なれて、初めて喪主となった。いつもは、葬儀を執行する私が、喪主となって父を見送ることになって、お葬式をつとめるご門徒さんの気持ちや大変さというものを実感できた。そして、その中で改めて僧侶、住職のつとめの大切さを認識した。

 健康を損ねて、母と二人、神奈川県からこの山口の地に移り住んで11年。父は、親不孝していた私に、たくさんの思い出を残してくれた。妻の理解と協力があって実現した介護生活だったが、お陰で親孝行のまね事をさせてもらえたこと、妻と両親に感謝している。

 父はおよそ無信仰なひとであったが、お寺に来て生活することになって、手を合わせるようになった。病気のために口はきけなかったが、お経本を手にもって、お念珠をかけて、礼拝し、元気なときには、常例法座の私の法話にも耳を傾けた。父がお念仏に出あってくれたことが、私たちにとっては、一番のよろこびであった。

 おかげで、突然の往生で最期をみとることができず、ひとりでひっそりと息を引き取った父ではあったが、その父の往生浄土即成仏に疑いをもつことは全く無かった。それは、後に残った私たちの大きな安心となっている。

 今日は、父が往生して二七日である。

 

No.43     春が来た (2018.4.17.更新)

 今年は桜の開花が例年より早く、その分散るのも早かったようだ。しみじみと桜をめでて春を感じる間もなく、桜を見送ったように思う。けれども春は桜ばかりではない。毎朝歩く小野の山道にも、そこかしこ春のしるしが溢れるようになった。

 若い頃は夏が好きだった。それから冬が好きで、やっぱり秋がいいと思って長く来た。それが今ではそんな過去はすっかり忘れて、春が一番好きになってしまった。寒い冬を終えて、暖かな日差しとともに、いのちといういのちが芽吹き、いきいきと活動を再開する。私にとっては、毎日の作務に草刈そが戻ってくることでそれをまた実感するのでもあるが…。

 春をこんなに好きになったというのは、それだけ自分が年齢を重ねて来たということなのだろうと思っている。理屈でなくて、老いて来た体が、暖かな春の気候を一番快適に感じているからだろう。春の好きな理由は後付けでいろいろ言う事はできても、つまるところは老いの身に一番やさしい季節を体と心が自然と趣向するのだと思う。そう思うと、自分もとうとう春のよさがしみじみと感じられる歳になったのだと有り難く思う。頭でなく、体がそれを教えてくれる春のすばらしさに出あえていることを、私は素直に喜びたいと思う。

 

No.42  それは自然なこと (2018.3.12.更新)

 互いの健康のためにと、毎朝おつとめが終わると朝食前に坊守と二人で散歩をする。その時、さまざまな話をするが、よく出る話題は、寺の将来である。  

核家族化が進み、後継者のいないご門徒が少なくない。法座へのお参りも年々に減ってきている。今のところは、かつかつお寺を維持しているが、将来ご門徒ががくんと減った時にお寺の維持ができるだろうか。それは難しいだろう。と大体はこんな話になって、寺の未来は暗いとなることが多い。そのためにどうしたらお寺を繁昌させられるか、引き続いて護持できる体制はどうしたらいいかと、二人してない智慧を出すようにあれこれと工夫を考えてみる。

 だが、考えてみれば、お寺はご門徒さんがあって、そのご門徒さんがお聴聞の場として寺を建てて護持してくださったものである。そのご門徒さんが減少して、護持できなくなったらお寺がつぶれるのは当然のことであって、特別のことではないのだ。何百年も続いた学校が、児童の減少のために統廃合されてかつての三分の一、四分の一に減ってきているという。理屈は同じであろう。きっとお寺も自然の形で吸収合併がなされ、人口比に見合った適正な規模の数のお寺に絞られていくのだろうと思う。それは良いとか悪いとかいうことではなくて、自然のことなのだ。

 まして、お寺は住職の私物ではないのだし、護持できなくなった時点で、お寺のその地における役目は終わったということだろう。それを永遠に存続させなくてはならないと、生き残りに血眼になるように執着すれば、それもまた諸行無常を説くお釈迦様の教えに背くことにもなろう。永遠に続くものはひとつもないという真理から逃れることのできるものはない。それが真理なのだから、そう思ってみると、お寺の未来を悲観して、どう生き残るかということばかりに夢中になると、法を汚すことにもなる。つぶれる時がきたらつぶれるそれはこの宇宙の法であり、それは自然のことなのだ、そうしっかりと諦観することを腹の据わりとすることが大切だと思う。

 

No.41   死は敗北か (2018.2.22.更新)

  先日地元の人権教育推進大会に参加してきた。その大会の記念講演は長門の心理カウンセラーの女性の方がされた。講題は「命をみつめて」という題であった。ご自身のお子さんが心臓の難病を抱えて生まれ、そのためにアメリカにわたって、心臓の移植手術を受けられたことをお話くださった。最初は子の自然な死を受け入れて移植手術を拒否していたご夫婦は、幼い二歳の我が子が生きよう、生きようと懸命に難病という人生の試練に立ち向かって戦っている姿をみて、助かる唯一の道であった移植手術を選択したのだと話された。

 移植手術について、さまざまな困難や問題点があることを教えられた。それと同時に、幼いお子さんがどんなにつらい苦しい思いをしてその手術を受けたのか、それをただ見守るしかなかったお母さんであるこのご婦人の心中を思って、お話を聞いている私も苦しくなった。お子さんもご両親様も本当に大変な思いを経験されてきたのだなと、思った。

 ただひとつ気になったことがあった。それは「いのちは生きよう生きようという強い意思をもっている。だからその意思を妨げてはいけない。その意思を尊重し支えてあげることが大切だ」というお話の主題のもとに、死は生の終わりであり、死は生きようとする意志の敗北のような意識が潜んでいるように私には感じられたことだった。息子さんと同じような難病を抱えて、病に立ち向かっていた何人もの友達が、力尽きて死んでいったことを話され、その子どもたちの頑張りを忘れないであげてほしいと懸命に話された。そこには何の悪意もなく、ごく当たり前の感覚で、生き残った者と死に去っていったもの、ちょうどスポーツ競技の勝者と敗者のような感じがあるように感じられた。

 世間一般の意識からすれば、生と死とは相容れないふたつの事柄なのだろう。生の反対は死であり、死の反対は生。だから生を絶対の善とすれば、その対極の死は絶対に受け入れることのできない悪となるのかもしれれない。だが、生死一如を当然とする仏教の観点に立つとき、それはやはり迷妄だと思う。生があるから死があり、死があるから生がある。生死一如が私たちの存在の真の姿であり、如来の広大ないのちのなかにある私のいのちという視点にたつとき、生きているときも死にゆくときも同じ如来のいのちの中のできごとであって、勝ちも負けもない。

 

No.40  最近の傾向 (2018.1.22.更新) 

 自分の子供の結婚や甥の結婚式の司婚などをして、改めて最近の若い人の結婚についての考えかたが自分たちとは随分違ってきているのを感じるようになった。

 私たちの時は、結婚式、結婚披露宴そして結婚届けを出して、新婚生活をスタートする。そういう流れが当たり前であった。だが、今の若い人の考えは、まず婚姻届けを出す、一緒に結婚生活を始める。そして経済的な準備ができてから結婚式をあげ、披露宴をする。時には、結婚式や披露宴は省略することもあるようだ。

 今もこの若い人の考えには、違和感を覚えるのだが、だが、これが今の人にとっては、自然の結婚のプロセスになっているようだ。

 たしかに、これだったら新婚旅行から帰ったらすぐに離婚するようなことはないかもしれない。まず、実際に結婚生活をしてみて、この人となら大丈夫となったときに、結婚の式をあげ、披露をする。

 これまでは、結婚は家と家の縁を結ぶものという考えから、個人と個人の関係となって、親の出る幕も、家の出る幕もない。結婚する二人の意志がすべてで、すべてのことは二人がきめて、経費のことも親に世話にならずに、自分たちが工面する。親や親族は、お客さんとなった。結婚した二人が最初に力を合わせてする大きな仕事が、結婚式であり披露宴であるようになってきているのを感じる。それはそれで自立していて、決して悪いことではないようなのだが、どうも、最初に結婚式がないのが、いつまでも気になってしまう。やはり最初にきちんとご本尊の前で、結婚の誓いをあげて、それから入籍をし、新婚生活をはじめるべきではないかと、私は思うのであるが。私のこういう考え方、感じかたは、実をとっていく若い人には、もう古いということになるのだろうか。どうも最初に試験運転の結婚生活をしてから、というのは新鮮な気分が湧いて来ないように思えてならないのだが、結婚する当人たちがそれでなんの不自由も感じていないのであれば、いいことなのかしら…と、うけ入れるしかないのだと、このごろは自分に言い聞かせている。

 結婚が家と家のことから、個人と個人になったことから、いろんな儀式が不要になつたり、たとえば結納がなくなり、そもそも仲人さんもたてなくなったたりと、時代の変化に応じて結婚のスタイルも変化してきているということなのだろう。

 

No.39      ご用のすむ日 (2017.12.26.更新)

 今月25日にようやく御取越のお参りが終わって、ほっぽっておいたホームペイジの更新をあわててしている。

 今年は本当に来客の多い年であった。それに二人の孫も授かり、公私ともに慌ただしく日を送ったように思う。

 金子みすゞさんの詩にこんな詩がある。

 「お花がちって

  実がうれて、

  その実が落ちて、

  葉が落ちて、

  

  それから芽が出て

  花がさく。

 

  そうして何べん

  まわったら、

  この木はご用が

  すむかしら」

  木の一生を人間の一生にたとえて味わう。毎年毎年同じように法要をつとめ、お盆や御取越のお参りをする。ふうふう、はあはあ言いながら、そのつどそのつどのおつとめをたんたんとしてきた。いつかご用のすむ日がくる。

 早くすんでほしいと思う時が、年々増えてきた。でもまた、いつかご用のすむ日がくるまで、仏様のご用をさせてもらえるのは、やはり有り難いと思う。  

 今年一年のご用がすんで、また新しい一年のご用がはじまる。そうしてそれを繰り返して、私のご用の済む日がくる。それはちょっと考えるとさみしいようだけれど、いやじゃないなと私は思う。

 

 No.38   本堂の力 (2017.11.17.更新)

  今月のはじめに甥の結婚式があった。山口市内の結婚式場で挙式・披露宴をしたのだが、結婚式は仏前でしたいとのことであった。それで、出前の仏前結婚式の司婚をつとめることになった。

 その式場では、仏前結婚式はこれまでしたことがないとのことで、式場はキリスト教式のための広間しかないとのことであった。壁から天井、椅子までも白色一色に統一された空間であった。初めて下見に行ったときには、この場所でどうやったものかと途方に暮れる思いだった。しかし、とにかく引き受けた以上はここで最善を尽くすしかないと腹を決めた。

 事前のスタッフとの打ち合わせがあり、結婚式前日が幸いにも式が入っていなかったので、仏前結婚式の準備、私は主にご本尊等の設置やお荘厳をした。

そうして当日を迎えて、仏前結婚式をつつがなく務めることができたのだが、その時あらためて本堂のもつ力というものを感じた。ご本尊をお迎えしたのだから、そこが本堂と思って司婚したけれども、やはりご本尊様も居心地が悪かったことだろうと思う。本堂内陣の荘厳な浄土の相のなかに阿弥陀様を拝ませていただける本堂は、そこに入っただけでも、荘重な雰囲気に包まれ、心が落ち着く。もとよりお念仏の声が、目には見えないけれども、あちらこちに沁みついていて、それがひたひたと座る私の心に沁みてくる。

 若い二人が、仏前結婚式を挙げると言ってくれて、思いもかけずキリスト教式の式場で司婚をつとめることになったが、お陰で改めて本堂のもつ力というものに気が付かせていただいた。やはり本堂力はすごい。

 

No.37     若い人の出番だ(2017.10.7.更新)

 しかし、改めて考えてみれば当たりまえのことなのだ。もうじき六十になる私の年齢は、世間でいえば会社の定年になり、世間の第一線から、退いていく 

のが普通なのだ。もう五年もすれば、私も高齢者の仲間入りである。僧侶という仕事柄、定年なるものはなく、まさに生涯現役であるせいか、世間の若返りにびっくりしてしまったが、もう若い人たちの出番を迎えているのだと、このたびはひしひしとそのことを感じた。

 そういえば、宇部北組でも、三十代、四十代の若手僧侶の方々が、どんどん組を引っ張ってくれてきている。私は僧侶の世界で、六十などまだまだと思っていたのだが、世間相場だけでなく、実際に自分はもう現役世代の最後の数年に入ってきているのだなと考えなくてはならないのだろう。自分の感じでは、とてもそんな気持ちはないのだが、鏡に映る白髪頭を見たりすれば、確かにこの身にはっきりと老いは刻まれてきているのだ。

 けれども、そうかといってにわかに老け込むことも、老成することもできないし、必要あるまいと思う。すべては自然の成り行きに任せるつもりである。ただ、時代は若い人の出番になった以上、それを邪魔したりすることのないように気を付けなくてはなるまいかと、思うようになった。

 

No.36  布教使の大量失業時代来る?(2017.9.20.更新)

 過日本願寺の伝道院の布教実習の会所をお引き受けした。私も今から二十六年前に九州の北豊教区の何ヶ寺かのお寺様で布教実習をさせていただいた。教区から会所になってくれないかとのお尋ねをいただいたとき、これも恩返しの機会をいただいたものと考えて、お引き受けしたのである。ただ、拙寺ではこの時期に法座を開いた経験がないので、お参りがあるかどうかをとても心配した。その時に坊守の意見をとり入れて、九月の頭にある婦人会主宰の秋法座を前倒しして伝道院指定の㋇31日に開催することにした。平日の開催だったが、思いのほかお参りが多くて、にぎにぎしく開催できた。

 午前中は婦人会の法座のご講師にお取次ぎをしてもらい、午後席に実習生二人と指導講師の方のお取次ぎをいただいた。真面目なお取次ぎで、皆さんもよいご縁と喜んでくださった。

  ご法座の終了後に講評会があって、お聴聞しての感想やら気づきを少しお話しさせてもらった。私は実習生の二人がとても落ち着いていて驚いたことを率直に話した。

 これは講評会ではお話しなかったが、私はいずれ布教使の大量失業時代が来るのではないかと予想している。それは布教使として布教の現場に立っていると法座が疲弊し、衰退していることをひしひしと感じているからである。まず、参詣の人が高齢化してきていること。二十六年前に布教使になったとき、私が布教にお参りすると、どこでも一番若造だった。住職さんはもとよりお聴聞に来ているお同行の中でも、常に私が一番若かった。あれから二十六年たって、私は今年六十になるが、この頃は、ご住職より私の方が年が上であることが増えてきた。つまり住職の代替わりが順調に進んでいるのである。しかし、一度法座に立つと今でも私が一番若い状態が続いている。つまり法座におけるご門徒様の、お同行さまの世代交代が全く進んでいないのである。昔お参りしていた人がそのまま年を取ってお参りしている。したがって、そのようなお同行が一人ご往生するとそのまま法座に一つ穴が空く。そのようにして参詣者の数も激減してきた。結果、これまで一週間していた報恩講が五日になり、五日が三日になり、三日が二日になり、二日が一日になり、一日が半日となってきている。

 お参りの人が減って法座を開くことが難しくなれば、当然各寺のご住職が手勤めされることも多くなるだろう。いよいよ布教使の出番は無くなる。私はこの二十六年の間布教使として働き、子供三人を育てることができた。しかし、これから布教使として布教で生計を立てようという若い人たちが、私がしてきたと同じように布教で生活を立てるのは、難しいのではないかと真剣に案じている。お寺の法座が無くなっていくなかで、布教使は増えていくのだから、布教使間の競争も一段と激しくなることだろうと思う。

 もちろんすぐにすべてのお寺の法座がなくなるわけではないのだから、常に今の時代に即した若い布教使さんがいなくてはならないのは言うまでもないことなのだ。だから、このたびの伝道院の学生さんのような真摯な若い布教使さんの養成は続けていかなくてはならないのもわかっている。ただ、その彼らが進もうとする布教の世界は今日非常に厳しい状況にあることだけは肝に銘じていてほしいと、念ずるばかりであった。

 

No.35   インターネットとお寺(2017.8.18更新)

 インターネット上にホームペイジを開設して丸三年になった。そのせいかもしれないが、最近おもしろい電話がかかってくることがある。ひとつは、ネット上で葬儀サービスを全国展開している会社から、うちのサービスに協力してくれないかというお誘いの電話やファックスがくることがある。これは、全国展開している企業が、ネットで葬式や法事のことをしらべて申し込みをしてくる人たちに、最寄りのお寺を紹介して定額料金で仏事を提供しようということで、それに協力してその会社の契約寺院、あるいは専属寺院とでもいうのか、それにならないかという誘いである。

 一時アマゾンのお坊さん便という定額料金で仏事を提供することでお布施の在り方に一石を投じたサービスがあったが、今やそのようなサービスは特別でもなんでもなくて、たくさんの企業がネット葬儀社となって競争しているようになっているようだ。

 アマゾンの時にも、賛否両論があったが、ネットの時代となって、葬式や法事をしようと思った人たちが、お寺やお坊さんに縁のない場合には、まずネットで検索する時代になったということだ。ある意味、家とお寺の関係が壊れて、個人と教え、個人とお寺、個人と住職の時代にはっきりと入ったことを示しているのだと思う。もはやネットを離れての伝道はないということかとも思う。だからこそ、わが寺でもおくればさせながらホームペイジを立ち上げたわだ。全国展開するネット葬儀社のお誘いは、やはり断ることにした。その一番の理由は、やはり葬式や法事の仏事を定額料金でしますという、仏事のサービス化である。これはやはり布施の精神をみずから否定することになると思われたからである。

 つぎにかかってくる面白い電話は、ネット上でお寺の宣伝広告を出さないかというものや、ホームペイジにビュー機能を付けて、どんなお寺かネット上で

わかるようにするようなことをしてみないかというものである。要するにお寺の紹介・案内を充実してみないかというものである。どちらもお寺という性質からして、それに有名な観光寺院でもなんでもないわがお寺において、あまり必要ないことのように思われた。

 ただ、今日、家の制度が壊れ、お寺やお坊さんとの接点をもたない方たちが、それでも自身の大切の人との死別の悲しみに遇ったとき、その気持ちを仏教によって慰め、癒されたいと、もちろん亡き人のためになにがしか供養してあけだいと考えたときに、お寺は、うちは門徒だけしか受け入れませんと、やってしまったら、それもお釈迦様、阿弥陀様のお心に背いた偏狭なセクト主義でもあるように思う。そう思うと、これからはお寺も、ネット上において誰でもが、気楽に安心して仏事について相談のできる窓というか、入口を用意してあげることはとても大切なことのように、私は近頃思うようになっている。

 

No.34  シロのこと(2017.7.17.更新)

 坊守がホームページの写真にシロの写真をアップしたのを見て、ちょっとシロのことを書いみようと思う。

 シロが亡くなってもうじき丸四年になる。シロのことはいつまでも忘れられない。そこらじゅうにシロの写真が飾ってある。玄関、事務室、書斎、仏間、

トイレなどなど。毎朝、写真に挨拶する。

 亡くなる年の数カ月前から、だいぶ足腰が弱くなってきて、立てなくなることがあった。大好きな散歩のときでも、へたりこんでしまう。もうしろも随分年をとったのだと思った。その頃から、今までにないようなしぐさを見せるようになった。それは、散歩から帰ってくると、私の足に頭をすりつけてくるのである。どうしたのかなと、思ったが、今思うと、死期を感じていたシロが私に別れを惜しんでくれていたのだと思う。また、足腰の弱ったシロがある時、元気に飛び回って散歩をいくのを喜んでみせたことがあった。私はびっくりしてなんだ、足の弱ったのは一時的なものだったのかと思った。しかし、それはその時一回きりの姿だった。翌日からは、いつもに戻った。これも今思うと、自分の元気だった時のすがたを私の脳裏に焼き付けておこうとしたのかと思う。あるいは、元気な姿をしめして、感謝の気持ちを表してくれたのかもしれない。

 シロの最後の時は、夜通し鳴いた。めったに声を出して痛みを訴えることのないシロがひーひーと痛そうに鳴いていた。私は余程いたのだろうかと、かわいそうに思ったが、どうしてもやれずに寝ていた。これも今思うと、シロは自分の最期にそばにいて欲しかったのだと思う。夜中じゅうそばにいてやればよかったとおもった。結局亡くなる一時間前だけ、体をさすってあげて、息の切れるまで見守った。

 シロは犬で、人の言葉は話せなかったが、なんでもよくわかっていた。本当に名残を惜しんでくれたのだと今さながら思う。自分がシロにどれほど慰められ、癒されていたか、きっとシロは知っていたのだろうと思う。

 シロが亡くなって、シロがいつも寝そべっていた花壇に墓を造った。前坊守が花入れを墓前につけてくれた。お墓に花を供える気持ちを教えてくれたのもシロだ。

 シロのいのちは今何に生まれたのだろうかと、時々思う。

 

No.33  睡蓮とメダカとお堂deコンサート(2017.6.18.更新)

 7月の夏法座に咲いてくれたらと、ダイレクトメールで届い睡蓮の栽培鉢を二つ、赤と白の睡蓮 4月の終わりに購入した。しばらくして、地元の三吉さんが水鉢を見て、これならメダカがいたがよかろうと、たくさんのメダカを入れてくださった。小さな小さなメダカだったが、元気に動き回る姿をみるのが楽しくて、睡蓮鉢に一層の関心をもつようになった。

 毎日えさをあげているうちにメダカはぐんぐん大きくなって、卵を産むようになった。三吉さんが卵を産み付ける草をいれてくれて、別のばけつに入れてみていたら、つぎからつぎへと孵化して、バケツはあかちゃんメダカがうじゃうじゃ泳ぐようになった。五ミリにもみたない小さなあかちゃんメダカがバケツの中をシュッシュッとすばやく動き、潜り、浮上を繰り返している。こんな小さいのに魚としての機能がもうちゃんと身についてるのかと、ただただ驚き入ってしまう。

 赤睡蓮は数日前からつぼみが水中に茎をのばしていた。もうじき咲くのだろうなと、楽しみにしていた。けれど咲くまでには、まだしばらくかかるのだろうと考えていた。

 ところが、そのつぼみが水面に頭をあらわしたのが、昨日の朝だったのだが、なんとその17日の昼近くになって開花したのである。それはそれは美し

赤睡蓮である。でも私が感動したのは、その花の美しさもさることながら、その咲いた日なのである。まさに第3回のお堂deコンサートの日に咲いたのだから。計算してできるものではないし、もとより睡蓮がこの日にこの行事があることなど知るよしもない。けれどもお堂でするこのコンサートに仏さまが文字通りの美しい花を添えてくださったと喜ばれずにはいられなかった。

    坊守が手をあげて宇部市の音楽の祭日の日の会場になって今年で三年目となった。コーラスを主体に、指導のソプラノの横山先生の独唱など、それに時々の出演者に工夫を凝らして、今年で三回目のお堂deコンサートだった。

今年はどうだろうか、天気も気になるが、それよりもやはり入場者が心配である。法座とちがって、お寺のご門徒様の入場はあまり当てにできない。それだけに、いろいろなご縁で宇部の町のほうや、山陽小野田市、山口市などから訪ねてきてくださる方々を待つことになる。始まるまで、どうかしらと心配なのだが、まことに冥加があったのだろうか、天気も晴天で、しかも各方面から来場者があり、小さなお堂の中は一杯になった。ようこそ、ようこそ、小野の田舎の小さなお寺のコンサートにこんなにたくさんの皆さんが来てくださったと、感謝せずにはおられない。

 一番骨をおってはしりまわったのは、坊守である妻である。でも、その妻の熱意にいっしょになって協力してくださったコーラスのメンバーや出演者の方たちのご協力がなければ、コンサートは開けはしない。そして、そのコンサートは言うまでもなく、出演者だけではできない。そこにわざわざ出かけてきてくださる来場者の皆さまがいなくては成り立たない。本当にすべての縁がととのって、今年も盛況のうちにコンサートを終えることができたのは、この日のために睡蓮まで咲かせてくださった阿弥陀様のご加護があればこそと思わずにおられなかった。

 

No.32.  剪定の不思議 (2017.5.15.)

  十数年ぶりに杏子の花が咲き、実をつけた。初めの頃に花を咲かせたきり、その後いっこうに花が咲くことはなかった。それが、今年はみごとに花を咲かせた。だが、気が付いてみると、他のプラムや桃までも、すばらしく花をさかせ、実をつけている。いったい、どうしたことか。果樹には、実のようけい成る年と、お休みになる年があるということは、柿で経験していたが、それにしてもこんなに元気に一斉に花を咲かせるとは、不思議なことだと考えていた。

 街育ちの私が縁あって今の宝林寺に入寺して、多少なりともご門徒さんのご苦労や喜びを知ってみたいと思って、お百姓のまね事に前住職から借り受けた大根畑に、さまざまな果樹を植えてみた。梅の木から始まって、最近の夏ミカンの木まで、十数本の果樹の木を植えてある。そんなに広い土地でもないのに、つぎからつぎに植えたものだから、苗木の時はよかったのだが、大きく成長した今では、いかにも窮屈な感じの果樹園となってしまった。要するに植えすぎである。

  あまりにウッそうとしてきたので、昨年剪定のまね事をしてみた。もとより素人のすることで、我流のでたらめである。見るひとが見たら剪定にもならいようなむちゃくちゃであると思う。が、とにかく、本を読んでばっさりと枝を切ってみた。ついでに、境内地の空き地に植えたキンカンの樹ゃブルーベリーの樹もやってみた。思い当たるのは、このことであった。でたらめの剪定ではあったが、余計な木を切り落とし、全体に太陽の光がよく差し込むようにしたことが、よかったのではないかと思った。とにかく全体にみな元気がよくなっているのだから。

 何か、せっかく伸びた枝葉を切るのは、かわいそうな、傷つけるような考えもあって、これまでどうも気が進まなかったのだけれども、そうではないのだとわかった。自分ではどうすることのできない植物の気持ちになって、とても私にはそんな立派なことなどいえないのだが、それでもその植物のかわりとなって気持ちのよくなるように枝葉、樹形を整えることは、植物の成長にとってとても大事だということがよくわかった。

 よりよく成長をさせてやるために、余計な、余分な部分を切る。切ることによって樹木はよりよく育つ。もちろんこの場合でも、なんでも切りさえすればいいのではなくて、それぞれの木にあった時期に、適切な枝葉を、剪定することが肝心である。

 でも、それにしても成長のあかしの立派な枝葉を、惜しげもなく剪定することで、もっと丈夫で、たくさんの実をつける樹に育てていく。この剪定という行為はどこか教育にも通ずるひとつの智慧を教えてくれたように感じた。私のようなでたらめなお百姓には、この植物のもつ生命力は、やはり不思議な感じがしてならない。

 

 No.31.  青空を泳ぐ鯉のぼり (2017.4.13.)

 長雨でなかなか揚げられなかった鯉のぼりを昨日ついに揚げた。青空に風をいっぱいにはらんで元気に泳ぐ鯉のぼりは、見ていて本当に気持ちがよかった。

 それにしても、自分が鯉のぼりを揚げるなんて、信じられない。初孫の善幸ちゃんに感謝。初孫を授けてくれた息子夫婦に感謝である。「おじいちゃん」になったのだなと実感した。

 青空を悠然と泳ぐ三匹の親子鯉のぼりを見上げながら、孫の健やかな成長と、息子家族の幸せを念じた。それと同時に、このような水の中を泳ぐ鯉を吹き流しにして空を泳がせて、子の成長を願うという日本人の発想力のすごさに改めて感心してしまった。そして、これほどテクノロジーの進んだ現代にあっても鯉のぼりが廃れることなく、いまだに元気に日本の空を泳いでいる姿を見ると、親が子を思い、孫を思う、その気持ちは時代をこえて続いているものだということを、当たり前のこととはいえ、やはり有り難く思われた。

 こういうささやかな親が子や孫の成長を願ってあげる鯉のぼりが、いつまでも日本の空を泳ぎ回れるようなおだやかで平穏な国であってほしいと私は思った。

 

No.30 ジッセンジャー来る (2017.4.6.更新)

  昨日宇部北組の実践運動の一環として、仏婦の大会と合同で子供会を主とした花まつりを行った。その目玉イベントとして、京都からジッセンジャープロジェクトの公演をお願いした。彼らは、龍谷大学の実践真宗学科の大学院の学生さんたち5人である。なんでも7年前位に有志の人によって立ち上げられたプロジェクトだということだったが、私はかねてから本願寺新報などで、その存在に関心をもっていた。戦隊もののような衣装をつけて、なかなか本気のアクションをして見せてくれるのだが、正義の味方のビャクドーも悪の使いのジャカツも、ともに私たちの心の象徴として表れる。単純な正義が悪を滅ぼしてめでたしめでたしという劇ではない。仏教の教え、浄土真宗の味わいを子供たちのすきな戦隊ヒイローの活劇で教えるというものだ。

 公演の前日に京都から来ていただいて、拙寺で一泊してもらった。その折に夕食をとりながら彼らの話をいろいろに聞かせていただいた。みな、将来は自分のお寺の住職となるべき後継者の若者たちである。みな、真面目で、それぞれの関心をもって研究にあたっている、たのもしい青年たちだった。

 このようなヒーロー活劇で、伝道するなど、私にはとても思いつかないことだったから、それだけでも若い人はやはりすごいなぁと感心したが、その彼らが本当に気持ちのよい誠実な若者であること、そして一生懸命に演じてくれた姿をみるにつけて、とても励まされた。ちゃんと後をまかせられる人たちが宗門にはそだっているのだと嬉しくなった。それと同時に、彼らにすっかりバトンを渡すまでは、まだまだご報謝をしなくてはと改めて思った。

 

  No.29 「ようこそ ようこそ」孫を授かりました。(2017.3.8.更新)

 先月の14日に若坊守が男児を出産してくれました。名前は「善幸」(よしゆき)です。

 退院してから、しばらくお寺で養生していましたので、その間毎日善幸ちゃんを抱かせてもらいました。最初の感想は、不思議な感じでした。昨日まで子供のようだった若院に子が授かり、その子を私が抱いているなんて…、と思いました。そして、ようこそ、ようこそ、この世に生まれてきてくれたねと、善幸ちゃんに有難うを言いました。自分のようなものが、人並みにおじいちゃんにならせてもらえたことも、素直に喜びました。もったいないことです。

 私の腕のなかですやすやと眠る善幸ちゃんの寝顔を見ていて、本当にいのちの不思議を感じました。そして、この子は、私が見ることのない五十年先の日本や世界を見聞し、生きていくのだなと思いました。私は善幸ちゃんの知らないこれまでの五十年を体験してきましたが、善幸ちゃんは、私の知ることのない、体験することのできないつぎの五十年を生きていくのだと思ったとき、いったい世界は、日本はどうなっているのだろうと、考えました。けっして楽観できない現在の世界の状況を思ったときに、私たちとは違った意味でのさまざまな困難をこの子もまた生きていかなくてはならないのだろうと案じたりもしました。

 抱きながらお念仏をしていました。この子が最初に耳にして、口にする言葉が阿弥陀様のお名前であったらと、願ったりもしたのですが、安心してなんの疑いもなく身を預けて抱かれている善幸ちゃんの姿に、弥陀をたのむとは、こういう姿をいうのだろうなと、改めて他力の信のことを教えてもらったりしていました。 

 善幸ちゃんの誕生によろこびつつも、迷いの娑婆世界に生まれでてきたわが孫の深い因縁もしのびました。きっとお念仏に遇うためにお寺に産まれてくれて、そのお念仏の教えで自らも困難な人生を幸有る人生に転ぜしめ、自ら救われた教えを人々に伝えるために、きっと善幸ちゃんは生まれてきてくれたのだろうなと、有り難く思いました。

 

No.28   「この世界の片隅に」に感動 (2017.2.12.更新)

 早くから噂さを聞いていたので、見たいみたいと思っていた「この世界の片隅に」というアニメーション映画をようやくに見ることができた。だいたいのストーリーは知っていたが、すずというひとりの女性を中心にすずの家族とすずが嫁いだ家で体験した戦前から戦中、戦後の日常生活を丹念につづった映画だ。舞台は広島市と呉市で、当時の人々の様子が丁寧に描写されていた。

 戦争とはどういうものなか。戦後に生まれた私にもそれがいかに人々の日常を変えていくのかがよくわかった。映画は戦争反対を声高に叫ぶのでも、人生の理不尽をのろうのでもない。誰を責めているのでもなく、ただ事実として、こうであったということをたんたんとつづっているだけなのだが、見終わった後には、言葉でいえない深い感動につつまれた。

  アニメーションは、決して細密なリアルなものではなく、むしろ少女漫画のような幼いタッチなのだが、その素朴な画風が当時ののどかな広島の様子をよく写し取っていたのだと思う。帰りに妻と実写版でもおかしくない内容だねと話あったが、もし実写にしたら、画面を見ていられなかったかしれないと思った。特に原爆の悲惨さを描いたところなどはそうであったにちがいない。漫画になっていた分、現実の悲惨さが随分とやわらげられていたと思う。

 戦争に翻弄されながらも、それに不満をいうのではなく、受け止めて前を向いて生きていこうとする人々の姿が、決して暗い思いで終わることのない、清々しい思いを残してくれた。現実を現実のままにうけとめ、受け入れて生きる主人公のすがたがいじらしく、たのもしかった。

 見終わった後の感じは、昔お寺のシアターでみた「二十四の瞳」のようだった。言葉では言い表せない。それはある意味、どうにもしようもない人間世界の有様に嘆息つく気持ちであり、それでもそれを受け入れて生きて行こうとする人間のいじましさ、愛おしさの感じであろうか。

 もしまだこの映画をご覧になっていない人がいたら、是非とも一度見てほしいと思う。

 

No.27  青山学院大学躍進の秘密-箱根駅伝3連覇の偉業(2017.1.7.更新)

 私はこれまで正月の風物詩のようになっている箱根駅伝にはそれほど関心がなかった。そもそもスポーツとしてのマラソンの観戦の何がおもしろいのか、さっぱり理解できない。だからこれまでテレビで各地でのマラソン競技の中継があっても、ほとんど見たことがない。

 そんな私がここ数年注意していることがあった。それは、箱根駅伝における青山学院大学の選手たちの大活躍である。彼らが出しているその結果についてである。私のようなマラソン音痴であっても、箱根駅伝といえば、東洋大学とか日体大とか、順天堂大学とか早稲田大学が歴代の強豪校であることくらいは知っていた。ところが、そこに突如としてまったく駅伝において無名の青山学院が優勝し、あろうことかあれよあれよといううちに三連覇という偉業をやすやすと成し遂げてしまった。いったい青学に何が起きたのか。私ならずとも陸上関係者はその理由に関心をもったはずだ。その大躍進の秘密は、やはり原監督の選手の育成術にあったのだとわかった。

 先日ネットのスポーツ記事に原監督のインタビュー記事が載っていたのを読んで、私は納得した。そしてその監督術は、お寺の経営、活性化にも大いに活かせるように思った。

 原監督は、自身は五流くらすのランナーに過ぎなかったと話たのち、初めて監督に就任して、大学のクラブがまるでかつての日本の軍隊のような絶対服従型の指導が当たり前になされているのことにびっくりしたという。そして、この監督のいうことは絶対、上級生のいうことは絶対、下級生は言われたことだけをやっていればそれでよい。文句も意見もいうことはできなし、求められもしない。この旧弊な空気を変えなくてはだめだと考えたという。

 言われたことだけをやる選手ではなくて、自分の頭で問題を見つけ出し、その解決策まで考えることのできる自主的な選手。そして、上下の区別なくたがいにひとつの目標に向かって自由に意見を出し合い、協力して問題解決に向かっていくことのできる自由な空気のあるクラブであることを求めたのだという。言われたことをやるだけの待ちの姿勢を身に着けた選手たちが、自分の頭で考えることのできる選手になるように育つまで、七年から八年はかかったという。そして、今ようやく、選手が自分たち自身で問題をみつけ、その解決策を導き、そのうえで監督である私に意見を求めるようになってきたという。だから監督の自分は指示を出すのではなくて、離れたところにいて全体の部員の様子を見守り、意見を求められたときに、自分の考えを言うくらいで、後はみな部員たちが自分たちの目標のために、自分たちで話合い協力していくのを離れたところで見るだけになっている。これを自分は求めていたと話していた。

 なるほどと思った。けっして目新しいことではない。昔から会社などで新入社員に求められる人材像などでは、そのような自分で考え、問題を見出し、その解決策をも自分で考えることのできる自主独立型の人材が理想とされていた。原監督は、会社では当たりまえの人材養成がなされていない旧来どおりの忍耐と根性ばかりを求められる大学のクラブに、実社会においてはその当たり前の考えを持ちこみ、それに成功して、見事に結果を出したのだ。

 寺院の活性化、生き生きとした法座活動などにも、この原監督のした術が応用できるのではないかと思った。住職の言うことを絶対として、言われたことだけをする総代さん、それでもとてもありがたいのだが、それが自分自身のお寺として総代さんたちが自分で寺の活動の活性化を考え、その解決策を皆で話合って見つけ出し、ひとたび策がたったら門徒が一丸となってその解決のために協力していく。そんなふうになったら、お寺は青学のように奇跡の大復活を果たすことができるのかもしれない。

 駅伝の監督と寺の住職では、全く同一に考えることはできないかもしれないが、組織のどこに問題があり、どうしたらその問題を解決できるか解決策を得て、ひとたび得たらそのためにはたきかける。そして相手が変わるまで忍耐づよくその成長を見守っていく。そこは変わらないと思う。そういう意味では、一か寺をあづかる住職には、そのような意識と、展望、そしてそれを熱心にご門徒さんに伝えていくことが極めて大切だと、改めて教えられたように思った。

 

 No.26  還暦って誰のこと (2016.12.15.更新)

 来年の干支は酉とのこと。酉年生まれの私の干支がまた来る。今月の四日が誕生日で、満59歳となった。1年間は猶予があるといっても、もう還暦かと、思う。別に年を取ったことを嫌に思うことはない。むしろ、驚きの気持ちの方が大きい。もう、60か、あっというまの還暦到達である。よくぞここまで元気に生きてこられたものだとの驚きもある。小学校、中学校、高校時代の学友でもすでに亡くなっている者がある。大病もすることなく、この歳まで寿命をもらっていること有り難く思う。

 小説家になりたかった自分が、坊守である妻との出会いを縁として、僧侶の道を歩むようになったのが、三十二歳であったが、それから二十八年無我夢中であったようにも思う。家庭人として三人の子供を育て、僧侶、住職として日々の法務をこなし、庫裏、本堂、納骨堂と、そのときそのときの必要に迫られて、ご門徒の方々に支えられて、種々の事業も行ってきた。

 前住職である義父が往生したのが、満で七十二歳であったが、仮に義父の歳まで寿命があったとして、もう13年くらいしかない。あとちょっとだなと思う。まことに夢まぼろのごとき人生である。ただ、そうだからといって、これまでの歩みが空しいとはちっとも思っていない。むしろ反対に、こんなどうしようもない自分が、ようこそ仏様のお仕事をさせていただいてきた、ようこそこんな自分にお念仏様が届いてくれたと、もったいなく思われてなれない。私には、この人生は過分である。

 後何年生きられようと、生きられまいと、それで自分の人生をどうこうしようと思うことはない。これまで通り、夢まぼむしのごとき無常の娑婆を一僧侶として、一念仏者としてたんたんと往生浄土の道を歩んでいきたいと念じている。

  

 No.25  びっくりした。「世界の終わり」ってすごい。

                      (2016.11.7.更新)せんだってご縁をいただいたお寺さんの坊守様とお嬢さんが「世界の終わり」というバンドのファンだと聞いて、へぇっと思った。若い人たちのバンドで、一人の男の子がピエロのような化粧をしている、あのバンドである。私は何かパンクロックのようなわけのわからない歌を絶叫している、そんなバンドだと勝手に理解していた。それが、お譲さんはともかく、坊守様までファンだと聞いて、びっくりしてしまった。

 それで興味をもって早速レンタル店にいって、CDを借りてきてもらった。そうしてかけてみてびっくり仰天であった。最初聞きやすい音楽だとまず思って意外に感じたのだが、その後ゆっくり歌詞カードを読みながら曲を聞いてみて、その歌の世界に魅了されてしまった。すごいと思った。

 昔、人に勧められて尾崎豊さんの曲を聞いて、そのみずみずしい感性に驚きかつ引き付けられたのだが、「世界の終わり」は、平成の尾崎豊のような存在なのだと感じた。ただ、尾崎さんにくらべると世界の終わりには、なにか仏教の無常観や無我に通じた世界観がベースにあるようで、そのベースのうえから、この世界のあらゆる問題に関心をよせて、その中をどう生きていくのか、必死に前を向いてあるこうとしている若者の今が生き生きとうたわれているように感じた。

 とにかく詩もそれにあった曲も、ともにすごい才能が出たのだと思った。坊守さんが夢中になるのもわかった。難解な詩でもあるのに、それに共感する若者がこのバンドを支持してるのと思うと、今の若い人たちも捨てたもんじゃないなと、少したのもしくも感じ、嬉しかった。

 私は彼らの外見だけで判断してその音楽を聞こうともしなかったが、大いに反省させられた。教えてくれた坊守さんに感謝である。

 もしまだ、「世界の終わり」の曲を聞いたことがない人がいたら、一度是非とも聴いてほしい。特にその歌詞をじっくり味わってみてほしい。

 ちなみに、歌詞カードから一部を以下に紹介してみます。

「天使と悪魔」より

「正義を生み出した 神様 聞こえてますか

 あんなものを生み出したから みんな争うだよ」

 

「不死鳥」より

「死がくれる世にも美しい魔法

 今を大切にすることができる魔法

 神様 私にも死の魔法をかけて

 永遠なんていらないから終わりがくれる今を愛したいの」

 

 

No. 24  「医療現場に携わる仏教」(2016.10.27.更新)

  昨日山口別院で門徒総代会主催の公開講座を坊守と聴講に出かけた。講師は田畑正久先生であった。講題は上記の「医療現場に携わる仏教」ということでのお話であった。

 田畑先生には、昔当山にもお話に来ていただいたことがある。その時には、後生の一大事の大切さを医療の立場からお話くださり、とても説得力があって、面白いアプローチに私は感心したのを覚えている。

 昨日のお話では、医療現場になぜ仏教、なかんずく浄土真宗のお念仏が必要なのかを、さまざまな臨床での実例をご紹介されながら、わかりやすくお話くだされて、講演ではあったが、それは法話のようにありがたいものでもあった。

 病気の患者さんの苦しみを、病気を治す方法で取り除くのが医療だが、問題は病気を治すことがもはや不可能になった患者さんをどうするのか、ここに至ると医療はお手上げで、どうすることもできない。この時、どうすることもできない病気を抱え、死と直面する患者さんに現実を受け入れ、その現実に沿っていくなかで、心の救済をする道が宗教者に求められているのだとお話しされた。そして、その場合に死んだら終わりでない、お浄土を説くことのできるお念仏の教えが一番ふさわしいと思うと先生はおっしゃっていた。

 お坊さんの私は、そして布教使の私としては、何をいまさらと思わないでもなかった。生まれた時から、死は決まったこと、その死の問題を解決しないでは、よく生きることもできない。よく生きることができないなら、よく死ぬこともできない。その死の解決、後生の一大事の解決を私たちが求めるより先にわが心配として解決してくだされているのが、お念仏です。そのために聞法の道場たるお寺があるのですと、お取次ぎしている。

 病気を縁として、死に直面して初めて、人は自分が何のよりどころももたないものであったことに気づくのかもしれない。仏教はそれを何千年も前に解決して答えを提示してきたのに。だが、ここにきて医療の現場に携わる人々の間からも、宗教の救いを真剣に求め始めたというのは、いいことだと思う。そして、そういう現場に僧侶が、宗教者の立場で、死に臨む患者さんやそのような患者をもつ家族、そして無力感に打ちひしがれる医療従事者の心の本質的救済に当たるのは大切なことだと思った。

 

No.23  親のよろこび (2016.10.18.更新)

 今月16日は、坊守である妻の誕生日だった。昨日は一日遅れの誕生日のお祝に映画を観に行った。

 16日がちょうど日曜日であったこともあってか、近くに住む長男夫婦が、誕生日のプレゼントに素敵な花を届けてくれた。そして、大阪に嫁いだ長女と、岡山にいる次女からもそれぞれに当日に妻への誕生日プレゼントが宅配便で届いた。

 学生の頃は、そんな余裕もなかったのかもしれないが、誕生日にはプレゼントがあったりなかったりであった。けれども、それぞれが学校を出て、仕事につき、自分の足で立ってくれるようになったこの頃は、必ずこうして誕生日にお祝いの品を贈ってよこすようになった。

 妻もそうだが、私も、子供たちがそのようなことを当たり前にできる子供に成長してくれたことをとてもうれしく思った。よい子供たちを授かったこと、改めて幸せに思った。

 子供たちが、これまでに私たち夫婦に与えてくれたよろこびは数えきれない。私たちの人生を実り豊かにしてくれたのは、子供たちだと思う。そのこどもたちが当面私たちの手を離れて、巣立っていったけれども、今もこうして、今度は彼らが一家を構えて、いずれは親になっていく段になって、別のかたちでまた折々に私たちに喜びを与えてくれている。

 成長した子供たちを見られること、これもまたかけがえのない親のよろこびであると、子供たちが教えてくれた。

  

No.22  幸せな展開 (2016.10.4.更新)

 2日は、お寺のコーラスのライトコールアンサンブルの皆さんと一緒に、山陽小野田市民音楽祭に出場した。会場は、山陽小野田市民館であった。この音楽祭への参加は初めてである。いつもは、布教に出ている日と重なったりして、練習は出れてもなかなか発表のステージに立てないのだが、今回はうまい具合に日があって、久しぶりに皆さんとステージに立って歌うことができた。

 この度の市民音楽祭は、山陽小野田市民文化祭の一貫ということで、いつものステージのように合唱ばかりでなく、様々なジャンルの音楽に接することができて、長時間の催しであったが、あまり退屈することもなく、皆さんの演奏を楽しむことができた。 

  客席で出場者の演奏を聴きながら思ったことがある。それは、随分と幸せな人生に展開したことだ。私はろくに楽譜も読めないのだが、歌が好きだ。不思議とコーラスに縁があって、中学生の時には、音楽の先生に誘われて、NHkの合唱コンクールに出場したことがある。そして、それがあったせいか、大学では男性合唱団に一年間だけ在籍して、卒業生であるダークダックスさんと共演して新宿厚生年金ホールでコンサートをさせていただいた。大学卒業後はコーラスにはとんと縁が切れてしまったのに、坊守である家内がお寺でコーラスを始めてくれたおかげで、三十年を経てまた好きな合唱をすることができるようなった。そうして、このたびのようにたくさんのジャンルの音楽の演奏を楽しむような人生の楽しみが当たり前に開けた。本当に幸せな人生が私の身の上に開かれたこと感謝している。

 布教使として発声や滑舌のためにも、しっかりした呼吸法を学び、明瞭な発音がいつまでもできるようにと思って参加したコーラスでもあったが、純粋に美しい仏教讃歌を歌えること、ハーモニーが少しづつできてひとつに仕上がっていくこと、とても楽しい。まさに実益もかねたたのしみができたこと不思議な人生の展開として喜んでいる。

 

No.21   若い人が変わってきた (2016.9.16.更新)

 お寺の悩みのひとつはお寺の法座に若い人のお参りが少ない、というよりかほとんどないことである。布教使として県内外のお寺さまのご法座に招かれて出講させていただくが、どこに行っても58歳の私が一番若いことがほとんどだ。このままではお寺の法座はつぶれてしまう。なんとかしなくてはと、どこのお寺さまもなんとかして若い人たちをお寺に来てもらえるようにあの手この手の工夫をしている。だが、なかなかこれといった妙案はないのが現状のようだ。

 ただ、そんな中で私なりに明るい兆しを感じていることがある。それは今の若い人たちには、かつて私が若い頃に持っていたようなお寺に対す先入観が少ないように思う。お寺は抹香臭い、坊さんは人の顔を見さえすれば説教をする、何か死にまつわる暗く陰気なところだ。私の若い頃はそんな印象を私はもっていた。だから、私はお寺に行きたいともおもわなかつたし、お坊さんもそれほど好きでなかった。というより、そこは自分には関係のない場所という感じでいた。

 しかし、そのような感じを今の若い人はそれほど強く持っていないように感じる。というのは、過疎の地にあるわがお寺において、毎年初参式を案内すると、何組かの若いご夫婦が幼い子供をに連れて参加してくれるのだ。もう⒔年になるが、多いときも少ないときもあるが、それでも参加者が切れないで、式を開催できている。もちろん、お寺にご縁のある人たちではあるが。お寺やお坊さんに特別に構えたところもなく参ってくれる。

 その様子をずっと見て来て思うのは、今の若い人にとっては、私のような先入観がないだけでなく、むしろお寺や、仏教の教えと言うものに対して、素直な興味と感心をいだいていてくれるように思う。若い人なりに、子育てをしていくうえでの心のよりどころというもの、精神的な要求があるのではないと感じるのだ。

 それで思うのは、とかく若い人を集めるためにイベントに走りがちな私たちだが、そのイベントは仏教に関係のないものでなくて、仏教色の濃い、若い人たちの精神を満たし、育て、これは本当に役に立つ、大切なものだとわかり、感じられるようなものをしていったならば、若いご夫婦が心のよりどころとして、お寺や教えを聞いてくれるように感じるのだ。

 若い人たちのなかに素直に教えを聞いてみたいという気分が少しづつ満ちて来ているのをこの頃私は感じている。その気分に、求めにあったご縁の提供の仕方を見つけられたなら、工夫できたなら、かつてのようにお寺に老若男女がにぎにぎしくお参りする姿もまた復活できるのではないかと、私は思うようになった。

 

No.20 秘密基地づくり (2016.8.31.更新)

 先日宇部北組主宰のキッズサンガが開催された。その中で、秘密基地づくりというのを、子供たちといっしょにやってみた。これは、かまぼこ板4230枚をつかって大人の背丈ほどの円筒形(直径は1メートル位)

の家を造る遊びである。造り方は、至って簡単で、一枚一枚かまぼこ板 を重ねて積み上げていくというものである。ただ、枚数が枚数なので、子供四人、大人4人でやって、完成までに1時間位かかった。できあがった後で、外側から適当なところのかまぼこ板を抜き取って入口を造り、子供たちが中に入ったり出たりして遊んだ。それから、今度はその作ったばかりの家をカウントダウンして、五四三二一ゴーで、周囲に陣取った家の造り手のメンバーで一斉に押し倒して崩すのである。これがなかなか豪快で圧巻であった。まるで自分たちが、ゴジラになったようにかまぼこ板の家を破壊しつくすのである。子供たちの歓声は尋常でない。それで片づけとなる。

 私は、この一連の遊びが、人生そのもののように感じた。もくもくと積み上げて家を造る作業は、一日一日を営々と生きて、ひとつ目標にむかって努力し、忍耐する私たちの人生の姿を象徴しているように思った。そして、完成した時の慶びは、さまざまな局面でその目標がかなったときの私たちの慶びを端的に表している。そうして、最後にその喜びもつかの間、こつこつと積み上げて完成した家が、一瞬にして崩壊して無に帰する。これは私たちが病気や事故で、ある日突然死に見舞われて、これまで何十年もかけて作り上げ、完成し、手にいれた果報の一切を瞬時にすべて失う、人生のすがたを感じた。人間の営みごとが、個人であれば、死によって、社会全体であれば、地震や台風や火災などの自然災害によってはかなくも消え失せていく、まさに諸行無常のありさまをまざまざと教えてくれている。立派にできあがった、かまぼこ板の家が完成して三十分もしないうちに、こなごなに破壊され、元のとおりにその板が段ボール箱にきれいに納められて片づけがおわると、後には何も残らない。そこに立派な家があったことをしのぶよすがも何もない。

 諸行無常、諸法無我、涅槃寂滅。仏教の三法印を象徴的に教えてくれているように思った。お寺の子供会の遊びとしては、まことにうってつけの遊びであったように、私は思った。

 

No.19   熱戦つづくリオのオリンピック (2016.8.14.更新)

  連日の日本人選手のメダル獲得に、若いアスリートの人たちのすばらしさを感嘆している。水泳、柔道、体操と、体格の大きな外国人相手にひとつもひけをとらずに、勝負している姿にたいしたものだと、ただただ感心してしまう。

 ただ、ちょっと気になるニュースも耳にする。それはまずリオデジャネイロでの犯罪の多発のこと。やはりブラジルの経済の低迷と政治の混乱がそのままオリンピックに治安の不安として表れてしまったようだ。

  それからロシアによるドーピング問題も今回のオリンピックに暗い陰を落としているように感じる。それは競技する選手の間に尊敬と敬意が失われて、憎悪と不信が広く蔓延しているのではないと感じることだ。

 日頃の鍛錬の成果を、正々堂々とぶつけ合って勝敗をけっすべき最高のスポーツの祭典の場において、薬物による不正が起こなわれていたことは、参加している選手にとっては、たまらいと思う。ある競技に勝っても負けても、そこにロシアの選手がいれば、どこかもやもやとした気持ちが心を覆って、心底勝利をよろこび、いさぎよく敗北を受け入れることができないのではないか。

 オリンピックが、金メダルの数を競って、国威発揚の場となってしまい、スポーツ本来の純粋な競技としての魅力が失われつつあるのではないと、テレビの前で熱戦を観戦しながら、心配に思うのである。

 日頃、敵対し、憎しみあう国と国と国民であっても、出場している選手同士が、その思いをこえて互いの健闘を称えあい、抱擁する姿に私たちは、スポーツの世界のすばらしを見ている。それを無くしたなら、オリンピックは胸躍るスポーツの祭典ではなくなってしまうように思う。

 

No.18  石上総長の危惧 (2016.7.16.更新)

 今月の12,13日と全国組長会が京都の西本願寺で開催された。交通費から宿泊費まで本山で見てくれる研修会で、新任組長の私は有り難く出席させていただいた。

 久しぶりの京都だったが、祇園祭りが間近の京都は梅雨時期のひどい蒸し暑さとたくさんの外国からの観光客にあふれていた。

 二日にわたる研修は、主に組長の仕事内容と本年からはじまる伝灯奉告法要への協力、宗門総合振興計画の説明などであった。その中で一日目の冒頭の研修が石上総長の「宗門の現状と今後について」という講義であった。

 農漁村部の過疎地域に多くの寺院を抱えている本願寺が、全体として衰退傾向にあることをはっきりと明言された。そしてそのうえで、今後の対策として総長は次の三点を挙げられた。

 ①人材の養成

 ②一般の人々に伝わる言葉の重要性

 ③儀礼の尊重

 人材の養成はいわずもがなであろう。いかにインターネット社会になってもやはり教えは人から人へと伝わるものである。ご門徒ばかりでない一般の人たちから信頼される人柄は伝道の前提条件である。

 言葉は特に真宗の法話の言葉が現代人にはわかりづらくなっていることを言われた。現代の人々に届く言葉の研鑽を言われた。確かに自分たちには耳慣れた言葉も、はじめて法話を聞く人には難解な言葉となっていることもあるかもしれないと、布教使の私は心した。

 最後の儀礼は、ちょっと意外であったが、案外にこれが一番てっとり早く宗勢の回復に効果を発揮できるかもしれないと私は思った。ご門徒の要望として、住職の人柄、感動的な儀式、寺の境内地を清潔に管理してほしいと、あったという。難しいことはない。要は、僧侶として、住職として、ご門徒を大切にして、そのご門徒様の法事や葬式をきちんとつとめて、よいご法事だった、よいお葬式だったと思っていただけるようにつとめる。そしていつ誰が参られても、お寺に来るとすがすがしい気分になると、境内地や本堂内が清潔に管理されていることは、お寺として当然のことだろうと思った。

 過疎による人口減で寺の維持ができなることは、一寺院の住職や教団でどうすることもできないが、それ以上に一般の人々のお寺離れが急速に進んでいる。そのことを喫緊の課題として総長は、この講義をされたのであると私は思った。つまるところ、現代の衰退傾向に歯止めをかけるのは、社会情勢を変えるのではなくて、私たち一人ひとりの僧侶の心持ちやその行動によるしかないのだと、私は改めて感じた。

 

No.17  消えた「後生の一大事」(2016.6.15.更新)

 昨日山口別院で公聴会があって出席して、気づいたことがある。公聴会は、宗派から総務を代表に、今日進められている宗門振興総合計画の進捗状況や財政の問題などについて、宗派の担当者が各教区に出向いて説明をし、意見を聴取するという趣旨のものである。このなかで、特に平和に関する論点整理という話があって、先年成立した安保法制について、なぜ宗派として反対の表明をしないのかと厳しく問う声があった。

 先の大戦の反省を踏まえて、戦争に加担した教団の歴史を顧みて、念仏者としてどうすべきであったのか、念仏者はどう平和を守るのか。そういう議論がある。この平和の問題に限らず、差別問題の解消をめざしてはじまった基幹運動が発展して、現在は御同朋の社会をめざす運動が展開して、教えをいただくものとして、その念仏の教えでもって、広く社会の諸問題に対処し、自他共に心豊かに生きられる社会の構築を目指すことを宗派として存在意義に据えている。それが間違っているとは思わない。しかし、現実の問題の解決には、常に対立がある。前述の安保法制についても、原発の再稼働についても、臓器移植についても、移民の受け入れ問題についても、賛成、反対それぞれの意見がある。それを、念仏者なら、こうでなくてはならないと、どちらかいっばうの立場を支持するのならば、支持されない方は、念仏者ではないことになるのか、阿弥陀様のご本願に背いたことになるのか。その救いから漏れることなるのか。私は、お念仏を現実の諸問題を解決するたよりにするのは、間違っていると思っている。なぜなら、浄土真宗の教えは、この世の中の現実的、政治的問題について、互いに意見の対立をしてぶつかり合う人間の愚かさを教えてくれ、その自分の主張こそ正しいと言い張る両方の人間を、安楽な浄土に往生せしめて、仏にするという教えである。

 それで、私が気づいたというのは、この御同朋の社会をめざす運動によって、社会にむかって念仏者が、教団が何がしか目にみえて活動しているその姿を示そう、示そうとしていて、一番肝心要の後生の一大事の解決という、仏教の、宗教の存在意義を見失ってしまっているように思うのである。後生の一大事の解決のためにご回向くだされた阿弥陀様のお慈悲を忘れて、自分たちが阿弥陀様になったがごとく実践運動、実践運動と声高に叫ぶのは、宗教教団としては違うのではないかと私は思う。後生の一大事の解決を忘れたら、言わなくなったら、それは教団としての存在意義がないではないか。実践運動によって、社会をよりよく改変していくというのであれば、それは政治団体となるのではないかと私は思う。

 

No.16  岡先生の力 (2016.5.17.更新)

 今年の本山の安居の副講者に司教の松尾宣昭師が『浄土真要詳鈔』を講義される。松尾先生は大学院の時に岡先生のゼミで共に学んだ学友の一人である。当時から岡先生に鋭い質問を浴びていて、この人はただものでないと思っていたが、やはり和上になられた。寺坊の住職になるために龍谷大学を辞職されて富山県に帰られたが、今のまま在野にあって研究を続けて勧学までなっていただきたいと切に願っている。(松尾先生は学友のよしみで、拙寺の菩提樹を長年にわたってご購読いただいている)

 それにしてもと思うのだが、岡先生はたいしたものだ。先年は、同じゼミで学んでいたこの山口県萩出身の武田晋先生が司教になられて、松尾先生の前に安居副講者をつとめられた。すでに和上さんが二人も岡ゼミから生まれている。武田先生もいずれは勧学になられる方だと思う。

 岡先生はかつて行論が伝統宗学の理解と違うのではないかとの批判を受けたことがあったが、その岡先生の教えを受けた教え子が、その伝統宗学を支えていく学階の最高位をきわめていくようになっている。また、先生の直接の衣鉢を継いだ玉木興慈先生は、現在龍谷大学の真宗学の教授をなさっているが、宗門の『大乗』誌に正信偈の解説を連載されている。いずれは玉木先生も宗門の教学を支えていく和上になられることだろうと信じているが、本当にたくさんの教え子に慕われ、次代の宗門の支えとなる人材を育てた先生はすごいと思う。

 

No.15  娘の結婚 (2016.4.20.更新)

 式の後に身内だけの披露宴が近くのホテルで催され、皆が一言づつ祝辞を述べることになった。私はこんなことを話した。

「まず、怜さんありがとう。よく娘を選んでくれました。そして、挙式について、津村別院での仏式の挙式をしてくれて感謝しています。そしてご両親様には、素晴らしい御子息様をお育てくださってありがとうございました。おかけで娘は、将来を託する良き伴侶に出遇うことができました。それからなむちゃんにもありがとう。よくぞ西本願寺のご門徒様のご子息に出遇ってくれました。お父さんたには、それが何よりも大きな安心でした。そして最後になりましたが、このようなめぐりあわせの一切のお手回わしをしてくださった智慧と慈悲の阿弥陀様に感謝です。いつでも不思議なお働きをもって導いてくださる如来さまに有難うを申したく思います。(以下省略)」

 怜さんが初めてお寺に挨拶に来た時、よくテレビのドラマで見るような父親の娘を嫁にだすときの複雑な心境は私にはなかった。私は娘を奪う憎い若者というような思いは一切なかった。私はただただ嬉しかった。娘を生涯の伴侶にしたいという青年があらわれてくれたこと。そのような人に出遇い、実家に二人して帰ってきたことが、本当にうれしかった。

 親の私は先に往生していくものである。自分がこの娑婆を去っていっても、娘が頼り、守るべき人がいる。私の代わりに娘を守り、支えてくれる人がいることが安心であった。本当に、ようこそ、ようこそ、遇うべき人に遇ってくれたと、そのことばかりが私はうれしかった。 

 

 

No.14  組長の役得 (2016.4.11.更新)

 この4月から宇部北組の組長に就任した。しかるべき年齢の適任のご院家様もおられたのだが、組かく編成の時の取り決めに基づいて私に順番が回ってきてしまった。まだまだ若いと思っていたが、もう60は目前にきているし、見回すといつのまにか若い住職に囲まれていた。明らかに世代が交代してきたのだと実感させられた。

 まだ教区の組長会にも出席していないのだが、組の教化団体の活動や組内寺院の継職法要等が勤修され、早速に組長の仕事が始まった。とにかくわからないことだらけで、そのつど前任の組長であったご住職に尋ねては手探りで動きだしたという感じだ。目下のところは、初組会に向けて開催準備を役員と進め、まずもって今年度の発組会を無事に開催することに集中しようと思っている。 

  組長になっての役得を語るには、まだ何も仕事をしていないのだが、だが、これはやっぱり組長になったお陰だと思っていることがある。それは組長になることが決まってから、本願寺の動向、教区の動きなどについてしっかりと認識しておかなくてはと思うようになった。そのためにこれまであまり熱心に見ることのなかった本願寺新報や宗報をすみからすみまで読むようになった。あわせて㋂からは大乗まで定期購読をするようになった。おかげで教団に関するたくさんの情報を得ることができるようになったと思う。これは組長になったことで、ある種の責任感の上からも宗門の動きを把握しておこうと考えてのことだけれども、毎日一時間ほど、上記の雑誌等を読む習慣ができつつあることは、まことに組長にならせていただいた役得であると感謝している。

 任期中にいかほどのことができるかわからないが、これまで先輩の法中がたが勤めてくだされた組長を自分もこうして務めることができてはじめてそのご苦労がわかり、そのご恩に報いる機会をいただいたのだと思う。そしてそれのおかけでこれまでほとんど読むことのなかった宗報までも読むようにならせていただいたのは、やはり組長という職責のしからしむるところと思えてまさに組長の役得であると感じている。

 

 No.13  春が好き (2016.3.23.更新)

 歳とともに趣向が変わると聞いたことがある。自分のように頑固なものには関係ない話だと思っていた。しかし、そのような自分の上に、その変化が起こった。

 私は若い時から、季節は冬が一番好きで、次は夏が好きだった。秋と春は三番と四番である。ところが、どんな塩梅か、数年前からことのほか春が好きになってしまった。桜が待ち遠しくてならない。そして、春のつぎに好きなのが、秋になった。そして、夏と冬の順となった。すっかり季節の好みの順番がひっくり返ってしまった。自分でも不思議なののだが、結局理解しているのは、歳をとったということだ。

 極端な暑さ寒さを厭うようになった。ちょうどよう気温の季節を好むようになったようだ。もちろん、それでも昔の名残で、夏も冬も好きなところはあるのだけれど、昔ようにその季節を待ち焦がれるという気持ちは失せてしまった。やはり今ごろは春が待ち遠しく、夏の終わりには秋が待ち遠しい。

 仏教は中庸ということを大切にする。極端な快楽主義も極端な禁欲主義も排して、普通に人間的な欲望を満たすことをよしとする。私の季節の趣向が変わったというのも、ただ年齢のしからしむるというだけではなくて、かかるお釈迦様の真理におのずと体と心が自然にうなずくようになったからかもしれない。

   

No.12  東日本大震災と私 (2016.3.12.更新)

 東日本大震災から丸五年がたった。自分はあの震災のことはよく覚えている。といってもかの地で被災したというのではない。私はあの震災の前後に四州教区の常例布教線に出講していた。それで毎日新聞やニュースをむさぼるようにして震災被害の報道を読んでいたので、ことのほかに印象が強いのだと思う。あれから五年。私はこの間に被災者や被災地のために何をしてあげらたのだろうか。私のした実際的な支援活動といえば、いつもの支援金の寄付だけだ。後は、心の中で、一刻も早く復興を願って、エールを送り続けたことくらいであろうか。まことに汗をかくことのない、お手軽な支援に留まった。いつでもそうだ、本当に自分が体を動かして、苦しみ悩む人のために心底よりそうように支援してさしあげることができない。まことに情けない。

 それというのも、やはり自分が面倒なことに拘わりたくないと、自分かわいい心に囚われているからだろう。ただ、また一方で、私には昔からある信念にちかい思いがある。それは、どんなことでも、自分の身の上に起こったことなら、それは自分で解決するしかないということなのだ。人に愚痴をこぼしてもはじまらない。悩みを打ちあけても解決しない。誰も、本当には聞いてくれない。誰も、自分の境遇を代わってもらうことはできない。最後は、自分が自分で解決し、自分でその苦難を乗り越えていくしかないのである。そういう思いがある。その思いを自分に対してだけ持ったらいいのに、他の人に対してまで同じ考えで臨んでしまうのである。結局は、周りの人間は何もしてあげらない。その事に直面している当人以外に、その人が当面している困難を克服する道はないのだと、つい思ってしまうのだ。

 お手軽な金銭支援しかしない私の言い訳のような理由だ。ただ、それだからこそ、心なかでは負けるな、がんばれと応援しているのである。  

No.11  法座の崩壊 (2016.2.28.更新)

 以前から、ご法座にお参りのお同行が、高齢化していること、お同行の若返りがないことは気になっていた。前にもこのコーナーで書いたように、このままではいつか法座をたてられなくなって、布教使の大量失業時代が来ると、私は感じている。 

 その深刻な問題もさることながら、日々に布教の現場に立っていて気になるのは、お念仏の声が聞こえなくなっていることである。それと、昼席になると参詣者がばさっと減ってしまうことである。

  お念仏の声が聞こえないというのは、もう随分前から指摘されてきたことだが、それがいよいよ顕著となり、常態化しているように感じる。もちろんお寺お寺で、様子は違うのだが、中に全くお念仏のない法座まで出てきた。お念仏を称えておくれよ、必ず救う、という阿弥陀様のお心に疑い晴れて、「おまかせするしかしかたないわたくしでございました。どうぞ如来さまのなさりたいようになさってくださいませ。」と、そのままにお念仏する。お念仏は信心の端的な表れであり、私たちの称え心からすれば、報恩感謝しかないのである。そのお念仏が聞こえない。つまり、お慈悲をよろこぶ信心の人がいなくなってきているのである。信心よろこぶ人がいなくなったら、法座の崩壊どころか、お寺の護持すらも難しくなるだろう。

 いよいよもって大変な時代になった、そんな感じを私は日増しに強く感じている。

 

No.10  不思議な出会い (2016.2.23更新)

 いつからだかは、はっきりと覚えていないのだが、数年前から、小動物が無性に愛おしく感じられるようになった。昔から、犬や猫など、愛玩動物はあった。だが、近頃はそのような犬猫ばかりでなく、自分が目にするもの、触るものすべてが愛おしい。小鳥や虫や木々たちまで何か愛おしく感じるのである。昔は昆虫などはどちらかといえば苦手であったのに、最近はだんご虫でもかめ虫でも、かまきりでも、クモでも、なにかからかってみたくなる。言葉を話さなくても、生きようという意思をもって、必死に生きているその様子が、あいらしいのである。

 人間と同じように、何百年ものあいだ代々代々にその種のいのちをつないできた、私の周りのたくさんのいのちたち、私には聞こえないが、それぞれの命は、きっとそれぞれのいのちにはわかる言葉で親子で兄弟で恋人でともだちで語りあって生きているのだと思う。

 この大自然の、大宇宙の壮大ないのちの営みを考えると、私が生まれ死んでいく時間など、瞬きするような本の一瞬の時間なのだろうが、そのほんの一瞬を共に生きているいのちたちと思うと、なんという不思議なめぐりあわせだろうかと思う。私が生まれる前にもいた、私が死んだ後にも無数のいのちが生きていくだろう。でも、その無数のいのちたちと今、この時間を一緒に生きている。

 昔は人に限ってそう感じていた。だが、近頃は人だけでなくて、あらゆる命に出会いの不思議さ、得難いご縁の中にあわせていただいているのだという有り難さを思うようなった。同じ時間、同じ場所を共有している無数のいのちたちに支えられて今私があると思うと、あらゆるいのちというものに、ありがとういいたくなるのだ。もちろんそう思ったときに口をついて出るものは南無阿弥陀仏である。

 

 

No. 9 思うこと (2016.2.14.更新)

  朝、ゆっくりできるときは、納骨堂にお参りした後に坊守と30分くらい、小野湖を囲む小高い山道を散歩する。朝の冷気と小鳥のさえずりがとても気持ちがいい。

 そんな時に思うことがある。きっと、この木々たちは、自分が死んだ後も、同じようにこうして、生き続けていくのだろうな。自分がこの地に来る前から、ずっとそうしていたように。でも、それでいい。自分が今生きているこの時に、こんなにいつも見守って、やさしくしてくれている。自分が死んだ後にも、この山道を歩く誰かさんのために、同じように美しい緑と、澄み切った空気と、小鳥たちのさえずりで、迎えてやってほしい。私がこの道を歩くたびに癒されてきたように、つぎの誰かのためにずって生きていてあげておくれよ。いつもこうして歩いた道にいてくれる木々たちは、口きかぬ友。自分はその友のようには長く生きられないけれど、何年もいつもそばにいて、私を見守っくれた自然の友たちが、私の後にも残っていてくれることは、なんてうれしいことか。そして同じように、この道を歩く誰かが、私と同じように慰められることを思うと、有難うと、心の中でつぶやいてしまう。

 

No.8  コーラスの力 (2016.2.7.更新)

 お寺に、ライトコールアンサンブルというコーラスがある。坊守が中心に始めた仏教讃歌を主として歌う合唱団である。数人でスタートしたコーラスだが、今は30人近くまで団員が増えてきた。月2回本堂で練習に励んでいる。もうじき創立15周年になるが、これも坊守の熱意の賜物であると感謝している。今日はこのコーラスについて、私が日頃感じていることを述べてみたい。

  まず、コーラスができて喜んでいることは、とかく閉鎖的なお寺の活動に外に向かっての大きな窓が開いたことだ。とういうのは、ライトコールの大きな特徴は、団員にお寺のご門徒が少なくて、むしろ他のお寺のご門徒さんや、他の宗派の人など、坊守や団員の横のつながりから人が集まっていることである。だから、月に2回の練習や発表会などがあると、法座の時とはちがう風がお寺の本堂に吹き込んできてくれる。それが常にお寺の風通しをよくしてくれていて、内にこもりがちなお寺が教団以外の外の世界とつながれる大きな通路になっている。その中で昨年からはじまった宇部市の音楽の日コンサートへの参加は、まさに一般の方々が音楽を縁としてたくさんお寺に集ってくださり、地域にも開かれたお寺のひとつの姿を実現できているようで、これもコーラスのおかげだと思っている。 

 そして、これは予想外のことだったが、たびたび練習に来てくださる団員のかたたちが、だんだんとお寺に慣れて、時々は法座にお参りしてくださるようにもなり、参詣者が増えるといううれしいことも起きて来た。

 つぎに私が驚きもし、感心しているのは、コーラスの伝道力である。私は布教使として法話によって伝道をしている。一日のご縁なら、午前午後それぞれ2回づつ、約40分くらいの話を4回する。いろいろなたとえや因縁談を用いて、阿弥陀様のお慈悲を伝える。   

 ところが、コーラスではそれをわずか数分の讃歌でしてしまうのである。その一曲で、阿弥陀様の心が伝わるように何回も何回も練習して発表に臨むのだが、歌うのは一回わすが5分程度である。しかし、その5分の歌唱のなかに、美しいハーモニーとなった仏のお慈悲が、初めて仏教の歌を聞いたひとの胸に沁み込んでいくのである。しかも、お寺に一度も来た事のない人や、仏教になんの関心のない人にまで、自然と届いてしまうのである。お寺には仏法を聞きたい人がきている。だから、そこでは法話が成り立つのだが、音楽のホールには、浄土真宗の教えや仏教を聞きに来ているひとはいない。それなのに、その一度もご縁にあったことのない人にまで、無理なくそのご縁を結んでしまう仏教讃歌の合唱は、布教使の私にはけっしてできないすごい伝道力をもっていることにつねづね関心し、驚いているのである。

 私自身は練習を休むことが少なくないのだが、指導の横山典子先生が毎回発声の指導をしてくださので、声を出す布教のためにも、大いに学ぶところがあって助けられている。

 だが、新しい課題曲を音とりから少しづつ仕上げて、一曲か完成していくその過程が、私はとても楽しいのである。特に合唱はそれぞれのパートがそろったときのハーモニーが本当に気持ちいい。

 坊守の熱意に支えられているコーラスではあるが、遠近を問わず、練習に来て下さ団員の方々が集まらなかったら、何もできない。それを思うと、毎回練習に集まってくださる皆さんには本当に感謝している。

  

No.7 土徳を思う (2016.1.25.更新)

  布教でいろいろな土地にお参りさせていただき、さまざまなお寺様のご縁をいただく。県内、県外、都市部、農村部、漁村部など。

 その時にいつも考えるのが、その土地の持っている徳、お念仏の相続に関する土徳というものである。

 私は縁あって山口県のお寺に入寺したが、山口県は本願寺の王国のように西本願寺のお寺が多い。そのために布教に出る私たちは、ご法縁に恵まれている。また、法事をしても、ご門徒様のご親戚の多くが、真宗の門徒であることが多いので、一緒に正信偈をお勤めするのが当たり前にできる。だが、これは恵まれたことだと喜ぶべきことで、当たり前のことではないと、いつも思う。たとえば、真言宗の盛んな四州教区のお寺さまは、やはりご教化の上で、とても苦労されている。

 また、同じ山口県内のお寺であっても、都市部なのか、山間部なのか、農村部なのか、漁村部なのかで、お寺さんのもっている寺風というものに、違いがある。

 ただ、すべてを土徳に返していいかどうか悩むこともある。以前に同じくらいの規模の大きなお寺さま、おそらく年忌の張り出しや本堂の大きさからみて、拙寺の十倍近いご門徒さんがおられると思われたが、それぞれ三日づつのご縁をいただいたことがある。最初のお寺様は、参詣者も十人少々で、誠に寂しい参詣者であった。しかし、お参りの人の数よりも、私が驚いたのは、全くといっていいほどお念仏がない。これは法話している私に責任があるには違いないが、正直驚いた。次のお寺さまは、毎回百人近くの参詣があり、折々にお念仏の声の絶えないお寺であった。同じお話しをしているのだから、このお念仏は私の法話のせいであるとは言えまい。やはり日頃のご住職のご教化の賜物であろうと思う。それぞれのお寺の立地という、先の土徳の違いもあろうが、最初のお寺さんでは、法座の間、住職さんが出たり入ったりと、三日の間ゆっくりとお聴聞されることはなかった。また、数人の法務員さんも、お聴聞してくれてはいるが、住職よろしく法座の間、ほとんどお念仏を称えることはなかった。住職がお念仏を称えないのであれば、当然、それを見習って、法務員の方も、ご門徒も称えないのは当たりまえなのだろう。

 それに引きかえて、後のお寺さんは、土徳もあったろうが、住職はじめ寺族のものや法務員の方が一番前で聴聞して、折々にお念仏を称えていた。当然のことながら、その姿を見て学ぶご門徒方は、当たり前のようにお念仏を称えておられた。そうして、こちらのお寺は皆がいそいそとよろこびのなかにご法座に参られている活気のようなものが感じられた。前のお寺さんは、それこそお葬式のような沈んだ雰囲気で、まるで仕方ないから法座をしている、そんな感じであった。

 こういう違いを直に経験して思うのは、そういう住職さんの様子もすべて含めて土徳のあるなしともいえるのだろうが、土徳は変えられないものではあるまい。これではいけないと、住職が感じてまず、自分からお念仏よろこぶものとなろうと、聴聞者になる。

 やはり最後のところは、僧侶の、住職の姿勢ということに尽きるように思う。土徳ある土地というのも、最初からそうであったわけではあるまい。たゆまない法耕の営みがあって、そういう土地になったのだ。もし土地が疲弊して、お念仏よろこぶ土徳が失われたのなら、自分がそれを耕す、そう思ってやっていくしかないと、私は思う。

 

 

No.6 流れ作業の葬儀 (2015.1.13.更新)

 昨年末に葬儀が重なった。もう数年前から、田舎寺の私のところでも、自宅でお葬式を出される方はほとんどおられなくなった。時代の要請でもあるのだろう、専ら会館での式が当たりまえになった。結婚式が式場でするのが当たり前になったと同じように、葬式も家から外へ出ることになったということか。そうなるについては、そうなるだけの理由があるのだから、会館で葬式を出されるご門徒を責めるつもりはない。

 ただ、葬儀が、葬儀としての大切なものを失いゆくことを残念に思うのである。それは一言でいえば、純粋な愛別離苦の悲しみの情ともいうべきものだ。涙のないお葬式になってしまったように思う。そのためにつくられた会館であり、専門のスタッフがいるのだから、すべてが無駄なくスムースに進み、遺族も会葬者も招かれたお客のように、その式次第の進行に乗っかっていく。もちろん僧侶もその中にいる。悲しみを感じている間もなく、またそんなとりみだした悲しみの表出さえ許されないような生活臭の全くない機能的な建物なのだろう。

  この間はちょうど友引あけということもあって、会館もお葬式が立て込んでいた。葬儀が終わって、火葬場にいって火舎勤行をして、いったん会館で待機するために、ご遺族より一足先に戻ってきた。すると、いましがた葬儀をしたホールでは、夕方にあるお通夜と翌日の葬儀のための準備が慌ただしく行われていた。ほんの一時間前にかけらていたご門徒のご遺影ははずされて、別の方の遺影が飾ざれていた。それが会館の仕事なのだから、当然のことだが、つぎからつぎへと流れ作業のように葬儀がこなされていく、その舞台裏を目の当たりにしたようで、なにか寂しい気持ちになった。どたばたとして、けっしてスマートではない自宅での葬儀だが、そこには故人の思い出がいっぱいつまったかけがえのない場所である。そこから葬式をして斎場に見送るとき、痛切に別離の悲しみを感じる。

 亡くなった方が命をかけて教えてくれた諸行無常のことわりが、会館葬の普及とともに空しくなっていくのが、私は残念に思う。

 

No.5 変な感じ (2015.12.26.更新)

  先日、新聞を見ていて、変な感じを持った。それは新著の宣伝広告である。著書は東本願寺の法主であられる大谷暢順師である。ご本のタイトルは『人間は死んでもまた生き続ける』というものであった。少し前に西本願寺の前ご門主が『人生は価値ある一瞬』を出されたばかりであったので、最初はなんだか対抗しているのかと感じた。

 ところで、私はその広告を見て、「変な感じ」をもちました。それは

大谷法主のおっしゃていることは、仏教徒であり真宗門徒である私にとっては当然のことであるのです。つまり、往生とは死ぬことではなくて、新しい仏となる自分のいのちを生きていくことであり、仏となった証は、文字通りこの娑婆の世界に戻ってきて、苦しみ迷う衆生を救い続けることにあるわけです。ですから本のタイトル通り「人間は死んでもまだ生き続ける」のです。

 それでは何が変に感じたのか、ということです。それは、大谷法主の広告を見て、その内容紹介を読んだときに、何とも言えず、暗く古めかしい感じを受けたのです。おどろおどろしい、感じです。ちょっと怖いような感じでした。

 ところが、以前同じ新聞広告に、東京大学の医学部の先生が、同じような内容のご本を出されて、その新聞広告を見たとき、それはとても新鮮で、明るい未来を感じさせるものに見えました。共に「人間は死んでも終わりでない」ということを言っているのですが、大谷法主がお坊さんとして当然の教義を語ると、古くて恐ろしく感じ、医学部の先生が、科学者としては異例の発言をしたら、それが新しく明るい未来と希望を与える。そこに私は変な感じを持ちました。なぜ、そんな印象の違いが起きるのか。お寺というもの、お坊さんというものが、もうすっかり死のイメージとひとつものになってしまったからなのかもしれないと、長い時代の間に染みついたあかのようなものがあるのでしょうか。いささか考えさせられてしまいました。

 

No.4  ちょっと違う (2015.12.9.更新)

  前門様の『人生は価値ある一瞬(ひととき)』を拝読させていただいた。読んでいる途中から、なんかどうもいつもと違うという感じをもったが、最後までそれは変わらなかった。これまで前門さまのご著書は、本願寺出版から出されたものも、他の出版社から出されたものも、たいていのご本を読ませていただいたと思う。そして、いつもその著述の深い配慮とご法義の味わいの豊かさに感服して、さすがにご門主様だと有り難く読ませていただいてきた。だが、このたびのご本は、ちょっと違うのである。何が違うのかといえば、ひとことでいうと、あまり有り難

くないのである。しみじみと心にとどいてくる喜びがない。その理由は本書が、法話集ではなくて、いわゆる一般読者に向けてかかれた処世訓的な内容になっているからなのではないかと思った。きっと、浄土真宗のお法に縁のない、一般の方々、そして宗教に縁の薄い若い方々を読者に想定されたためなのだろう、阿弥陀様の救いや、お念仏のことは、ほんのわずか触れられるだけで、生死解脱を念頭におかれた書物になっていない。それできっと内容がいつものご門主様のおかきもののような深みをもっていないのだろうと、私は思った。一般の方へ、あえて宗教色をださないで、真宗色をださないで、仏教の知見を活かした人生の生き方を提案されたのだと思うが、私のようなものには、これまでのご門主様のご著作をいただいたものからすると、やはりちょっと違うなと感じてしまう。こうい人生の処世訓のような内容であるのなら、何も前門様でなくても、多少人生経験のある方なら誰でも書けるのではないかと思えてしまう。前門さまには、やはり仏教の生死解脱をお念仏のうえから、正面から見据えてそれを一般の人にわかりやすく、明晰に語る、これまでのスタンスを大切にしていただきたいと思う。ご門主だからこそ書けるそんな著述を書いていただきたいと、このたびのご本を拝読して強く感じた。

 

No.3  私より若いお同行がいない (2015.11.29.更新)

 前に寺院消滅のことを書いたが、布教使の私の気がかりは、法座がいつまで持ちこたえられるかということである。

 私が布教に出たのは、34歳からであったが、当時は当然のことながら、布教に行っても、たいていは自分が一番の若造だった。住職さんも、お参りのご門徒様も、当たり前のように、自分よりは年長だった。

 その後24年を経て、布教に出ていると、そこのお寺の住職さんより

私のほうが年上であることが増えてきた。住職が代替わりして、若院さんがご院家になられたのである。ところが、法座に立ってみると、私は相変わらず一番若い。お聴聞にお参りくださっているご門徒さんで、私より若いお同行を見ることが、本当に少ないのだ。つまり、お同行の世帯交代が、全然進んでいないのである。まさに、このままお同行が世帯交代のないままでいくなら、お参りのお同行が一人浄土に旅ち、また一人と、往生していってしまえば、櫛の歯が抜けるように、法座のお参りは減っていく。もうすでに、その兆候は、顕著な現実となってきている。それだから、後何年、法座がもちこたえられるかと、布教に出ながら、思うのである。いつか、お寺が法座を立てられなくなる時がくるのではないかと、真剣に案じている。

 お寺は、なんとか後継住職を育てている。そして、布教使も若い人が入ってきてくれている。しかし、肝心要の法座のお同行の若返りが滞っている。

 核家族化が当たり前になり、若い人が家にいない。過疎地であれば、仕事を求めてみな都会に出て行ってしまう。いったん都会で家庭をもち家を建ててしまえば、もうそこがふるさととなってしまい、田舎の両親のもとへ帰ってくることがない。過疎地のご門徒には、若返りすべき子弟がいないのである。

 お寺の護持は、ご門徒にたよらざるえないにしても、法座のお参りは広く門戸を開いて、ご門徒でもない一般の人々が、お話しを聞きにこられるように工夫を凝らしていかなかったなら、早晩お寺の法座自身がつぶれていくことになる。

 お参りのお同行がいる間に、つぎの新しい一手を打って、法座に若い人たちをむかえていくようにしなかったら、寺院消滅の前に、法座消滅が来ることになるのではないか。そうなれば、布教使の大量失業時代が来るなと、私は心配している。

 

No.2   修行していてくださるお坊さんがありがたい  (2015.11.22)

 先月一泊二日の納骨と帰敬式のための本山参りを、ご門徒さん7人と一緒にしてきた。二日目はいつも観光をするのだが、このたびはご門徒さんからの要望もあって久しぶりに比叡山延暦寺にお参りした。

 何年かぶりだったが、延暦寺は広い寺域に、たくさんの観光客であふれかえっていた。今日の叡山のさまを親鸞聖人がご覧になったら、どれほどびっくりされるだろう。

 そんな中で、西塔の常行三昧堂を訪ねたところ、今常行三昧行の修行をしている最中ということで、近所に静粛を求める札が立ててあった。お堂のそばによって耳を近づけてみると、中からゆっくりゆっくり唱えられるお念仏の声が聞こえて来た。

 かつて、叡山の堂僧だった親鸞聖人も励まれた常行三昧行を今もしていてくださるお坊さんがいる。その行が現に修められているとおもったら、なにかとてもありがたく、かたじけないように思えて、思わずその場で、お堂の中のお坊さんに手を合わせて、私はお念仏をした。

  私は、少し前まで、末法の時代に自力の修行は意味のないのに、だからこそお釈迦様は選んで阿弥陀様の他力浄土の法門をお説きあそばされたのに、それでもまだそんな自力の修行をするなんてと、心で思うことが少なくなかった。やっても詮のない修行をするとはなんて愚かなことだと、考えていた。

 だが、このたびはそんな気持ちはひとつも起こらなかった。いや、最近、比叡山に限らず、他宗でさまざまに報道される僧侶の苦行の仏道のニュースを見たり聞いたりすると、それがかたじけないように思えるようになった。自分でもこの心境の変化の理由はよくわからないのだが、自分ではよくしない、よくできないそのような仏道の行にいそしむ方がいてくださることが、ありがたく思えるのである。もちろん、だからといって、お念仏者たる自分のことをつまらないものと感じているのではない。むしろ、お念仏に出遭えている今の自身に深いよろこびを感じている。

 このありがたさの感じをいろいろ理屈をつければ、説明もできようが、今はしたくない。どこか、自分ひとりいい気になったようなことをいいそうなので、これで止めておこう。

 

No.1  「寺院消滅」(2015.11.17.更新)

 

 新聞の書評に引かされて、『寺院消滅』という本を求めてみた。なかなかタイトルがショッキングだが、今更という気もしないでもない。もうだいぶ前になるが、NHKのテレビ番組で「寺が消える」というタイトルで山陰地方の現状が報告されていた。

 実際過疎地にある寺は、支える檀家、門徒がいなくなれば、当然消滅していくのは自然のことわりであろう。なんでも上記の本によれば、今後25年後には、35パーセントの宗教法人が消えるという予想があるそうだ。3割強のお寺が無くなるのだ。これは、以前に総務省が限界集落といわれ、いずれ消滅していく市町村を発表したが、そこに所在する宗教法人を数えるとそうなるということらしい。

 なにも、そんな統計など精査しなくても、過疎地にある田舎寺院なら、そのようなことはもうとっくに肌で感じていることだろう。今はかろうじてご門徒が支えてくれているが、今後どうなるのか。若い世代は生活に苦しい、お寺の護持など意識の外にあるみたいだし、そもそも守るべき家が崩壊し、家族の絆が断裂してしまった時代に、ご先祖のためを思って寺を守ろうという殊勝な気持ちをどれだけの人がもってくれるだろうか。先日墓屋さんに聞いたら、今ごろは新しい墓を建てるより、墓じまいの仕事の方が多いと嘆いていた。もうだれも見てくれるものもいないし、当てにもできない。そんな時代にお寺がいまあるのだ。

 毎朝坊守と小野湖畔の山道を散歩するが、決まってでる話が、若院たちの時代はどうなるだろうか、お寺はやっていけるだろうか、そん話になる。(だが、思えば、私たちが若い頃には、当時の総代さんたちが同じようなことを言っていた。あれから20年以上がたったが、お寺は昔と変わらずやっている。)

 ただ、思うのは、お寺は住職一家の食い扶持のためにあるのではない。ご先祖の仏事を縁として、そのご先祖が守り伝えてくれた法義を私たち自身がお聞かせいただく道場である。もし、道場を支えるべきご門徒がいなくなれば、もうその時はそのお寺はお役目を終えたのであろう。ご門徒がいなくなった後までも、寺だけが残るということはあり得ないことだし、なにがなんでも残さねばならないと執着するのも仏法に背いた考えだろう。

 時代はどうあれ、人間の抱えた生老病死の苦悩は、お釈迦様の時代となにもかわっていないのだから、その苦しみがある以上は、その苦しみから解放される教えを説いたお釈迦様の教えに時代遅れはないはずだ。

 つまるところは、僧侶は僧侶としての務めを果たし、寺は寺としての機能を果たしていく。私が今いる場所でできることは、それだけだと思う。寺が消滅するかしないかに心痛しているひまがあったら、目の前にある自分のつとめを果たすことに心を尽くすべきなのだと思う。

 諸行無常、諸法無我の仏法をいただきながら、寺の消滅にうろたえるというのも、愚かなことだ。滅び時が来たら、滅びる。何事も永遠に続くことはない。それが真理なのだから。そう、腹を決めていれば、「消滅」など、それほど動ずべきことではない。

 

「浄土真宗の伝道について考える」 第34回 (2015.11.7.更新)

  戦後真宗寺院の法座が廃れたのはなぜか ⑱ 

   僧侶の信心の欠落とそれにともなう伝道意欲の衰退 ④

 前回私は、法座の衰退の理由はほかでもない、僧侶自身の信心の欠落にあるのだと申しました。これまでこの連載で、法座衰退の理由について僧侶自身のことはおいて、外部の原因ばかりを述べてきたので、言い訳がましい気持ちがしてならず、自らの在り方を批判すべく僧侶の側の問題を述べてみました。

 しかし、実際その僧侶批判をしてみて、何かいやな感じが胸に残りました。それを後で考えてみて思ったのは、僧侶に信心がないのがいけないというが、それではそう言っているおまえはどうなのかということ。人のことをとやかく言う必要もなければ、資格もない自分であること。そんなことを言っている暇があったら、なぜ求めないのか。といて自己嫌悪にも似た反省の気持ちがひとつ。

 そして今一つは、自分の文章の調子に、教化者臭とでもいうようなものが感じられたことです。その臭いを言葉にすると、「僧侶の自分が苦しむ人を救ってやるのだ。自分だけが本当を知っているんだ」そんな思いあがったものだと思いました。

 これまでの連載の立場もあって、私は僧侶批判をしてみましたが、それは私の立場でとやかくするものではないことを改めて思いました。

 そしてもし教えてやるんだ、導いてやるのだと、自分が救われた側の人間にたって、上から下を引っ張りあげるように教化の実をあげようなどと考えたら、それこそ自分の分を忘れ、弥陀のご恩を忘れたものとなって、そのまま救うの弥陀法の働きの邪魔をすることになることにも気づかせてもらいました。

 

「浄土真宗の伝道について考える」 第33回 (2015.11.2.更新)

 

 戦後浄土真宗の法座が廃れたのはなぜか ⑰

 

僧侶の信心の欠落とそれにともなう伝道意欲の衰退 ③

  前回は苦しむ人々が現にあり、しかもそれに対する真実の救いの法があるのに、その法(浄土真宗)を求める人がお寺に参らないのは、その法を体現し伝えるべき僧侶の側に問題があるのではないかと申しました。

 人々が教えを求めていないのではなく、一方で隆盛をきわめる教団があるなかで、真宗教団が衰退傾向にあるのは、やはり法を伝えるべき私たち僧侶の側に問題があると考えざるえません。

 法を伝えるは人にありで、法を伝えるべき僧侶が伝えるべき法をいただいていなかったなら、伝えようがないということです。問題の核心は、やはり僧侶における信心の欠落ということにつきるのではないかと私は考えています。

 信心の欠落がなぜそのように問題なのか。

 一 自ら如来様のお心を頂戴して、信心喜ぶ心がなければ、後生の一         大事の解決は念仏のほかにないと真剣に説き、勧めることができない。

 二 また信心がなければ、本当にこのおみのりを伝えようという伝道意欲も熱意も、ご報謝としてのたゆまない使命感も湧いてこない。

 三 信心がなければ僧侶自身、お念仏を称え、お念仏喜ぶ姿を示すことができず、念仏のご利益を身証することもできないから、おそらくお念仏をまねて申す人がいなくなる。

 四 信心がなければ、いたずらに在家の生活に流されてしまい、ご報謝としての自ら身を慎むことを忘れて、放逸な日暮に終始して、いよいよ一般の人の信頼を失うことになり、教えの真実さの足を引っ張ることなる。

 やはり僧侶は、いい意味でも悪い意味でも門徒さん、あるいは一般の人たちから、教えの体現者として念仏者の手本とされていると思うのです。その手本とされるべき私たち僧侶にお念仏を喜ぶ信心がなければ、どうもなりません。

 僧侶における信心の欠落が、真剣な伝道を怠り、後ろ姿での教化を喪失して、法座の衰退の大きな原因となったのではないかと私は思います。

 

 

 

「浄土真宗の伝道について考える」 第32回 (2015.10.23.更新)

  戦後浄土真宗の法座が廃れたのはなぜか ⑯

僧侶の信心の欠落とそれにともなう伝道意欲の衰退 ②

 一体なぜ真宗寺院の法座が廃れてきたのか。自分なりにその原因を求めて参りました。しかし、先回申し上げた通り、そこで種々に論じたことは、どれも私たち僧侶の側の言い訳のように思えてなりませんでした。あれこれと衰退の原因を外側に求めてみたものの、実に一番の原因はやはり、なんといっても私たち僧侶自身の側にあるというのが、私自身の結論です。

 私たちの抱えた生老病死という苦悩は、お釈迦様の時代も今日も一つも変わっていません。ですから、これだけ科学が進んだ時代でありながら、迷信的な新興宗教が次から次へと起こってきます。そして、その苦しみから逃がれるために実に多くの人たちが、そのご利益につられて、まやかしの宗教にひきづられています。

 人々の苦しみが変わらず、苦しみから逃れたい人々が現にいて、その苦しみを除くための教え(浄土真宗という弥陀の名号法)もある。そうであったら、その教えが人々に求められないはずはないのです。しかし、現実にはその教えの説かれる法座に教えを聞きにくる方たちが激減しています。社会全体に教えを求める風潮が衰退したというのなら、まだ説明のしようがありましょうが、真宗の法座が廃れる一方で、日の出の勢いという教団のあることを思いますとき、やはり法を伝えるは人にありということを思わずにおれません。

 

 

「浄土真宗の伝道について考える」 第31回 (2015.10.19.更新)

  戦後浄土真宗の法座が廃れたのなぜか ⑮

 僧侶の信心の欠落とそれに伴う伝道意欲の衰退 ①

 これまで法座衰退の原因について、次のようなことをお話ししてまいりました。

 1.家制度の崩壊 ー家の宗教から個人の宗教へー

 2.世界観の変容 ー死後の世界を信じない時代ー

 3.人間中心主義の徹底 ー恩思想の衰退ー

 4.大衆の高学歴化

 5.娯楽の多様化

 以上は私が思いつくままに法座衰退の原因として挙げたものです。そしてそれらは僧侶や教団を取り巻く外側にある原因として考えてみたものです。

 これからしばらくは、衰退の原因を私たち僧侶自身のうちに求めて考えていきたいと思います。

 それについて、つぎの二点にわけて論じる予定です。

 1.僧侶の信心の欠落とそれに伴う伝道意欲の衰退。

 2.真宗僧侶、寺院の貴族化と世俗化

 まず最初の点からお話しを始めたいと思います。私はこれまで法座の衰退の原因、総じて言えば教勢の低迷の原因にいついて、前述のような僧侶と教団を取り巻く外側にこれこれの原因があると申してまいりました。このような様々な外的要因によって、浄土真宗の教えが今日の人たちに受け入れにくくなっているのでないかと、分析的なことを申してきました。しかしながら、そういうことをお話ししている私の心中の中では、なにか言い訳がましい、弁解の辞を弄しているように思われてなりませんでした。

 

「浄土真宗の伝道について考える」 第30回 (2015.10.11.更新)

 戦後真宗寺院の法座が廃れたのはなぜか。⑭

⑸ 娯楽の多様化②

 これについて思いだされますのは、今日の落語や浪曲など大衆娯楽の始まりは説教にあったという事実です。日本の話芸のルーツは、仏教のお説教であったということです。実際真宗の布教・説教といえば、本堂に高座を設けて、その上で話をする高座布教が当たり前でした。そして高座に上がった布教使は、非常に鍛えられた弁舌をもって、涙と笑いの中に一座の縁を取り持って、学歴・年齢・性別などの異なる大衆を相手に、厭きさせることなく、弥陀法を聞かせることに功みであったといわれています。

 今日のように演題と黒板を使って講演調の話をするのではなく、どこまでも話言葉ひとつ、声ひとつをたよりに人々の心に沁み込む、感情に強く訴える話をしていたように聞いております。

 つまり戦前までの真宗の法座布教は、それこそ徹底的に弁舌を鍛えあげた布教使が、有り難いなかにも、おもしろく、おもしろいなかにも、有り難い話をしていたものと考えられます。娯楽の少なかった時代に、皆が一つ所に集まって泣き笑いのある人情話のなかに、法味をたしかめあう法座は、今でいう娯楽と教養講座の二面を地域の人々に提供するようなものであったのではないでしょうか。

 それがテレビの出現に代表される娯楽の大衆化と多様化によって、寺に出かけて泣き笑いに興じる必要が少なくなったということも、やはり少なからずお寺の法座の衰退の一因にはなっているだろうと思われます。

  

「浄土真宗の伝道について考える」 第29回 (2015.10.4.更新)

  戦後真宗寺院の法座が廃れたのはなぜか。⑬

⑸ 娯楽の多様化

 真宗寺院の法座が衰退してきた原因を私なりに考えてまいりました。前回はその外側の原因の第四点目として大衆の高学歴化ということをお話しいたしました。今回は最後の原因として、娯楽の多様化ということを問題にしたいと思います。

 ご懇意にしてくださるご院家様から、この連載の記事について、このようなことをお聞かせいただきました。

 「寺の法座は戦後すぐに、今のように参詣者が減ったわけではない。昭和の三十年初め位までは、法座のつど満堂で盛況であった。それが急にお参りの人が減ったのは、ちょうど各家庭にテレビが普及しだしてからだと思う」

 これは私にとって意外な話でありましたが、実際にご院家様自身が見聞されたことでありますから、間違いないところだと思うのです  

 

 「浄土真宗の伝道について考える」 第28回 (2015.9.28.更新)

  戦後真宗寺院の法座が廃れたのはなぜか。⑫

⑷ 大衆の高学歴化 ③

 法座衰退の外側の原因の第4番目として「大衆の高学歴化」ということを話し始めました。その中でまず、「僧侶より一般大衆の側により高い学歴と教養を身につけた人たちが大勢いるようになったこと」が、法座衰退のひとつの原因であると申しました。

 これまで地域の教養人として人々の信頼や尊敬を集めてきた僧侶が、大衆の高学歴化によって、教養人としての外皮をはぎ取られてしまったとき、仏弟子としての道心と人格性が正面から問われるようになったのだと思います。そうしてみると、人々の期待に応え、裸一貫になっていささかもその価値を失わないという実力のある「真実に道を求め、法に恭敬する」僧侶は、それほどたくさんはいかなったということだったのではないかと思います。特に真宗の場合、法燈は父から子へと譲られますが、長い伝統の間に真摯な求法の態度が喪失とてきたことは否めません。

 要するに大衆の高学歴化によってもたらされたものは、単なる権威への盲従の拒否ということであると思います。これは一方では大変すばらしいことなのですが、私たち僧侶の側にとっては、厳しく自己のありかたを問われる事態になったのではないかと思います。

 つぎに大衆の高学歴化がもたらした原因としての最初の問題について考えてみたいと思います。それは「高学歴化がややもすると、人々の邪見と驕慢心を助長したこと。そのために教えに素直に耳を傾ける謙虚な心を失わせたこと」です。

 仏教にはたくさんの比喩があり、またお説教では人々の感情に訴える因縁談などが欠かせません。しかし、そのような比喩や因縁話は、合理的思考と批判的精神で育てられた今日の私たちにとって、何か程度の低いものに感じられるかもしれません。そして何よりも、とにかく自分の頭で理解できるものであることが大切にされ、自分の理解できないことは、つまらないもの、非合理なものとして、拒絶するような性向を人々にもたらしたのではないかと思います。それこそお釈迦様の説だからといって、無条件に頭を下げて聴くということが今日ではできなくなっているのではないでしょうか。

 とりわけ仏の不可思議の願力に助けらていく真宗のご法義を、自分の理解力で捉えようとすると、おそらくひとつも耳に入るものはないということになるのではないかと思います。

 高い教育によって、迷信を払拭し、権威への盲従がなくなり、真に本当なものを求める意識が人々の意識に醸成されたことは、素晴らしいことです。人々は真実の僧侶、真実の教えを求めるようになったと思うのです。ですから大衆の高学歴化は社会全体として、決して悪いことではないと私は思っております。

 しかしながら、その反面に、その高い教育・学歴に信頼をおいて、常に自分を中心において批判し判断していく、今日の私たちの性向からは、ややもすると仏の教えを素直に耳を傾けてそれに導かれるという謙虚な心が失われてきたことも否めないと、私は考えています。

 

 

「浄土真宗の伝道について考える」 第27回 (2015.9.17.更新)

  

 戦後真宗寺院の法座が廃れたのはなぜか。⑪

 ⑷ 大衆の高学歴化 ②

 前回から法座衰退の外側の原因の第4番目として「大衆の高学歴化」ということを話し始めました。私がそれを原因とする理由は次の二点であると申しました。

 ①高学歴化がややもすると人々の邪見と驕慢心を助長したこと。そのために教えに素直に耳を傾ける謙虚な心を失わせたこと。

 ②長い間地域社会の教養人として見做され、当てにされてきた僧侶より、今日では一般大衆の側により高い学歴と教養を身に着けた人たちが大勢いるようになったこと。

 今回はこのうちの後者の方から、お話ししたみたいと思います。

 寺の住職よりも門徒さんや、一般の方々のほうに高い学歴と教養を身に着けた人たちが多くなったことが、なぜ法座の衰退と結びつくのか。それは法を説く僧侶への信頼関係が損なわれ、僧侶の話に耳を傾けようとする心を皆さんから奪うことになったということです。

 もちろん僧侶への信頼感は、その学歴や教養によってなされるものではありません。どこまでも教法を体した人徳の上にかけられるものであるはずです。しかしながら、そのような道心に篤く、一仏弟子としての恭順な生涯をすべての僧侶が身に体し実践するということはかなか難しいことだと思います

 そういう時に、そのような道心もなく徳行がなかったとしても、かつてならば、その地域の智識人であり、教養人であったことによって、かろうじて人々の信頼を保つことが可能であったと思うのです。しかし、今日僧侶はその学歴・教養そして見識において、かつてのようにその地域社会の指導者たりえないものとなりました。

 

「浄土真宗の伝道について考える」 第26回 (2015.9.13.更新)

 戦後真宗寺院の法座が廃れたのなぜか ⑩

 ⑷ 大衆の高学歴化

 前回は法座衰退の外側の原因として、「人間中心主義の徹底ー恩思想の衰退」ということをお話ししました。今回は外側の原因の第4番目として「大衆の高学歴化」ということを考えてみたいと思います。

 一般の人たちの学歴が高くなったために、真宗の法座が衰退した。こういいますと、いかにも浄土真宗が程度の低いもののように聞こえるかもしれません。つまり人々が高い学歴と教養を身につけたために、その教えの幼稚さに気づいて愛想をつかされたのだと思われるかもしれません。

 しかし、私が高学歴化を法座の衰退の原因とした理由はそういうことではありません。これについて私は二つの内容を考えています。 

 ①高学歴化がややもすると人々の邪見と驕慢心を助長したこと。そのために教えに素直に耳を傾ける謙虚な心を失わせたこと。

 ②長い間地域社会の教養人として見做され、当てにされてきた僧侶より、今日では一般大衆の側により高い学歴と教養を身につけた人たちが大勢いるようになったこと。

 

 

「浄土真宗の伝道について考える」 第25回 (2015.9.4.更新)

 戦後真宗寺院の法座が廃れたのはなぜか ⑨

 ⑶ 人間中心主義の徹底-恩思想の衰退 ②

 前回私は人間中心主義の考え方を、戦後日本が欧米から学んだ不都合の最大のものであると述べました。人間中心主義と私が言うのは、すべてを人間が支配し、このの一切は人間のためにあるとする考え方のことです。この地球上にあ世りとあらゆる自然を人間の恣意的な目的のための手段や道具とみなし、一切を人間にとっての客体と捉えて、人間に奉仕すべきものとして、いささかも疑問に思わない考え方です。平たく言えば、魚や牛や豚は人間に食べられるためにあり、自然は人間の利用すべき資源であるとする見方です。

 この考え方によって強化されたのは、自分を絶対的な存在としてみなす強固な自我の肯定です。失われたものは、あらゆる自然の恵みによって生かされている私であったと感謝する心と、生かしてくれている大きな働きに深い恩を感じる心、そして生きるために、死にたくない無数の動植物の命をも奪って生きていく自分たちの罪深い姿を、あさましいと慚愧する心。そういうものを完全に私たちからはぎとってしまったように思うのです。

 そして、そのために私たちが失った一番大きなものは、他の苦しむもののたに涙する優しい潤いのある心だと私は思っています。

 このような人間中心主義の徹底は、如来の恩を感じる心をもとに、私たちを育てはぐくんできた浄土真宗のご法義を根本的に拒絶するように働いていくものであると私は考えています。なぜならば浄土真宗では、助かるはずもないほどに罪深き自分がそういう罪悪深重の者なればこそ救うという如来様の恩を知って、高慢な自我の角を溶かされて、一心に慚愧し、如来の御心にまかせてゆくところにひらかれるのが信心であるとするからです。その信心のもとになる、罪深さの自覚を今日の人間中心主義の見方は受け入れがたいものにしていると思うのです。そのために恩ということが通用いにくくなってきている。

 

「浄土真宗の伝道について考える」 第24回 (2015.8.28.更新)

  戦後真宗寺院の法座が廃れたのはなぜか ⑧

 ⑶ 人間中心主義の徹底ー恩思想の衰退

 これまで戦後浄土真宗の法座が廃れてきた原因について、まず外側の原因について、いくつか私なりに考えてきました。「家制度の崩壊 家の宗教から個人の宗教へ」、「世界観の変容 死後の世界を信じない時代」とお話をしてきました。今回からはその第三の原因として、「人間中心主義の徹底 恩思想の衰退」ということで、しばらくお話してみたいと思います。

 私は専門の研究者でないので、思いつくままに法座衰退の原因を挙げていますが、それらは一つ一つ別個の原因としてあるものではなくて、みん関連して共通の根というものをもっているように感じています。それが何であるのかを適切に表現し、その根本原因を解明する力は私にはとてもありません。

 戦後七十年を迎え、若い世代を中心に欧米的(キリスト教的な合理主義)な思考様式がかなり浸透してきているように思います。個人の尊重、自己主張、権利・義務の感覚など。それはたくさんの良いものを日本にもたらしてくれました。しかし反面、不都合なものも少なくないように思います。その不都合の一番に、私は「人間中心主義」の徹底ということを挙げたいと思います。 

 

「浄土真宗の伝道について考える」 第23回 (2015.8.22.更新)    戦後真宗寺院の法座が廃れたのはなぜか ⑦

 ⑵ 世界観の変容-死後の世界を信じない時代 ⑤

 「浄土真宗のみ教えは、凡夫のための教えとして凡夫の情に無理なく受け入れられるように出来上がっている情的な教えであると同時に、そのような凡夫がそのままに救われるための非常に高度な知的な論理体系があります。」と前回申しました。

 その意味で浄土真宗の教えは知と情とが絶妙のバランスで仕上げられている教えであるといってよいのではないかと思います。そのバランスのとり具合に真宗の法話の難しさがあると、私は考えています。

 ただ私自身は、今日は仏教的な素養が相当失われているので、弥陀のお慈悲を伝える前提として、まず知識的な理解力の向上を目指すことが大事なのではないかと思います。特に若い世代や男性の多い法座では、知的な理解から真宗のおみのりに入っていただくほうのが、因縁談で感情に訴えるよりも無理がないのではないかと考えています。

 

 

「浄土真宗の伝道について考える」 第22回 (2015.8.16.更新)

  戦後真宗寺院の法座が廃れたのはなぜか ⑥

⑵ 世界観の変容-死後の世界を信じない時代 ④

 それと同時に仮にそのような現代人の知性的な疑問を解いたからといって、果たしてそれでその人がお念仏を申してくれるかどうかわからないということです。

 ただ頭で「ああそうか、わかった」とうなづいて知的理解で満足して終わってしまったならば、お念仏で一切を救うと誓われ弥陀のお慈悲が一つも伝わらないままに終わってしまいます。もしそうであったら、そのような話は法話にならないということです。これが第二の難点です。

 お念仏を伝えようとすると、どうしても人々の感情に訴えることがなくてはなりません。布教使の話に因縁談が欠かせないのは、法話の本来の目的である仏の慈悲を伝えんがために、そうするのだと思ってください。

 浄土真宗のみ教えは、凡夫のための教えとして凡夫の情に無理なく受け入れられるように出来上がって情的な教えであると同時に、そのような凡夫がそのままに救われるための非常に高度な知的な論理体系があります。その知的な論理に支えられて仕上げられた教えが、すべての衆生が平等に救われゆく仏道としての「ただ念仏して」という教えなのです。

 

「浄土真宗の伝道について考え」 第21回 (2015.8.9.更新)

   戦後真宗寺院の法座が廃れたのはなぜか ⑤

 ⑵ 世界観の変容-死後の世界を信じない時代 ③

 しかし、それではそのような現代人の知性を納得させる法話を今から始めたら、その衰退に歯止めがかかり、若い人たちが法座に足を運ぶようになるのかと、いわれるとそこには布教使の勉強不足以上に難しい問題があります。それは浄土教という教えそのものの本来の性格が、難しいことのひとつもわからない凡夫(学歴や教養がないということだけではなく、いかに学歴があり、高い知性と教養を身につけていても、その自らの思慮分別の我に縛られて真実が見えない人間のことです)を救うための教えとして説かれたものですから、それをその人の不完全な知性・理屈に訴えて説くことが、そもそも浄土教の趣旨に背くことになるのです。それが第一の難点です。

 そのような知的な法話に終始すれば、いまお参りくださっている熟年以上のご婦人は多分法座に来られなくなることでしょう。

 

 

「浄土真宗の伝道について考える」 第20回 (2015.8.5.更新)

 戦後真宗寺院の法座が廃れたのはなぜか ④

 ⑵ 世界観の変容ー死後の世界を信じない時代 ②

 戦後の真宗寺院の法座が衰退してきた理由について、前回は世界観の変容ということについて述べてみました。要するに死後に浄土に生まれて仏になるという真宗の救済論そのものが、死後の世界を信じられなくなった今日の人にとっては、無意味なものに感じられるために、真宗の法話を聞きにくる人が減ったのではないかと申しました。

 そしてそのように死後の世界を信じられなくなった背景には、証明されないものは信じないという科学的実証主義の思想的影響があるのではないかとも申しました。つまり浄土の存在証明がなされない限り、とてもそのような世界を信じることはできない。それが今日の一般の人の常識になっているのではないかということです。

 これに対して私は浄土真宗の教えは、今日の人の知性的疑問に十分応えられるだけの教理的裏付けがあるということを申しました。知性に目隠しして盲目的に信じることを強要するような教えではないのです。

 それならばなぜそのような合理的根拠を正面に出して、今日の人の知性的な疑問に答えていくような布教伝道をしないのか。法座ではいたずらに感傷的な因縁談が語られるばかりで、はっきりしたことが何もわからないではないか。

 その理由の第一に私は布教使の勉強不足を挙げたいと思います。今日の人が何をも求めているのか、相手の立場にたって考えることをしないで、十年一日の説教に甘んじてきた、そのために真宗の法話は現代の人々の要求に応えられない時代遅れのものになってしまい、法座の衰退を招いたのだと思います。

 

 

「浄土真宗の伝道について考える」 第19回 (2015.7.26.更新)

  戦後真宗寺院の法座が廃れたのはなぜか ③

 ⑵ 世界観の変容-死後の世界を信じない時代

 戦後の真宗寺院の法座が廃れてきた原因がどこにあるのか、私なりに考え始めました。前回はその外側の問題の一つとして、家制度の崩壊ということを述べました。今回は外側の問題の二番目として、世界観の変容ということを考えみたいと思います。

 世界観の変容などというとひどく難しいようですが、要は人々が死後の世界を信じなくなったということです。そのために、命終わって後に浄土に往生して仏にならせていただく(ただし真宗においては、浄土往生の身にさだまるのは信心定まった時です)という真宗の教えが、今日の人々に受け入れがたいものになったのではないかということです。つまり死んだら終わりなのであって、その後には何もない、だから生きている今だけがすべてである。死後の世界を問題にすることなど無意味である、という考え方です。

 この考え方は、おそらく科学的な実証主義によってもたらされたものだと思いますが、人間の理性を一番のたよりとして、その真偽を証明に求めるいきかたは、今日の人々に当たり前の感覚になっていると思います。そのために実際にその存在が証明されない限りは、阿弥陀仏や浄土を信じることはできないということになって、それらを自明のものとして説かれる法座の説教を聞きにくる人が減ったのではないかと考えられます。

 凡夫のための救いの法として説かれた浄土の教えですので、その教えの表面はまことに易しいです。つまり阿弥陀様のご本願を信じて南無阿弥陀仏と申せば、必ず浄土に往生して仏になるというものです。しかし、表面の教説の単純さと裏腹にその教えの根底は、大乗仏教の空思想によった非常に深淵な哲理によって支えられています。それは今日の人々の知性を十分に納得させるだけのものであります。

 

 

「浄土真宗の伝道について考える」第18回 (2015.7.18.更新) 

 戦後真宗寺院の法座がすたれたのはなぜか ②

 前回は真宗寺院の法座が衰退した理由を私なりに考えて、内と外の原因のいくつかを挙げてみました。内というのは、僧侶自身と教団にみられる原因。外というのは、教えと教団をとりまく外の原因ということでした。本当は僧侶自身における原因を真っ先に問題にすべきなのですが、それについてはじっくりと論じてみたい気持ちもあり、先に外側の原因から考えてみたいと思います。

 ⑴ 家制度の崩壊-家の宗教から個人の宗教へー

 真宗の教えは戦前まで家制度の上にその基盤をおいてきました。それはご先祖の供養ということが、家をとるご長男さんの大事な勤めとしてあり、そのために教えは個人の生きるよるべであると同時に、その家の宗教としても大切にされてきました。家父長制のもとに祖父から父、父から子、子から孫へと、実にスムーズに教えが伝達されていました。

 よく歳をとったご門徒さんからこんなことを聞きます。毎朝おじいちゃんの唱える正信偈の声で目を覚まし、夕べには家族揃って勤行し祖父や父親のいただく御文章が済まないとご飯がいただけなったと。

 家の中に宗教が根付き、空気のように念仏を聞いて次から次へと新しい世代の念仏者が育っていったのです。

 しかし、戦後家制度が廃れ、家よりも個人が社会の基本的な単位とみなされ核家族化が進みました。それが本来の姿なのでしょうが、宗教も何を信じようと個人の自由な選択に任されるようになりました。もとより無信仰もまたひとつの信仰態度として広く容認されるようになりました。

 これがために、これまで家制度に支えられ寺檀関係の太いパイプで流れていた教えの水が断たれることになったものと思われます。そのためにこれまで順調に育まれていた真宗のご門徒さんが育たなくなってしまったのではないかと、私は考えています。これは外側の原因としての社会状況の変化です。

 

「浄土真宗の伝道について考える」 第17回 (2015.7.9.更新)

 戦後真宗寺院の法座がすたれたのはなぜか ①

 布教使として各地のお寺を訪ねますが、ご住職様が一様に悩んでおられるのは、参詣者の減少と参詣者の高齢化です。法座を立てても参り手が少なく、しかも年々に高齢化が進み、その後にの続く若い層の参詣者が育っていないということです。そのために法座の日数が確実に短縮されてきています。

 今回からしばらくは、なぜ若い人たちがお寺にお参りしなくなったのか、真宗の教えが今日の人々に受け入れられなくなったのはなぜなのかを私なりに考えてみたいと思います。

 この原因については、いろいろのことが考えられると思います。私は専門にそういうことを研究してわけではありませんが、大きくはと二つに分けられるのではないかと考えています。

 二つというのは、教団あるいは僧侶そのものに原因がある内側の問題と、教団や僧侶を取り巻く外側の問題があるのではないかと思います。

 まず、内と外の問題について挙げてみます。

 内側の問題

 ・僧侶の信心の欠落と、それに伴う伝道意欲の衰退

 ・真宗僧侶、寺院の貴族化と世俗化

 ・教えの真実性を身証する念仏者(僧侶と門徒)の払底

 外側の問題

 ・家族制度の崩壊 家の宗教から個人の宗教へ

 ・世界観の変容 死後の世界を信じない時代

 ・人間中心主義の徹底 恩思想の衰退

 ・大衆の高学歴化

 ・娯楽の多様化と横溢

 思いつくままに挙げてみました。しかし、教えの衰退、法座の衰退の一番の原因はやはりなんといっても、僧侶自身の道念(信心・菩提心)の喪失に尽きるのではないかと私は考えています。

 これから今述べた問題について、一つづつ考えていきたいと思います。

 

「浄土真宗の伝道について考える」 第16回 (2015.7.4.更新)

  消えるお寺 ③

 実際、布教使として各地のお寺にご縁をいただいてご法座に立つとき、次の世代を背負ってくれる若い人の姿を見ることは、めったにありません。教団の将来を考えた時、やはり一抹の不安を感じずにはおれません。いま、お参りしてくださっているご老人たちが参いられなくなったら、いったいお寺の法座はどうなるのだろう。

 現にご門徒の高齢化が進み、お寺にお参りする人が減って来たために、これまで一週間勤めていた報恩講が三日となり、一日になってきています。

 家の宗教として登録された門徒数は減っていないかもしれませんが、自分自身の生きる拠り所として浄土真宗の教えを求める人が確実に減少してきているのです。教えを求める人がいなくなれば、当然のこと、そのための道場としてある真宗のお寺が廃れてくるのも自然の成り行きであります。

 しかし、戦前まで非常な活況を呈していたといわれている真宗のご法座がなぜ戦後これほど急激にさびれてきたのか。教えのもつ真実性にには何の変化もないのにです。

 これからしばらくは、真宗の教えがなぜ今日の人々に受け入れられなくなったのか、私なりに考えてみたいと思います。そして、その原因をいかに解決していくかを問うなかで、本願寺教団再興の道をたずねてみたいと思います。

 

「浄土真宗の伝道について考える」 第15回 (2015.6.27.更新)

 消えるお寺 ②

 前回から真宗寺院のあり方について考えはじめました。その最初にお寺が消えていくという問題を取り上げてみました。

 過疎地域では、門徒数の激減によってお寺の護持ができなくなって廃寺になるお寺が出てきていることを述べました。また、ときによると住職自身も生計の維持のためにお寺を捨てて出ていってしまうようなことがあることもお話しました。

 廃寺にはなっていないが、住職が亡くなって、その子がお寺を継ぐことを拒否して、お寺を出ていってしまったために、後継者のいない無住のお寺も少なくありません。そのようなお寺では、数十戸のご門徒さんたちが、縁故をたよって近くのお寺の住職さんに代務住職になってもらって、代々続いてきた法灯を懸命に守ってくれています。本願寺教団には、たくさんの僧侶がいるのですが、そういう小さなお寺に入ってくれる人がいないのが現状です。家庭をもっていれば、生活が先になるのは、止む終えないことなのでしょう。

 また、後継者たるべき子供はいるが、これからのことを考えると、お寺だけではとても食べていけないし、将来の困難さを思うと、子供にお寺をついでくれとは、どうしても言えないというご住職さんもいます。

 廃寺、無住(住職のいないお寺)、将来に展望のないお寺など。教団の足元は少しづつ崩れてくているのではないか。私自身はそんな危機感をっています。 

 

「浄土真宗の伝道について考える」 第14回 (2015.6.19.更新)

 これまで浄土真宗の伝道について、その特徴を述べてまいりました。これらからしばらくは、真宗の寺院と住職についてお話してみたいと思います。お寺は今後どうなるのか、そしてそこに住まう住職は何をすべきか。どうしたらお寺は伝道の実をあげる教化の拠点として蘇ることができるのか。私なりに考えてみたいと思います。

 消えるお寺

 都市部に新たな開教寺院が設立される一方で、過疎地にある真宗寺院が消えております。消えるというのは、廃寺になるということです。何百年もの寺歴をもつお寺があえなく廃寺になっていくのを目にするのは、耐えられない思いがいたします。

 なぜお寺が消えていくのか。いろいろの事情がありましょうが、一番の原因はやはり仏教の教えと、真宗の教えが衰退したためだと思います。それではなぜ衰退したのかということですが、その教えの真実さを身をもって証する信心の人が、僧侶と門徒の双方にいなくなってきているためではないかと、考えています。

 廃寺の直接の原因は、過疎のためにご門徒数が激減して、ご門徒さんがお寺を護持管理できなくなったこと。またそのように門徒数が少ないお寺では、住職が一家の生計を立てることができないために、寺を捨てて場合によっては出ていってしまうこともあります。

 

 

 

 

「浄土真宗の伝道について考える」 第13回 (2015.6.14.更新)

   前回は浄土真宗には弟子はあっても、先生はいない教えであるということを申しました。このことは『歎異抄』には「親鸞は弟子一人ももたずさふらう。そのゆへは、わがはからひにて、ひとに念仏をもふさせさふらはばこそ、弟子にてもさふらはめ、弥陀の御もよほしにあづかて念仏まふしさふらうひとを、わが弟子とまふすこと、きわめたる荒涼のことなり」とあります。

 お慈悲を喜ぶ者となった時、かかる身にお育ていただいた人を善知識と仰ぎ、慕い、わが恩師といただくのであります。ですから、そこには先生はたしかにいるのです。しかし、かかる善知識と仰がれた人が、もしわが力で導いてやった弟子であると、その慕いくる人を見たならば、それは真宗の伝道ではない。そのように申しました。なぜなら、親鸞聖人のおっしゃるごとく、他力のご信心とは、南無阿弥陀仏という六字の名号にしあげられた弥陀のお慈悲のお心をいただくことであるからです。しかも、そのお心がこの胸に届くのは、弥陀の光明に照育され摂取されるからです。

 ですから、自分は信心とっている、だから自分が先生になって未信の人を導いてやろうというのであれば、それは真の善知識でもありません。そしてまた、おそらくはそのような人が、教人信の実をあげることはないでしょう。

 それでは先生のいない真宗には、いかなる関係が存在するのか。それがともどもに弥陀の慈悲の心をお聞かせいただき、その尊い心行を讃仰して、お念仏もうさせていただく横一列の御同朋、御同行の関係であります。

 先生のいない教え、それが浄土真宗という教えの大きな特徴のひとつであります。そこから、他に例のない独特の伝道布教の特色が生まれてくるのです。

 

 

「浄土真宗の伝道について考える」 第12回 (2015.6.9.更新)

   これまで浄土真宗の伝道というものについて、私なりに考えてまいりました。真宗の布教は、その教えの根本的な性格から、どこまでも仏徳讃嘆につきるということを申してまいりました。そして、こういう真宗の伝道の性格から、真宗には弟子はあっても先生はいないのであるということを、これからしばらくお話してみたいと思います。

 弟子がいるのに先生がいないというのは、おかしな話ではないか。そもそも弟子というのは、先生との関係においていわれるのだから、弟子があれば当然そこに先生があるはずではないか。まことにもっともな疑問がでてきそうです。

 弟子がいるのに、先生がいない。というのは、わかりにくい表現ですが、教え導かれる者からすれば、私はあの先生の弟子であり、あの先生が私のお師匠様ですと、こういえるのであります。しかし、そのようにいわれた先生が、同じように今度は反対に、あれは私の弟子であって、私が念仏の教えに導いてやったのですと、もし言うようであれば、それは真宗の伝道をはずれることになるのだといいたいのです。

 未信のものにとって、すでにご本願のお心をいただきお念仏喜ぶその人は、まことに得難い善知識様であり、かかかる人の手引きをいただくことがなければ、決して本当にご信心を賜ることはありえないことであります。ですから、その限りにおいて未信の者からすれば、その善知識様こそ尊い先生であります。その先生に導かれ、お育てをいただいている自分をみれば、まさに私はその先生の弟子なのです。そういう意味で、弟子の方からいただく先生はいるのです。

 

 

「浄土真宗の伝道について考える」 第11回 (2015.6.1.更新)

 浄土真宗の布教は仏徳讃嘆であるということについて②

 

 前回は、浄土真宗の布教伝道は、決して自分の教えが絶対であって、あなたの信じているようなものでは救われないと、他宗、他派の教えを批判し、無理矢理に人々に教えを聞かせ、押し付けるようなものではない、どこまでも仏徳を誉め讃えるものである、ということを申しました。

 このことは、親鸞聖人ご自身がその主著である『教行信証』の「総序」の文に、この本を著わされる心もちを「真宗の教・行・証を敬信して、特に如来の恩徳深きことを知んぬ。ここをもって聞くところを慶び、獲るところを嘆ずるなりと」とお述べになられていることからも知られます。

 そして何よりもこの浄土真宗という名号法を回向くだされた阿弥陀如来様ご自身が、法蔵菩薩たりしときに、一切のものを漏れなく救うために成就された南無阿弥陀仏の六字のお名号を広めるために次ぎのような誓願を建てられました。

「たとえ我仏を得たらんに、十方世界の無量の諸仏、ことごとくししゃして、我が名を称せずば、正覚をとらじ」(もし私が仏になるとき、十方の数限りない諸仏たちが、ことごとく私の名を褒め称えないならば、私はさとりを開きません)と誓われているのです。

 浄土真宗の伝道が仏徳の讃嘆であるという、その根本になっているのは、この如来さまご自身の誓願にあります。そして宗祖親鸞聖人は、この如来様のお心もちをいただかれて、ご自身の布教伝道の原点となさっているのです。

  

 

「浄土真宗の伝道について考える」 第10回 (2015.5.26.更新)

  浄土真宗の布教は仏徳讃嘆であるということについて

 私が布教使(布教使とは、各寺院で法要がつとまる時に、真宗のお法をおとりつぎする専門の仕事をしている人のことです)なろうと考えたと き、私は荒野に鋤を入れるような思いをもっていました。自分の力で念仏の教えを広め伝えるのだという強い使命感と自負心に支えられた、それこそ眼前の困難にいどむような積極果敢な伝道意欲でありました。

 ところが、布教使になるために入った伝道院で、最初に教えられたのは、そのような戦闘的な布教伝道の在り方は、お念仏の伝道ではないということでした。

 他宗派の教義を誹謗し、自分の教えのみが真実であると主張して、だからこれを信じなくてはあなたは絶対に救われないのです。そういう信念のもとになされる伝道活動をこそ、布教であると思っていた私は、まるで頭から冷や水をかけられて、その思い上がりの熱を冷ますがよいと、言われたような塩梅でした。

 真宗の布教は、どこまでも仏様のお徳を褒め称える仏徳讃嘆に尽きると教えられても、しばらくはその意味がわかりませんでした。いや、わからないどころか、むしろそんなのんきな伝道だから、教団が衰退していくのだというような反発さえ覚えたほどでした。

 しかし、今はまことにその通りであるとおもっております。仏徳讃嘆に徹した布教の特色こそ、大乗仏教を土台とした真宗の教えの確かさが表れているのだといえるからです。

 

 

「浄土真宗の伝道について考え」 第9回 (2015.5.14.更新)

   仏教の伝わり方 ④

 前回は仏教の伝道は、教えを求めるものがあるときに、教えが伝えられるという構造をとるのですとお話しました。このことはお経を見ますと、はっきりしているのですが、お釈迦様は常に質問をされたときに教えを説かれているのです。そしてその教えは問いをもった人に応じて説かれたものでした。我を押し付けず、相手の立場にたって、善処していく。そういう中で伝えられてきたのが仏教の教えなのです。それは広めようとして広まったのではなくて、まるでよいうわさが人びとの口の端に乗って自然に広まるように、道を求める人びとによって広まっていったのです。

 このような仏教本来の伝道のあり方は今日でも守られています。それが先の回に書いたお寺の法座というものです。それは一見すると、まことに消極的で受身の伝道のように思われるのですが、自ら問いを持ち、教えを求める人びとには誰にでも開放されている場なのですね。

 あるキリスト教の宗派では、休みごとに一軒一軒しらみつぶしのように訪問しては、伝道に励んでおられます。そういう熱心な伝道を見聞するにつれ、仏教の待ちの伝道がたよりないもののように思われることもあるかもしれません。しかし、問いを持つ人が、自ら教えを求めるようになったときに、初めて教えがその当人の胸に届く。その一人の救いに徹したところに仏教という教えの大きな特徴があるといってよいのです。

 

「浄土真宗の伝道について考える」第8回 (2015.5.10.更新)          仏教の伝わり方 ③

 前回はキリスト教の伝道のあり方について、お話しいたしました。キリスト教の真理を絶対のものとして、それを伝えることが、キリスト者の使命であり、神への愛の証と考えてなされるのが、キリスト教の伝道の特徴であると申しました。

 それだけにキリスト教の伝道は非常な熱心さをもって、常に外に向って広められていったのです。

 ただし、それが行き過ぎた場合には、非キリスト教の民族の文化を滅ぼし、力づくでキリスト教に改宗させるということも神の愛の実践の名のもとに行われたのでした。

 これに対して仏教の伝道の大きな特徴は、教えは求められる人に対ししてのみ与えられるということです。どれほどすばらしい教えであっても、それを求めていない人には、決して無理矢理に聞かすということはしないということです。

 ですから、仏教の伝わり方の特徴は、教えを求める方が出かけていってその教えをいただくのであります。なぜ仏教はこのような性格をもつのかということですが、これはまず仏教の教えはどこまでも、教えを求めるその個人を相手にしているのであるということからきていると思います。それと、なによりも仏教の教えそのものの原理から由来しているのです。

 仏教では、絶対的な存在というものを認めません。すべては縁起によって生起すると考えますので、そこに我を立てることの誤りを教えられます。そしてあらゆる関係の中にあるということから、相手の立場に立つことの大切さを説きます。そういうことから、仏教の伝道は、教えを求めるものがあるときに、教えが伝えられるという構造をとるのです。

 

「浄土真宗の伝道について考える」第7回   (2015.5.3.更新)

  仏教の伝わり方 ②

 既成の仏教教団はなぜ新興宗教のように、派手に宣伝したり、街頭伝道や訪問伝道のようなことをしないのか。あまり伝道に熱心でないのではないか。いや、むしろお寺の坊さんたちは、寺にこもったきりで、ひとつも外へ出て布教伝道しようとしていないではないか。まことに怠慢である。

 そのような意見に対して、たしかに僧侶も怠慢かもしれないが、しかし、また仏教という教えが本来の性格からそのようになるのだということを、これからしばらくお話しようと思います。

 世界の三大宗教の中で、今日もっとも信者数の多いのは、キリスト教です。このキリスト教の伝わり方と仏教の伝わり方を比べてみますと、その教えの特徴がよくわかります。

 まずキリスト教ですが、今日世界中にキリスト教が広まったのは、その教えが本物であったことが一番の理由でありましょうが、それにもまして、その教えを命がけでひろめた無数の宣教者がいたからです。

 西欧の進んだ文化から見て、未開と思われる人びとに神の福音を伝えることを自らの使命として、愛の実践とした無数の伝道者のたゆまない伝道活動があったからであります。

 それはまことにうむことを知らない熱心さで行われたものでした。しかし、そこにはまた多くの弊害もありました。それは、自分たちこそ絶対の正義、絶対の真理を知るものとして、キリストの神を押し付けたことであります。ある場合には、力づくで有無をいわさずそれが行われました。

 多くの場合、政治的な目的に宗教が利用され、また時には反対に伝道のために教会が政治の助けをかりて伝道がなされました。

 

「浄土真宗の伝道について考える」第6回 (2015.4.26.更新)

 仏教の伝わり方

 これまで既成の仏教教団は何をしているのかという批判に対して、お寺は何もしていないわけではない。それなりに地道な伝道の努力をしているということをお寺の側の人間としてお話してまいりました。

 しかし、それでも他の新興宗教のめざましい伝道活動に比べたら、その伝道のあり方は内向きに過ぎないか。なぜもっと外に向ってお釈迦様の教えを説いていかないのか。なぜ、お寺に籠もって一般の大衆のもとへお坊さんは出てこないのか。

 ある宗派は、一軒一軒それこそしらみつぶしのこどくに熱心に訪問伝道してくるではないか。またあるものは、駅や街頭での伝道布教しているではないか。それらの宗派、教団の活動に比べたら、いかにも既成仏教教団の伝道活動はおとなしく、見ようによっては怠慢であるといってもよいのではないか。

 お寺はあれこれのことをしていると弁明すれば、いやいやそれだけだけではとても努力しているとはいえないと、あらためて厳しい批判をあびせられることと思います。そのような批判に対しては、返す言葉がありません。道を求める僧侶の道心が衰え、教法伝達の情熱に欠けていることは、私自身やはり認めなくてはなりません。

 しかし、そのような僧侶の側の問題はひとまずおいて、仏教本来の伝道のあり方は、他の宗教と違うものであることをしばらく述べて、なぜお寺は新興宗教のように伝道しないのか、それにはそれなりの理由があることをお話してみたいと思います。

 

「浄土真宗の伝道について考える」第5回 (2015.4.18.更新)

 がんばるお寺 ④

 葬式仏教といわれ、今のお寺さんは死んだ人だけを相手にしているとよくいわれます。それだけに、決してそんなことはないのだということを言いたくて、お寺の伝道活動についていくらかお話してまいりました。

 そして、先回はあれこれの伝道の活動をしていなくても、法事と葬式をきちんとつとめていることが、それだけで立派な伝道活動であるということを申しました。

 法事や葬式をきちんとつとめることがなぜ伝道活動なのか。それはなによりも法事や葬式は広い意味で、伝道するにもっとも適した環境にあるからです。まず、なによりも皆さんが、亡くなられた方をご縁として、仏教のお経に出合うために参られることです。娑婆のつきあいもありましょうが、いずれにしても、お経を聞き、お念仏に出遇います。また、ご住職が法話をすることもでき、普段仏教の話など聞くこともない人が仏の教えに接します。そして親しい人の想い出話をするなかで、この世の無常を感じ、老病死の避けがたいことを、何年ぶりかで会ったお互いの様子の変化から知っていくのです。

 仏教の縁に合うために集まった人びとですから、仏縁が結びやすいのです。ですから、こういう場できちんとお勤めをし、短い法話をすることは、他の伝道活動では得られない、しみじみとしたおみのりの伝道が可能となるのです。それはまことに地道な伝道ではあるのですが、私はやはりお寺としてのもっとも大切な日々の伝道活動であると考えています。  

 

 

「浄土真宗の伝道について考える」第4回 (2015.4.10.更新)

  がんばるお寺 ③

 前回はお寺は長い歴史の間にご門徒さんやその地域社会との間に深く太いパイプをもっているものであること、そしてそれがゆえに仏法は護持されてかていること。しかし、反面その歴史と伝統が、習俗化されたために、門徒さんと僧侶の双方において、真剣な求道や伝道の意欲が衰退してきた大きな要因となっているのではないかということをお話ししました。

 お寺の伝道活動のなかで、一番大切なことを忘れていました。それは法事と葬式における僧侶の役割についてです。お寺さんは、年数回の法要以外はたいてい暇なのではないかと思われていますが、大きなお寺さんは大きなお寺さんなりに、また小さなお寺さんは小さいなりに忙しい毎日を送っています。

 ご門徒さんをたくさん抱えている大きなお寺さんでは、毎日のように法事を勤めなくてなりませんし、お葬式も少なくありません。またご門徒さんの少ないお寺さんでは、ご住職さんはたいがい兼職をされていますので、平日はお勤めに出ておられます。そして、法事はたいてい日曜日にありますので、休むときがありません。ですから、お寺というのは、はたで考えるほどに暇ではありません。

 そういうこともあって、なかなかご住職さんもお寺の法要以外の伝道活動ができないということになっているのです。しかし、この法事と葬式というものは、大変に大切な伝道の場所となっています。ですから、あれこれの伝道活動に手が回らなくても、日々につとめる法事や葬式をきちんと勤めいることは、まずもって地道な伝道をしているのだということができると思うのです。

 

      

「浄土真宗の伝道について考える」第3回 (2015.4.4.更新)

 がんばるお寺 ②

 前回私はお寺は年に数回の法座を立て、それなりに伝道の努力をしていること、そしてその法座は誰にでも開かれていることをお話ししました。

 しかし、365日のうちのわずか10日ばかり法座を開いたからといって、それがいかばかりの伝道努力ということになるのか。よその宗派など、それこそ一軒一軒訪ねてきて伝道しているではないか。まだまだお坊さんの努力が足りない。

 たしかにそう言われれば、その通りであるかもしれません。もっとしようと思えばできるのかもしれません。ちなみに、お寺が法座のほかにしている活動をあげてみると、常例法座の開催、聖典の勉強会、日曜子ども会、寺報の発行、掲示板伝道、テレホン法話の開設、などがあげられます。ただ、これら全部を実行しているお寺は少ないかもしれません。なぜならご門徒さんの数が少ないお寺では、住職が兼職している場合が多いので、年間の法座を開くので精一杯で、ほかにまで手がまわらないというのが、実状であるからです。

 また法座はお寺の住職ひとりで開けるものではなく、そのお寺のご門徒さんや地域社会の理解と協力があって初めて円滑に運営されるものなので、熱心に伝道するためにといって住職が勝手に法座を増やすというわけにもいかないのです。

 お寺は長い歴史の間に門徒さんやその地域社会との間に深く太いパイプを持つようになっています。それが伝統の力ともなって仏法を護持してきてくれているのです。しかしまた、それが反面、習俗の一部になってしまい、真剣な求道や伝道への意欲が、僧侶と門徒さんの双方に欠落していまう大きな原因にもなっているようです。

 

 

「浄土真宗の伝道について考える」第2回 (2015.3.30.更新)

 がんばるお寺

 前回は得度する前の私は、僧侶に対してかなり厳しい見方をしていたが、その後自分が僧侶になり、お寺の実情というものを知るようになってだいぶ考えが変わったということを申しました。

 どう変わったのかと申しますと、一言で言うとお寺はお寺で、それなりにがんばっているのだということがわかったということです。僧侶になる前には、坊主は法事と葬式だけをして、伝道の努力をほとんどしていないもののように考えていました。しかし、僧侶になり、お寺に入ってみると、住職や寺族が法の灯を絶やすまいとして懸命に努力していることがわかりました。

 私は浄土真宗のことしか知りませんが、真宗のお寺では最低でも年に数回の法座をたてます。まず宗祖親鸞聖人のご命日の法要である報恩講法要、それからご先祖を縁としてつとめる永代経法要、宗祖のお誕生を祝してつとめる宗祖ご降誕会法要、それに浄土に先立たれた方を偲んでつとめる彼岸会法要、さらには夏のお盆法座など。ほかには各種の研修法座もあり、またお寺によっては、毎月常例法座を開いているところもあります。

 毎回の法座には講師へのご法礼に始まって、種々の経費がかかります。大坊であれば、それほどでないかもしれませんが、門徒の少ないお寺では参詣のご門徒のお布施では足りないこともあります。その場合には、住職が兼職して得た収入から補って法座を維持していることも少なくないのです。

 寺で開かれているこれらの法座は、仏様の教えを求めている人には、誰にもでも開かれているのです。

 

 

「浄土真宗の伝道について考える」新連載 第1回 (2015.3.24.更新)

 

  お坊さんは何をしているのか

 これからしばらく浄土真宗の布教、伝道ということについて考えみたいと思います。

 私が僧侶になる前によく思いましたのは、ちまたではいろいろな宗教がはなばなしく布教し、また熱心に訪問伝道ということをしているのに、歴史のある既成の仏教教団は何をしているのだろうか、ということでした。この疑問のなかには、なかば非難の気持ちもこもっておりました。ただ、寺にこもって法事と葬式だけをこなし、高いお布施をもらっては、自分たちばかり結構な暮らしをしている。それでいて、いっこうにお釈迦様の教えを説こうとしていない。僧侶が一番大切な布教伝道ということをしていないから、なにかわけのわからない怪しい宗教がはびこるのだ。まことに今の坊さんは怠慢でけしからん。

 平たく申して、私の心にはこのような憤懣があったのであります。おそらく今日の一般の人びとも、私がかつていただいた不満と非難のないまぜになった感情をお持ちではないかと思います。

 しかし、実際に自分が仏教に学び、得度して、浄土真宗の僧侶となり寺の法事や葬式などの法務を勤め、また布教使として他のお寺様の事情をいろいろに知るにつれて、考え方が変わってまいりました。もちろんそれは、これまで外側にいた自分が、教団人となり、僧侶集団の一員となったわけですから、身内をかばう気持ちが生じたといえば、その通りなのです。しかし、そういう身内をひいきにする思いだけが強くなったために、既成教団または僧侶への批判の矛先が弱まったというわけではないのです。(次回はまた週末に更新する予定です)

 

 

「浄土真宗のお坊さんの値打ち」第26回(最終回)

 

浄土真宗のお坊さんの値打ち (2015.3.15.更新)

 いろいろとお話ししてきましたが、お坊さんの値打ちというのは、何かということで、私はそれはつまるところ、いかに正しく教えを伝えるのかという一点にあるのではないかと思うのです。人によれば、そうではない。お坊さんというのは、自ら厳しい修行によって自らの徳を高め、さとりを開き、その徳の一切をもって迷い苦しむ人びとのために汗を流して救いとる、そのような衆生済度のはたらきにいそしむものであると、こういう説もあるのだと思います。もとより私もまったくこの説に同感であって、ただ、その衆生済度という大きな仕事を自分でできると信じてそれをするか、そのような大きな仕事はとても自分にはできない。なぜならこの自分自身すら済度できないのが、この私なのだから。だが、そのような私のために必ず救うという願いを起こし、現にその願いを成就した救いの働き、南無阿弥陀仏があるから、それによって一切衆生が等しく救われていく道を伝えることに徹するかの違いがあるのだと、私は考えているのです。

 

真宗僧侶のあるべきよう ② (2015.3.7.更新)   

 浄土真宗のお坊さんが、どこでご門徒さんの信頼を得るのか、その学問や徳行ある人格でないとしたら、それはどこか。私はやっぱりつねに法に親しみ、私が一番に聞かせていただく法として、常に聴聞の席について、お念仏申す、その姿勢しかないと思っているのです。私こそ一番にお聞かせにあづからなければならないどうにもならない愚か者でしたという立場に座ることだと信じています。その聴聞する後ろ姿こそが、浄土真宗のお坊さんがご門徒のみなさんに見せうる唯一の伝道教化の姿なのではないかと私は考えています。

 もとよりそれは僧侶自身が自分は伝道しているとか、教化の実を挙げているとか、そんな自覚のなにもない。ただ素純にお聞かせにあづかる。私のために説かれた説法であるという、そういう思いで聴聞する。その限りでは、まさにご門徒の皆さんとまったく同じ立ち場で聞く、その姿勢が大切なのだと思うのです。それが教化者には絶対になれない、絶対にならないというという具体的な真宗僧侶の姿であると思うのです。

 

 

真宗僧侶のあるべきよう (2015.3.1.更新)

 たしかに非常に優れた人格者でありつつ、しかもそのことが対するご門徒さんや一般の人々にとって、とっつきにくさや、けむたさを少しも感じさせない、まったくそのような高潔な人格、相手に対してなんの負担や威圧を与えない、そんな人格こそ、私たち真宗の僧侶は身につけるべきだと思うのですが、そのようなすぐれた人格を育てていくのは、やはり何かと言えば、お念仏しかないと思うのです。

 それで私が思いますのは、立派な人格者になろうと腐心するよりも、もとよりそんなことはどうあがいてもできない私なのですから、それにはなれない私、それにもかかわらず、そのような私を救うという如来様のお慈悲をまうけした人間になるのが、一番だと思うのです。それは言葉を換えれば、まさに如来様のお心をいただいた信心の行者となるということなのでしょうが、そのようになることこそ、念仏僧のあるべきようだと思うのです。

 その具体的な求めの姿が、聞法ということになるのではないかと思うのです。阿弥陀様のお救いの法に耳を傾ける。ご門徒の先頭にたって、この私のために説かれたおみのり(教法)であると、聴聞させていただく。この姿勢、聴聞の姿勢が貫かれたときに、浄土真宗の僧侶の後ろ姿による伝道というものが実現されていくのではないかと、私は考えているのです。

 

 

立派なお坊さんの欠点 ③ (2015.2.22.更新)

 しかし、ここがくせもので、ご門徒さんは、そこにはあまり気付かないので、自分たちと何も変わらないご住職にあまり尊敬の念を起こさず、したがって言うことを聞いてもらえないということがあります。住職は立派だから、あのお坊さんの言うことなら間違いないだろうという気持ちをみなさんがあまり持てないということがあるのです。ここは苦しいところですね。つまり言う事を聞いていただくためには、ある程度の立派さがなくてはならないとだめで、しかし、その立派さがあだになると、あれはお坊さんだからできるのだと、教えが伝わる上での障害となってしまい、住職はみなさんにとっては特別の存在に押しやられてしまって、教えが伝わっていかないということにもなります。

 どちらをとるのかということは、私たちの立場ではいえません。つまり私たち浄土真宗のお坊さんには、立派になっていく道はないからです。そうすると、立派にならないでも、皆さんとその生活態度がひとつも変わらないままで、それでもそのお坊さんの言葉、住職さんの言葉が聞いてもらえる、そのような人格とはどのようなものでしょうか。真宗のお坊さんにおける立派さ、お坊さんらしさはどこにあるのかということが問題になるのだと思うのですね。

 

  

立派なお坊さんの欠点 ② (2015.2.13.更新)

 そうすると立派な修行は、誰のためにしたのかといえば、苦しみ迷う人々を救うためにしたはずなのに、その修行によって身につけた立派さが、逆に救うべき人々を遠ざけてしまうという結果になっているのではないかと思うのです。もちろんこの場合でも、先程も言ったように、本当の立派さは、そんな自分の修行の功徳があだになるような皮相な人格であるはずがない、むしろそのような立派さがそのまま人に慕われ、人々が安心して近づき、教えを聞くような親しみをもっているものである。こう言われれば、まったくその通りで、それこそお釈迦様のごとき完成された人格であると私も思うのです。けれども、なかなかそういう人格にはなれないのではないでしょうか。それを目指すのが、立派なお坊さんの仏道であるのだと思うのです。

 しかし、私たち浄土真宗の僧侶は、その意味では、はなからそのような理想は棄てております。棄てるというよりも、それはとても自分には不可能な道だから、そのような立派な人格になれないものと見抜かれてある如来さまのお救いに身をあづけているのです。

 ところがここで面白いことが起きるのです。いわゆるお坊さんの教化者意識、あるいは押し付けの我とでもいいましょうか、そういうものがなくなるのではないのですが、だいぶ薄まるのですね。そうなるとお坊さんでありながら、坊さんらしくないのですが、かえってそのために一般の人にとっては、敷居の低い人間とでもいいましょうか、近づきやすいわけですね。まぁ、俺たちと変わらないという感じが、ご門徒さんに持たれるのです。これが教えを伝えるためには、とても大切なことなのですね。特に浄土真宗の場合はそうだと思うのです。

 阿弥陀様のお救いの法を伝えるために、その伝えるべき人に隔てなく接していけること、相手がなにか近づきがたく思って、こちらが近寄っていったら、逃げられてしまうのではいけないのです。こちらが近づいても相手が逃げない、あるいは相手のほうが平気で近づいてこられる。そういう普通の対等の関係をつねに維持しておけるところに阿弥陀様のご法義が無理なく自然に伝わっていくのですね。そして、そのようにして一切の人々が救われていくために働いている。それが浄土真宗のお坊さんの姿なのだと思うのです。そこに自分のほうから降りていって、どんな人とでも一緒に手を取り合って、如来様におまかせしましょうと、ともに浄土への道を、いざない歩んでいく菩薩の姿があるのだと私はいただいているのです。

 

 

立派なお坊さんの欠点 ① (2015.2.7.更新)

 何を立派というかによって変わってくるのですが、いわゆる自分の力で修行にいそしみ、おさとりを目指しているお坊さんは、まことに立派なのですが、その立派さにあるいは落とし穴がようにも思うのです。つまりその立派さがあだになるとでもいうのでしょうか。立派になれない人からすると、少々近づきにくい、けむたい存在になってしまうのではないでしょうか。その立派な人の光が、まぶしくして、自分のみたくないだらしない部分にその光が差すと、まるで責められているような、容赦のない光となってくるように思うのですね。

 また、そのような立派な修行を修めたという人は、ともすれば自分は修行を積んできたのだから、何もしていないあなたたちを導く、指導してあげるという意識を持ちがちになるのではないかということです。そうしますと、ここでもやはりだめな人、だらしのない人、立派になりたくてもなれない人の苦しみ、悲しみと同じ立場に立つことができないで、自分が上から下を見るように、上から手を差し伸べて引き上げるように考えて、一緒になってそのどうにもならないところでたたずんでいる人と、同じように苦しみを共感するということが難しくなるのではないかと思うのですね。そして、そのような俺が救ってやる、俺が助けてあげるという気持ちの人の前には、ちょっと近づき難いのではないでしょうか。

 

 

立派なお坊さんは近づきにくい ⑤ (2015.1.31.更新)

 しかし、それだからこそ、誰にとっても住職が特別な存在となることもなく、住職はどんなご門徒さんとも分け隔てなく、おつきあいしていくことができるのです。そしてそのことが結局は、一番、一切を救いとろうとする阿弥陀様の救済の法を無理なく、漏れなく、伝えていくことができているのですね。まさに、救うべき相手にそって、自分がその相手のところまで降りていって、いっしょに手をとって阿弥陀様のおみのりに育てられるように歩む者、それが浄土真宗のお坊さんの姿なのだと思うのですね。だからその限りでは、たばこをのむことも、酒を飲むことも、カラオケを歌ったり、パチンコをやったり、ゴルフをすることも、みんな教えを伝える相手に親しまれ、好かれ、同じ立場にいる大切な行為なのですね。

 それでやはりここで大事だと思うのは、真宗のお坊さんは、それをご門徒を導くための方便だなとと考えていないことです。もし、それが自分は本当はそんなことしたくないのだけれども、ご門徒が愚かだから、自分もその愚かさの程度に合わせてあげているのだ、それもこれも正しい教えに導くためにそうしているのだ、などと上から下に見下すような考えは微塵も持っていないことが、尊いのだと思うのですね。つまり真宗の僧侶は、先生になってみなさんを導く、そういうものではなくて、皆さんと一緒になって阿弥陀様に救われる者でしかないので、その限りでは、つねに真っ先にその救いのほうを聞くだけなのです。そして、こんな愚かなどうしようもない私を救ってくださるのが、阿弥陀様なんだなぁと、ほれぼれとそのお慈悲に感心してしまうものでしかないのです。だからここには、俺がおまえを救ってやるのだとか、おれはそういうことをするのが使命なのだと力むこともなにもない。非常に自然でくつろいだ心でそれができる。だから言えば、それはまさに如来様への報恩行としてのいとなみなのですね。

 

立派なお坊さんは近づきにくい ④ (2015.1.24.更新) 

 それで、なぜ真宗のお坊さんが、菩薩の姿かといいますと、真宗のお坊さんは少しも立派でもないし、お坊さんらしい姿もしていない。まったく普段の生活はみなさんと同じなのです。しかし、それだからこそ、どんなご門徒さんとも、分け隔てなく、普通の人としてのおつきあいができているように思うのですね。結婚し、家庭を持ち、子どもを育て、地域の活動にあたりまえに参加して、それがために、ご門徒のみなさんが、どんなことで喜び、どんなことに悲しみ、どんなことを苦しみとするのかを理解することができます。理解することができるから、どうしたら力になれるかしらと、やはり何かしてあげたいと、自分だったらと、あれこれと考える縁もあるのですね。

 つまり浄土真宗のお坊さんは、教えを伝えるべき相手、仏さまが救いたいと思し召された人々のところに、一番近づいていって、その方を上からひっぱりあげるのではなくて、同じ大地に立って、自分もまったく同じなさけないものなんですが、そのなさけないものを救ってくださるのが、阿弥陀様という親様ですので、いっしょに本堂に参って阿弥陀様のお慈悲を聞かせていただきませんかと、相手に無理なく、そして相手を怖がらせることもなく、自然に、素直に、すっと導くことができる。そしてそのためにこそ、当たり前の生活に住している。まさに一切の人々を救いに導くために、ごく普通の生活を生きている。もちろん、実際の気持ちとしては、そんな立派なことは何も考えていません。人々を導くために、私はわざわざあなたたちと同じ生活をしているのです、そんなことは毛頭考えていません。もしそんなことを意識していたら、それはかえって恐ろしいことです。私たちはただ、在家の日暮をみなさんと同じように愚痴をこぼしながら、懸命に働き、子育てして生きているだけなのです。

 

立派なお坊さんは近づきにくい ③ (2015.1.18更新)

  ただ、そういう人はさすがにそうめったにいません。ですから、普通は文字通り、人に自慢するようなものがなにもない。そういう人のほうが、えばったり、お高く止まったりすることがないので自然にありのままにいて、相手にもその存在が脅威とならず、おしつけがましいこともなく、こちらに同じような立派さを求めてくることもないので、居心地がいいのではないかと思うのです。

 ただ、こう言ったからといって、だらしないのがいいとか、万事でたらめなぐうたらな人がすばらしいと言っているのではないのです。要は、本当の人格者というものは、接する相手になにがしかの圧迫や脅威を与えない、むしろどこか親しみとやさしさを感じさせるようなものではないということなですね。

 実際お坊さんになって思うのですが、自分は立派なお坊さんになろうと考えて、ある種の理想に燃えてこの道を歩んできたのですが、途中から、大切なのは、ご門徒の皆さんから尊敬されるような立派なお坊さんになることではなくて、皆さんに信頼され、慕われるようなお坊さんになることが大切なのだと考えるようになりました。もちろん、立派なお坊さんにして、なおかつ慕われ、好かれるお坊さんであるのが一番なのですが、もしどちらか一つということであれば、やはりお坊さんは親しまれ、慕われ、皆さんに好かれ、信頼されていることがもっとも大切なように思うのです。

 何故かと言えば、人間というものは、やはり感情の動物なんでしょうね。どんなに立派な正しいことを言ったも、言われた相手が好きでなかったらも、もっと言って、嫌いであったら、もう何も聞いてもらえないのですね。嫌われたら、何をどう言ってもだめなわけですね。やはり相手に好かれ、相手の信頼を得ていることが、なんと言っても大切なのだということを学びました。そして、お坊さんとして、何がしか相手に教えを伝え、その教えによって導くことを大切なつとめとしている者にとっては、それが一番大切だと思ったのです。

 

 

立派なお坊さんは近づきにくい ② (2015.1.7.更新)

  それで気がついたのですが、その家の奥さんなり、ご主人があまり立派すぎる方だと、居心地が悪いと思いました。またその家が塵ひとつ落ちていないほどにきれにい整理整頓されていると、なんだか落ち着きが悪い。そして反対に、ご主人なり、奥さんが、特別に立派でない、ごく普通の、そしてどちらかといえば、少しいい加減で、だらしないくらいの方が、一緒にいて気楽であることを感じました。同じように家も、どこか雑然としているくらいの様子の方が落ち着いていられるのを感じました。

 きちんとしている家が悪いのでも、しっかり者の人がいけないのでもないのです。ただ、そういう方の家庭というものは、どこかくつろげないのを感ずるようになりました。それでそれはなぜかを考えたのですが、たぶんそのご主人や奥さんの立派な人柄や、塵ひとつなく整理整頓された家の様子が、自分のあり方を写し出す鏡のようになって、いかに自分がだらしないか、自分がだめなものかを見させられてしまうからではないかと思うようになりました。別に直接に責められるのでも、非難されるのでもないのですが、その存在そのものが、間違ったもの、いい加減なもの、だらしないものを認めない、許さない、そういう意思を示していて、それに心が苦しめられるのではないかと思うのです。そばにいてくつろげない人柄というのは、どこか問題があるのかもしれません。立派な人に問題があるというのは、おかしな言い方ですが、一緒にいて責められるような感じを相手に与える人格というものは、やはりちょっと問題があるのではないかという気がします。

 ですから、私が思う立派さは、どのような人と一緒にいようと、その相手の人が、一緒にいることによって圧迫感や、窮屈な感じがせず、むしろゆったりとリラックスしていられようなくつろいだ感じになれる。そのような自然な感じというものをもっている人が、実は本当に立派な人なのではないかと、思うようになりました。非常に優れた学問や教養がありながら、また社会的なすばらしい業績と名誉を持ちながら、それらが接する相手の人に対して少しも脅威にならないように、誰とでも接して親しまれるようなそういう人格こそ、本当に立派な人というのだろうと思いました。

 

 

 

 

 

立派なお坊さんは近づきにくい ① (2015.1.2.更新)

 話を少し変えるようですが、私は昔は、立派なお坊さんになろうと思っていました。つまり道を求める心に篤く、心身ともに修行によって自己を見事に律した、慈悲の思いに篤いお坊さんです。しかし、それが前回申しましたように、自分にはとてもかなわないことだと断念したわけですが、今頃思うのは、この立派なお坊さんというのは、案外にくせものだと思うようになりました。

 まあ、この場合でも、何をもって立派とするかということは大いに議論の余地があるのですが、お坊さんに限らず、品行方正な立派な人というのは、確かに立派で素晴らしいのだけれども、どこか近づきにくくて、その人のそばにいたり、その人がそこにいるだけで何か皆が緊張してしまう、そういうことがあるように思うのですね。その人のもつ立派さが、鏡のようになって、自分の姿を写し出し、自分がその人に比べていかにだめな人間であるかが、自分の目に見えてししまうのです。これはその立派な人のせいではないのでしょうが、私はこれまで住職としてご門徒さんに接しながら、人間の立派さとは何かを度々考えさせられるようになりました。

 自分がお参りなどしていて気づいたのですが、実際にその家にお参りして居心地がいい家と、どうも窮屈な家のあることに気づきました。それで、居心地のいい家というのはどうかというと、それはもちろんお坊さんである私を大切にしてくれる家には違いないのですが、それだけではなくて、やはりその家のご主人や奥様の人柄ということもあるように感じました。

  

 

浄土真宗のお坊さんは菩薩のすがた ② (2014.12.26.更新) 

 本当に自分は、自分の心の主人でありながら、自分の体の主人でありながら、その自分の心も体も自分の思い通りにできないのですね。これが私自身の現実の姿なんだということをはっきり教えられたとき、表向きは立派そうなふりはできても、本当に自己を心身ともに律した心も行いも立派な人になることなど、私にはとうてい無理であると思いました。だから、こんな私が道を求めて修行にいそしみ、立派な心と体をもって人々を教え導くなんて、とてもできない相談だと思いました。自分は自分のことでありながら、自分の心も体も自分の思い通りには、なにひとつできない愚かな力のないものだ、だからこそ、阿弥陀という仏様が、このような自分を仏様のほうから助けてくださるというのですね。それはちょっと考えると、あまりにもうますぎるような話で、すぐには信じられない話なのですが、しかし、よくよくその仏様の願いに耳を傾けてみると、阿弥陀様はそのためにこそ仏になった方だということがわかります。

 自分には仏様に助けていただけるような値打ちは何もないのですが、如来さまはそんなことはとっくにご承知で、そのまま救うのだと仰せになっていらっしゃるのですね。だからそのお心をそのごとくいただくことだけが、私たちのたったひとつの仕事で、その仰せのままにまかせたらもう何もいらないのです。こんなもったいない法があるだろうか、こんなにすごい法があるだろうかと、その仏様の尊いお慈悲の心をいただいてみると、わが身の幸せが過分であると思わずにおれません。それと同時にこんなすばらしい法に出会えた喜びと感謝の思いから、この法の

すばらしさをほめたたえて、ひとりでも多くの人にこの法に出会ってほしいと願うようになります。浄土真宗の僧侶、いえ、僧侶ばかりではありません。在家のご門徒さんの場合でも同じことです。仏様に救われるだけの私たちに残されたのは、この法を勧めることだけなのです。

 それではなぜそのようなただ伝えるだけのお坊さんが、本当に菩薩の姿なのかということですが、実際に汗をかかず、救いの阿弥陀様のお仕事だからと、その阿弥陀様ばかりをもっぱらに勧めて、自分で苦労していないそのような僧侶のどこが菩薩のすがたなのか、これはすぐにはわかりずらいかもしれません。

 

 

  浄土真宗のお坊さんは菩薩のすがた (2014.12.21.更新)

  今述べてきたような事情で、浄土真宗のお坊さんは、自分が立派になって人を救おうとしませんので、世間の人と何も変わりません。まこと普通の在家生活の中に阿弥陀さまの他力のお救いに身をまかせて、一家庭人として、子どもを育て、町内会のつきあいをしてお寺に住んでおります。法事にいっても酒も飲む、タバコも吸う、刺身も食べるという具合で、戒律もへったくれもありません。俗人と何にも変わらないのです。この何の戒律も守らない、だらしのない浄土真宗のお坊さんこそが、一番菩薩らしい、人を助ける働きをしているのだと、最近私は感じるようになったのです。

 私は昔、お坊さんの理想像は、道を求める心に篤く、心と体を厳しく律した人だと思っていました。一言で言ったら、立派な人です。常に人のためを思い、人のために尽くし、微塵も自分の利益を考えたり、お粗末な心や言葉や行いをしない。品行方正で、誰がみてもあの人は立派な人だといわれるようなそういう人にならなくては、それを仏道の上でなしていく、そこにお坊さんのあるべき姿があるのだと、まさに世俗を離れた、俗人の楽しみを楽しみとしないような人間にならなくてはだめなんだと、こうまじめに思っていました。

 しかし、実際、自分というものがどういうものなのかを考えたときに、これまでの自分の生き方を振り返ったとき、とても自分はそんな立派な人間としていきられやしないし、これまでも生きてこなかったと思いました。悪いことだとわかっていても、縁がととのえば、その悪いとわかったことをしてしまう。それは本当によいことだとわかっているのに、それにも拘わらずそのよいことができない。自分の欲しないことは、つぎからつぎにしでかしていき、自分の欲しているはずの善行は、まったくできないでいる。