「一枚の葉書」

 葉書が届きました。「感謝のはがき」とあり、送り主は福島県のKさんからでした。東北震災から9年目の街の復興状況をお知らせ下さり、同時に感謝をはがきの文に込めて町人の皆さんが企画されたものらしいです。

 以前、本山発行の「めぐみ」の記事を見たのがきっかけです。復興の一助として、あまり布からわらじを作っておられる楢葉町のグループからの呼びかけでした。「あまり布」があれば送ってほしいとのことでした。

 友人や寺の門徒さんに声を掛け、集まった布を数回、送らせていただきました。以後、時々(一年に一回~)、お電話や文通でご縁を繫いでくださっています。

 樽葉町からの葉書には復興した建物、小学校の運動会、鮭漁の再開などの写真がありました。特に子供たちの運動会の写真は嬉しかったです。

 

 「コロナウイルスに打ち勝つ」そんな言葉が聞こえてくる今日です。本当に今、まさにウイルスと人類との戦争なのだ…と、解説者の話です。

 9年前から今日まで、「震災に負けない」と復興を推し進め、日本中の人が心を一つにしました。でも、その現実はまだまだです。

 

 東北の震災復興は「勝つ」とか「負ける」の話ではなかったように思います。勿論、歯を食いしばって日常を取り戻されたかたもあったでしょう。でもいつも「あきらめ」があったように思います。自分ではどうしょうもないことを「明らかに見る」「あきらめ」それが静かな復興の原動力となっているように感じます。

 多くの愛する人の命を飲み込んだ海ですが、「それでも海が好き」と仰っています。全てのものを破壊した自然の猛威が今、また、癒しの力となってくれています。

 そんなことを一枚の葉書は教えてくれています。(3.31)

 

「お寺のマスク(めいどいん宝林寺)」

 3月に予定していた永代経法要が休座になりました。連日の報道からコロナウイルス感染者が世界各地で広まり、パンデミックになっています。この状況からやむを得ない決断でした。

 4月予定の御降誕生会も、3月22日の地区総代会で6月上旬に延期となりました。

 地区総代会をするにあたり、消毒液やマスクを用意しました。消毒液は何とか入手できましたが、マスクはどこの店にも置いていません。

 「無ければ作るか」と…ネットで作り方を検索して、白木綿で作成しました。

 

 この白木綿は、今でこそあまり見なくなりましたが、昔は法事の御引きに必ず頂いておりました。僧侶の御着せ替えとして、この布で白衣や半襦袢を縫って身につけさせて頂いております。これまで頂いた白木綿を、前坊守が大切に保管しておいて、住職や私の衣を縫ってくれていました。

 

 「皆さんからお布施して頂いた綿で、皆さんが必要とされるマスクになら使わせて頂いてもいいかな」と、その木綿でマスクを作りました。

 ちょうど春のお彼岸、お墓にお参りされ、本堂に参ってこられます。その方々の中で必要とされる方に持って帰ってもらおうと、用意しました。

毎朝1時間、出来ない時は夜に作業します。裁縫は不得意ですのでせいぜい2枚作るのがやっとです。でもミシンが助けてくれますので、市販されている紙のマスクのようです。(自画自賛!)

 

 本堂から入られたところの籠に常時5~10枚置いています。必要な方はどうぞお持ち下さいね。(3.24)

 

 

「お彼岸に」

 春のお彼岸を待つかのように、oさんは逝ってしまわれました。毎回のご法座を欠かさず参って下さったお念仏者でした。

 同じ年に御尊父様とご主人様を見送られ、25年の法事を4月に控えておられた矢先のことです。

 彼女にはお子様がなく、電話を受けたときは「兄妹だけの家族で慎ましく送ってやりたい」とのことでした。

 お通夜、葬儀の日は彼女のことを聞きつけたご近所、友人の方で沢山の方が参ってこられました。花を手向けられる皆さんがハンカチで目を拭っておられました。

 命尽きた最後の葬儀の場で、大きな働きをされて、お浄土に還っていかれました。

 確かなことはお念仏の中に彼女がましますということでした。(3.22)

 「急ぐべきこと」

 3月の行事の大半がコロナウイルス感染予防のため中止になりました。春法座、学校卒業式、山口教区坊守研修会など…それに乗っかかるように、私のピアノ教室とコーラス練習を見合わせています。

 

 予定していたものがなくなる、拍子抜けした日々です。マスクでも作りましょう…と作り始めました。簡易ミシンと苦手な手縫い作業で、やっと一枚完成しました。22日の地区総代会にあわせて、地区の総代さん達に差し上げようという野望を立てていましたが…15枚…難しそうです。

 

 早朝電話…やはりお葬儀のお知らせでした。ご催促されているような電話でした。

「この命、いつまでもあると思うことなかれ。急ぐことをはやくなせ」と言われているようでした。(3.17)

 

「3月11日に」

 東北大震災から9年目。今年は新型コロナウイルスが世界的に流行り、震災の記念式典も縮小されてしまいました。それでもご遺族や関係者、友人、知人にとっては昨日のように、忘れられないことでしょう。

 私は9年前のこの日、小野中学校の卒業式の伴奏を練習していました。(小野中学校は統合されて、今は厚東川中学校となりました。)テレビから飛び込んできた映像を食い入るように見ました。あの日のことが甦ってきます。

 小野中学校の卒業生の答辞の中に、震災のことが触れてありました。そしてこうして卒業式を迎えることができることは、あたりまえではないんだという言葉が綴られてありました。

 「卒業できなかった君に」という歌があります。一緒に卒業するはずだった君に贈る卒業式の歌です。

この歌を作られた方のインタビューを聞いたことがあります。「いつも少数の方の人に対して歌が届けばいいなと思って歌を、作っています。歌います。」優しい歌はこの人から生まれるのだなと思ったことです。

 

 嬉しい時、楽しい時、その陰で見えない人が、悲しんでいないだろうか。涙を流していないだろうか。

3月11日はそんなことを想わせてくれる日です。(3.12)

「消毒液を求めて3千里( ^ω^)」

 今日は宝林寺で宇部北組臨時役員会があります。数日前から消毒液を探していました…が、どこのお店にも置いてアリません。当然と言えば当然ですね。ネットには販売があります。しかし、ネット販売は使ったことがないので困っていました。

 ところがです。病院の売店に置いてありました。勿論お一人様1個限り…さすが病院です!すこし高額ですが、背に腹は代えられない…すこしでも感染防止に役立つならと、一つ買いました。

 試しに使ってみました。通常のアルコール消毒薬とは違って、手に優しいです。「これで効果あるのかな?」でも病院の売店を信じることにしました。

 いろいろな方面で影響がでている今回のコロナウイルスです。でも今回の事で、微生物と呼ばれるウイルスの数が沢山、存在していることを実感しました。人間は自然界の頂点に偉そうに君臨しているけど、目にみえない小さなウイルスに翻弄されるくらい弱くて頼りないもの…もっと謙虚になりなさい、との警告かもしれませんね。(3.10)

「あっぱれ武勇伝!」

 私には3才違いの妹がおります。その妹が手術入院をして、退院まであと1週間くらいです。元気な入院患者です。

 

 その妹の手術前日はさすがに眠れず(3歳若い妹に先を越されたような感じ)、あれやこれや昔の事が思い出されます。

 

 その昔、田んぼの苗植えに来ていた母を迎えに、二人してお寺の田んぼに歩いていきました(昔はお寺も田を作っていました)。妹は当時小学高学年だったと思います。止めてあった母の自転車の横でふざけ合っていたら、自転車が横転し、かごの中から母の財布が転げ落ちてしまいました。なんと田んぼの水を引くために作られた傍の小川に( ^ω^)・・・スローモーションビデオを見るかの様に母の財布は川に沈んで行きます。私はただ見入っていました。そこへ妹がジャバジャバと服のまま、川に突入。私の頭は真っ白になりました。「妹が死んでしまう」…思うと同時でした。素早くキャッチした財布を手に、ニコニコしながら上がってくる妹…まるで何もなかったかのように、濡れたスカートのすそを絞っています。

 この妹の勇気と瞬発力のお陰で母の財布は無事で、叱られることもありませんでした。

 でも…今もあの時の事を思い出すとヒヤッとします。もしあの川が深かったら、何かに足をとられて川から上がれなくなっていたら…。

 

 妹の武勇伝、あっぱれな姿。忘れられない小さなころの思い出です。(3.6)

 

「2月のこと」

 「2月は逃げる」本当に逃げていきましたね。はやかったです。2月は年度末の事務作業に追われていました。次年度に引き継ぐ報告書の整理など…山口教区、宇部北組坊守会の会長役もやっと終わります。役を受けてみて、やはりそれなりに大変でした。これまで、会を維持し繫いできて下さった方々を、有難く思えた2年間でした。

 

 その上プライベートでもいろいろなことが重なってきました。自身の年齢のことを思わずにはいられない…本当に年はとりたくないなあ…でも老苦を垣間見ることで、生活の整理整頓を少しづつ始めました。

 

 全世界的に懸案事項のコロナウイルス感染予防対策。ネット社会になり世界中のことを心配せざるを得ない状況に「この地球はどうなるの?」と…世界が狭くなりいいのか悪いのか…早い終息を念じるばかりです。(3.2)

 

「かえるの続報」

 水道検診器の中に冬ごもりを決めた我が家のかえる、元気でおります。母と私が時々、顔を見に蓋を開けます。じっとして動きませんが、目だけはこちらを覗っています。「もうじき春が来るよ。君はここから出ていくのかな?」

 土の色をしているので「つちがえる」の種類かなと思いました。でも「つちがえる」にしては大きい。とても堂々とした風格です。水道検診器の蓋を開けるたび、場所を移動しているのが面白いです。このゆったりとした動きで、小さな空間を移動しているのでしょうか。君の目線で、この世界はどんな風に見えているのでしょうね。

 次に生まれてくるときは人間に…そして仏縁が結ばれますように、我が家のかえる君に…(2.27)

 

「日が昇る」

 この時間の朝の光がとても美しいです。

静かにゆっくりと、周りのすべてに気を使いながら、朝が明けていく時間が好きです。

大きく息を吸って、朝、この日の始まりです。

すべてを包んでくれる光に感謝!

まだやれることが残されていることに感謝!(2.26)

          

 

 

「グリーフケアのこと」

 同じ組内の前坊守様がご往生されました。満95歳でした。

20日にお知らせを受け、23日に門徒相によるお寺でのご葬儀でした。美しいご遺影は88歳の米寿のお祝いの時に撮られたものだそうです。先住職さまが63歳でご往生されてから、得度、教師資格を受けられ、また自動車の免許も(当時最高齢)得けられたとのこと…そのことをうかがうだけでも、本当に努力家の素晴らしい坊守様であられたことがわかります。

 みなさんが坊守様を慕い、お寺のかなめであられたことが、

立派な門徒葬からもうかがうことができました。悲しいお別れでした。

 

 「グリーフケア」という言葉をテレビのドラマ「アライブ」から知りました。

「親しい人との死別を悲しむ人に寄り添いからながら、その悲しみから立ち直らせること」とあります。3つのポイント「1.悲しみを共有」「2.哀しみを表現させる」「3.葬儀を行う」ということです。

 近年では死を病院で迎える人が多くなりましたが、昔は自宅で親しい方々に囲まれてお浄土に参られていました。その中でグリーフケアは遺族や近所の方がお互いの哀しみを言葉で表現できなくとも共有し合い、きちんと葬儀をすることで、その悲しみから立ち直ることができました。

 今日ではグリーフケアという資格や教則本があるそうですが、昔の方たちは、そのことを頭ではなく心で感じ実践されていたのだなと思います。それも根底にはお念仏という仏様の智慧が働いてくださってのことだったのでしょう。(2.25)

 

「2月は逃げる」

 早いです…もう2月もあと1週間となりました。この間、世界ではコロナウイルスのことが大きな問題となり、今もって終息の声が聞けない状態です。それどころかまだまだウイルスの勢力は増しているということです。3月の山口別院での研修会行事は全て取りやめとなりました。ほんとうに一刻も早く終息してほしいですね。

 一個人ができることは、不要の外出を控え、睡眠、栄養を養うことです。あと手洗い、うがいもこまめにするということです。

 しかし…あっけないものです。新聞で〇〇人がウイルス感染。死者○○人と…毎日のように亡くなっています。その数だけ、その人の人生があるのに、いつしか数としか見れなくなり「まあ大変ね」と他人事になりつつあるのが怖いです。

 2月は逃げる…コロナウイルスも一刻も早くどこぞへ逃げて下さい。(2.23)

 

「消すに消せない( ^ω^)・・・」

 このコーナーを始めてから6年目となるのです。毎回読んで頂き本当にありがとうございます。

写真の容量が一杯になり、平成27年度を消せば、その分また新しい写真がアップできるかなと思いました。

いざ、その年度を見返していますと、その時々の写真には当時の方や、風景など、懐かしい…これを消去したら本当に見ることができないな…と、消すに消せないでいる状態です。しばらく写真無しで通信をさせて下さい。

 

 さて数日間、通信をお休みしていました。2月はお寺の法座は常例法座だけで、あとは法事などがあるだけです。比較的時間がとりやすい…と思いきや、いやいや今年はそうでもありませんでした。年度替わりに向けての各種、会議や、それに向けての資料作成(ファイル整理が苦手)等々…パソコンとにらめっこです。通信機器が発達して便利なのか、そうでないのか…天秤にかけるところです😥

 

 地区では「人権大会」別院では「同宗連による人権・同和問題に取り組む研修会」があり、参加してきました。

ネット社会を駆使した嫌がらせなどの問題が新たに起きていることなど…人間はどこに行きつくのでしょうかね。

(2.19)

 

「日曜日」

 2月11日の建国記念日に忘れられない思い出があります。京都を離れ、本格的に山口に帰郷した年。その年の建国記念日に「小野で平原岳に登ろう」という企画があり参加しました。長男は4歳、長女は2歳。二人を連れておにぎりのお弁当を持ち、登ること1時間弱。山上から遠くに海が見え感動しました。長女は最年少で登山した記録を頂きました(当時)。薄っすらと雪が残るところもあって…心配しながらも無事たどり着いた時、始めはなんで登ろうなんて考えたのだろう…と思っていたことがイッペンに飛んで清々しい気持ちになりました。

 

 子供たちの幼い頃のことをあれやこれやと思い返すことがあります。この子育てでよかったのだろうかと考えることもあります。寺の生活はプライベートな時間が曖昧ですから、家族旅行も少なかったように思います。でも、あの時はそれなりに精一杯でした。

 今もあるようでない日曜日です。(2.12)

 

「まあるい死」

 昨日の午後から山口教区ビハーラ研修会があり、鳥取県から徳永進先生のお話を伺うことができました。先生は「野の花診療所」の院長をされていて、ホスピスケアを行う診療所です。

 1948年生まれの74歳…医者として数多くの方をみとってこられた、その個々の事象の「死」を通して感じられたことをお話しくださいました。

 聞かせていただく中でふと、住職から聞いた話で、信楽先生(元龍谷大学学長、広島のお寺の住職)のことが思いだされました。信楽先生のお父様とそれを看取られる友のお医者様との会話です。その場におられた信楽先生は「大らかな死の受容」と表現されていました。

 

 徳永先生は患者に「寄り添う」という言葉でなく「そばにいるね」という表現をされました。「寄り添う」ことなんておこがましくて、できない。「死」と向き合っておられる患者さんはとても敏感です。病室に見舞う時も、「体と心」を運ぶことの難しさも教えて下さいました。

 

 余談ですが、先生…鉄腕アトムの「お茶の水博士」の髪とひげをとった実写版…?(2.9)

 

「朝の挨拶」

 いつもホームページを見てくれている友達が、私の更新がないと心配してくれるのです。

「おはよう、元気?」この挨拶は友達が住み慣れた山口を離れて、娘さんと生活を始めたときからです。「元気だよ」( ^ω^)・・・いつも決まって同じ会話です。でもいつも決まって「元気だよ」と報告することができることは、本当に幸せなことです。僅かな時間の朝の会話です。でもそのわずかな時間が「一日頑張ろう!」と思わせてくれます。

 今、地球では何か大変なことが起こっています。温暖化の影響で自然は壊されていくし、中国からはウイルスが発生して人間の手に負えないくらいの猛威を奮っています。これまで自然に対して人間がしてきた行為が、どこかで間違っていたのでしょうか。

 

 今朝も当たり前に「おはよう」と挨拶できること、でも、当たり前でない朝を有難く思うのです。(2.5)

 

「かえるの隠れ家」

 母の家の水道管が調子が悪いと、水道メーターを検査して下さった方が教えて下さいました。

 メーターの蓋を開けてみると中にはかえる!じっとして動かないから心配していたら「私は生きてます」とでも言わんばかりに、身体をこちらに向けて目があってしまいました。

 野生熊もこの暖冬で深い眠りにつけず、冬眠しようとしても直ぐに目がさめてしまうらしい。そんなことをTVで言ってたよと母が教えてくれた。このかえるもそうなのかしら?カエルは冬眠する?

 そもそもこのかえる、どこから入ったのだろう。うえの蓋は鉄で重たく、密閉されている。中を見回していたら、水が通る程の穴を見つけて…安心しました。この管を登って来たのね。しかし、ここを隠れ家にするとは…。

 母曰く「寒いだろうから果物の下に敷いてある木くずを敷いてやろうかね」 

お寺にお参りがあるからと、準備でせわしくしていたところ、この言葉で一気に気が抜けました。( ^ω^)・・・1/30)

 

「仏具について」

 お仏華を入れた後、必ず確認することがあります。自分ではこれで良しと、入れたお花ですが、本堂から見るとなんか違う…ということが多いので、本堂から仏華をチエックします。その後、余間に上がり後ろからもチエック。よく入った時のお仏花は後ろ姿も安定しています。その折に飛び込んでくるお名前があります。この花瓶(かひん)をご寄付下さった3名のご婦人の名前です。そのほかにも寄贈下さった仏具にはお名前がはいっています。

この花瓶は京都参拝の記念に、3名の方が買って下さったもののようです。もうずいぶん昔です。

 宝林寺はその昔、2度の火事に見舞われました。大方の物が消失しました。祖母は御本尊と聖人、伝師様をはずし、布にくるんで大火事を免れたそうです。ご苦労の多い如来様だったことを幾度となく聞かされました。

 仮の本堂が建った時、お仏具が何もないので周りのお寺様が使わないお仏具を分けて下さったそうです。それで宝林寺には片方だけの仏具もあります。

 一対の立派な花瓶に仏花をいけることができる…その時の祖母や母の思いはどんなものだったかと想像します。

仏具の一つ一つから、ご往生されたご門徒さんも見守って下さっているようです。(1.28)

 

「お見舞い」

 暮れから気になっていたご門徒さん、近所の方のお見舞いに、報恩講が一息ついた住職と行きました(住職は今週末の報恩講出講で概ね終わり)まずは伊佐の市立病院です。すでに退院されていたので、ご自宅まで行ってみました。お元気そうに玄関まで出て来て下さったので、安心しました。

 次は宇部医大です。ご門徒さんが手術をされ入院中です。午後2時の面会時間を待って、病室にお訪ねしました。病状経過を聴き、安心しました。また近所の方も同病院に入院しておられるので見舞いさせてもらいました。

 

 今回はみなさん元気になられて、自宅に帰ってこられるような方々でした。そんなときのお見舞いは気持ちが軽く、見舞ってよかったなと思います。でも逆の場合はなんともいえない、暗く重苦しい気持ちになります。

 何を話せばいいんだろう…そんな時は患者さんが気を遣って、自身の病状を話はじめられます。「患者さんに気を遣わせている」ことが申し訳なく思います。「見舞いのプロ」にはなかなかなれません。(1.23)

「 親 」

 義姉たちに最近とった写真を送って下さいとお願いしていました。やっと届いたので今日、義母に見せてあげよう。

 義母の最近の写真を送ってあげたら「顔の表情が乏しくなって驚いています」という返事をもらいました。確かに、寝た切りになってからの数月間、反応が鈍いなと…心配しています。でもこれが老化なのかとも…。

 いつも見舞いに行くと、しばらくは反応が乏しく、目の焦点が合わないのです。でも親ですね。息子や、姉たちの話をしてあげると、ぴくっとして、うんと頷いてくれます。さっそく義姉たちに最近の写真を送って下さいと頼みました。

 義姉たちや、その家族の写真も送ってくれました。これを見ると、元気になってくれそうな義母の顔が浮かんできました。親ですね。自分の一日のこと、何を食べ、いつお風呂に入れてもらったか。どんな人がお掃除をしてくれたか等々…覚えていません。でも子供たちの事はいつも心にあるようです。

 日々の生活に追われ、親の事を忘れていることもしばしばあります。でも親は忘れませんね。一番大切なものなのでしょう。自分と同じように、いやそれ以上のものなのかもしれませんね。

 「如来大悲の恩徳は」「身を粉にしても報ずべし」…報ずることができないからこその「恩徳讃」なのかなと、思うのです。(1.17 )

「浄念寺様報恩講」

 宝林寺は12月に報恩講法要を終えています。御正忌にはどことなく寂しいおもいがしましたので、浄念寺さまの報恩講に参らせていただきました。14日から16日(ご満座)まで勤まります。

 午後からのお勤めは「正信念仏偈」の音楽法要でした。その前に浄念寺さまでコーラスをされているので、仏教讃歌を聞かせて頂きました。美しいハーモニーが堂内に響き渡りました。

 

 ご講師は九州からお越しでした。ちょうど「お荘厳」についてお説教下さいました。その中、お浄土の相がそのままお荘厳されているのが本堂の内陣で、御燈明、お香、仏華などはすべて浄土の相を表してくださっています。そして浄土には妙なる美しい音楽が常に響き渡っているとのこと。この世で聞く音楽でも、その美しさに時に感動して心が揺れることがあります。ですから「お浄土の妙なる響き」どんなに美しいものなのでしょう…それだけでもお浄土に興味がわいてきませんか?

 私のために仏様はあの手この手で、浄土におさめとる手立てを施して下さっています。そして「念仏のみぞまこと」と教えて下さった親鸞聖人の御恩に「お念仏申す」ことで報恩させて頂く。有難いご縁を結んで下さった浄念寺さまに感謝です。(1.16)

 「プロフェッショナル」

 昨日、横浜と山口の実家を行き来されているMさんから、納骨堂にお参りさせてくださいとのことで、お茶を用意して待っていました。お参り後、お茶でいろいろとお話していたら12時を回ってしましました。

 Mさんの予定がわからなかったので、お昼も用意していませんでしたので…この後の予定をお聞きして、お昼を近くの食堂でご一緒することにしました。

 さすが連休の中、お店は一杯でした。予約を済ませ、外で待ちました。待機用の長椅子が4ツ用意されていてその一つに座ろうとした時のことです。足の不自由なお婆さんとその家族の人も椅子で待機しようとした時、Mさんはさり気なく「どちらの椅子が座りやすいですか?」と…。背もたれがついた椅子と、背もたれが付かない椅子のことを尋ねられたのです。

 そうか…Mさんはケアマネージャーの仕事をされているのだった…。同じ場面にいても、ご老人、不自由な体の人が目に飛び込んでくるのでしょうね。

 

 お寺で話を伺っていた時は細かいことはいちいち気にしない、穏やかで、大らかな人だなと感じました。でも、ご老人に対する気遣いは半端ないものでした。これぞプロフェッショナル!Mさんを頼もしく(誇らしく)感じました。(1.13)

 

 「如来様のお仕事」

 昨日は前日葬儀の後の礼参に来て下さいました。布教で不在の住職の代わりに私がお勤めをさせて頂きました。お勤めが終わりお斎を頂きながらいろいろと話を聞かせて頂きました。

 普段ですと、亡き方の思い出話など…しんみりする場面も多いのですが、昨日は2歳の曾孫さんのおかげもあってか、笑顔が沢山の時間となりました。

 

 おじいちゃんは曾孫さんまでお寺に連れて来て下さいました。

 

 「お寺をあずかるものは如来様のお仕事の邪魔をしない」

こうしてなき方を偲び、その別れをご縁として参って下さった如来様の客人に、心を込めてお接待させていただく…しかできない私です。

 どうか、このご縁がお聴聞を始められる縁となりますよう…お若い人達に念ずるばかりです。(1.9)

 

 

「義母に届いた年賀状」

 義母に2通の年賀状が届きました。一枚は昔お世話になったお友達、もう一枚は神奈川にいる義姉さんからでした。義母に年賀状を届けにお世話になっている施設に参りました。

 義母のようにお正月でも家に帰れない施設のお年寄りの方がたくさんおられました。また、お正月だからと、施設のショートステイに泊まっておられる方もあります。職員さん達は交代で平日もお正月も無しでお世話して下さいます。本当に有難いと思います。面会が終わり、帰る時はエレベーターまで見送りして下さり「有り難うございました。」とお礼まで…。

 「親を見てもらう立場の自分たちがお礼を言われては、何ともやりきれないな…。」と、住職。

 

 義母の体の機能は、自然と少しづつ、草木が枯れていくように衰えていっています。仕方のないことですが、老苦のありようを私達に見せてくれています。しばらく話していると、こちらのことを思いだしてくれたのか、笑顔が浮かびます。その笑顔を見ると安心します。

 一日のほとんどをベットで過ごす義母に「頑張って明日も生きよう」と、大きな声では言えないものがあります。でも「明日も生きていてほしい」それは私と住職の我欲ですが、義母がそこにいてくれるだけでいい、と思うのです。(1.6)

「今年もよろしくお願いします。」

 今年も除夜の鐘を突きながら、聴きながら、新年を迎えました。大晦日の朝は寒くてどんよりしていましたが、徐々に穏やかなお天気になってきました。お陰で、沢山の方が鐘を突きに来て下さいました。

 この行事を恒例にしてくれているお子達もいます。暗い夜がパッと賑やかに、光に満ちた新年が来るようです。一年に一度、参って下さる方もおられます。

 

 過疎の寺行事、除夜の鐘突きも難しくなりつつあります。でも続けていれば、ふと思い出したように参って来てくれる方もあります。

 ご縁を繫ぎとめてくれるお寺での行事のひとつひとつを、大切にしながら、仏様の声を戴いてまいりたいと思います。今年もどうぞよろしくお願いします。(1.2)