浄土真宗本願寺派たすけあい運動募金

 「平成28年4月14日に熊本県益城町を震源とするマグニチュード6.5の地震が発生、また、16日に熊本県熊本地方を震源とするマグニチュード7.3の地震が発生し、熊本を中心に九州各地方においても甚大な被害をもたらしました。

 宗派においては、一日も早い復興を願い、緊急に「たすけあい運動募金」において被害義援金を募ることとし、標記義援金の受付を開始いたします。

 

               記

 

1.募金の名称:浄土真宗本願寺派 たすけあい運動募金

        「平成28年度熊本地震災害義援金」

2.口座受付番号郵便振替 01000-4-69957

        加入者 たすけあい募金

        *通信欄に「熊本地震」とご記入ください。

3.問い合わせ 🏣600-8501 

        京都市下京区堀川通花屋町下ル本願寺門前町

        「浄土真宗伝道本部」「社会部災審対策担当」

        ☎075-371-5181        

 

本山(西本願寺)関係のお知らせ

 このコーナーでは、「本願寺新報」・「宗報」・「大乗」(どちらも本願寺教団の定期刊行物)から、本山や教団の動きなどについて、随時にピックアップしてお知らせします。詳しく知りたい方は、リンクに本山のホームペイジがありますので、そちらをたずねみてください。

 

本願寺新報 6月20日号より (2020.6.20.更新)

 ご門主43歳に

 昭和52年にご誕生のご門主は6月13日満43歳を迎えられた。

 ご門主は、昨年8月29日から9月12日までの15日間、北米開教区(ハワイ州を除くアメリカ合衆国)の16カ寺をご巡回され、メンバー(門信徒)と交流された。第16回世界仏教婦人会大会、浄土真宗インターナショナルオフィスの開所式に臨席された。

 また11月には、ローマ教皇フランシスコの来日に合わせ、広島市の平和記念公園で開かれた「平和のための集い」に日本カトリック司教協議会から招待を受けて出席され、教皇に「全ての人かお互いの宗教を敬い、協力して、世界平和へ取り組んでいける社会となるよう努めていきましょう」と英語でメッセージを伝えられた。

 このほか、社会的に今年4月1日、公益財団法人全日本仏教会の34期会長に就任された。同会は仏教の59宗派、37都道府県仏教会など106団体が加盟する、日本の伝統仏教界における唯一の連合組織。また全国教誨師連盟総裁、ボーイスカウト日本連盟特別顧問として活躍されている。

 ご家庭にあっては、お裏方、ご長男敬さま、ご長女顕子さまとお健やかに過ごされている。

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大乗 5月号より (2020.5.14.更新)

 今月のことば 法語カレンダー

いだかれてありとも知らずおろかにもわれ反抗す大いなるみ手に   九条武子

 今月のことばは、本願寺第21代、大谷光尊さまのご息女としてお生まれになられた九条武子夫人(1887~1928)による短歌です。存命中に夫人著として出版された歌集『無憂華』のなかに、「幼児のこころ」と題して掲載されました。

 「幼児が母のふところに抱かれて、乳房を哺くんでゐるときは、すこしの恐怖も感じない。すべてを托しきって、何の不安も感じないほど、遍満してゐる母性愛の尊きめぐみに、跪かずにはをられない。

 『いだかれてあとも知らずおろかにもわれ反抗す大いなるみ手に』

 しかも多くの人々は、何ゆゑにみづから悩み、みづから悲しむのであろう。救ひのかがやかしい光のなかに、われら小さきものもまた、幼児の素純な心をもって、安らかに生きたい。大いなる慈悲のみ手のまま、ひたらすに久遠のいのちを育くみたい。-大いなるめぐみのなかに、すべてを托し得るのは、美しき信の世界である」とあります。

 赤ちゃんが母に抱かれているように、私は阿弥陀さまの大いなる慈悲の手に抱かれているのに、それに気づかない。それを無視して、自分中心の思いを常にもち、自分が起こす苦しみなのに愚痴をこぼし、知らぬまに人を傷つけている。まるで阿弥陀様の救いに反抗するかのようなおろかな生き方をしているのがこの私だ、という言葉が「いだかれてありとも知らずおろかにもわれ反抗す大いなるみ手に」の歌でありましょう。 

 

本願寺新報 4月10日号より (2020.4.16.更新)

ひと 黒田義照さん ラジオ番組パーソナリティー 大分県中津 西蓮寺住職

 「ハイ、みなさんこんばんは。縁もゆかりもミュージックの時間です。

 軽妙な語り口で毎週金曜日の午後8時から一時間、大分県中津市を中心に放送されるコミュニティー放送局「ノースエフエムラジオ」で番組のパーソナリティーを務める。

 「縁もゆかりもミュージック」は2010年10月から放送を開始。コマーシャルソングや校歌を作詞作曲するなど地元で活躍する黒田住職が、音楽を中心に、仏教について語りなど、10年6か月間、休むことなくさまざまな情報を提供し続けいる。

 現在は、番組内にコーナーを設けて放送。「寺子屋音楽館」では、ギターの弾き語りやぎにまつわる話、ゲストとの生演奏や音楽談義などを行っている。また「仏教ツウ」では、「リスナーに仏教に興味を持ってもらいたい」と、普段使っている仏教の言葉を通した話をしている。

 当初はラジオブースの中で一人で壁に向かって話すことに戸惑いがあったというが、番組中に送られくるファックスやメールでの反応から「聞いてくれている」と実感し、「若者はきっかけがあれば仏教に興味を持ってくれる」と確信する。

 4年程前に、難病のパーキンソン病になった。

「滑舌も悪く、手がふるえる自分の姿を見られたくない。ギターも感情的に捨てようとした」と当時の心境を話す。

 しかし、同じ病気を患いながら音楽活動をしている人物と出会ったのをきっかけに「病気の私を隠さない。その姿を通してで切ることがある…。それでも病気を気にしながら生きています」と、ありのままの言葉がリスナーの心をつかんでいる。50歳。 

本願寺新報 3月10日号より (2020.3.11.更新)

米国に響くお念仏の声 ⑦ エレイン・ドンリンさん サンフランシスコ仏教会

 現在、サンフランシスコ仏教会所属の僧侶として活動するエレン・ドンリンさん(60)。

 カトリック教徒だったが、同性愛、中絶、女性聖職者を認めないことに疑問を抱き、十七歳で離れた。その後、禅、チベット仏教を経て20年前、浄土真宗に帰依。2012年に得度して僧侶となった。

 「禅、チベット仏教、浄土真宗を見てきた。いずれも縁起や諸行無常という仏教の根本的な教えを踏まえているが、『行』に対する考えが違う。禅、チベット仏教の行に、わたしはなじまなかった。そして浄土真宗は、阿弥陀如来の慈悲の光が誰にも分け隔てなく届くと説く。この光に照らされ、わたしは自分の煩悩に気付かされた。阿弥陀如来の他力のはたらきで苦の解決を目指す教えは、まさに仏教の本質に基づく」と語る。自ら深く信じるこの教えを広めるために僧侶となった。

 今は、サンフランシスコ仏教会などで仏教全般について講義している。

「仏教会のメンバーの方々は仏教全般についてはあまり知らないと感じる。ほかの仏教も学ぶことで、浄土真宗が仏教全体の中でどのような教えかを知ることができるし、他力の救いなど浄土真宗の教えの特徴がより理解できる」と、自らの経験を踏まえて話した。

 

仏教こども新聞 No.830  2月号より (2020.2.14.更新)

 今月のことば

 兄弟で、親友で、先生になる存在がある

 きみのおうちにぺっとはいるかな。

 ヒロシ君が小さな時、生まれたばかりの子犬をもらった。

 ヒロシ君はお兄さんになったつもりで一緒に散歩したり、世話したりする。犬はすっかり弟分だ。

 犬はすくすく大きくなった。遊ぶ時も、寝る時も、楽しい時も悲しい時も、いつもヒロシ君と一緒だ。ヒロシ君たちは、親友になった。

 犬はだんだん年老いた。成長したヒロシ君が頭をなでると、うれしそうにするが、もう一緒に走り回ることはできない。ある日、眠ったままの姿で冷たくなっている犬を見つける。この時、犬は先生になる。

 「生きる」とはどういうことか、命をかけて教えてくれる。出会ったものは、必ず別れていかなければならないことを、生まれたものは、年を取るし、病気にもなるし、死んでいかなければならないことを。

 これは犬だけに限らない。猫でも、鳥でも、亀でも同じだ。この命がけの姿に、君はどんな生き方で応える?

                                         (たけもと たかし)

 

宗報 ㋀号より (2020.1.26.更新)

巻頭言 「年頭にあたって」 石上智康 (浄土真宗本願寺派総長)

 謹んで、新年のご挨拶を申し上げます。

 2023(令和5)年3月29日から5月21日の5期30日にわたりお勤めする「親鸞聖人御誕生850年・立教開宗は800年慶讃法要」の推進体制が、本格的に始動いたしました。ご法要の「趣意書」には、「親鸞聖人の説き示してくださった浄土真宗の教えに出遇うことがなければ、今の私はあり得なかったという聖人への感謝と、その教えに出遇えたことの喜びを込めて、聖人のご誕生を祝い、『立教開宗』に感謝する」ご法要であると示されています。また、法要のあり方や関連諸行事を企画するうえで、「大きな感動につながる法要を」「伝わる伝道を」「私たちのちかいの普及を」「社会に開かれた宗門へ」「具体的な社会実践として」を、5つの大切な課題として掲げました。

 ご門主様は昨年2月、第314回定期宗会開会式のご教辞で慶讃法要について「親鸞聖人のみ教えを生きる依りどころとする私たちは、み教えを正しく、また、わかりやすく伝えることで聖人のご恩に感謝のまことを表し、このご勝縁に出遇えた喜びの中で、ご法要をおつとめできますことを心から願っております。」と述べられました。

 浄土真宗のみ教えのの根幹をなす言葉が一般の人だけでなく、門信徒の方々にもなかなか理解されていないという厳しい現状のなか、真実信心を正しく・わかりやすく、あらゆる人々に、そして次世代に伝えていくため、伝道教化を担う人の育成は、喫緊の課題であります。宗門では、必要な諸規制新しく整備され、「伝わる伝道」に向けた人材の養成システムが、動き出しています。

 ご門主様のご教辞を深く受け止め、かたちを超えたこの上ないさとりの真実、ご法義の肝要があらゆる人に伝わるよう、できるところから、具体的に、現場目線を忘れることなく精一杯努力していかねばなりません。「世の中安穏なれ、仏法ひろまれ」との親鸞聖人のお言葉を胸に、宗門に集うものが「ワンチーム」となり、慶讃法要をにぎにぎしくお迎えさせていただきましょう。

本願寺新報 令和元年12月20日号より (2019.12.23.更新)

「互いの宗教敬い世界平和へ」広島「平和のための集い」にご出席

 ご門主は、ローマ教皇フランシスコの来日に合わせて11月24日夜に広島市の広島平和記念公園で開かれた「平和のための集い」に、日本カトリック司教協議会から招待を受け、出席された。石上智康総長も出席した。

 集いには、ご門主のほかに、仏教界からは森川宏映・天台座主、江川辰三・全日本仏教会会長(曹洞宗管長)、また、神社庁、教派神道連合会、新日本宗教団体連合会、広島県宗教連盟の代表など11人の宗教者が招かれ、一列に並んで教皇を出迎えた。ご門主は教皇と握手を交わされた際に、「全ての人がお互いの宗教を敬い、協力して、世界平和へ取り組んでいける社会となるよう努めていきましょう」と英語でメッセージを伝えられた。

 この後、教皇は「平和メッセージ」で「戦争のために原子力を使用することは、現代において、犯罪以外の何物でもありません。」と核兵器を非難し、「声を合わせて叫びましょう。戦争はもういらない。兵器の轟音はもういらない。こんな苦しみはもういらない」と2000人の参会者に呼び掛けた。

 この集いには、広島市西区の宗門校・崇徳高校新聞部の舛井亮太さんと井上朝斐さんが、顧問の花岡健吾教諭と共に取材に訪れていた。舛井さんは「武器を手にしたまま、愛することはできません。という言葉が印象に残った。教皇が広島を訪れたことにより、本当の意味の平和がいつか訪れることを願っています」と話した。井上さんは「集いに参加して、核兵器の悲惨さを改めて痛感した。私たちも新聞部員として世界を非核化の方向に進めるために、今回の集いのことを多くの人たちに伝え、広めたいと思った。」と語っていた。

 ローマ教皇の来日は、1981(昭和56)年2月の教皇ヨハネ・パウロ二世以来、38年ぶり2度目。この時は、当時ご門主の前門様が、駐日ローマ教皇庁大使館から招待を受け、東京の教皇庁大使館で30人余りの日本の宗教界の代表者とともに教皇に面会されている。 

 

宗報 令和元年十月号より (2019.11.20.更新)

「多様性(ダイバーシティ)」、世界での開教に思う  青木龍也(カナダ開教区 開教総長)

 北海道に生まれ育った私は、様々なご縁で北の国のカナダに開教使として渡り16年を迎えました。アメリカは「人種のるつぼ」と称され、あらゆる人種の混合された文化がアメリカという一つの国を形成しています。カナダの場合は若干異なり、「文化的モザイク」と言われ、様々な民族や言語、文化が社会の内部で共存する多民族・多文化国家です。このような国で生活していると、日本では経験しないようなことが時として起こります。

 先日、小学校6年生の次女が不思議な面持ちで学校から帰宅しました。「どうしたの?」と聞くと、次女は「うーん」と眉をひそめ、学校であった出来事について話し始めました。

 その日、クラスの中でもとりわけ仲の良い友達が、娘のもとへ泣きながらやって来ました。日曜日、家族で教会へ礼拝に行き、牧師さんからこのような話を聞いたそうです。自分たちは死んだら天国に行くが、異教徒は天国に行くことはできない。つまり、仲の良い私の娘は仏教徒だから、天国へ行くことはできない、友達はそのことを悲しく可哀そうだと泣いたというのです。

 よく理解できなかった様子の次女に、私は、お浄土へいくとはどのようなことか、加えて「自分のために涙を流してくれる友達がいてくれることに気付くことが大事だよ」と伝えましたが、どこまで理解してくれたことか。このようなことは、多文化・多宗教社会ならではの仏教徒としての体験と言えるでしょう。

 こちらの学校ではキリスト教、ユダヤ教、イスラム教、仏教、無宗教等、多くの宗教背景を持つ子が同じ教室で学び、家族が生活しています。カナダの「多様性(ダイバーシティ)の中で、今年7月に3名のカナダ人が得度を受けました。今後も開教の試行錯誤は尽きませんが、それがやりがいであるとも感じています。

 

 

本願寺新報 10月10日号より (2019.10.17.更新)

ご門主北米開教区をご巡回 米国西海岸16カ寺をご訪問

 ご門主は、北はカナダ国境にほど近いワシントン州シアトル別院、南はメキシコ国境沿いのカリフォルニア州サンディエゴ市にあるサンディエゴ仏教会までの16カ寺をご巡回。全行程の移動距離は4100キロに上った。

 各寺院では、開教使とメンバーたちが入念に準備を行い、ご門主の到着を心待ちにしていた。

 お立ちより寺院での式典は本堂で行われ、ご門主が焼香され、駐在開教使が寺院の役員や沿革、活動などを紹介した。

 この後、ご門主が英語でお言葉を述べられた。ご門主は「アメリカの地でお寺を創設され、み教えを受け継がれてきた方々のご苦労を偲び、厚く敬意を表し、感謝申し上げます。」と先人への思いを語られた後、「阿弥陀さまは、真実に背いて生きる私たちをどこまでも追いかけ、摂め取って真実の世界に導こうとはらたき続けてくださっています。そして、このおはらたきは「南無阿弥陀仏」のお念仏となって、常に私のもとに至り届いています。これからの時代においても浄土真宗のみ教えは、日本・アメリカだれでなく世界各地で生きる支えとなります。今後も共々に阿弥陀様のおはたらきのもとで日々を過ごさせていただきましょう」と呼びかけられた。

 式典の後、記念撮影が行われ、ご門主を囲んで茶話会や昼食会、夕食会が開かれた。またご門主は境内にある諸施設を視察された。

 

本願寺新報 9月10日号より (2019.9.16.更新)

本願寺医師の会 築地本願寺で6回目の集い

 講演 医療の手が届かないところ―医療現場でも「お浄土」を語り合おう  宮﨑幸枝

 患者の命が終っていく事実を前に、人間として生まれてきて本当によかったと言えるのだろうか、「ご臨終です」と言いながら、医師として何ができるかと思うのです。

 西本願寺医師の会は、「西本願寺」と冠しているように浄土真宗のみ教えのお話ができる医師の会であってほしいと考えています。医療では解決することができないところの話をする会ではないでしょうか。

 治る病気は治せます、治らない病気は治せない。医師を続けていると、治らないという現実に突き当たります。そこで、医者自身が「お浄土がある」という医師でなければ、「死んでいく人は死んでいく人の話」他人ごとで終わってしまうのではないでしょうか。先に死にゆく人に「お浄土で待っていてね。」と言いたいですね。昨年の10月2日にある入院患者が心肺停止しました。私の病院で25年前から月に一回ご法話を聞く「ビハーラの会」の参加者でした。重度の躁鬱病に苦しんだ方でした。遺されたお手紙にはお念仏を聞き「心が救われている」とつづられていました。お念仏に出遇い、お浄土の仏さまになられたのです。

  私は外来でも、患者さんに「死んでどこに行くの」と聞きます。決まって「そんなこと知らない」というお返事がかえってきます。

 「それじゃ、安心して死ねないよね。」と言えば、今度はショボンとされます。でもそこに、「心配ないよ。次はお浄土です。ナモアミダブツの船に、そのまま乗せてもらうだけ」と伝えると、しおれていた心に希望の光が差したように、目が輝いてくるのです。

「看取り」とは、まず自分が看取られる立場で考えないとダメだと思います。他人事にせず、医者自らが看取られる当事者になって考えないと、うわべだけの、人が人に寄り添うことで精一杯になるだけです。往生浄土がないと、虚しさが消えることはないと思います。医者自身が往生浄土という人生のいのちの解決が済んでいるのかどうかが、患者さんにとっては大問題になると思います。

 私は医学部4年生の時、浄土真宗に出遇いました。自分に納得がいかず、本当のことは何かを求め築地本願寺に電話したのが仏縁となり、本当のお説教を聞く機会を得ました。そこで「死は絶望ではない、阿弥陀さまの願いによって人生は解決されているんだ」と聞き、この解決が医師になければならないと思うようになったのです。

 小児がん病棟の医師は「3歳になれば『自分が死ぬ』ということを自覚している」と言います。子どもが自覚している死なのに、大人は、健康で長生きして死なないようにするということに集中し、「私の死」を考えないようにしているのではないでしょうか。

 今ここが最期でも、その先にお浄土が用意されているということを、わがこととして先延ばしせず聞いておくべきです。今が臨終でも間に合っている、平生からすでにもう阿弥陀仏に抱かれていると聞いてきたか、聞いていないかで、私のいちの安心を抱えた一生なのか、絶望に包まれているのか、全く違ってくるのです。

 医療に限界があるのは、仕方のないことです。だからこそ、医学的救いと同時に本当の救いを伝えられるかどうかが問われるのです。

 

 

本派総合研究所研究職員と歩く「親鸞さまの道」

 親鸞聖人のゆかり地を巡りその足跡を追体験してもらいたいと、本願寺派総合研究所がシリーズで開く真宗儀礼講座「一緒に歩こう 親鸞さまの道」の第11回が7月13日、京都で開かれた。

 今回のテーマは「浄土真宗の展開と親鸞聖人のご誕生」。参加者29人が同研究所の溪英俊研究助手とともに、京都府宇治市から伏見区にまたがり、『観無量寿経』に説かれる浄土をもとに庭園が造られたと伝わる平等院、聖人の父・日野有範公の廟所がある三室戸寺、聖人ご誕生の地ゆかりの法界寺、ゴールの日野誕生院まで約5キロを歩いた。埼玉県白岡市の門徒推進員・鈴木剛さん(58)は「初めて参加したが、教学や歴史についての解説を聞きながらの道のりは面白かった。誕生院で皆さんとおつとめしたのも素晴らしいご縁」と話した。

 同研究所では「親鸞聖人が歩かれたであろう道を研究職員が事前に調査し、史実に忠実な足跡をにたどることを心がけている。好評をいただいており、今後も続けていきたい」としている。

 

めぐみ 246号より (2019.7.15.更新)

ことばとの出あい

春がきて 日ごとねむけがつのります でも みほとけさまは 蓮の上 不眠不休の立ち姿」

 私はもう、半世紀も戦ってきたのであります。

 敵は相当な戦上手でありまして、春の陽気の加勢を受けてもう恐ろしいほどの強さであります。

 私の敵とは、そう、「ねむけ」であります。勇んで戦いに挑むも、負かされることしばしばであります。そんな情けない私ですが、本堂へは、日に幾度も入堂いたします。ボーっとした頭、かすむ目の奥にはいつもみほとけさまがいらっしゃいます。阿弥陀さま、というみほとけさまです。

 しみじみ感じることがあるのです。蓮の上のあのお方は何てタフなんだ。比類なき慈悲の心のなせる技なのか?

いまだに、横になったお姿や、花の上に腰掛けておられるご様子などは一度も拝見したことがございません。

 時折私は、ウルっとくるのです。いや、決してあくびの後の涙ではございませんので、悪しからず。何を隠そう、否、別に隠しませんけど、この阿弥陀さまこそがうれしくも私の自慢の親さまなのでございます。

 掌を合わせ、そしてそのお姿に目の焦点を合わせた私は、ただただ、そのみ名を称えるのであります。

                           長崎県対馬市慈恵山青竜寺 住職 平山 順寿

 

 

本願寺新報 5月10日号より (2019.5.20.更新)

people ひと

ス‣ユウチ

 台湾から来日し、宗門校の龍谷大学留学生別科で学ぶ「台北法雷念仏会」のメンバー(門信徒)。「僧侶として、台湾で浄土真宗のみ教えを多くの人に伝えていくのが夢。この一年間は日本語を習得し、来年は中央仏教学院で仏教や真宗を学び、得度して僧侶になりたい」。

 篤信の父・シレンさんの影響もあって、お念仏は子供の頃から身近だった。「父は2007年に念仏会が結成される前から浄土真宗の勉強会に通い、講師も務めていた。私もわからないままに仏さまの話を聞き、自然とみ教えに触れてきた」と話す。

 昨年のご門主の台湾開教地ご巡回が縁で留学を決意。「帰敬式を受けて感動した。念仏会に後継指導者がいないこともあり、お役に立てればと思った。喜んで送りだしてくれた家族やメンバーの期待に応えられるような僧侶になりたい」。29歳。

 

大乗 6月号より (2019.6.19.更新)

立教開宗記念法要 ご門主法話

 本日は、立教開宗記念法要にあたり、ようこそご参拝くださいました。立教開宗記念法要とは、親鸞聖人が浄土真宗のみ教えを顕らかにされたことを記念する法要であり、これをご縁に、私たちにみ教えが伝わっていることをあらためて味わわせていただきたいと思います。

 さて、本年㋀9日に、「親鸞聖人御誕生850年、立教開宗は800年についての消息」を発布いたしました。2023年は親鸞聖人御誕生850年に、その翌年は主著である『顕浄土真実教行証文類』、いわゆる『教行信証』を著されて、浄土真宗のみ教えを説かれてから800年の記念すべき年となります。

 本願寺では、2023年、令和5年3月から5月に、5期30日間にわたり、親鸞聖人御誕生850年並びに立教開宗800年の慶讃法要をおつとめすることになりました。この法要をおつとめすることができるということは、親鸞聖人がみ教えを説かれて以来約800年にわたって、今日の私たちにまでみ教えが連綿と受け継がれてきたということを意味します。

 親鸞聖人は、私たちの人間の本質を、自己中心的な凡夫であると見抜かれました。そして、その私に向けられた阿弥陀様のご本願とそれに基づくおはたらきを顕らかにされました。

 今から約2,500年前に仏教を説かれたお釈迦様は「諸行無常」や「諸法無我」という、この世界の真理を明らかにされ、それを自分のこととして受け容れることができないために、私たちは悩み苦しむ人生を送っていると示されました。阿弥陀様はこのような私たちを、そのままの姿で救い、さとりの世界へ導こうとはたらき続けてくださっています。

 自己中心的な思いにとらわれ、悩み苦しむ私たちの姿は、いつの時代においても変わることはありません。ですから、親鸞聖人が説かれたみ教えも、絶えることなく今日まで受け継がれ、それはこれからの時代も変わることはありません。

 私たちは、これからもみ教えを聴聞するとともに、宗門総合振興計画の取り組みを進め、多くの方にみ教えを伝え、来るべき親鸞聖人御誕生850年並びに立教開宗800年の慶讃法要をお迎えいたしましょう。

 本日は、ようこそご参拝くださいました。

 

本願寺新報 4月10日号より (2019.4.13.更新)

赤光白光

 新元号が「令和」に決まった。『万葉集』の言葉で「人々が美しく心を寄せ合う中で文化が生まれ育つ」との意味が込められているそうだ。

 元号といえば、800年前の「建保」(1213-18)の提案者は親鸞聖人の伯父・日野宗業と言われる。「放埓の人」とされた父・経まさの悪評のためか40代まで出世の道が開けなかったが、たゆまぬ努力を続け、最終的に従三位まで昇った人物である。また後鳥羽上皇による承元の法難では、親鸞聖人が越後にご流罪となる一か月前に越後権介に任ぜられており、この流罪中の聖人ご家族を支援したであろうことが想像される。

 建保元年、聖人は41歳。越後から関東の地へと移ろうとされていた頃だ。親鸞聖人は関東での20年間、あらゆる人々を仏として浄土に生まれさせて救いたいという阿弥陀様の智慧と慈悲のはたらきにを人々へと伝える布教活動と、主著『教行信証』の執筆に全精力をつぎ込まれた。そのご苦労があったからこそ、800年後の現代を生きる私たちにまで、お念仏のみ教えが伝えられているのである。

 2023年におつとめする「親鸞聖人御誕生850年、立教開宗800年慶讃法要」の高札立札式が、4月15日の立教開宗記念法要の後に行われる。み教えを喜ぶ念仏者して、欲を少なくして足ることを知る「小欲知足」、他者に対して穏やかな顔と言葉で接する「和顔愛語」を実践しつつ、4年後の法要が浄土真宗のみ教えを正しくわかりやすく伝える新たな機縁となるよう努めたい。

 

『大乗』 3月号より (2019.3.18.更新)

 御正忌報恩講 ご門主法話

 本年もようこそ御正忌報恩講にご参拝くださいました。全国から親鸞聖人をお慕いする皆さまがご参拝くださり、ご一緒におつとめをし、お念仏申させていただくご縁でありました。

 さて、本年は、御正忌報恩講の最初の日にあたります㋀9日に「親鸞聖人御誕生八百五十年・立教開宗八百年についての消息」を発布いたしました。四年後の2023年に法要をおつとめいたします。

 立教開宗八百年とは、親鸞聖人が浄土真宗のみ教えを説かれて800年ということで、この間、今日まで多くの先人方によってみ教えは受け継がれてきました。それは、時代が変わっても、み教えが私たちが生きていく上での依りどころ、支えとなってきたからです。

 親鸞聖人は、私たち人間を自己中心的な凡夫であるとみられ、その凡夫に向けられた阿弥陀さまのおはたらきを明らかにされました。どのような時代や場所が変わろうとも、自己中心的な凡夫であるという私たち人間の姿は変わりません。ですから、いつの時代においても浄土真宗のみ教えが、その時代の人々の生きる依りどころとなるのです。

 ところで先日の新聞に、昨年一年間に日本で交通事故で亡くなった方が統計を取り始めてから最少になったと出ていました。それでも、平均すると毎日約10人の方が交通事故で亡くなっています。しかし、その十人が私ではない、あるいは私の家族ではないという保証はありません。また交通事故だけではなく、病気や事件などによって突然命を失うということも、昔に比べればその数は減っているかも知れませんが、この私がそうならないということにはなりません。   

 お釈迦様はこの世界の真実を、諸行無常という言葉で明らかにされました。私たちはこの真実に気づくことなく、自己中心的な考え方で日々の生活を送っていることが多いのではないでしょうか。

 親鸞聖人は、そのような私を真実の世界に導きたいという阿弥陀さまの願いと、そのおはたらきを説いてくださいました。み教えを聞かせていただくことで、私たちは自己中心的な自身の姿に気付かれるとともに、摂取不捨という阿弥陀さまの広大なお慈悲の心に気付かされるのです。

 今日、特に日本では少子高齢化や核家族化、過疎・過密などの社会状況とも相まって、み教えを伝えていくことが非常に難しくなっていますが、ご参拝の皆さまには今後もみ教えを聞かれますとともに、一人でも多くの方々にみ教えを伝えていただきたいと思います。

 そして、四年後の親鸞聖人御誕生八百五十年・立教開宗八百年の慶讃法要をともにお迎えいたしましょう。

 本日はようこそご参拝くださいました。

 

本願寺新報 2月10日号より (2019.2.12.更新)

赤光白光

 先日、取材である寺院を訪れた際、案内された庫裏の仏間で携帯用のマッチ箱を見かけた。お仏壇のローソクに火を点すためのものだろう。棒形のガスライターが主役となった今、マッチ箱を目にしたのはずいぶん久しぶりだった。小さなマッチ箱の赤い色がとても印象に残った。

 かつては、たばこを吸う時にも、ポケットから取り出したマッチ箱を擦る光景をよく目にしたが、こちらもライターが主役だ。そもそも愛煙者が減っている。日本たばこ産業の調査では、ピーク時の昭和41(1966)年の成年男子の喫煙率は80%を超えていたが昨年は27.8%、約半世紀で50%以上も低下している。健康に対する意識の高まりなどを背景に、この傾向は今後もますます加速するだろう。

 そういえば、昭和の頃は喫煙だけでなく、炊事など日常生活の多くの場で必需品だったマッチ箱は、家庭や町中からほとんど姿を消してしまった。オール電化のキッチン、パソコン、スマートフォン、人工知能(AI)…私たちの身の回りに科学技術進化の成果が増え続けていく一方で、マッチ箱のような「昭和レトロ感」が漂う品々はひっそりとその役目を終えている。家庭のお仏壇のローソクも防火面に配慮して「電化」というのも少しづつ増えてきた。

 あと80日足らずで「平成」は幕を閉じ、5月1日からは新たな時代が始まる。不揃いで手作り感がにじみ出る赤い箱の中のマッチ棒を眺めながら、「昭和は遠く」、そんな感慨がわいてきた。

 

 

宗報 1月号より (2019.1.28.更新)

「親鸞聖人御誕生850年・立教開宗800年についての消息

 来る2023年には、宗祖親鸞聖人のご誕生850年、またその翌年には立教開宗800年にあたる記念すべき年をお迎えするにあたり、2023年に慶讃法要をお勤めいたします。

 親鸞聖人は承安3年・1173年にご誕生となり、御年9歳で出家得度され、比叡山で修行を重ねられましたが、29歳の折、山を下りて法然聖人のお弟子となられ、阿弥陀如来の本願念仏の世界に入られました。その後、専修念仏停止によって越後にご流罪になられ、赦免の後は関東に赴かれて他力念仏のみ教えをの人々に伝えられるとともに『教行信証』の執筆にとりかかられました。他力念仏のみ教えがまとめられた本書は、浄土真宗の根本聖典という意味でご本典と呼ばれています。そして、そのご本典の記述によって、その成立を親鸞聖人52歳の時、すなわち元仁元年・1224年とみて、この年を立教開宗の年と定めています。

 仏教は今から約2500年前、釈尊が縁起や諸行無常・諸法無我というこの世界のありのままの真実をさとられたことに始まります。翻って私たちは、この執われのないおさとりの真実に気づくことができず、常に自分中心の心で物事を見て、悩み、悲しみ、あるいは他人と争ったりしています。釈尊は、このような私たちをそのままに救い、おさとりの真実へ導こうと願われたのが阿弥陀如来であることを教えてくださいました。そして、親鸞聖人は、この阿弥陀如来の願いが、南無阿弥陀仏のお念仏となってはたらき続けてくださっていることを明らかにされたのです。

 ありのままの真実に基づく阿弥陀如来のお慈悲でありますから、いのちあるものすべてに平等にそそがれ、自己中心的な考え方しかできない煩悩具足の私たちも決して見捨てられることはありません。その広大なお慈悲を思うとき、親鸞聖人が「恥づべし傷むべし」とおっしゃったように、阿弥陀如来のお心とあまりにかけ離れた私たちの生活を深く慚愧せざるをえません。しかし、この慚愧の思いは、阿弥陀如来の悲しみを少しでも軽くすることができればという方向に私たちを動かすでしょう。

 それは、阿弥陀如来の願いを一人でも多くの人に伝え、他人の喜び悲しみを自らの喜び悲しみとするような如来のお心にかなう生き方であり、また、世の安穏、仏法弘通を願われた親鸞聖人のお心に沿う生活です。み教えに生かされ、いよいよお念仏を喜び、すべてのいのちあるものが、お互いに心を通い合わせて生きていけるような社会の実現に向け、宗門総合振興計画の取り組みを進めながら、来るべき親鸞聖人ご誕生850年並びに立教開宗800年の慶讃法要をともにお迎えいたしましょう。

   平成31年・2019年 1月9日                  龍谷門主  釋専如

 

 

本願寺新報 12月1日号から (2018.12.26.更新)

「私たちのちかい」についての親教

 私は伝灯奉告法要の初日に「念仏者の生き方」と題して、大智大悲から成る阿弥陀如来のお心をいただいた私たちが、この現実社会でどのように生きていくのかということについて、詳しく述べさせていただきました。このたび「念仏者の生き方」を皆さまにより親しみ、理解していただきたいという思いから、その肝要を「私たちのちかい」として次の四ヶ条にまとめました。

 

 私たちのちかい

一、自分の殻に閉じこもることなく

  穏やかな顔と優しい言葉を大切にします

  微笑み語りかける仏さまのように

 

一、むさぼり、いかり、おろかさに流されず

  しなやかな心と振る舞いを心がけます

  心安らかな仏さまのように

 

一、自分だけを大事にすることなく

  人と喜びや悲しみを分かち合います

  慈悲に満ちみちた仏さまのように

 

一、生かされていることに気づき

  日々に精一杯つとめます

  人々の救いに尽くす仏さまのように

 

 この「私たちのちかい」は、特に若い人の宗教離れが盛んに言われております今日、中学生や高校生、大学生をはじめとして、これまで仏教や浄土真宗のみ教えにあまり親しみのなかった方々にも、さまざまな機会で唱和していただきたいと思っております。そして、先人の方々が大切に受け継いでこられた浄土真宗のみ教えを、これからも広く伝えていくことが後に続く私たちの使命であることを心に刻み、お念仏申す道を歩んでまいりましょう。

 二〇一八(平成三十)年十一月二十三日

                          浄土真宗本願寺派門主         大谷光淳

 

本願寺新報 11月20日号より(2018.11.27.更新)

赤色白色

 すっかり本願寺の秋の風物詩となった献菊展。全国門徒総追悼法要(秋の法要)の献華として行われ65回目を迎えた。今年も京都菊栄会の会員が手塩にかけて育てた菊が境内を彩っている。

 赤、白、黄色の花々を見てふと思い出すのが童謡の「チューリップ」。歌詞の最後は「どのはな みても きれいだな」。歌詞のように、どの花も同じように見ることができているだろうか。つい、色や形、差異を見比べてしまう私がいる。「この人は」「あの人は」と人を評価して見てしまう自身の身勝手さを知らされる歌詞だ。

 1948年12月10日、フランス・バリで開催された国連総会で、すべての人は平等でそれぞれが同じ権利を持っていることを宣言する「世界人権宣言」が採択された。前文と30の条文からなり、身体の自由、拷問・奴隷の禁止、思想や表現の自由、参政権、教育を受ける権利や労働者が団結する権利、人間らしい生活をする権利などがうたわれている。

 今年も「人権週間」(12月4日~10日)を迎え、国内各所で、思いやりの心、かけがえのないいのちについて考えようと啓発活動が行われる。本山では人権パネル展を12月3日から来年の御正忌報恩講まで、聞法会館で開く。世界人権宣言70周年。民族や国籍の違い、障がいの有無、一人一人がもつさまざまな違いを認め合い、相手の気持ちを考えることを大切にし、「どのはな みても きれいなだな」という社会を築きたいと強く思う。

 

大乗 10月号より (2018.10.11.更新)

今月のことば 法語カレンダー

 「煩は身をわずらわす 悩はこころをおやますという」

 今月のことばは、『唯信鈔鈔文意』の中から選ばれたものです。親鸞聖人は、よく文字を使い分けて分析して、それぞれの意味を示されることがあります。分釈といいます。今は、煩悩を「煩」と「悩」に離して解釈されています。

 聖人の著述をみていきますと、煩悩という文字、そしてそれを冠した、煩悩成就・煩悩具足・煩悩熾盛といった四字熟語が、眼に入ってきます。そしてこれらの語は、凡夫・衆生を説明する文脈の中で出てきますので、私が今どのような生き方をしているかということと関わって、深く味わっていくべき言葉であります。

 「煩悩成就の凡夫、生死罪濁の群萌」「煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界」「煩悩熾盛の衆生をたすけんがための」

 私たちは、この三つの文から、この私が煩悩によってできあがり、煩悩を抱え、そしてその煩悩の勢いが強いこと、そんな煩悩と私の関係があらわされているとうかがうことができましょう。

 煩悩の流れの中に生き、おのおのの孤独の思いを抱きつつ、迷いの世界に沈んでいる私たち。そういう私たちを哀れみ悲しんでくださったのが、阿弥陀様の大悲大願でありました。なんとしても仏に育てあげてやりたい。浄土に生まれて救われることがないようなら私も仏になりません、と誓っておられるのです。

 自分も他人もみな凡夫です。そういう姿が知らされていく時、互いに、許し合い、いたわり合い、そして、みんな尊いものを持っているのだという思いが広がっていくように思うことです。

 

 

宗報 8号より (2018.9.15.更新)

「考えさせられる」葬儀⑶よりー葬儀をめぐる現状(社会問題としての葬儀 後編)ーより一部抜粋

                                    浄土真宗本願寺派総合研究所

小谷:現代は、自分の葬儀や墓をどうしたいのかを考える人が増えたのは確かなこと。それは不安だから。今は、お金を払えば葬儀は葬儀業者がやってくれるし、介護もやってもらえる。ほとんどのことは一人でできるが、不安や孤独などの問題は残る。家族がいても安心できない。この安心をどう確保するのかが難しい。これだけは、お金で買うことができない。

 自分の死後の安寧を保証してくれるものが得られないことが不安につなかっていると言える。死後、自分はどうなるのか、亡くなった後にどのように記憶されていくのかについて確証があれば、不安に思う人が減っていくのではないか。葬儀や墓の変化という現象面にとらわれるのではなく、どうしてこのようなことを多くの人が考えるようになったのか、心の問題を大切にして欲しい。

 この点に関しては、社会の問題もあるが、僧侶のあり方にも問題があると考える。西方浄土に生まれていくということを僧侶が本気で思い、本気で伝えていれば、このような不安な状況を変えていくことができるのだろうと思う。

 (小谷みどり氏 本願寺派総合研究所委託研究員、第一生命経済研究所主席研究員 近著に『ひとり死時代のお葬式とお墓』岩波新書 がある。)

 

本願寺新報 8月20日より (2018.8.28.更新)

 露の団姫さん 天台宗僧侶でもある仏教落語家

 天台宗僧侶でもある落語家。近畿地区仏教婦人会大会で仏教落語を披露し、扇子を片手に軽妙な語りや動きで観客の笑いを誘った。

 「仏教との縁は幼い頃の祖父との死別。宗教に興味をもち 、高校時代はバイト代で本を買って勉強していた。その中で一番心にピタっときたのが仏教」と振り返る。

 江戸前期の僧侶・露の五郎兵衛が説法を面白おかしく話したのが上方落語の始まりと知り、落語で仏教を広めようと高校卒業を機に五郎兵衛の流れをくむ露の団四郎へ入門。三年住み込みで内弟子修行を積んだ後、二十五歳で僧侶になった。年間250席超の高座のほか、ラジオやテレビでも活躍する。「人間誰しもが幸せになる権利があり、幸せになってほしいという思いで活動している」と語る。兵庫県尼崎市在住 31歳。

 

 本願寺新報 7月1日号より (2018.7.16.更新)

 勝如上人のご遺徳偲ぶー17回忌法要 本願寺で営む

 専如ご門主の祖父で、2002年6月14日に90歳で往生された本願寺第23代宗主勝如上人の17回忌法要が6月12日から3日間、本山・ご影堂で営まれ、1500人が参拝した。ご命日の14日には、前門さまご導師、ご門主ご出座のもと、正信念仏偈作法がつとめられた。

 法要後には布教使による特別布教が行われ、上人のご事績やお人柄を紹介しながら、浄土真宗のみ教えを伝えた。

 12日は藤實無極さんが「勝如上人のご事績の一つが1958年の親鸞聖人700回大遠忌法要ご満座のご消息に示された『浄土真宗の生活信条』。浄土真宗のみ教えをよりどころする生き方を4か条にまとめられ、多くの僧侶・寺族・門信徒に親しまれている」と話した。

 13日は赤松徹眞さんが「勝如上人から始まった宗門の取り組みは多い。当時、遠地なら移動だけで24時間かかる時代に全国各地をぎ巡教され、そのご巡教で15万人以上のご門徒が帰敬式を受けた」とご巡教を中心に振り返った。(後略)

 【勝如上人】

 

宗報 5月号より (2018.6.18.更新)

「新たな一歩」 梶原俊栄(南米開教区開教総長)

 今年はブラジル日本移民110周年を記念する年である。現在ブラジルの日系社会は三世から四世の世代へと移り、もう日本語が通用しないと言っても過言ではない。しかし、二年後に開教七十周年を迎える当南米教団は、いまだ、この「言葉の壁」を乗り越えることができていない。教団の活動はまだ日本語が中心で、非日系人へは言うまでもなく、日系の子孫へさえお念仏のみ教えが段々受け継がれなくなってきている。

 そのような現状の中、昨年行われた南米開教総長選挙の結果を受け、この度第二十代開教総長に就任させていただいた。日系ブラジル人三世の私が教団の多くの議員によって選出されたということは、教団としての新たな一歩を踏み出したいという門信徒の期待の表れだと感じている。

 我々一人ひとりが教団人としての自覚を持ち、努力を惜しまず、勇気を持って行動していくことにより、新たな道のりへの一歩が始まるのではないかと思う。

 ブラジルには「一日に一頭のライオンを倒さなければならない」という諺がある。生きるということは、毎日難しい問題に遭遇し、乗り越えて行かなくてならない。また、多くの困難な問題全てを一度に解決することは不可能であるから、一日一難を解決すべきという意味である。

 我々の抱える様々な問題の解決、これから起る出来事を乗り越えて行くことは、到底私一人の力でできることではない。各開教使、門信徒の方々と一丸となり、ライオンを倒すパートナーとして、ご理解ご協力をいただきながら、南米、さらにグローバル化する社会において、一層の役割を果たすべく邁進してく所存である。

 本年九月には、第25代専如ご門主の第1回南米開教区ご巡回が行われる。それに合わせて、11年ぶりに南米門信徒大会か開催される。一人でも多くの参加を得て、このご巡回が南米の大地により強く、より深くお念仏のみ教えを根付かすご勝縁となるよう尽力していきたいと考える次第である。

 

本願寺新報 5月20日号より (2018.5.21.更新)

 赤光白光

 5月20日、21日は本山の宗祖降誕会が営まれ、境内一帯は祝賀ムードに包まれる。全国各地でも21日を中心にお寺での法要や行事が行われる。降誕会が最初本山で勤められたのは明治7(1874)年5月21日である。

 その2年前、明治新政府は、太陰暦から太陽暦へ改暦したが、第21代明如上人は親鸞聖人のご誕生とご往生の日を、新暦のグレゴリオ暦で正確に時代をさかのぼって改定された。これが現在の5月21日(ご誕生)と1月16日(ご往生)である。

 降誕会に合わせて、お寺で初参式を行うところが多い。本紙にも毎年、その様子を綴ったたくさんの投稿が寄せられている。降誕会をおつとめする意義は、言うまでもなく、親鸞聖人のご誕生がなかったならば、永遠に迷い続けたはずのこの私が、今、聖人から本願念仏のみ教えをいただき、救われていることに感謝し、お讃えすることである。そして自分自身の誕生についても、この世に生まれたからこそ、聖人のみ教えに出あえたのである。したがって、降誕会にあわせて所参式を行うことは、きわめて意義深いことといえるだろう。

 親鸞聖人ご自身は「曠劫多生のあひだにも 出離の強縁しらざき 本師源空いまさずは このたびむなしくすぎなまし」と恩師法然聖人のご誕生を喜び、お讃えになられている。「親鸞聖人いまさずは…」との思いを今、一人ひとりが新たにする宗祖降誕会である。

 

本願寺新報 4月10日号より (2018.4.14.更新)

いのちの栞 栁川眞諦

「いのち」に出遇う

  心に残る桜

 今年も桜の季節となりました。桜は日本人にとって心の琴線に触れる特別な花です。今、艶やかに咲いている桜はもちろん、去年の桜ではありません。しかし、その「いのち」の輝きの中に私たちはたくさんの記録を刻んできたのではないでしょうか。皆さんは、誰と見た、どんな桜が心に残っていますか。

  5年前の今頃、家族ぐるみのお付き合いをしてきた京都の仏具屋さんが、久しぶりにお寺に仕事に来られた時のことです。結婚した時期も、子供を授かった時期も同じで、うちは息子が二人であちらはお譲さんが2人。「どちらかお嫁さんに来てくれたらいいね」なんて、お酒を飲みながら、親同士で勝手に盛り上がってきた仲でした。

 その彼が、帰り際に突然、「命の期限」を告げたのです。すでに、癌は全身に転移し、手術も不可能とのことでした。余命半年…。

 でも、彼はまるで嘘のように穏やかな表情でした。

 「今、世界は優しさと輝きに満ちている。たくさんの人に感謝され、優しくされて、人生の中でこの半年が一番穏やかで、喜びに満ちていた。100年生きても、こんな世界を見られないかもしれない。だから、今、半年という時間をもらって感謝しています」とほほ笑みました。

 あの時、彼の目にはどんな桜が見えていたのでしょうか。

 

 光り輝く「いのち」

 仏教では「生死一如」と言いますが、自分の命の終わりが見えた時に、真実なる「いのち」の世界に出遇った人は、こんなにも強くなれるのだろうかと、驚嘆せずにはいられないほど、彼は念仏者として、光り輝く「いのち」を精一杯生き切りました。

 彼が最後に言っていたのは、まだ幼い娘たちに父親の生きざまを見せること。幸せな顔で、満ち足りた顔で、死んでいく…。

 その言葉どおり、彼の遺影は門徒総代の式章をして、いつもひとなつっこい笑顔で、幸せに満ちた顔でほほ笑んでいました。

 「カッコ良すぎるよ」私は思わずつぶやきました。

 以下の言葉は、彼が綴った日記の言葉です。今、私たちを仏さまの道へと誘ってくれています。

 「今、私の中には如来さまがいる。

  とってもやさしいひと。前から、いらっしゃったんだろうけど、気付くこ                 とがなかった。

   よくよく気付いてみると、とってもやさしいひと。

   こんな私を救うてくださる。」

 

宗報 2月号より  (2018.3.14.更新)

本願寺は素晴らしい教えに出あえる場「世界の京都」から発信を  柳井 正(ファーストリテイリング代表取締役兼会長・本願寺総代)

 幼い頃から、故郷の山口のお寺とご縁が深かったのですが、平成二十八年五月に本願寺総代を拝命し、京都を訪れる機会が増えました。その度に驚くのが国内外からの観光客の多さです。まさに「日本の京都」から「世界の京都」になっていることを感じます。本願寺にも多くの観光客が来られますが、大部分の人は歴史や文化、そして親鸞聖人の教えを知らないままに帰っていくのが残念です。もっと本願寺の魅力を伝える取り組みをしていただきたいと思います。

 ユニクロでは外国人従業員や留学生の研修生を積極的に受け入れています。本願寺でも、京都に住む留学生が浄土真宗について学べる研修制度などがあれば、より深い本物の知識を得ることができ、それぞれの帰国先で、教えが広まることにつながるはずです。

  また、境内に美術館の音声ガイドのようなものがあれば観光客に伝わりやすいかもしれません。観光で来たけれど印象に残った、感動した、家族や友人に「西本願寺はすごい」と話す。こうしたことの積み重ねこそが大切であるように思います。

 会社は無限の成長をしない限り存在意義はないと私は思っています。そうでないといつのまにか組織が老化し、腐敗してしまいます。本願寺が何百年もの間続いてきたのは、その時代、その時代に即した布教を行い、お寺のあり方を模索し続けてこられたからだと思います。人間には寿命があって、いずれ死んでいく。だからこそ生きる意味を問うことが重要で、特に感受性の強い若い人たちに仏教と出あってもらいたいのです。

 ユニクロは現在、世界に約二千店舗あり、年間十二億点の商品が売れています。中には一億点以上も売れ続ける商品もあります。私たちが「これ買ってください。絶対にいいものです」と自信をもって送り出した商品は必ずヒットします。

 本願寺は素晴らしい教えに出あえる場です。若いご門主さまのもとで、受け継がれてきたものを一人でも多く若い人たちに伝えてほしいと思います。

 

本願寺新報 2月10日号より (2018.2.25.更新)

「ひと」欄より 海外の日本文化財を修復したい 

 ヨアン・ローゼンジヴェグさん

 フランスのニースから来日し、2016年から本山前の宇佐美松鶴堂で正社員として、文化財の表装・修復などに携わっている。

 「あこがれの職場で働くことができてうれしいし、毎日が楽しい。新米なので、先輩から工房の掃除や糊炊き、紙の仕分け、雑用など下積み作業から教わっている。難しいのは日本語です。」

 2004年に工業大学を卒業したが、子供の頃から興味を持っていた美術や歴史の知識が生かせる文化財修復師への道が諦めきれず、あらためて芸術学校に入学。西洋絵画の修復技術を修得し、さらにベルギーの大学で紙の修復と保存について学んだ。

 この間、2010年に初来日。美術館や寺院を巡り、日本の伝統美術に魅了された。海外からの社員を受け入れている同社を知り、「就職したい」と宇佐美直八社長へ直接英語でメールを送るも、「修復の仕事は専門用語が多く、日本語は必須条件」と断られたという。

 しかし、「諦めようとは思わなかった。何とか日本語が話せるように」と大学に通いながら、日本語を学習。卒業後には、同社の元社員で修復師として米国ボストン美術館で活躍する知人を頼って渡米し、一年間、同美術館で日本画の修復を学び、修復に必要な専門用語も少しづつ習った。

 2015年に再来日。半年間、大阪の日本語学校に通いながら週1回は同社を見学したという。

 「海外では経験のない師弟制度の中で戸惑いもあるが、本山の書院の障子の張替えや、掛け軸の裏打ち作業なども手伝わせていただくようになった。将来は海外にある多くの日本の文化財の修復に関わりたい」と意気込む。37歳。

 

「大乗」1月号より (2018.1.26.更新)

年頭の辞 門主 大谷光淳

 新しい年のはじめにあたり、ご挨拶申し上げます。

 まず、「平成29年7月九州北部豪雨災害」において、多くのご門徒の方々が被災されました。犠牲となられた方に衷心より哀悼の意を表しますとともに、被災された方々に心よりお見舞い申しあげます。また、昨年㋂には東日本大震災の発生から7回忌を、4月には平成28年熊本地震から1周忌を迎えました。災害によって多くの方が犠牲となられ、被災されています。「諸行無常」の世であることを痛感するとともに、今、様々なご縁の中で生かされているいのちであることを実感します。今後も宗門として、被災各地への支援活動を続けてまいりましょう。

 昨年、5月31日までの10期80日間にわたる伝灯奉告法要には、約45万人の方に本願寺にご参拝いただきました。大変有り難く、感謝申し上げます。法要初日の親教「念仏者の生き方」と「伝灯奉告法要御満座の消息」において、浄土真宗のみ教えを聞き、阿弥陀さまのおはたらきの中で生きる私たちの生き方について述べさせていただきました。

 グローバル化する時代状況の中、2015年、国連では「持続可能な開発目標」が採択されましたが、これは、今のままでは将来の世代に人類が生存できる地球を受け継ぐことができないという強い危機感に基づくものです。そこでは「誰一人取り残さない」を理念として、「貧困」や「不平等」「環境」「平和」など17の課題解決のための目標が掲げられています。

 阿弥陀さまのお働きの中、その大智大悲のお心に促され導かれて社会的課題に積極的に取り組み、すべての人々かせ心豊かに生きられる社会の実現を目指すのが私たち念仏者です。本年も、浄土真宗のみ教えを聞き、阿弥陀さまのおはたらきのもと、念仏者として精一杯歩んでまいりましょう。

 

『宗報』11・12月号合併号 (2017.12.27.更新)

巻頭言「伝統の輝き」 梅津廣道 (北米開教区開教総長) ヨーロッパでは二年に一度、域内各国の念仏者たちが一堂に会し、互いの信仰の喜びを語り合う「ヨーロッパ真宗会議」が開催されている。その会議に二度続けて参加する機会を得た。その時の彼らとの対話の中で、歴史や伝統の大切さを知らされた。ヨーロッパでは仏教そのものに対する興味は高まってはいるが、浄土真宗に関してはまだ認知度が極めて低い宗教である。しかし、浄土真宗には長い歴史に培われた伝統があるということで、彼らの安心と信頼を得ている。

 念仏の教えの伝統は釈尊に始まるが、実際はその教えは釈尊という歴史的な時間をも超越している。そして、教えの根幹はもちろん仏教そのものであることは間違いないことであるが、歴史上、また欧米の研究者の間では、残念ながら浄土教は傍流扱いされることが多い。ところが、最近アメリカの仏教雑誌の一つ『ブッダダルマ』の「さとりとは何か」という特集記事の中で、禅、チベット、上座部仏教と共に浄土真宗の教えが紹介された。そこでは、他の伝統教団がいかにさとりを得るかということを主張しているのに対して、浄土真宗は「さとりとははたらきである」という仏教の根幹に関わる紹介がなされ、多くの読者に新しい方向性を与えたのではないかと思う。また、バークレーで開催された真宗学会ても多くの欧米の学者が研究発表をしたりしている。宗門人にとってはまことによろこばしいことである。

 今時代が大きく転換しつつある。このような時代にこそ、本願念仏の教えが光を放つのである。それは、すべての生きとし生きるものに向けられた、大悲の願いであり、人間の苦悩の根源を知らしめる智慧の光であるからだ。浄土真宗が、国や民族、宗教という枠を超えて、世界各地で人々の生きる指針となってきていることはありがたいことだ。宗門の中で育てられた私たちは、伝統に感謝し、その中に光る普遍の教えを、できるだけ多くの人たちに知っていただくため、堂々と発信していくことを喜びとして、ご縁づくりに励ませていただきたいものである。

 

「本願寺新報」11月20日号より (2017.11.21.更新

 12月1日から予約開始 ご正忌報恩講「お斎」

 宗祖親鸞聖人のご遺徳を偲ぶ御正忌報恩講法要での「お斎」の申し込みが、12月1日から始まる。

 お斎は、1月10日から15日までの日中法要終了後に、国宝・書院「鴻の間」で精進料理をいただく。

 1万円以上の懇志進納が必要。予約は、12月1日午前9時から電話にて開始。希望日・人数・連絡先等が必要。申し込み、問い合わせは本願寺参拝教化部。連絡先:075-371-5181

 

『宗報』9月号 巻頭言より (2017.10.17.更新)

利他的人間…入澤 崇(龍谷大学学長)

 最近、わが大学にあって目を引くのが「学生の力」です。龍谷大学には長い伝統の中で育まれた「先進性」や「進取」の気風がありますが、それ以上の特色は、他者と共に生きていく姿勢を形成しようとする空気だと言えるでしょう。

 数年前に、障がいを抱えた学生の就職支援を考えるグループができ、地道に活動を続けています。「発達障害」ゆえに人前で話すことがなかなかできない学生が、そのグループの輪のなかに入って、生き生きと話せるようになった現場を目の当たりにしました。実に感動的でした。同世代の及ぼす感化力に脱帽しました。

 そのグループは毎週土曜日にミーティングをし、反省会を行っています。常にわが身を省みる習性が身に付いているようです。社会科学系の学部に所属する学生の多いことが特徴です。彼らは近く「生き方」「働き方」を問うシンポジウムを開催すべく準備中で、先日、登壇してもらえないかと協力を要請されました。専門を異にする学生たちが未来を見据えた実践にいそしんでいる光景は、教員や職員にも影響を与えます。自ら進んでシンポジウムのチラシを配る職員にも出くわしました。

 少子化が進行していく中で、どの大学もいま学生数の確保に血眼になっています。学生数の確保が課題であることは間違いありません。ただ、この危機は大学の存在意義を問う好機でもあります。言うまでもなく、大学は「人」を作りだすところです。私立大学にあっては、建学の精神を体現する人間の育成に力を注がねばなりません。龍谷大学は「浄土真宗の精神」を建学の精神とする大学です。排他的空気が蔓延する現代社会であればこそ、利他的人間の創造を強く打ち出したいと思います。

 

本願寺新報 9月20日号より (2017.9.21.更新)

赤色白色

 今年初め、映画『沈黙―サイレンスー』が全国公開された。この作品、江戸時代初期の「島原の乱」が鎮圧されて間もない頃、キリシタン禁制の厳しい日本に潜入したポルトガル人司祭が主人公。日本人信徒たちに延々と加えられる残忍な拷問と、悲惨な殉教に接して苦悩する姿が描かれている。

 原作者は芥川賞受賞作家の狐狸庵先生こと遠藤周作さん。敬虔なカトリック信者で知られ、キリスト教を主題とした数々の作品を残している。その遠藤さん、『歎異鈔』を好んで読み、また「これを読んだら、安心して死ねる文章があるとすれば、親鸞の和讃がそれかな」と語ったと聞く。

 『沈黙』の時代よりおよそ100年前。室町時代の永正年間(1504-21)から明治初期に至る約360年間、浄土真宗が禁制された地が人吉・球磨である。けれど圧制した為政者の思いと裏腹に、お念仏は脈々と受け継がれ、殉教した下球磨仏飯講創始者の山田伝助同行や十四人淵の悲話も綿々と語り継がれている。

 昨秋、人吉の大塚地区に残る「隠れ念仏洞」を踏査した。この洞は奥深い山中にあり、長らく誰も訪れていない。途中までの林道を4駆の軽トラで進み、後は道なき道を歩いた。ようやく辿り着くと、途端に皆が皆の口からお念仏が溢れ出た。苔むす洞内。初めはうら悲しくも思えた滴りが、やがて久々に聞く同行のお念仏に歓喜する涙に見えた。信教の自由が保障される今、先人のご苦労を忘却しないためにも、この洞が護持されていくことを願って止まない。

 

 『めぐみ』2017年夏 238号より (2017.8.18.更新)

「如月忌」開会式のお言葉 仏教婦人会総連盟総裁 大谷流豆美

 本日はようこそ「如月忌」にご参拝くださいました。このご法要は、仏教婦人会の創設にご尽力され、また、本部長として会の発展と社会事業に取り組まれ、昭和3年2月7日にご往生された九條武子さまを偲んでお勤めしております。

 武子さまは、特に大正⒓年に発生した関東大震災では築地本願寺で被災されながらも、他の被災者の救済に努められました。そして、東京真宗婦人会会長・六華園園長として広く社会事業にご尽力され、そのご遺志は今日まで絶えることなく受け継がれています。

 今年は武子さまがご往生されて九十年にあたり、現在、龍谷ミュージアムでは「特集展示」が行われています。先日私もうかがい、明治・大正という時代の中で、関東大震災における慈善活動とともに、仏教婦人会本部長・歌人・画家としての武子さまのお姿をお写真やお手紙を通じて偲ぶことができました。関東大震災の状況や救援・復興の様子が鮮明に映し出されている記録フィルムの中で、武子さまが被災された児童への愛護活動を行い、衣類を手渡しされたり、お世話をされているお姿に、また本願寺では仏教婦人会の皆さまが着物の縫い直しを懸命にされているお姿に心をうたれました。ともに阿弥陀如来さまのご本願を仰ぎ、み教えをよりどころとして活動されていたお姿を私たちもしっかりと受け継ぎ、次の世代へと繋いでいくことの大切さを感じました。まだご覧でない皆さまには、ぜひこの機会にご覧いただきたく存じます。

 武子さまは関東大震災の後に書かれたお手紙で、迫りくる火の手の中を逃げ延びた時、力と勇気を与えられたのが、親鸞聖人のみ教えであったと記されています。ご門主さまは去る十月一日の伝灯奉告法要のご親教の中で、念仏者の生き方を「仏法を依りどころとして生きていくことで、私たちは他者の喜びを自らの喜びとし、他者の苦しみを自らの苦しみとするなど、少しでも仏さまのお心にかなう生き方を目指し、精一杯努力させていただく人間になるのです」とお示しくださいました。私たちもみ教えを依りどころとして活動を続け、日々の生活を大切に送らせていただきましょう。

 本日はお寒い中をようこそご参拝くださいました。

本願寺新報 7月20日号より

 タルンジョット・シングさん

 広島で平和 学んだ 龍谷大学の留学生

 日本の文化や歴史を学ぶために、カナダ・バンクーバーから来日し、昨年㋇から宗門校の龍谷大学で学ぶ。安芸教区が「平和を願う念仏者の集い」にあわせて行う平和プログラムに招待され、ほかの国の龍谷大留学生とともに3日間広島で過ごし、平和について学んだ。「お寺にホームステイし、広島別院ではすべての戦争犠牲者を追悼する法要に参拝した。また、オバマ大統領とハグをした森さんと会って話を聞くなど、貴重な経験だった。一人の人間として平和を考える大切さを学んだ」と語る。

 1年間の学びを終えて㋇に帰国する。「日本人の優しさに触れた。ちょっとしたミスには叱ったりせず笑って対応していただき、いつも温かい優しさに包み込まれているようだった。夢は、人種や民族を超え、いろんな人が働ける会社を起すこと。日本の学びを生かしたい」22歳。

 

本願寺新報 6月1日号より(2017.6.19.更新)

 伝灯奉告法要御満座の消息

  昨年の十月一日よりお勤めしてまいりました伝灯奉告法要は、本日ご満座をお迎えいたしました。十期八十日間にわたるご法要を厳粛盛大にお勤めすることができましたことは、仏祖のお導きと親鸞聖人のご遺徳、また代々法灯を伝えてこられた歴代宗主のご教化によることは申すまでもなく、日本全国のみならず、全世界に広がる有縁の方々の報恩感謝のご懇念のたまものと、まことに有り難く思います。

 昨年の熊本地震から一年を経過し、甚大な被害をもたらした東日本大震災から六年が過ぎました。改めてお亡くなりになられた方々に哀悼の意を表しますとともに、被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。どれほど時間が経過しても心の傷は癒されることなく、深い痛みを感じてお過ごしの方も多くおられるでしょう。なかでも、原子力発電所の事故による放射性物質の拡散によって、今なお故郷に帰ることができず、不自由な生活を余儀なくされている方々が多くおられます。思うままに電力を消費する便利で豊かな生活を追求するあまり、一部の方々に過酷な現実を強いるという現代社会の矛盾の一つが

あらわになったということができます。

 自分さえ良ければ他はどうなってもよいという私たちの心にひそむ自己中心性は、時として表に現れてきます。このような凡愚の身の私たちではありますが、ご本願に出遇い、阿弥陀如来のお慈悲に摂め取られて決して捨てられることのない身ともなっています。そして、その大きな力に包まれているという安心感は、日々の生活を支え、社会のための活動を可能にする原動力となるでしょう。

 凡夫の身であることを忘れた傲慢な思いが誤っているのは当然ですが、凡夫だから何もできないという無気力な姿勢も、親鸞聖人のみ教えとは異なるものです。即如前門主の『親鸞聖人七百五十回大遠忌法要御満座を機縁として「新たな始まり」を期する消息』には、

 凡夫の身でなすことは不十分不完全であると自覚しつつ、それでも「世の中安穏なれ、仏法ひろまれ」と、精一杯努力させていただきましょう。

 と記されています。このように教示された生き方が念仏者にふさわしい歩みであり、親鸞聖人のお心にかなったものであるといただきたいと思います。このことは、ご法要初日に「念仏者の生き方」として詳しく述べさせていただきました。

 今、宗門が十年間にわたる「宗門総合振興計画」の取り組みを進めておりますなか、来る二〇二三(平成35年)年には宗祖ご誕生八百五十年、そして、その翌年には立教開宗八百年という記念すべき年をお迎えいたします。

 改めて申すまでもなく、その慶讃のご法要にむけたこれからの生活においても、私たち一人ひとりが真実信心をいただき、お慈悲の有り難さ尊さを人々に正しくわかりやすくお伝えすることが基本です。そして、同時に、仏さまのような執われのない完全に清らかな行いはできなくても、それぞれの場で念仏者の生き方を目指し、精一杯努めさせていただくことが大切です。

 み教えに生かされ、み教えをひろめ、さらに自他ともに心安らぐ社会を実現するため、これからも共々に精進させていただきましょう。

 平成二十九年

  二〇一七年    五月三十一日      

                          龍谷門主

                             釋 専如 

 

本願寺新報 5月1日号より(2017.5.17.更新)

 「赤色白色」 「山は笑う」は春、「山滴る」は夏、「山粧う」は秋、そして冬は「山眠る」。四季を「山」で表せるのは、温帯に位置する日本ならではのこと。3月下旬に、東京を皮切りに開花した桜前線も北上を続け、青森から津軽海峡を渡って北海道へ。間もなく今年の桜も最終盤を迎える。

 昨年10月1日から始まった第25代専如ご門主の伝灯奉告法要も残すところ、5月2日までの第8期、9日から16日までの第9期、そして24日から月末までの第10期となり、最終盤を迎えた。ここまでの法要には、日本各地からは言うまでもなく、遠く海外からも参拝があった。厳粛な法要にご縁を結び、感動して帰路につかれる御同朋・御同行の姿は生き生きとしている。

 1980年、62日間にわたって第24代即如ご門主(前門さま)の伝灯奉告法要がにぎにぎしく営まれた。その盛り上がりが、宗門を活気づけた。今法要もフィナーレとなる5月31日に向けて、大いに盛り上がってほしい。そして、若きご門主の門出にふさわしい、さわやかさ、明るさを内外に宣揚してほしい。

 前門さまは、即如門主組巡教記録『勝縁』の中で、「寺院活動には感動が不可欠」と示されている。時代は変わり、少子高齢化が進み、寺院の存在を再確認する必要がある現代だからこそ、あらためてこのお言葉を大切にしたい。寺院活動での「感動」とは何かを、僧侶と門信徒が一緒に再考していくことが、宗門を活気づけていくことだと感じる。

 

 『本願寺新報』4月10日号より(2017.4.17.更新)

海外3開教区の241人参拝

 専如ご門主の伝灯奉告法要第6期の3月31日、海外開教区第2次参拝団のメンバー、開教使241人が本願寺に参拝した。

 今回来日したのは、北米開教区191人(マウンテンビュ―仏教会36人、ロサンゼルス別院36人、アラメダ仏教会25人、バークレー仏教会25人、シアトル別院24人、オレンジ郡仏教会23人、ベニス仏教会22人)、ハワイ開教区49人、カナダ開教区1人の計241人。

 法要は阿弥陀堂で参拝。イヤホンから流れる同時通訳を聞き、英訳のしおりを見ながら、正信偈をおつとめし、日本の門信徒や僧侶と一緒に参拝できた喜びをかみしめた。

 法要に続いての「伝灯のつどい」では、モニターで海外参拝団が紹介され、メンバーたちは笑顔でカメラに向かい、大きく手を振った。御影堂で、ご門主とお裏方が英語で歓迎の言葉を述べられ、敬さまも英語で挨拶される様子がモニターに流れると、阿弥陀堂のメンバーたちは笑顔で、画面に盛んな拍手送った。

 アラメダ仏教会のジョアン・トウへイさん(75)は「とにかく感動!一生に一度の経験で、遠いアメリカから来たかいがあった。若いご門主にはエネルギーとパワーがあり、その後ろには伝統がある。期待している。」と語った。

 法要前には、3開教区合同のご門主とのご対面が安穏殿で行われた。各仏教会の代表者がご門主のお祝いの言葉を述べ、「これからも私たちをお導きください」と期待を寄せた。

 この日はあいにくの雨模様だったが、海外参拝団は白洲の手水舎で記念撮影をした。

 海外からの各団体は九州、関東、越後の別院やご旧跡寺院を参拝し、観光名所などを巡った。今後も南米開教区、オーストラリア、台湾各開教地の団体参拝が予定されている。

 

『大乗』3月号より(2017.3.10.更新)

 

御正忌報恩講 ご門主法話

  本年も、ようこそ御正忌報恩講にご参拝くださいました。全国から親鸞聖人をお慕いする皆さまがご参拝くださり、ご一緒におつとめをし、お念仏申させていただく、尊いご縁であります。このご縁にあたり、あらためて親鸞聖人がお説きになった浄土真宗のみ教えを味わわせていただきましょう。

 親鸞聖人は、比叡山で20年間ご修行をされました。しかし、煩悩がなくなることはなく、自己中心的な身であることに悩まれました。明日おとつめいたします『嘆徳文』には親鸞聖人のおこころを、「定水を凝らすといへども識浪しきに動き、心月を観ずといへども妄雲なほ覆ふ」と記されています。平らな水面を見ると波が立ち、月を見ると雲に覆われてしまうということであります。

 親鸞聖人だけでなく、仏教を説かれたお釈迦様の時代から、私たち人間の姿は変わりありません。それは、真実をありのままに受け止めることができず、自分の思いや執われの中で、悲しみ、苦しむ姿であります。

  親鸞聖人は、そのような私たちに対して、阿弥陀さまがはたらきかけてくださっていると明らかにされました。阿弥陀様のおはたらきの中で、私たちは真実を聞き、真実に気づくことができます。そのことによって、自分自身のありのままの姿、自己中心的な姿を知ることができます。

 現代は、先のことを予測することが難しい、不確かな時代です。そして、嘘や偽りを含む多くの情報があふれています。

 昨年一年間で注目を集めた英語としてポストトゥルース「ポスト真実」という言葉が選ばれたという新聞記事がありましたが、それは客観的な事実や真実が重視されず、感情的な訴えが政治的に影響を与える状況を意味する形容詞だそうです。これを受けて後日の新聞には、アメリカ大統領選挙を具体例として、「ネット社会では、脱真実情報が無料で拡散され、シェアされれば虚偽も真実に転化する」という記事が掲載されていました。

 そのような時代であるからこそ、親鸞聖人の「煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろづのこと、みなもってそらごとたはごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておはします」、「私どもはあらゆる煩悩をそなえた凡夫であり、この世は燃え盛る家のようにたちまちに移り変わる世界であって、すべてはむなしくいつわりで、真実といえるものは何一つもない。その中にあって、ただ念仏だけが真実なのである」というお言葉を深く味わわせていただきましょう。

 本日は、ようこそご参拝くださいました。

 

大乗』2月号より  (2017.2.14.更新)

「今あなたに伝えたい言葉」入賞作品発表

【最優秀賞】

 あなたより あなたを思う方がいる。

                   山﨑魁之さん(熊本県)

 あなたがあなた自身を見限りそうになった時にも、私は何もしてあげら        れないかもしれない。それでもあなたを見捨てない阿弥陀さまがいらっしゃるということをどうか忘れないでほしい。 

 

【優秀賞】

 あなたと出会えた事が私の最高のご縁です。

                池田愛実さん(東九州龍谷高等学校生徒)

 ご縁がなければ母や父や祖父母、友達、教師、恋人に出会えなかったし、その人たちがいるから今の私がいるので「あなたと出会えた事が私の最高のご縁です」にしました。

 

【優秀賞】

 また会おうね。キミとつながったこのご縁。

                     横井洋子さん(鹿児島県)

 結婚する娘が、小学6年生の時の出来事です。塾が休みで、真っ暗な道を遠い我が家を目指してひとり歩いたのでした。娘を失いかねかった恐怖が今もよみがえります当たり前など決してない。さまざまな縁が重なり今があるのだと…。多くのご縁に、おかげさまと感謝しつつ新しい家庭を築いていってと願うのです。

 

本願寺新報 1月20日号より

赤色白色

 囲碁のプロ棋士に勝ったり、車の自動運転など、人工知能(AI)の進化を示す情報があふれるようになった。いずれはAIが人間の悩、知識を超えると聞くと、何か空恐ろしい感じがする。人間とAIとの闘いといった、映画で見たようなことが現実に起きるのだろうか。

 ロボットやAIの台頭で労働市場にも大きな影響が出ると予想され、ダボス会議は世界15の国・地域で今後五年間で約510万人が職を失うとまとめた。

 宗門を取り巻く環境が加速度的に変わっている。かつてご法義地といわれた寺院の活動エリアから若者は去り、人が消えていく。求めたい情報は、それが正しいかどうかは別にして、ネットで簡単に手に入る時代。人の心を癒すロボットがあるように、大量の情報を基にAIが僧侶の役割を担うようになるという人がいてもおかしくない。

 伝道教団としての使命を果たすために、これからの日本社会で求められる僧侶像、寺院像としてまとめられた有識者からの提言には、「人のために生き、人と共に生きる一緒性」というあり方や、僧侶も門信徒も救いの上では同じ立場にあり、門信徒の方々も経験する人生の苦悩の中でご法義を味わい、「共感」のもとでご法義を共に聞かせていただくことの大切さが示されている。教えを説くという上から目線ではなく、老病死の苦悩を背負った生身の人間として、共に仏道を歩んでいく。これはAIには決してできることではない。

 

 

宗報 11・12号より (2016.12.11.更新)

巻頭言 「響灯」の音、響き伝灯奉告法要の幕開く  村上智真

 十月一日、秋晴れに恵まれて宗門内外のご来賓を迎えての法要初日、二千五百有余の満堂の御影堂。七条袈裟を着用された専如ご門主様・即如前門様の先導に「響灯」の雅やかな音色が静かに響き渡り、阿弥陀堂から御影堂に向かい縁儀列が参進いたしました。この度の法要に洋楽と雅楽が調和する楽曲が制作できたらとの願いのもとに、洋楽と雅楽に精通された作曲家・雅楽奏者の東野珠美さんに委嘱し「伝灯御光楽」が創作され、その過程で「響灯」という新たな楽器を依用することになりました。郷灯とは西洋生まれのチャイムを楽器として改良したもので、雅楽器・笙の古典曲に用いられる合竹の和音で構成することが独自の特徴です。二日目からの阿弥陀堂とご影堂をひとつの「御堂」と見立てての法要作法では「行道」を両御堂で同時に行い、ご転座の際も「響灯」が雅楽の中でとても荘厳な音色を響かせています。

 ご来賓を代表して世界仏教徒連盟のバン・ワナメッティ会長、ボーイスカウト日本連盟奥島孝康理事長のお祝辞は、日本の仏教界を代表し、引率される若きリーダーとして、専如ご門主への期待と激励の熱いメッセージでした。

 二日目からは国内外からの団体参拝と一般参拝、そして今までご法縁の薄かった方々の参拝。このうねりを明日の宗門の活力として宗門に関わる一人ひとりが使命感を持って歩んでまいりましょう。

                                      (副執行長・本山伝灯奉告法要法式本部長)

 

本願寺新報 11月20日号より (2016.11.23.更新)

赤光白光より

 秋も深まると、ご門徒宅でつとまる「在家報恩講」を思い出す。私の故郷の寺では代々、在家報恩講が受け継がれ、門徒は一軒残らず営んでいる。中学3年の時、住職である父について初めてご門徒のお仏壇に向かった。86歳の女性と息子夫婦、2人の小学生らしき孫が座り、一緒にお念仏し、正信偈をゆっくり唱えた。最初は気恥ずかしく、この場から逃げたい気持ちだったが、次第に安心した心地よさに変わっていったのを覚えている。

 その女性の「ただ手のひらを合わせ、お念仏させていただくしかない。そしてみんなが同じ方、阿弥陀さんの方に向いとったら、思いの違う者同士がひとつになれる。お慈悲の中ではみな兄弟。これが在家報恩講の心やと思う」という声が今でも胸に響く。

 「一つになれる」雰囲気の中で子や孫も育てられる世界を知らされた。お念仏を長く受け継いできた伝統が築く重み。それが、生活に根付き、そして土地に根付いていた。しかし、過疎化や核家族が増える中、在家報恩講はみるみる少なくなり、以前は家族ぐるみの営みであったのが、お年寄りだけのものになりつつある。

 伝灯奉告法要の「伝灯のつどい」でご門主は「家族や知人など身近な人にみ教えを伝えていただきたい」と繰り返し述べられている。互いに背を向けず、みな同じ向きになり「一つになれる」ことを喜ぶ機会として、在家報恩講の意義を今一度噛みしめ、おみのりの伝承と継続につなげていけたらと願う。

 

本願寺新報 11月10日号より (い2016.11.12.更新)

社会に求められる僧侶像・寺院像探り、具体策検討へ

 僧侶育成体系プロジェクト委員会が総局に答申書

 宗門総合振興計画で重点項目に掲げる「僧侶の本分の励行」を具体的に検討する「僧侶育成体系プロジェクト委員会」は、このほど「十年、二十年後の日本社会で求められる僧侶像‣寺院像」として答申書をまとめ、総局に提出した。

  同委員会は昨年七月に設置された。外部環境の分析や宗門の現状把握に始まり、約一年かけ「寺院像・僧侶像の検討」「新僧侶育成体系」「今後の進め方」など七項目にまとめた。特に、これからは寺院や僧侶が社会の要請に応えられなければ法灯の継承は困難だが、逆に応え続けていくことで、ご法義は相続されうるとして、僧侶、教師、住職、布教使、坊守の在り方を重点的に検討している。

 総局は答申書の提出を受け、各所からの意見などをもとに具体策の検討に入るとしている。

 なお、答申書全文は『宗報』十一・十二号合併号に掲載予定。

 

 

本願寺新報 10月10日号より (2016.10.20.更新)

 第25代専如ご門主が、浄土真宗のみ教え(法灯)を継承されたことを阿弥陀如来と親鸞聖人の御前に奉告され、そのみ教えが広く伝わることを願い営む「伝灯奉告法要」が10月1日に始まった。法要初日には御影堂での法要後、ご門主が「念仏者の生き方」と題されたご親教を述べられた。2日からは団体参拝が始まり、全国各地から多くの人々が法要に参拝している。法要は来年5月31日まで10期80日間営まれる。

 

 

大乗 10月号より (2016.10.11.更新)

「読者のひろば」より  

 8月号を読んで 三谷恭平(香川県坂出市)

「わたしの正信偈」で、玉木興慈先生がお示しくださったように、人間の死亡率は100%であるという事実を、私もなかなか受け入れることができませんでした。

 最近は、マスコミも超高齢化社会に向けて、アンチエイジングとか健康食品のコマーシャルが多くてうんざりです。確かに、いい老後に向けて健康に気をつけることは大切ですが、それは人生の目的ではありません。

 玉木先生が最後に書かれているように、大切なことは、必ず死を免れないわが身の後生の一大事を案ずべきことであるということが、60歳の頃からやっと実感として気づかされてきたように思います。

 

本願寺新報 9月10日号より(2016.9.16.更新)

 ご門主が初のご著書 「ありのままに、ひた向きに―不安な今を生きるー」(PHP研究所刊)

 専如ご門主が初めてのご著書『ありのままに、ひたむきに―不安な今を生きる』をPHP研究所から刊行された。

 ご門主は、難しい時代を生き抜くヒントになるようにと、これまでご縁の薄かった多くの人に向けて、浄土真宗のみ教えをもとにした生き方、考え方を語りかけられている。

 サッカー元日本代表でガンバ大阪の遠藤保仁さん、弁護士の大平光代さんとの対談からはご門主のやさしさが伝わってくる。

 「宗教や仏教、浄土真宗を知らない方にも関心を向けてただけるような文章を意識しました。み教えそのものというより、私自身や対談してくださった方の生き方や考え方を通して、自己中心的ではない、阿弥陀様の教えに照らされて生きる浄土真宗の生き方をお伝えできればと思っています」と丁寧に話される。

 

 

本願寺新報

 8月10日号より (2016.8.16.更新)

 みんなの法話 大田利生勧学

「バランスと少欲知足ー仏様の教えを聞き、欲望を制御する生活をー

 

 均衡を保つ自然界

 今朝もホトトギスの鳴き声が聞こえてきます。「夏は来ぬ」の一番の歌詞には、

 卯の花の匂う垣根に時鳥早も来鳴きて忍び音もらす夏は来ぬ

とあります。

 このように親しまれているホトトギスですが、いわゆる托卵する鳥としてよく知られています。ホトトギスはウグイスの巣に卵を産み、ウグイスはそれを知らずに温め、先にふ化したホトトギスのひなは、ウグイスの卵を巣から落としてしまうのです。ウグイスは、ホトトギスの雛を自分の子供だと思い込んで育てていくのですね。

 このような鳥の世界の話からバランスということが頭に浮かんでくるのでした。それは自然界は自然そのままでバランスが保たれているんだなあ、そして、人間はバランスをとろうとして、逆にそれを壊しているのかな、と思ったことです。

 日常生活の中でも、栄養のバランスを考える、バランス感覚がよい、悪い、バランスよくできている、などとしばしば使っています。ただ、このバランスも、人間の命を保っていくという意味ではあまり聞かれないようです。たとえば、あの人はバランスをとって生きておられる、とか。でも考えてみますと、体の諸器官がバランスよく働いて元気でいられるのですから、健康とはバランスのとれた状態といえましょう。

 ともかく、自然界はそのままで、また人間が生きていくということも、ともに均衡が保たれている。そういう状況だといえます。そしてそこには「少欲知足」ということばが大きな意味をもって現れてくるように思われます。それは「欲少なく足るを知る」ということを考え、実践していくところにバランスが保たれていく、そのように思えてくるからです。

 

 欲には限りがない

 欲望というものは限りがなく大きく膨らんでいく本性があります。新幹線ができるまでは、新幹線以上速い乗り物は考えません。しかし、いったん新幹線が走ると、そのスピード以上のものを求め、手にいれようと懸命になります。

 『無量寿経』のなかには、「田あれば田に憂へ、宅あれば宅に憂ふ」「田なければ、また憂えて田あらんことを欲ふ。宅なければまた憂へて宅あらんことを欲ふ」と説き明かされます。無いから求めるだけでなく、有っても有っても満足することがないということです。

 それは、こんな譬えで示すこともできるでしょう。手に砂を握っている人が、そのままでさらに砂をつかもうとしている姿です。砂にかぎらず、握っているものは手から放さなければ新しいものをつかむことはできません。さらに、つかむことのできないものまでつかもうとしていのが凡夫の私かもしれません。

 一歳ぐらいの幼児が外で遊んでいて、砂場に水道の水が流れている。それを一生懸命つかもうとしている。それは水が棒に見えているからだ。こんな話を保育専門の先生から聞きました。たまたま子供の話をしましたが、似たことは年齢に関係なくあるかもしれません。

 仏教では、欲望のことを煩悩と称して大きく取り上げ問題にします。それは、迷いの世界から悟りの世界をめざす以上、どうしても避けることができないからです。その場合、煩悩を断つという方向が一つあります。これは、ある意味で理解しやすいといえます。ただ、わかりやすいということと、実際に行ずるということは一つになるとは限りません。そこで今一つの立場が重要になります。それが、煩悩を制御していくという方向です。

 これは煩悩を否定してしまうのではなく、かといって、湧き起こってくるものをそのまま容認したり、放置するものでもありません。そこに、制御することの意味があります。

 少欲とは欲望をなくすことではありません。また知足の意味は、心が穏やかなことであるともいわれます。謙虚にこのことばの心を聞いていくべきでしょう。

 親鸞聖人はお手紙で「仏のちかひをききはじめしより、無明の酔ひもやうやうすこしづつさめ、三毒をもすこしづつ好まずして…」と説き示されます。深く味わいながら、念仏者としての生活を送っていきたいものです。