「住 職 ひとくち 法 話 」

(毎月1回更新いたします。)

住職法話では、法話を何回かに分けてお話ししてまいりましたが、このコーナーでは、これまで宝林寺の寺報「菩提樹」に書いてきた読み切りの短法話を掲載いたします。(これは表題のことばや写真、新聞の記事などを題材に、私が毎月書いてきたものです。)

菩提樹 第149号 2002年11月30日号より (2024.4.8,更新)

金子みすゞ「心の詩」お仏壇

「お背戸でもいだ橙、町の土産の花菓子も、仏さまのをあげなれりゃ、私たちにはとれないの、だけど、やさしい仏さま、ぢきにみんなに下さるの。だから私はていねいに、両手かさねていただくの。家にやお庭はないけれど、お仏壇にはいつだって、きれいな花が咲いてるの。それでうち中あかるいの。そしてやさしい仏さま、それも私にくださるの。だけどこぼれた花びらを、踏んだりしてはいけないの。朝と晩とにおばあさま、いつもお燈明あげるのよ。なかはすっかり黄金だから、御殿のように、かがやくの。朝と晩とに忘れずに、私もお礼をあげるのよ。そしたらそのとき思ふのよ、いちんち忘れていたことを、忘れていても、仏さま、いつもみていてくださるの。だから、わたしはそういうの。「ありがと、ありがと、仏さま。」

 黄金の御殿のようだけど、これは、小さな御門なの。いつも私がいい子なら、いつか通ってゆけるのよ。

 

   ご縁をいただいたお寺の寺報に上の詩が載っていた。

 みすゞの詩はやさしさがある、今の時代にかけているぬくもりがある。そう評されて、金子みすゞは時の詩人になった。

 マスコミでは、特定の宗教について語ることができないせいでもあろうか、みすゞの詩の特質を論ずることはあっても、詩人の土壌が、仏教なかんずく浄土真宗のお念仏のみ教えにあったことを報じたものは少ないように思う。

 「大漁」と題したこんな詩もある。

 「朝やけ小やけだ大漁だ 大ばいわしの大漁だ。浜はまつりのようだけど 海のなかでは何万の いわしのとむらいするだろう」

 念仏者にとっては、みすゞの詩にうたわれていることは、特別のことのようには思われない。いや、かつて仏教の教えに潤された日本人なら、誰でもがこのような感じを当たり前に共有していたのではあるまいか。

 人々がみすゞの詩を通して仏教の心、お念仏の心に触れていくことは何の異存もない。ただ願わくば、そのみすゞの心を育てた仏教の教え、真宗の教えにこそ、もっと耳を傾けてくれたらと思う。     南無阿弥陀仏             合掌  釋幸佛

菩提樹 第148回 2002年10月31日号より (2024.3.7.更新)

人生の実り

 柿は春に白い花を咲かせ、夏に実を太らせ、秋に見事な実をつけ、冬に葉を落として一年の勤めを終えていく。

 人生の春夏秋冬を終えて、一生の営みを終えていくとき、私たちは何を実りとして残すのであろうか。仕事、栄誉、財産、長寿、子供等。それぞれの立場で、これが自分の一生の実りでありますと、胸に誇るものがあるのだろう。

 しかし、それは本当に私たちの一生の実りとなるであろうか。仕事のために、栄達のために、お金のために、長生きのために、子育てのために生まれてきたのか。そう反問されると、ゆらぐものがあるの。

 仕事も名誉も財も長寿も妻子も、老・病・死の現実の前には真の実りとはならない。それを真実の実りと思って生きていくところに迷いがある。迷いのもとは、我執・煩悩という自己中心の智慧のない心である。私たちにとって真実の実りとは、煩悩のために迷いの人生を生きてきた私たちが、さとりの仏となって生死流転を解脱することである。

 真実の実りも知らず、また教えられても自らの力でその果実を手にすることのできない私たちのために、阿弥陀如来が、その手立てを南無阿弥陀仏と成就してくださっている。さあ、とってくれとさしだされた南無阿弥陀仏の名号の果実をいただく(信心)かどうか、それがそのまま私たち自身の人生の実り(往生即成仏)を手にするかどうかのきわとなる。

                           南無阿弥陀仏 合掌 釋幸佛    

菩提樹 第147回 2002年9月30日号より (2024.2.6.更新)

 「浄土真宗のみなさんは、お金持ちにはなれないかもしれませんが、宝持ちにはなれます」 釋瑞覚

 

 瑞覚さんは、道を求めて台湾より来日し、阿弥陀様のお心をいただかれた方である。

 「お金持ちであっても、不平不満のたえない人がいます。この人は本当に自分の望んだ宝を持っていないから、心が満たされないのです。お念仏の人は、おかげ様、もったいないが常に口に出ます。それは本当の宝をもらって心が満ち足りているからです。」

 「お金持ち」は、俺がの「我」にひきづり回されて、これでよいと足りることを知らず(貪欲)、思い通りにいかないとその障りとなった人やものに腹を立て怨みを抱く(瞋恚)、そして常に老病死の不安に怯えて生きている。それがために心に本当の安らぎがない。

 「宝持ち」は、お金という宝はないかもしれないが、お念仏という宝をもっている。この宝は功徳莫大で、自分でも手におえない貪欲・瞋恚の煩悩の氷を溶かし、仏を思う清らかな菩提の水にかえなして、さわりなきものにしてくれる。そして我にひきずられて生きた一生の悪業の報いに地獄に堕ちるべき私たちのいのちを、そのままお浄土に迎え取ってくださり、迷いの因たる煩悩のない仏にならせてくださる。

 煩悩の苦しみから抜け出し、2度と迷いの生死に生まれることがない、さとりの仏になりたいと、私たちが自分自身でそれとはっきり気づいていない心の奥底で無意識に求め続けている真実の願いを、阿弥陀様のお念仏はことごとく満たしてくれる。

 この宝をこそ手に入れなかったら、ほかに何をどれだけ手にいれようとも、所詮はいたずらごとである。  南無阿弥陀仏               合掌  釋幸佛

 

 菩提樹 第146回 2002年8月31日号より (2024.1.11.更新)

 座布団菩薩 林曉 宇 「小豆島日記」から

 平素は 家の人たちの お客があれば その客の 尻に敷かれる 座布団よ

 誰からも 礼を言われず 人に敬わられたこともなく 立派な役につくこともない

 偉い人だろうが つまらぬ人間だろうが 金持ちが来ようが 貧乏人が来ようが 

 黙って尻に敷かれる 座布団よ

 尻から尻に敷かれて 勤めば勤めるほど 汚れて うすくなって 位を次第に落とされ        

 て あげくの果てに 捨てられる

 座布団には 年功も 賃上げも 退職金も 年金もない 敬老会もない

 それでも座布団は 俺を差別したと言って 怒りもせず 俺を無視したと言って 腹も       

 立てない

 人権・生存権・男女同権…  権利をいっぱい持ちながら 信心だの 仏法だのと 口   

 にしている人間に どうして座布団の世界がわかろう

 座布団は今 これを書いている間も 私の尻の下で 黙々と 菩薩行を行じている

 「なんまんだぶつ」と言っている

 

  林曉宇先生が、座布団について感じたことを、私は便器に感じる。

 毎日するのが本当なのだが、いつも法座が近づくとあわてて便所掃除をする。しばらくしていないでいると、便器に小便の黄ばみがつき、流しそこねのうんこがこびりついていたりする。それをたわしと雑巾を使ってこすり落とす。

「おまえいつもすまないなぁ、自分たちのきたないものをみんな受け止めてくれて。おかげでみんな気持ちよくさせてもらっている。ありがとうな。磨いてやることしかできないが、堪忍してな。またみんなに気持ちよくおしっこやうんこをさせてあげておくれよ。」そう声をかけて、雑巾をかける。

 翻って思う。本当なら自分がしなくてはならないつらいことを、自分が出会ってもおかしくない悲しみや苦しみを、自分の代わりにその境遇を引き受けて、辛抱してくれている人がいるということを。まこと無数の菩薩に念じられ護られて私がある。大きなご恩の中に生かされてある私がいる。その大本に南無阿弥陀仏がある。  合掌   釋幸佛

   

菩提樹 第145回 2002年7月30日号より (2023.12.22.更新)

 末代無智の御文

「末代無智の、在家衆生の男女たらんともがらは、こころをひとつにして、阿弥陀仏をふかくたのみまいらせて、さらに余のかたへこころをふらず、一心一向に、仏たすけたまえともうさん衆生をば、たとい罪業は深重なりとも、かならず弥陀如来はすくいましますべし。これすなわち第十八の念仏往生の誓願のこころなり。かくのごとく決定してのうえには、ねてもさめても、いのちのあらんかぎりは、称名念仏すべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。」

 

 ある時、精米を頼まれて、車で出かけたついでに自動精米所によった。精米機の口に米を流しこむと、古米だったらしく黄ばみかかった米粒の間に体長5ミリほどの米虫が黒ゴマを混ぜたように無数に混じっていた。

 料金を入れて機械を始動させた。順番に米が流れこむように投入口はすり鉢状になっていて、機械が動き出すと米が精米口から流れ始めた。するとその米粒に混じってごそごそとうごめいていた米虫たちが、その流れに飲み込まれないようにと、先を争うように一斉にそのすり鉢状の米粒をよじ登ってきた。死ぬのが怖いのであろうか、必死になっている。蟻地獄のようなすり鉢の中にいて、強力な動力で吸い込まれるのだから、非力な米虫が逃れる術はない。

 見ている間につぎからつぎへと精米口の穴に飲み込まれていった。精米されたきれいな米を取り出すときには、あれほどわいていた米虫の姿は一匹もなかった。

 …なんでもない精米という行為の中に、平然となされた殺生罪を思った。吸い込み口に飲み込まれまいとして必死だった米虫の姿は、殺生罪の報いに地獄に堕ちていく私の姿だ。その地獄堕ちの所業を、それと承知しながらも、やめることができず、死ぬまでこの私は続けていかねばならない。

 きれにいなった米を袋にとりながら、胸でそんなことを考えていた。気が付くと南無阿弥陀仏が口の端にこぼれでていた。合掌                  釋幸佛

 

菩提樹 第144回 2002年6月30日号より (2023.11.11.更新)

「先生が好まれた言葉の一つには、「一生を終えて後に残るのは、われわれが集めたものではなくて、われわれが与えたものである」(三浦綾子著『続・氷点』)という言葉があります。そして先生ご自身も、この言葉通りの生き方を目指し実践していかれたように思われます。沢山の著述をもって数々の宝というべき心に染みるいる法話を遺してくださったのが村上先生です。まさに、その法語ははたらきとなって、多くの人々に与えられ、心のなかにいつまでも生き続けていくに違いありません。」

                 「村上速水先生の遺徳を顕彰する会」発起人会一同

 一生の間、馬車馬のように走りまわって、私たちはいろいろなものを搔き集める。金、名誉、土地、家、家族、健康。だが、そうして手に入れたものも、死んだとたんに雲散霧消してしまう。

 そのような人生のなかにあって、何がその死後に残るのかといえば、集めたものではなくて、与え続けたものである。

 村上先生の三回忌の記念追悼文集「不請之友」を読むと先生が物心両面にわたって与え続けの人生を歩まれてきたことがわかる。

 南無阿弥陀仏の名号は、阿弥陀様が与えんがために成就し、そのごとく与えてくだされたものである。阿弥陀様の名号をいただいたお釈迦様が衆生済度のために与えてくださり、お釈迦様からいただいた龍樹・天親・曇鸞・道綽・善導・源信・源空の代々の高僧方が与えてくださり、それらの師主知識からいただいた名号法こそ真実であると親鸞聖人が与えてくださり、聖人よりいただいた代々のご先祖が与えてくれたもの。それがお念仏である。いただいた者が与える者(仏徳讃嘆する者)となり、そうして次から次へと与え続けられたものなればこそ、南無阿弥陀仏は残ったのであろう。

 与えんがための阿弥陀様、師主知識のご恩が知られたら、「身を粉にしても報ずべし。骨を砕きても謝すべし」。いただいた者が与える者になってこそ本当にそのご恩に報いたてまつることになる。               南無阿弥陀仏   合掌 釋幸佛

菩提樹 第143回 2002年5月31日号より (2023.10.8.更新)

 シロのこと

 シロ。家に来て4年になる。柴犬の雌の雑種である。このシロに教えられたことがある。

 人間は言葉で互いの意志や感情のやりとりをする。一言が人を殺しもすれば生かしもする。だからその表現に気を遣い、余程大事に思っている。

 シロは一言も口をきかない。それでいて家族の皆と心を通わせ、私たちの心を慰め、癒し、励ましてくれる。学校で嫌な思いをした次女、クラブでくたくたになって帰ってきた長女、受験で緊張の日々の続いた長男、そんな子供たちへの心労の絶えない妻、そして仕事や世間の付き合いで気疲れした私。一人ひとりの抱えたものはみな違っても、それをどうしたのと訊くのでもなく、大丈夫だよと励ますわけでもない。それぞれの家族がそれぞれの仕方で、シロに呼びかけ、シロをなでる。シロはただ尻尾を振ってこちらのするままに、身をまかせているだけだ。だが、しばらくすると私たちの心は慰められ、優しい気持ちが蘇ってくる。(きっと私たちに対するシロの絶対的な信頼と好意の心に癒されるのだろう。)

 救いは言葉より先にある。それは、今ある状態をそのままに受け入れてもらえるということであり、その受け入れてくれる相手の心である。

 念仏によって私たちが日々の生活の中でいただく如来様の救いもこれであるように思う。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と称えていると「わかっておる、捨てはせんぞ。」の真実の願い(心)に癒されて、申し訳なさともったいなさから成る生きる力がふつふつと湧きあがってくる。 南無阿弥陀仏                合掌   釋幸佛

菩提樹 第142号 2002年4月30日号より (2023.9.15.更新)

 死・孤独の苦悩 耳傾け心いやす 「傾聴ボランティア」静かな広がり

 

「傾聴ボランティア」。生きる意味を見失い、死の恐怖や孤独感にさいなまれる人たちの言葉に耳を傾け、支えるのが目的であるという。

 浄土真宗本願寺派では、すでに10年以上も前から、こういう趣旨の活動をビハーラ活動と称して展開している。その活動の会員の一人として老人病院でお話しをしている私は、お参りくださる老人にとって、今日がその方がお聴聞する最後のお話し(臨終法話)になるかもしれないと思って、お念仏の話だけをしている。

  生に迷い、死に怯えている私たちに、阿弥陀仏という仏さまが、真実の生死の帰依処とならんがために、南無阿弥陀仏となってくださったこと。そして必ずこの命終わったら苦しみのない永遠の命の世界に生まれさせてくださり、迷いのもととなった煩悩のない仏としてくださること。その救いは、いまここで、われにまかせよとおっしゃる阿弥陀様の本願のおよびかけをそのごとく聞いて、おまかせする信心一つが定まった時に決まることを繰り返し繰り返し話している。

 「傾聴ボランティア」は尊い営みである。だが、生死を超える道がわからずに苦しんでいる人に真実の救いの教えが説かれなかったなら、どうしてその人が本当に救われようか。                     南無阿弥陀仏      合掌 幸佛

 

菩提樹 第141号 2002年3月31日号より (2023.8.17.更新)

 陸軍少尉 瀬田万之助 命

 生死の境を彷徨していると、学生の頃から無神論者であった自分が、今更のように悔やまれます。死後、どうなるのか?といった不安よりも、現在、心のよりどころのない淋しさといったものでしょうね。その点信仰厚かったご両親様の気持ちがわかるような気かします。

 何か宗教の本をお送り願えれば幸甚です。

 マニラ湾の夕焼けは見事なものです。こうしてぼんやりと黄昏時の海を眺めていますと、どうしてわれわれは憎しみ合い、矛を交えなくてならないのかと、そぞろ懐疑的な気持ちになります。 (昭和20年3月7日 フィリピンルソン島クラークにて戦病死)

 

 先日地区の戦没者追弔法要のご縁をいただいた。

 それにしても思う。鬼畜と憎悪した米国が戦後最も重要なパートナーとなり、絶対のはずの天皇制が、終戦の日を境にいとも簡単に捨てられ、敵視した民主主義が真実になるとは、この世はなんと虚仮なることか。敵に勝ち国体を護るために一身を捧げてくだされた方々は本当に死ななければならなかったのか。

 戦没者への報恩はいかにして果たされるべきか。経済大国となり、平和憲法の護持によってなされるのか。それもあると思う。

 だが本当の報恩とは、虚仮なる現実を作り、愚劣な戦争を引き起こした私たち自身の中にある愚悪さを克服することではないかと思う。なぜなら、それをしない限り、人間は同じ過ちを繰り返すからである。その愚悪さの元が我執である。自分こそが正義であるとし、自分の思い通りを通さなければ我慢できないその心こそ、一切の争いの元である。

 その我執を正す教えが仏教である。なかんずく我執が悪の根源であると教えられてもそれを自らなくすことのできない私たちのために、お釈迦様が特に選んで与えてくだされた阿弥陀如来の本願念仏の教えに導かれてこそ、戦没者に対する本当の追悼の誠を果たすことが出来るのであると、私は信ずる。         南無阿弥陀仏 合掌  釋幸佛

 

菩提樹 第140号 2002年2月28日号より (2023.7.14.更新)

 生きとし生けるものは遺伝子暗号でつながっている。 村上和雄(筑波大学名誉教授)

「またしばらくして大変なことがわかりました。これは是非覚えておいてください。それは、生きとし生けるもの、つまり細菌から植物、昆虫、動物、人間まで、しかも現在生きているものだけではなくて、過去の地球上に生きたすべての生き物は、まったく同じ遺伝子暗号を使っているということがわかったのです。これはすごいことです。(中略)この生き物にとって最も大切な遺伝子の暗号は、全生物の共有・共通で、同じ遺伝子暗号を使っています。ですから、大腸菌は、ヒトの遺伝子暗号を解読して、ヒトのホルモンとか酵素を作ることができるのです。遺伝子暗号が共有だということは、長い歴史から見れば、生きとし生けるものは、みんな兄弟か親戚かご先祖様であって、遺伝子暗号でつながっています。

 

 村上先生のこの文章を読んだときに、「一切の有情はみなもって世々生々の父母兄弟なり」という『歎異抄』の親鸞聖人のお言葉が思い出された。奇しくも最新の遺伝子工学の成果が、聖人の言葉の科学的根拠となった。

 村上先生は、人間は、遺伝子の暗号を読み解き、それを役立てることはできる。しかし、その暗号を書いたのは人間ではない。そこには人智の及ばない何か偉大な働きがあると思わざるえないと、述懐している。

 宗祖の別の言葉に、「この如来は智慧のかたちなり、十方微塵刹土にみちたまへるなりとしるべしとなり」がある。過去・現在・未来の三世にまたがって、いのちの営みを司り(無量寿 アミタ―ユス)、その智慧の光の届かないところはどこにもない(無量光 アミタ―バ)仏、それが阿弥陀仏である。

 何か偉大なはたらきに生かされている、と私たち自身が気づくより先に、私がそれをしているはたらきそのものであると、いろもかたちもなき法そのものの世界から、よるべなく生死をさ迷い続ける私たちのために、唯一の帰依の対象とならんがために、その名を示し、すがたを表してくだされたのが、南無阿弥陀仏である。    合掌   釋幸佛

菩提樹 第139号 2002年1月31日号より (2023.6.8.更新)

 人生の安全運転

 目的 人生の目的も知らず、いたずらに自分の欲を満たすことが幸せであるように思っ    ていた。迷いの凡夫である私が、2度とそのような迷いの生を繰り返すことのないものとなること、生死解脱が人間に生まれた目的である。

 目的地 その目的を今ここで解決していく後生の一大事の解決こそがまずもってめざすべきところである。

 地図 仏教、なかんずく浄土三部経に説かれた阿弥陀仏の他力本願のみ教えこそが、凡夫が生死解脱を成し遂げることのできるただひとつの地図である。

 尋ねる人 お釈迦様の教えをいただく有縁の善知識である。

 帰る家 そこから生まれ出た智慧と命の極まりない真如法性の世界、阿弥陀如来という親の待つ西方極楽浄土こそが、私たちの帰るべき家である。

 

 昨年暮れに地元の交通安全協会のお招きを受けてお話しをした。

 安全に運転するという場合、まず何のために運転するのかという目的、つぎにどこへ行くのかという目的地、そして地図の有無、さらには道を尋ねる人、最後に帰るべき家がはっきりしていことが欠かせまい。例えば、私の場合なら、運転の目的は布教、目的地は○○寺様、地図は道路マップ、尋ねる人は土地の人、帰る家は宝林寺。○○寺さんの布教を済ませて自坊に無事に帰着したとき、安全運転をしたといえるわけであろう。

 この安全運転の要素を人生の運転に当てはめてみると、ずいぶん危なっかしい運転をしている人が多い。人生の旅を始めたが、何のために生きるのか目的を知らない。どこへ向かって生きているのか、目的地も知らない。目的地を知らないから、行き先を正す地図も持たず、道を尋ねる人もいない。人生の旅の終わりはどこへ帰るのか。それも知らない。生まれた以上はとにかく生きなければならない。死んだら終わりとうそぶいて寿命というガソリンが尽きるまで、ただやみくもに生きていく。

 目は開いていながら、居眠り運転している人のようである。毎日車は安全運転しているのに、もっとも大切な人生の運転で迷走を続けている。

 仏教はそのような私たちの目を覚ませて、空過しない人生という本当の安全運転に導いてくれる教えである。       南無阿弥陀仏         合掌   釋幸佛

 

菩提樹 第138号 2001年12月31日号より (2023.5.9.更新)

曽我量深語録

 普通一般の人は、仏法を聞いて極楽へ参ろうと思うてるんでしょうし、また極楽へ往けると思うてるんでしょう。

 そういうもんでないでしょう、そりゃ逆でさあね、仏法聞いて地獄へ往くんでしょう、地獄へよろこんで往ける身になるんでしょうて…。

 

  きつい問いだった。「おまえの信心は自分一人の救いを貪っているだけのものでないのか」

 上記の曽我先生の言葉を読んだとき、『涅槃経』のアジャセが思い出された。父親を殺した報いに堕地獄を恐怖していたアジャセが、お釈迦様に救われた。その時の言葉「世尊、もしわれあきらかによく衆生のもろもろの悪心を破壊せば、われつねに阿鼻地獄にありて、無量劫のうちにもろもろの衆生のために苦悩を受けしむとも、もって苦とせず」と。

 仏法を聴いて極楽へ往ける者でないとわかった。往ける者でないからこそ、阿弥陀仏は地獄に落とされぬと誓って本願の名号(南無阿弥陀仏)を成就してくだされた。その名号をいただいたなら、何を恐れることがあろう。どこにいようとも、いつでもこの身は弥陀と一緒である。後生の闇が今ここで晴れた。もう自分の後生に用はない。弥陀のご恩に報いるためなら、尊い名号法を伝えんがために、地獄の果てまで訪ねて行って、苦悩する衆生を済度せずば申し訳がたたぬ。

 だが、その済度の仕事は阿弥陀様のお仕事である。私たちにすべきは、その円融無碍なる弥陀他力の法を喜びほめるばかりである。

 「唯能常称如来号 応報大悲弘誓恩」

 中村久子さんは、そこのところを「極楽をねがうこころは更になしただうれしきは弥陀の名号」とあっさり詠みきった。           南無阿弥陀仏  合掌 釋幸佛

菩提樹 第137号 2001年11月30日号より (2023.4.12.更新)

「聞く方がみな解かる」  曽我量深

「そのご質問は嬉しいねえ。でも下手をすると、いつの間にかその問いを忘れた売談家になるぞ」と仰って「世間の学問は、ものを知っている者が知らない者に教えるんだ。それが世間学というものだ。仏法は違う。仏法はな、なんにも知らん者が知ったような顔をして話している。聞く方はみな解かって下さるんじゃ。しゃべる方がなんにも解かっとらん者であっても聞いてる方がみな解かってくれる。あんたが偉いから話すのじゃない。聞いてくださる方々がみな尊いからこそ話させて下さるのよ。語るのじゃない。語らせて下さるのよ。私がここまで来たからあんた方もここまでお出でじゃない。出来ない私のままを聞いて頂くのよ」

 

 「いったい、こういう若僧が人の前に立っていいものか。何を語ろうとするのか。何を語り得るのか。袈裟、衣に甘えるだけのことではないのか」

 若き日に、布教使として生きる決心がつきかねていた時、雑賀正晃師の心を決めたのが、上の曽我量深師の言葉であったという。

 布教使になろうと思った時、私もやはり雑賀先生と同じことを考えた。その時浄土真宗の布教は、阿弥陀様のお慈悲の讃嘆である。讃嘆には言葉の稚拙はあっても、若い者は若い者の言葉で、老年の者は老年の者の言葉で、慶びを語ればよい。布教は自身の人生体験を語ったり、学んだ知識を話すことではないという真宗布教の原点を教えられて、私は布教使の一歩を踏み出すことができた。

 「聞く方はみな解かって下さるんじゃ」布教使として歩き始めて十年、曽我先生の言葉は、私自身の実感である。法座のたびに、皆さんの声にならない心の讃嘆の言葉をお聞かせいただいて、布教する私自身が育てられている。   南無阿弥陀仏 合掌 釋幸佛

 

菩提樹 第136号 2001年10月31日号より (2023.3.8.更新)

 この世において いかなるときも

 多くの怨みは 怨みによって決してやむことがない。 

 怨みをすててこそやむ。

 これは永遠の真理である。(法句経より)

  

 自爆テロによって最愛の人を殺された米国の人たちに「怨みをすててこそやむ」と説いても、聞く耳を持つまい。「やられたら、やりかえす」これが私たちの論理なのだろう。真理を聞いても聞き入れることができず、かえって怨みの火に自らを焼き、苦しみを増していく。無明煩悩に翻弄されて生きる私たちの姿がここにある。

 お念仏は、そのような私たちを救うために如来様がくだされたただ一つの救いの道である。「念仏申せ。必ず救う。動乱の娑婆世界とは違う清浄真実の世界に生まれさせ、苦しみの因となった無明煩悩のないさとりの仏にする。」

 この本願のお心が聞けた時、真実の救いは彼岸の世界に仰ぎながらも、浄土から差し込む智慧と慈悲の光に照らされて、自分の愚悪さと、その愚悪な私たちがつくりだす娑婆の救い難い動乱の様がはっきり見えてくる。愛と正義の名のもとに人殺しをするような者に、自身を救い、この世を救うことなどできることではなかった。自身の非力さ、人間愛の限界にはっきりと見切りがついて、すべてを如来の本願にまかせきったとき、俺が、俺がと握り続けていた我執の手がようやくにほどける。ただ念仏のみがまことであったと、真実の聞き得た喜びのなかのなかに称名させていただくとき、消すことのできなかった怨みの火が、弥陀のお慈悲よろこぶ報恩感謝の火に転成されて、さわりなきものになっていく。

 私たちの無明を破り、その無明によって造り出される愛憎渦巻くこの娑婆の濁水を清めてくれるものは、弥陀回向の本願念仏だけである。  南無阿弥陀仏  合掌 釋幸佛

菩提樹 第135号 2001年9月30日号より (2023.2.13.更新)

 初の所信表明演説を終え、報道陣に囲まれる小泉首相

 変われば変わるものである。あれほど政治に無関心だった国民が、国会中継の論戦を見、自民党政治の再生に期待をかけている。小泉首相の出現と、国民の意識の変化から教えられたことがある。

 一 諦めてはならないこと。変わらないものはない。意志のあるかぎり、変えることができる。 

 一 改革の意志ある指導者が必要であること。

 一 改革は常に原点に戻る運動につきること。

 一 改革は民衆を離れてはなされないこと。

 書き出しながら蓮如上人のことが思われた。垢の染みついた教団の体質は変わらないと思っていた。(蓮如上人はあきらめなかった)僧侶・住職は改革者たらんとするよりも保身に腐心してないか。(上人は比叡山を敵に回しても改革を断行した)真宗において、後生の一大事の解決、信心獲得という原点を忘れていないか。(上人は後生たすけたまへと弥陀をたのむ信心を勧めた)凡夫直入の教えでありながら、民衆を離れているのでないか。(上人は常に民衆とあった)

 500年前に蓮如上人がしてみせてくれたれことを、平成の現代に小泉総理が政治の世界でして見せてくれた。教団の改革は今でもやれる。そんな希望が見えた。

                      南無阿弥陀仏  合掌 釋幸佛       

菩提樹 第134号 2001年8月31日号より (2023.1.20.更新)

 

 悲しみの深さのなかに真のよろこびがある。 瓜生津隆真

 お念仏に救われた体験のある人でなければ、この法語を素直にいただくことはできないだろうと思った。

 ここに言う「悲しみ」とは、単に愛児に死なれた悲しみを言うのではない。煩悩に縛られて、そのような悲しい出来事を受け入れることができずに、なぜあの子は死んだのか、なぜ自分だけがこんな目にあうのかと、思い通りにならないこの世の無常を前にしてその苦しみから逃れることのできない私たちの現実の姿を人間のもつ「悲しみ」と言ったのである。善導大師はそれを「自身は現にこれ罪悪生死の凡夫曠劫よりこのかた、常に没し常に流転して、出離の縁あることなき」身であることと教えてくださった。

  「真のよろこび」とは欲を満たし、自分の思い通りになることがよろこびであり、幸せであると考えていた私の迷いを教えていただき、それでもその欲の心、思い通りを通したくてならない心をなくすことのできない私を、そのままに救うという摂取の光におさめとっていたたぎ、この命が終わったならば、もはや二度とそのような迷いの生を生きることのない者とさせていただいたことをいう。それを善導大師はまた「かの阿弥陀仏の四十ハ願は、衆生を摂受して、疑いなく慮なく、かの願力に乗じて、定んで往生を得」と教えてくださった。 

 「悲しみの深さのなかに」とあるのは、愛児に死なれた悲しみにとどまるのではなくて、それを縁として己の煩悩に苦しみ、その苦しみから逃れるすべをひとつももたない自身の罪業性のめざめを指していったものであろう。そしてそのような者のうえにこそかけられていた如来の本願をお聞かせいただいたとき、その罪深さの自覚のなかにいよいよ弥陀の慈悲の尊さを、かたじけなくもよろこばせていただけるのである。

  南無阿弥陀仏                     合掌    釋幸佛

菩提樹 第133号 2001年7月31日号より (2022.12.20.更新)

生死を超える道  林 暁宇

 清沢満之先生が、「わたしの信ずるところの如来は、わたしが信ずることのできる、信ぜざるを得ないところの如来である。わたしはこの如来を信ぜずしては、生きてもおらず、死んでいくこともできない。この如来を信ずるということは、私の智慧の究極である」といわれ、さらにこの如来を信ずるということの幸福は、「来世を待たず、現世においてすでに大いなる幸福をあたえたもう。この幸福はわたしが、日々夜々に実験しつつあるところの幸福である。」とおっしゃっておられます。

 

 「今のこの境遇は自分には過分である。」

 念仏の幸福感を口にだしたら、こんな感じではないか。 

1 欲ばることの愚かさを知らされて、程よく5欲(財・色・名誉・飲食・睡眠)の満たされ    てあることを喜べる身となりました。

1 人生の目的は成仏することであると教えられ、生に迷うことのない身となりました。

1 無量寿の国(浄土)に往生させていただくと知って、いたずらに死に怯えることがない身とさせていただきました。

1 浄土に生まれ、成仏という目的を果たす道はすべて如来様のご回向の南無阿弥陀仏に信順するひとつと聞いて何の煩いもなくなりました。

1 たのむ一念の信心が定まった時、摂取の光明に抱かれてある大きな安心の世界に出させていただきました。

1 如来様のお救いにあずかれるような値打ある者ではありません。それを思うと、いよいよそのご恩深きが思われて、感謝と報恩の心を知りました。おかげでやっと人間になれました。

 何もかも与えられて、何の不足もない。自分には過ぎた果報というしかない。

                                 合掌 釋幸佛

 

菩提樹 第132号 2001年6月30日号より (2022.11.12.更新)

肺癌をかかえて 佐々木敏郎 御堂さん7月号より

「十年ぶりの大喘息であった。その上、今回は肺癌も伴っている。生命の瀬戸際まで追い詰められると、お念仏申すことさえ不能になる。息をするのがせい一ぱいで、念仏する暇もなければゆとりもない。真っ暗な恐怖が全身をおののかせる。

 念仏を称えたから助かったのではない。助かった身を意識した時、ごく自然に念仏申していたのである。

 アノ塗炭の苦しみのなかで、何度か自死を考えた。鋭利な刃物で喉の奥を切り裂こうとさえ思ったのがウソみたいだ。

 

 

 あまりの苦しみに自死を思ったという。ちょっと意外な感じがした。と同時に「阿弥陀様のお慈悲の心をいただいたら、どこで死のうと、すでに弥陀の手のうちという大きな安心の中に、安んじて生死を超えていく道が開けるのです、とお説教で君らは説くが、実際その場面にであったら、そんなものではないぞ、もっと人間を勉強してこい」そうどやされたような気がした。

 しかしまた氏の文章を読みながら、改めて真宗の素晴らしさを思った。もし命の瀬戸際まで、心をしっかりたもってお念仏申すのでなくては救われない、とされたら、苦しみに心も散乱し、お念仏できない者は救われないことになる。だが、浄土真宗は違う。臨終の際に、苦しみに責められて仏を思う心ももてず、一声のお念仏を申すことができなくても問題ない。平生の時に南無阿弥陀仏のお名号のお心もち一つを聞信して、任せてくれが、弥陀の願いと聞いて、素直に任せて信順するたのむ一念の定まったその時、弥陀の光明に摂取されて、我が身の往生はその時もはや間違いのないものになる。

 老苦・病苦・死苦のために命の際にどれほどみじめなすがたをさらそうとも、弥陀の救いの働きは微動だに狂わない。私たちは持前のとおり死にさえしたらいい、まことに一から十まで、私たち凡夫の姿をご覧になっての行き届いたお手回しのご法義というほきない。

                         南無阿弥陀仏  合掌 釋幸佛

菩提樹 第131号 2001年5月31日号より (2022.10.7更新)

 

ホテルニュージャパンの火災に際して宿泊客を命がけで救助した元東京消防署の特別救助班の隊長の言葉

「現に救助を待っているこの一人の人をもし見捨てたのなら、この後何十人、何百人という人をたとえ救出したとしても、自分は消防士として一生後悔すると思ったのです。」

 

 「プロジェクトX」というNHkのテレビ番組で、上述の言葉を聞いた。救出の可能性はゼロではなかった。しかし一歩間違えば猛炎にのまれて救助に向かった隊員もろともに命を失うことになる。

 「自分がやろう」そう決心して飛び込んだ。その時の隊長の気持ちがこれである。他人の命を救うために自らの命をかける。消防士の方々の仕事はまことに崇高だと改めて思った。

 この方の言葉を聞きながら、私は如来さまの本願のお心を教えられた。市川幸佛を助けなくては、この先どれだけの者を救おうとも、阿弥陀とは呼ばれない。如来さまはこの私一人に命をかけてくだされたのであったか。「若不生者不取正覚」(必ず救うというわが心をそなたが信じて、そのためにそなたに差し向けたお念仏を一声なり称えて、もし、そなたが浄土に往生するということがないのであれば、私は悟りの仏とはなるまい) の誓いはまさにこの私ひとりをお目当ての誓いであった。

 救助の際に負った大火傷で入院していた隊長の耳にある知らせが届いた。決死の思いで救出したその人入院先の病院で亡くなったという。無念の悲しい涙が隊長の頬を流れた。

 もし私が本願を信受せず、むなしく生死流転の命へ還っていったなら、きっと真っ先に私のために泣いてくださる方、それが阿弥陀様なのだ。南無阿弥陀仏 合掌   釋幸佛

菩提樹 第130号 2001年4月30日号より (2022.9.12.更新 

 

地震ZERO

 地球上から地震をなくすため、坂本龍一らアーティストが力を合わせてキャンペーンソング「ゼロ・ランドマイン」を作った。曲が作られていく過程を紹介するとともに、坂本がモザンビークを取材、さらに地震に関する世界の国々に音楽の旅をした。

 

 音楽家にしてこの行動がとれるのに、僧侶たる自分は何をしているのか、責められるような気持ちで己にたずねた。…そうではない、念仏こそがただひとつの世界平和の道である。僧侶の私は念仏弘通一つに生きたらよい。

 人はなぜ無益な戦争し、地雷埋設などの愚行をやめれないのか。平和のために戦うという、その敵とは誰か。 

 争いの原因は、人々の胸に巣くう無明煩悩である。自己中心の思いに住し正しいのは自分だと、正義を握りしめた者同士が、互いの正義をかけて争う。平和の敵はほかでもない私たち自身の無明煩悩である。

 だが、無明煩悩が原因であると教えられても、それをどうすることもできない。いかにしてこの手強い敵に対抗していくのか。

 そのような煩悩に苦しむ私のために弥陀の本願念仏がくだされた。煩悩に縛られてどうにもならないおまえならばこそ必ず救うという如来の本願の心に本当に出会ったとき、人は初めて自身の罪深さ愚かさに気づかされる。正義をにぎりしめて、常に人を裁いていた自分の姿が見えてくる。

 法と刑罰で人の悪を外側から留めようとしても、業縁次第でどんなことでもしでかす人間の根本無明がなくならないかぎり、この世から争いはなくならない。その人間の無明煩悩を打ち破る教えこそが、真にこの世に平和をもたらすものである。

 念仏は私たちの煩悩を徳へと転成し、人間を内面から根本的に変革してくただ一つの道である。              南無阿弥陀仏         合掌  釋幸佛

 

菩提樹 第129号 2001年3月31日号より (2022.8.20.更新)

 

お坊さんの後ろ姿 『生かされて生きる』雑賀正晃著より

 あるお寺に布教して総代さんからお茶でもとさそわれ、そのお宅にお邪魔しました時、その総代さんが、「先生、私はいつもボン(坊ちゃま)に言うんです。なあ、ボンよ、学問の出来なさる偉いお坊さまになってもらわんでもいいがなあ、あんたが夕暮れの道を急ぎ足でお衣の袖をなびかせながら歩いていなさる。田圃で働いている人々が、ボンの姿を見て、思わず働く手をとめて、じっとボンの後ろ姿に手を合わして見送る…そんなお坊様になっておくれよ。なあ、ボンよ、なれるなれんじゃないぞ、そんな気持ちで大きくなっておくれよ、と話しているのです…」

 と語られた時、私は冷水を浴びせられたような気がしたことでした。

 

 この文章を読んだ時、自分の後ろ姿を思った。総代さんの願いは、一言でいえばありがたいお坊さんになってほしいということだろう。

 「学問して学階を上げ、相応な立派な衣で身を飾ることもできるでしょう。しかし外側を飾る額縁はどうでもいい。そんな額縁に私たちは手を合わせるのではない。あなたが仏弟子として一筋に道を求め、道を歩み、自らお念仏を信じ慶び、そのお念仏が血肉となって、歩む後ろ姿にそれがにじみでるような、道心堅固な道の人となってほしい。その道心に私たちは手を合わせずにおられないのです。」

 真宗の僧侶の道心とは何か。出家として一人清らかな高みに留まるのではなく、在家の日暮しの中に、人々と共に泣き笑いしつつ、その俗人生活に溺れがちな私たちにかけられた弥陀の本願を仰ぎながら、人々の先頭に立って往生浄土の道を歩む。まさに親鸞聖人の生きざまそのものであろう。

 とてもそのようになれないのはわかっている。しかし「なれるなれんじゃないぞ、そんな気持ちで大きくなっておくれよ。」ご門徒様の願いをわが願いとして生涯念仏の一道を歩みたいと思う。              南無阿弥陀仏  合掌  釋 幸佛

 

 

菩提樹 第128号 2001年2月28日号より (2022.7.22.更新)

 

なつかしき みな死ぬる 人と思えば なつかしき    木村無相

 

 ひどい仕打ちに泣かされたが、あの人もやがては自分と同じように死んでゆく。こんなに金持ちでえらいんだと、ふんぞりかえっているこの人も、やがて死んでいくのか。そう思うと、どの人もみんななつかしい。

 このなつかしさの正体はなんだろう。この世では勝った負けた、儲けた損した、愛した憎んだと、悲喜こもごもの人間劇を演じていく。だが死んでしまえば、そうして手に入れた地位も財産も愛もみな無に帰する。

 ある時は、敵となり味方となり、富者となり貧者となり、夫となり妻となりして、束の間の人生劇を演じてきた。しかしその劇の幕が下がって、楽屋にかえり、身につけた化粧や衣装を全部とってみたら、真っ裸のお互いがそこにいた。

 万人に平等に訪れる死。その死という無常のフィルターを通して見た時、無に帰するもののためにあくせくと一生をに過ごす自分の愚かさが、透けて見えてくる。いろいろなもので身をかためながら、実は何も身に着けていない裸の王様の私。だが、己を見つめた無常の眼差しを転じて、人生劇の共演者のだれかれを眺めてみると、皆がそろってその愚かさの中にあることが見えた。皆同じか。

 自分の愚かさを笑いながらも、その愚かさを一歩も出ることのできない人間のもつ悲しみへの共感。この詩のもつユーモラスな哀感はそれだろうと思う。

                   南無阿弥陀仏        合掌  釋幸佛

 

 

菩提樹 第127号 2001年1月31日号より (2022.6.14.更新)

 

 ダイエー再建前途険し

 スーパー大手のダイエーが、再建に向けて新体制を発足させたという。

 老舗の仏教教団である浄土真宗本願寺派はどうであろうか。仮に末寺を店舗に見立て、参詣人を客にたとえてみる。年数回の法要ですら本堂が満堂にならず、しかも次代のお得意様となる若い客層がない。まさにお先真っ暗である。一私企業ならとうの昔に潰れて当たり前の状況が、宗教法人だからかろうじて命脈を保っている。そんなところであろうか。

 本願寺の商品は昔からたった一つである。本願念仏(他力の信心)これひとつで、800年におよぶ時代にを生き抜いてきた。人々の意識と生活の形態が劇的に変化した時代をいくつも越えてきた。それは南無阿弥陀仏という商品が普遍の真理であったからである。生老病死に苦悩するお客様(衆生)がある以上、そのためにある南無阿弥陀仏は必ず売れる。なんとなれば、このお念仏は阿弥陀仏よりの賜りものの品であって本願寺という人間教団の製造物ではない。扱っている商品に間違いがない以上、その販売不振の責任は私たちの営業力不足にある。僧俗が一丸となって、いま一度本願寺の商品は本願念仏ひとつであると腹を決め、自らこの品をいただき(自信)、人々にこの法を勧めていく(教人信)なら、教団の再建は決して難しいことではないはずだ。     南無阿弥陀仏            合掌 釋幸佛

 

菩提樹 第126号 2000年12月1日号より (2022.5.19.更新)

 

 池山栄吉語録(死ぬ7日前の言葉)

 何も残るものはない。

 何も残るものはない。

 ただ念仏だけが残ってくれる。

 ただ念仏だけが残ってくれる。

 えらいこったよ。

 ありがたいこったよ。   (京都 遍照寺寺報より引用)

 

 法友の寺報に紹介されてあった上の言葉が目に止まった。2年越しの願いがかなって、新居が本堂の横に建ちつつある。大きなものだ。だが、それを仰ぎ見ながらいつも思う。自分の亡き後、この家もやがては消えていくことだろうと。一生の間、人は夢を求め、夢を実現して喜び、夢が叶わないで悲しむ。しかしいかなる夢をかなえようと、握りしめた砂のように、いつかはするすると消散していく。そして握りしめた当のその人もまた、一場の夢のようにはかなく消えていく。後には何も残らない。存在の証となるようなものは何も残らない。喜びも苦しみも何も残るものはない。ただその後にそのような無常の命を流転させることのない浄土より響流した弥陀の本願念仏だけが、幾世紀の時空を超えて残っていく。ちょうど二千数百年前、遠いインドにおでましになられたお釈迦様のみ教えが、私にまで届いたように。たよりない私たちがいかにはかなく消え去っていこうとも、そのたよりなくはかない衆生のいのちをことごとく永遠不滅の真如界につれてゆく念仏だけは残っていく。それは途方もないこと、人智を越えた「えらいこったよ」、そしてもったいないほどに「ありがたいこったよ」。        南無阿弥陀仏              合掌 釋幸佛

 

菩提樹 第125号(2000年11月30日号)より  (2022.4.11.更新)

 

 高橋尚子、強さの秘密 小出義雄

 「自分でひとりで育ってきたと思っちゃいかん。小出は40何年の経験で、お前の性格を見て、お前の体を見て、昨日はこういう練習をやってきた、1週間前はこういう練習をやってきた、だから今日はこの練習をやるんだ。小出は弱くさせようと思って、このスケジュールを立てているんじゃないんだ」

 だから小出のいうことを聞け、というのだが、「いや、私は今日は疲れてます。ジョッグします。」と、ヘソを曲げる。

 ちょっと強くなると、分かったような錯覚を起こすのだ。そういう子は、あるところまで行くと、もうそれ以上は強くならない。監督が「もっとこやってやれ」というと、「でも…」と反抗して、もめる。それでだいたいは辞めていくケースが多い。性格が本人の成長を妨げている。

 高橋は、走ることがうれしくて仕方ないから、

「私50までやります。50歳になっても、一生走りますからね。」

だから、監督ずっと見ていてください、というのだ。ともかく、性格が素直の一語につきる。だから強くなる。                (『君ならできる』小出義雄著)

 

 このくだりを読んだとき、正信偈の「唯可信斯高僧説」を思った。「生きるために必要な水や空気さえも与えられて生かされているのに、少し科学が進んだとなったら、すぐいい気になって、自分はひとりで生きているように思ってしまう。生かしてくださる法のはたらき(本願他力)を知ろうともせず、そのような法のはたらきが、いま現に南無阿弥陀仏となって私に届いているから、その名号の心ひとつをいただいてお念仏もうせというお釈迦様の教えさえも聞こうとしない。阿弥陀様は五劫も思惟し私たち凡夫の救いを考えてくださり、兆載永劫のご修行をして凡夫往生の手だてを南無阿弥陀仏にしあげてくださったんだぞ。そしてお釈迦様は私たちを救いたい一念で、その生涯をかけてお念仏を勧めてくださったんだ。お釈迦様は衆生を迷わせようと思ってこんな教えを説いているんじゃないんだ。なぜそれを素直に聞けないのか。」聞かないばかりに、往生浄土即成仏の大益をみすみす無にして生死流転を繰り返す私たち。それを見たとき宗祖は釈迦の正意を明かしてくださる高僧方の説を唯信ずべしといわれたのであろう。   南無阿弥陀仏           合掌 釋幸佛

 

菩提樹 第124号(2000年10月31日号)より (2022.3.10.更新)

 

 生きぬいて (大平光代著)

 父のいないときを狙って帰り、家の中をめちゃくちゃにして出ていく。卑怯者、本当に卑怯者だった。母からむしり取ったお金で遊び、そのうち暴力団ともつきあうよにうになっていた。 

 「どこへ行っても受け入れてもらえなかった。仲間がほしい。ひとりぼっちはいやや。自分の居場所がほしい…」

 そんな気持ちでいた私が行き着いたところは、暴力団の世界だった。そして、気づいたときには、暴力団組長の妻となっていた。

 

 大平さんは、中学生の時いじめを苦に自殺を図る。その後非行に走り16歳で極道の妻となり刺青を入れた。養父に出会って立ち直り、中卒で司法試験に合格し弁護士として働いている。

 「どこへ行っても受け入れてもらえなかった。仲間がほしい、ひとりぼっちはいやや。自分の居場所がほしい…」

  すべての人の胸にある苦しみ、願いはこれであろう。阿弥陀仏の光明に摂取されるとは、このような苦しみから救われ、その願いが満たされることである。

 かわいい自分を守ろうとして、誰もが自分の心の周りに堅い殻を作り、弱い自分を見せまいとがんばっている。人に認められたい私は人を認めてやることができない。自分を守れば守るほど人々はその殻に閉じこもって孤独となっていく。

 弥陀の光明は、このような私自身の愚かな姿を照らし、それだからおまえを捨ておくわけにはいかぬとそのままに認め抱きとって、自己愛の堅い殻を溶かしてくださる。お念仏いただくその場が安息の居場所となる。

 批判することも、裏切ることも、見捨てることもない真実の友、師、親となって、生涯連れ添ってくださる。

 不実な人間を当てにすることを捨て、本当のたよりとしてわれをたのめと名のり出てくだされた仏が南無阿弥陀仏である。

  南無阿弥陀仏                         合掌 釋幸佛

 

 

菩提樹 第123号(2000年9月30日号)より (2022.2.11.更新)

 

善人なほもって往生をとぐ、いはんや悪人をや。しかるを世のひとつねにいはく、「悪人なほ往生す、いかにいはんや善人をや」。この条、一旦そのいはれあるに似たれども、本願他力の意趣にそむけり。そのゆえは、自力作善のひとは、ひとへに他力をたのむこころかけたるあひだ、弥陀の本願にあらず。しかれども、自力のこころをひるがへして、他力をたのみたてまつれば、真実報土の往生をとぐるなり。煩悩具足のわれらは、いづれの行にても生死をはなることあるべからざるを、あはれみたまひて願をおこしたまふ本意、悪人成仏のためなれば、他力をたのみたてまつる悪人、もっとも往生の正因なり。よって善人だにこそ往生すれ、まして悪人はと、仰せ候ひき。(歎異抄 第3条)

 

 柔道の田村選手が念願の金メダルを手にした。長年の忍耐努力がようやく報われた。だが、その金メダルという頂点にはたった一人しか立つことができない。一人の金メダリストの蔭にどれほどの人の涙が流されたことか。

 思えば私たちの世界は、金メダルを目指しての熾烈な競争社会である。経済競争、出世競争、学歴競争など。人より努力し忍耐した者だけが勝ち残っていく。

 私は運動音痴で田村選手のような才能も精神力も忍耐力もない。最初から競争に参加する資格すらない人間である。田村選手に声援を送るのが精一杯である。

 もし仏道においても自力精進の者だけがさとりを得るというのであったら、柔道において傍観者であった私は、仏道において立派な仏道を歩む聖人を仰ぎ見るだけの傍観者となっていたことだろう。

 厳しい競争原理にさらされながら、その競争についていくことも、参加することもできず、よしんば参加できても、とても金メダルを手にすることはできないと、この娑婆の世界で苦悩の涙を流している私たちこそ、一番の救いの目当てとしてくだされた弥陀の本願。

 娑婆の原理にない弥陀他力の絶対の救いの法は、常人の耳には入らないかもしれない。しかし、この救いの法があればこそ、この私にも成仏の道が開かれたこと、しみじみとありがたく思われた。           南無阿弥陀仏     合掌      釋幸佛

 

菩提樹 第122号(2000年8月31日号) (2022.1.15.更新)

 

 布教について  山本仏骨

 要するに布教は技巧ではない。あくまで信念と人格の流露であって、そこからいえば布教を勉強するよりも、宗学をまなび、信念と人格の錬成につとめる方が、より効果的ともいえる。われわれはかかる本末を誤ってはならない。そして生涯をかけ、生命を打ち込んで勉強すべきである。

 

 布教使になって、ちょうど8年。ようやく山本和上の言葉の意味がわかりかけてきた。

 法が伝わるのは、知識でも話の技術でもない。その話す人が、本当にその頂いている法を自らの生命としているかどうか、その一点にある。和上の別の言葉に「器用で巧者で、ただ人に感動を与えればいいというようなものは、布教としては下の下である」とある。自分は長い間、下の下の布教を目指していたのではなかったか。

 以前あるお寺にお参りした時、ご住職様からこんな話を聞いた。

 「私はたいてい寺にいて、庭の草をひいたり、掃除をしたりしています。街に飲みに行くことはありません。そうしておかないと葬式や法事の時に、僧侶としての落ち着いた気持ちになれないのです。」

 普段は仏とも法とも思わない放埓な生活をしていながら、法座の時だけありがたそうな法話をしようとしても、それはできない相談であろう。法が自らの生命になっていないのに、それを話しの技術・技巧で繕おうとしても無理な話である。

 まことに仏骨和上のいわれる通り、布教は信念と人格の流露である。生涯をかけ、生命を打ち込んで勉強すべきものであろう。だが、それは布教使としての特別の修練をすることではない。ただ、一筋に仏弟子としての日々を歩むことである。

    南無阿弥陀仏                      合掌   釋幸佛

 

菩提樹 第121号 (2000年7月31日号) (2021.12.11.更新)

 

守りの伝道から攻めの伝道へ   佐々木俊朗

 いま私どもの宗門は、危機的状況に立たされている。仏教と大衆社会との乖離である。

 聴聞の場につくのは、ほんのごく一握りの老齢者だけ。その人たちだけを対象にした伝道教化、一般大衆を放り出したままにしている、これを守りの教化だと言いたい。

 攻めの伝道とは、仏とも法ともわからぬ一般社会の人々と、互いに共通し合える場をまず構築することだ。言葉を変えていうのなら、寺の門をひらき自ら社会のただ中へ飛び込んでゆくことである。宗門という枠の中で、でんと居座っている時ではない。創造的に、ともに教えを仰ぐ場を形成してゆく。それが攻めの姿勢だ。(「伝道」第53号より)

 

  宗門の危機とは、そのまま真宗末寺の危機でもある。佐々木氏と同じ危機感で悩んだ時、私はこんなことを考えていっぺんに気が楽になったことがある。

 「宝林寺のご門徒さんが高齢化してお参りの人が減り、ご門徒の数が減ろうとも、生死の苦海に沈む人が無数にあるかぎり、お念仏の救いが消えてなくなる心配はひとつもない。いただいた教えが真実であり、真実を求めて、苦しみから逃れたいと願う人々がいる限り、仏弟子としての私のつとめが不要になることなどありえない。宗門という教団やお寺の存続が大切なのではないし、名号法は私の力で弘めるものでもない。真実は真実自らがそれを証しする。私はその真実さをただ生涯にわたって素純に讃嘆し続けて一生終えたらそれでよいのだ。すでに還る世界はいつでも用意されている。迷いはない。」

 僧侶が僧侶としてのつとめを果たし、寺が寺としてのつとめを果たしていく。1日1日の積み重ねを離れて、教化は伝道もない。   南無阿弥陀仏   合掌    釋幸佛   

 

菩提樹 第120号 (2000年6月30日号)  (2021.11.12.更新)

 

林泰男被告に死刑

「およそ仰ぐべき師を誤るほど不幸なことはない」。29日東京地裁で開かれた公判で、地下鉄サリン事件で8人もの死者を出した「実行役」オウム真理教元幹部林泰男被告(42)に、教団による一連の事件で3人目の「死刑」を宣言する前、木村烈哉裁判長が被告に対して述べたこの言葉が、この教団の理不尽さを一言で言い表していた。初公判から3年。他の「実行役」たちより2年近く遅れて最後に登場したにもかかわらず、この日が早く来るよう急いできて、追いついてしまったように見える被告は、覚悟のためだろう、言い渡しの瞬間、ほとんど表情を変えなかった。(編集委員-降旗賢一)

 

 「家に帰って仏壇に『死刑になったよ』と孝子に伝える。返事は帰ってこないが、孝子もそれを望んでいたと思う」。母親の記者会見の弁。林被告は、拘置所内で手製の仏壇を作り、被害者の冥福を祈っているという。死刑判決は当然の報いとわかっても、林被告のご両親はその胸を悲しみで塞いだことだろう。

 しでかした所業を前に「なぜこんなことをしてしまったのか」と言えば、その所業の被害者が「なぜこんなことになったのか」といわれない不運を嘆き、恨みと怒りをむすぶ。殺された側が今度は法をもって殺す者となる。

 如来様は皆を救いたいのだ。林被告も、その林被告の所業のために死んでいった人たちも、罪を犯した子をもつ親も、理不尽に子を殺された親も、みな救いたいのだ。

 私がしてもおかしくないことを林被告がして見せてくれた。私がそうなってもおかしくないことを遺族の母親がして見せてくれた。

 煩悩につきうごかされて愛と憎しみの苦海に沈没している私たちのこの世の諸相を見るにつけ、苦しみの一切ない清浄真実の浄土を建立し必ずそこに生まれさせ、苦しみの因となった無明煩悩のひとつもない仏にするぞと誓われた如来様のご恩深きを思わずにおられない。  

                       南無阿弥陀仏 合掌   釋幸佛              

菩提樹 第119号 (2000年5月31日号)  (2021.10.8.更新)

 

 坊主の心得三ケ条

 第一にすべきこと便所の掃除

 第二にすぺきこと朝夕の勤行

 第三にすべきこと自身の勉強

 

 「これが前住の口癖でした」とご門徒さんを前にしてご住職が話されているのを講師部屋で聞いた。ありし日り前住様の面影をしのびながら、その口癖を有難く承った。

 便所の掃除を一番の心得にしていることに、はっとさせられた。だれもが使うところでありながら、一番きたないところだから、だれも掃除したがらない。その便所を真っ先に掃除すること。

 坊主たるもの、常に施す人であれ、尽くす人であれ、高みにとまることのない人であれ、黙々と努める(精進)する人であれ、慈悲の人であれ、そう前住様は教えたかったのだろう。

 いかに聖典を読み学問しようと、どれほど毎日の勤行を欠かさず勤めようとも、もし体の不自由な老人のために荷物をもってあげることもできないようなら、その学問は仏の心を学んだことにならない。その勤行は僧侶としての勤めは果たしていても、仏の徳を本当に讃嘆したものになっていない。

 仏教を学ぶとは、仏の大悲の心を学び、慈悲を行う人となること。その教え(仏道)の尊さにであったら、仏のご恩徳を讃える勤行を欠かしては申し訳あるまい。そしてしかる後自らの徳を高めて、いよいよ多くを施せる人になれるように努め励めよ。三ヶ条の順番はこんな心持から決まったのではあるまいか。  

 いつも自分を先とする心のなくせない私ではあるが、この三ヶ条は自分の心の口癖になっている。   南無阿弥陀仏                      合掌 釋幸佛

 

菩提樹 第118号 (2000年4月30日号) (2021.9.11.更新)

 

 花びらは散っても 花は散らない

 人は去っても 面影は去らない              金子大榮

 

 布教使になって間もない頃、村上速水先生から3年先の秋の彼岸会法座への出講のご依頼を受けた。1日三座、1週間のご縁であるという。勧学であられる村上先生の前で、ご法義の筋目の通ったご讃嘆ができることを目標に、私は21話の法話づくりに励んだ。

 お約束の3年はすぐにたった。散場のお講や老人施設での法話以外、私の法話すべてを先生はお聴聞してくださった。帰って来てからお手紙をいただいた。1週間勤めたことをねぎらってくださり、法話について先生がお気づきになったことを懇ろにご指摘くださった。そしてその後にまたお手紙をいただいた。この時の驚きを今も忘れない。「あなたのお話のあの部分は間違っています」と頭から決めつけられても、ただ「そうでありましたか」とうなづくしかないような、かけだし布教使の私に対して、真剣に法を求めて、お尋ねくだされた。私は精一杯の回答をしたためて先生にお送りした。

 先生がご往生されてもうじき2か月になる。葬儀に参列して、笑顔の先生のご遺影を拝しながらお焼香をしたとき、先生の清らかで誠実な人柄が偲ばれた。道を求めて一仏弟子として歩まれた先生の面影が、私の歩むべき道を示す確かな道標となって心にとまってくださっていることをはっきりと感じた。   南無阿弥陀仏           合掌 釋幸佛

菩提樹 第117号 (2000年3月31日号)  (2021.8.15.更新)

 

人生を荘厳するもの

『大無量寿経』

 「法を聞きてよく忘れず、見て敬ひ、得て大きに慶ばばすなわちわが善き親友なり」

『観無量寿経』

 「もし念仏するものはまさに知るべし、この人はこれ人中の芬陀利華なり」

 

 人が幸せになるための5つの条件、健康・お金・名誉・愛情・仕事。しかしお釈迦様は違うと仰る。なぜならこの世の道理は諸行無常であり、老・病・死を前にしては、いかに5つの条件の不変を願っても、それらはかなわない。ただ「思い通りにならない」苦しみの種となるだけだと仰る。

 しかしそれなら何が私たちを本当に導き、何によって心が満たされるのか。お釈迦様はおっしゃった。たよりとならない5つの条件にしがみつく、その迷いの元となった無明煩悩のないさとりの仏となり、生死流転を解脱すること。

 しかし、そう教えられても、それをなすことのできない私たちはどうしたらよいのか。南無阿弥陀仏はそのために仏のかたより成就し回施くだされた成仏道である。

 如来の大悲のお心を頂いて、お念仏申す身となった時、空過の人生を瞬時に絶つことができる。如来の深い恩恵を知って、感謝の念を起こし、報恩の行に転ずる。感謝と報恩の心こそ、人の心を豊かに満たすものである。

 そしてこのような信心の念仏者を、お釈迦様は「わが善き親友なり」と喜んでくださり、また「この人はこれ人中の芬陀利華なり」と、その徳を褒めてくださる。人間の一生を荘厳(飾る)するものとして、お釈迦様のお言葉にまさるものがこの世にあろうか。合掌 釋幸佛

 

菩提樹 第116号 (2000年2月29日号)  (2021.7.9.更新)

 

 人生の目的  五木寛之

 人生の目的は、「自分の人生の目的」をさがすことである。自分ひとりの目的、世界中の誰ともちがう自分だけの「生きる意味」を見出すことである。変な言いかただが、「自分の人生の目的を見つけるのが、人生の目的である」と言ってもいい。私はそう思う。   

 そのためには、生きなければならない。生きつづけていてこそ、目的も明らかになるのである。「われあり、ゆえにわれ求む」というのが私の立場だ。

 

 五木さんはいう。「人生の目的は、自分にとって人生の目的は何であるかを探すことにあり、そのためにはとにかく生きることだ。」

 しかし、もしそうだとしたら一生を目的探しで終わってしまうかもしれない。

 人生の目的も知らず、確かな生死の帰依処をもたず、一生を空しく終えていく私たち。そのような私たちが、その迷いの元となった無明煩悩をもたない仏となって生死流転の命を終えること、それが人間に生まれた目的であると教えられとき、私は本当の落ち着き場所を得た。

 南無阿弥陀仏のお念仏は、その目的を自らよく果たすことのできない私たちのために仏の方から成就して回施くだされた成仏道である。

 五木さんはこのような仏教の教えも、浄土真宗の往生浄土のみ教えも壮大な物語として信ずべきひとつの思想として著書の中で紹介している。

 だが、知識として他力をどれほど知っていても、自分自身の生死の問題として体ごと他力にまかせていかないのであれば、何の意味もない。仏教は私が仏になる教えである。

 分別心にとらわれて人生の目的に右往左往している相がまさに迷いの凡夫の相そのものであることに気づかれて、そういう私たちのためのご苦労がお念仏でありましたかと、五木さんが自分の身の上で本当にお念仏をよろこんでくださることを念じてやまない。

   南無阿弥陀仏                      合掌 釋 幸佛

菩提樹 第115号 (2000年㋀31日号)  (2021.6.7更新)

 

救済者の立場に立つとニセモノになる。ウソが出てくる。      梯 實圓

 

 僧侶はわけても心にとめておくべき言葉である。

 しかし、救われていなかった者が、救われたのだから、今度はその人が救う側に回るのは当然だし、それが如来様への報恩でないのか。そう考える人があるかもしれない。

 しかし、そこが念仏者の落とし穴である。ご回向の信心とお念仏をいただきながら、いったんいただいたとなると、それを振りかざして人を救うなど、身の程を忘れた憍慢心でしかない。

 救っていただく以外に助かる術のない私がそのままに救われたはずなのに、救われたとなると、自分すら救う力のなかったことも忘れて人を救う力があるなどと思いあがってしまう。

 己のすがたを忘れて、真理(お念仏)をわがものとした独善者(ニセモノ)に転落する。自己の信心体験をよりどころとする言葉に名利心の染みついたウソが出始める。

 報恩とは私が人を救うことではない。私でも阿弥陀様は救ってくださったと、そのお徳を讃えてお念仏申させていただくことである。その無私の讃嘆の念仏が、人々の耳に伝わり、念仏で一切衆生を救うという弥陀のはたらきのお手伝いをさてせいただくのである。

 「無慚無愧のこの身にて まことのこころはなけれども 弥陀の回向の御名なれば 功徳は十方にみちたまふ」

 宗祖の立たれたこの場を失うと、念仏者がかえって阿弥陀様のはたらき(名号)のさまたげをするようになる。                 南無阿弥陀仏 合掌 釋 幸佛

 

菩提樹 第114号 (1999年12月31日号)  (2021.5.9.更新)

 

 ダメな人間なんてあるものか

 人間はみんなすばらしいんだ

 

 東井義雄先生の言葉をとってみた。これを「すばらしい人間なんてあるものか。人間はみんなダメなんだ」と改めたら読む人の胸がふさぐだろう。だが、それが実際なのではあるまいか。

 初詣には、無病息災・家内安全・商売繁盛と自己中心の祈願をする。縁次第では、殺人・盗み・浮気をもする。世渡りのためには嘘をつき、おべっかをいう。人のためによいことをすると、吹聴し手柄にして認めてもらいたくてならない。そんな私たちのどこがすばらしいのであろうか。

 真宗の僧侶であられた先生がそれを承知の上で、「ダメな人間なんてあものか。人間はみんなすばらしいんだ」と言われたのはなぜであろうか。長年の小学校校長の経験から、子供のもつ個性や、成長の可能性などを感知されて、先生はこのような言葉を残されたのかもしれない。

 だが私は思う。「人間はみんなダメなんだ。すばらしい人間なんてひとりもいないんだ」。しかし、そのようなダメな人間が、ほかでもないそのような者であるからこそと仏の願いをかけられて、必ず仏になるべき可能性を秘めている。その一点において、「ダメな人間なんてあるものか。人間はみんなすばらしいんだ」といえるのであると。

 おそらく東井先生の言葉の心底にあるのはお念仏であろう。

                 南無阿弥陀仏           合掌 釋幸佛

菩提樹 第113号 (1999年11月30日号)  (2021.4.9.更新)

 

 ただ念仏して弥陀にたすけられまいらすべし

 

 さてここで、親鸞聖人の仏道に目を向けてみたく思います。それは法然上人もまた同じ道を歩まれているのですが、「真宗」の念仏者として、お二人はどのような仏道を歩まれたのでしょうか。「ただ念仏して阿弥陀仏に救われなさい」という説法のみの、ご一生であったとうかがえます。そこには何のはからいも、力みも見られません。たんたんと人々に念仏を勧められている。ただそれのみです。

                 岡亮二著「仏教家庭学校」(教育新潮社発行)

 

 お受験にまつわる親同士の確執から二歳の幼女が殺された。子を失った親の苦しみ。罪に悩む犯人の苦しみ。犯人にも親があろう。子の罪に泣く親の苦しみ。苦悩の涙は誰が拭ってくれるのか。

 無念のうちに死んだわが子。今は弥陀の浄土に生まれて尊い仏様にならせていただいたと知って親の心は安らぐ。親が悲しみのなかに犯人を恨み続けていくなら、死んだ子の心は安らぐまい。犯人と自分。立場こそ違え、共に自分の思い通りになるのが当たり前と思って生きていた凡夫でありましたと、自分の内に同じ罪を認めて初めて相手を許せるのであろう。

 犯人の女性は一生の間幼児殺しの罪を背負って生きていくことになるのであろうか。業縁次第ではどんなことでもしでかす私たち。「さればそれほどの業をもちける身にてありけるをたすけんとおぼしめしたちける本願」である。ひとたび自らの罪を悔いて、一心に弥陀をたのむならば必ず救ってくださる。救われゆく世界があればこそ、犯人もその親もその苦しみを拭われるのであろう。

 無明煩悩の業苦に苦悩する私たちを、弥陀は苦しみの一切ない浄土に生まれさせ、苦しみのもととなった無明煩悩のない仏にすると誓われて、その願を南無阿弥陀仏と成就してくだされた。「必ず救う。われにまかせよ。」の弥陀の心を聞いた法然、親鸞の両祖が「ただ念仏して弥陀に助けられまいらすべし」と私たちに勧めてくだされた。

                     南無阿弥陀仏      合掌 釋幸佛

菩提樹 第112号 (1999年10 月 31日号)  (2021.3.7.更新)

 

 話し合い法座などでしばしばこういうことを聞きます。「念仏者にとってもっとも大事なことは、自らが信心喜ぶ身になること、信心獲得が何よりも先です。信心喜ぶ人が増えれば自然と差別もなくなりますよ」という考え方です。これはなによりも信心を優先し、信心喜ぶ人が増えれば、差別もなくなるし、乱れた社会秩序も段々くなっていきますよ、という信心優先型です。

 信心第一、何よりも信心優先とすることによって、人々の苦悩に関わる社会性の問題、とりわけ部落差別をはじめとする人権の問題、戦争と平和、環境の問題などの、大きな課題から逃避することを根拠づけ、現実の人々の苦悩を見えなくさせ、事実を直視させることを甘受させる安全弁の役割を果たすことに繋がるからであります。即ち信心第一主義は、差別の問題に関わらなくてもすむ、大義名分を得る根拠となるのであります。

                                    後藤法龍

 

 後藤氏の主張に疑問を感じた。浄土教の根本思想である厭離穢土欣求浄土を忘れ、宗祖がただ一つの真実とされたお念仏を捨てて、この世を自らの力で理想社会にすることをめざしているかのようだ。

 自らの煩悩によってこの世を火宅とし、安らぐ場所をもたない私たち。それを悲愍して如来は清浄真実の浄土を建立してくださり、仏にすると誓われ、そのための行を念仏にしあげて回向してくだされた。

 業縁次第でどんな悪でもする人間の無明煩悩の心を変えなくては、いかに立派な法律を作り制度ができても無意味となろう。それを運用するのは人間だからである。だからこそ根本的な人間変革の道が求められる。その道こそ煩悩を転じて徳となす浄土真宗の念仏の教えではないのか。

 凡夫なればこそそのまま救うと誓われた如来の大悲誓願の声に呼び覚まされて、自己の迷いの姿に気づき、すでに光明のうちに摂取されてあった自己と知る。その時煩悩がそのまま転じて菩提となる。

 如来の恩を知ってわが身の罪深さに慚愧するとき、この娑婆で煩悩のために罪を犯し、愛と憎しみのはざまで苦悩する人の悩みをわがこととして泣くことのできる共感の世界が開かれる。

 念仏弘通のほかに社会変革の道を求め、それによって信心を定めようとする考え方は、如来の心を忘れて、念仏のみぞまことと身証してくだされた宗祖一代のご恩にも違背するものではなかろうか。                          合掌 釋幸佛 

 

菩提樹 第111号 (1999年9月30日号)  (2021.2.11.更新)

 

 憲法17条

 二にいはく、篤く三宝を敬ふ。三宝とは仏・法・僧なり。すなはち四つの生れの終りの帰、万の国の極めの宗なり。いつの世、いづれの人か、この法を貴ばざらん。人はなはだ悪しきもの鮮し、よく教ふるときはこれに従ふ。それ三宝に帰りまつらずは、なにをもってか枉れるを直さん。

 

  大地震・台風被害。自然災害には目をつむろう。だが、母親による息子の保険金殺人、東京・山口での無差別殺人。これらはみな人の仕業である。娑婆の五濁悪時悪世界を見聞するたび、真実の浄土を憶念せずにはおれない。

 だが、それにしても私たちはどうしたのだろう。思うのは、人々の心に正しい教えが失われたことが、すべての問題の根本にあるのではないかということである。

 「それ三宝に帰りまつらずば、なにをもってか枉れるを直さん」

 聖徳太子の憲法十七条の言葉を改めて思う。正しい法によらなかったなら、我執にとらわれた邪な私たちの心をいかにしてただしていけるのだろうか。

 我執我欲の心をたよりとして、その心に引かれるまま生きている姿は、あたかも闇夜に明かりをもたず歩む人のように、大海に羅針盤をもたずにこぎだした船のようにたよりない。

 この時代いよいよ道を説くべき僧侶の責任は重い。

                     南無阿弥陀仏  合掌    釋幸佛

 

菩提樹 第110号 (1999年8月31日号) (2021.1.15.更新)

 

 葉っぱのフレディ

 「ぼく 死ぬのがこわいよ。」とフレディが言いました。「その通りだね。」とダニエルが答えました。「まだ経験したことがないことは こわいと思うものだ。でも考えてごらん。世界は変化しつづけているんだ。変化しないものは ひとつもないんだよ。春が来て夏になり秋になる。葉っぱは緑から紅葉して散る。変化するって自然なことなんだ。きみは春が夏になるとき こわかったかい? 緑から紅葉するとき こわくなかっただろう? ぼくたちも変化しつづけているんだ。

 死ぬというのも 変わることの一つなのだよ。」 

           (『葉っぱのフレディ』レオ/バスカーリア著・みらい・なな訳)

 

 アメリカ人の哲学者が書いた童話が大人にも読まれている。

 いのちに固定的な実態はない。常に移り変わる中に存在し、死もまたその変化の一過程にすぎない。落ち葉となったフレディは死んだのではなくて、土に帰って新しい葉や枝のいのちとなったのである。いのちは終わることのない永遠の営みである。

 表面的には無常・無我の生死観が語られているが、作者の生死観には涅槃寂滅という、本当のいのちの終わりが説かれていないと感じた。

 フレディのように人間もまた死んだら土に帰り新しい人間へと生まれ変わるのであろうか。無明ゆえに愛憎に苦しみ、老苦・病苦・死苦の人生を生きてきた。その人間生を再び得ることが、私たちの救いになるのであろうか。そうではあるまい。そのような永遠の生死流転の迷いの生から、苦しみの一切ない清浄真実の世界に生まれ、流転の生を解脱して迷うことのない仏となることこそ、本当に救われるということでなくてはならない。それが真に永遠のいのちの世界に帰るということである。      南無阿弥陀仏  合掌 釋幸佛

菩提樹 第109号 (1999年7月31日号) (2020.12.10.更新)

 健康であることが目的か?  生きることの意味

 「そこに、もうひとつ大きな問題があります。健康で長生きは決して目的ではないんだということをはっきりしてほしいのです。どういう事かと言いますと、私たちは自分が生きているということの意味とか、自分が生きるということではたす使命、生きるということで果たす役割ということを自分なりに持って、そして、私は人間として生まれて生きているのだ、そして、生きるという意味はこういうことであって、こういう役割を担って、こういう使命を持って生きているのだ、そのことを実現するために健康でなければならないということです。

 生きることの意味が分かっていて、その上で健康と長生きというのなら順序はよいのですが、「健康で長生き」ということが一番大事になってひとり歩きしているのです。

  

 田畑正久著「今、力強く生きる道ー老病死の現場で見えてくるいのちー生」より

 

 ある生協のポスターに「生協に入って元気で長生き」とあった。

 しかし、必ず老い、病み、死んでいくという無常の道理の前に、そのような「健康で長生き」が幻想でしかないことを、なぜ私たちは率直に認めることができないのであろうか。

 「健康で長生き」願望の背後には、「死んだら終わり」という考えがあるのだろう。死んで終わりなら、こんな楽なことはない。しかし自分が一生の間してきた業の報いをただ死んだというだけで、すべてご破算にしてもらえるというようなうまい話しがどこの世界にあろうか。煩悩にひきずられた一生の業の報いは未来永劫の生死流転である。

 無明のゆえに苦しむ私に永遠の光明をさずけ、死に怯える私に永遠のいのちの世界を用意し、過去・現在・未来の三世の業障をすべて消滅して、必ず浄土に往生させて仏にする。それが弥陀の本願である。

 この私の願いを聞いて、かならず成仏する身となる。人は仏法を聞くために人間に生まれ、仏法を聞いて本当の人間になる。   南無阿弥陀仏     合掌   釋幸佛

 

菩提樹 第108号 (1999年6月30日号)  (2020.11.21.更新)

 「信心の社会性」  中央基幹運動推進相談員 小笠原正仁

 「信心の社会性」が提起されてきた背景は、教団が差別事件をおこしてきたことです。つまり、「同朋教団」を標榜しながら、教団内に歴然とした差別を温存してきた我々の差別体質が問われたのです。それは、たとえば、穢寺制度であり、過去帳差別記載でした。我々の教団においては、阿弥陀仏の絶対的救済を、阿弥陀仏よりいただく信心として説いてきたのですが、その信心をいただくものが平然と差別をし、差別を見抜けなかったのです。

 そのように、わが教団において差別を是認し、差別を見抜く力がなかったということは、信心が、社会問題に対して全く無効であるということになり、ひいては我々の主張する「同朋」とは幻想であるといわざるをえないということになるわけです。

 

 自身の信心の世界にこもって他者の苦しみに鈍感な私たちを覚醒させるものが「信心の社会性」にはある。

  しかしそれでも違和感を感じる。差別に苦しんできた人々は、水平社による部落解放運動が展開されるまでは、一人も念仏で救われなかったのだろうか。

 救いとは、今ここで、そのままに救われることである。差別のただ中にあって、その差別がひとつの障りともならない絶対の自由な救いの世界をいただくことである。

 その絶対の自由な世界とは、まさに娑婆とは不実でどうにもならない世界であると見限り(厭離穢土)、そのような不実不条理な世界を産み出す元はほかならない私たち人間の持つどうにもならない無明煩悩のしわざであると、お互いの人間業のあさましさを慚愧し、そのうえで、そのような業にあえぎ苦しむ私たちのうえに、そのまま救うとかけられた本願の御心ひとつをいただき、真実の世界である浄土を憶念する(欣求浄土)信心によって開かれるものである。

 念仏者の社会との関わりは、どこまでも一人一人が自分自身の罪深さにめざめていく中で、差別のもとにある自身の我執我欲の心をためなおされていき、それによって社会の差別動乱を浄めていくように関わっていくべきものであろう。    合掌     釋幸佛

 

菩提樹 第107号 (1999年5月31日号) (2020.10.20.更新)

 考えてみれば、教えがあるのに、教えのままに伝わらないのは、どこに問題があるのか、伝える方法がまちがっているのか、伝える人間が問題なのか、われわれはそれを時代のせいにし、激しい社会の流れの故にと責任を転嫁しながら、右往左往してはいないかということをしっかり考えてみたいものです。

 たしかに言い得ることの一つに、道を伝える者への不信があると思うのです。

                   藤沢量正(出口湛龍編『この道』より)

 

 真宗の法座衰退の原因は何か。

 昔若き七里恒順師が破仏家の説の盛んな様を憂い南渓師に答えを求めた。その時の師の答え。「恐るべき第一の難とは、坊主、同行の無信仰と無道徳。これほど恐ろしい大問題はないぞ。坊主、同行が目覚めて、信仰にもとづき道徳を堅固に守っていくならば、百千の仲基・篤胤(ともに破仏家)が一度に来ようが、さらに恐るべきではない」。

 上掲の藤沢師の文も同じ趣旨をついたものであろう。法座がすたれ、教えが衰退しているのは、時代や社会の流れのせいではない。そのようなもののせいにして自己の無信仰、無道徳に目をつむって生きている私たち僧侶こそ、獅子身中の虫であろう。

 しかしまた、それが衰退の原因であるならば、法座の衰勢を挽回し、教法の衰退を隆盛に導くことは難しいことではないはずだ。なぜなら原因のすべては私たち自身にあるのだから、僧侶自身がその無信仰と無道徳を改めるならば、法座は蘇り、教法は隆盛していくにちがいない。しかもその始まりは、他に求める必要がない。ここから、この私から始めたらよいのだから。          南無阿弥陀仏           合掌  釈幸佛

菩提樹 第106号 (1999年4月30日号)  (2020.9.16.更新)

 イルカ「いつか冷たい雨が」

雪の降る駅のかたすみで

だれにもいたずらされないように

うずくまっている年老いた犬

パンをあげても見てるだけ

時が来れば汽車にのる私

泣く事のほか何もしてあげられない私

 

広い道路の真中で

ひかれてしまった三毛猫

その上を何台もの車が通りすぎていく

思わず目を閉じてしまった

私を許してください

みんなだってそう思っていると信じたいのです

 

牛や鳥やお魚も

人間のためにあるのよ

さあ、残さずに食べなさい

そんなふうにいうお母さんにはなりたくありません

でも私だって食べて育ってきたのだし

虫だって殺したこともあります

 

だから、だからお願いです

もう役にたたなくなったら捨ててしまったり

自分本位でかわいがったり

小さな檻に閉じ込めて

ばかにしたり、きたながったり

人間だけが偉いんだなんてことだけは思わないでください

 

人間以外のものたちにも

もっとやさしくしてください

同じ時を生きているのだから

朝がくれば夜もくるし

生まれてそして死んでいく

私が土になったら

お花たちがそこから咲いてください

 

 学生の頃に初めて聞いたこの歌を、先日久しぶりに聞いた。念仏に通ずる清澄な悲しみが歌詞の底に流れているのを感じた。

 「小慈小悲もなき身にて 有情利益はおもふまじ 如来の願船いまさずは 苦海をいかでかわたるべき」「無慚無愧のこの身にて まことの心はなけれども 弥陀の回向の御名なれば 功徳は十方にみちたまふ」(親鸞聖人ご和讃)

 浄土の慈悲でなければ間に合わない。私が私の悲しみに涙するより先に、私のために泣いてくだされた方がある。南無阿弥陀仏の弥陀である。          合掌 釈幸佛 

 

 

菩提樹 第105号 (1999年3月31日号) (2020.8.21.更新)

 桜について

 桜はなぜあのようにいさぎよいのか。だだもこねず、散る時にはさっさと散っていく。桜は知っているのだ。散って終わりでない命を生きていることを。

 花は散って地に落ちた。花びらは褐色にかわり、花はいつしかそれとはっきりわからないすがたになった。もはや花の姿はとどめず、色も形もない命そのものとなって地にしみた。透明な命そのものとなった桜の花の命はその根に吸われ、次の年また次の年の花となり、葉となり枝となるべく無窮の命の円環に還っていった。

 永遠の命を盛った有限な肉体の器が終わる時、その器に盛られた私の命そのものは、そこから生まれ出た透明な智慧と寿の世界に還るのだと、桜のように知れたなら「死にたくない」と執着することもないのだろう。

 死ぬも生きるも南無阿弥陀仏。すべては南無阿弥陀仏の自然の理のなかにある。 

                       南無阿弥陀仏     合掌 釈幸佛 

 

菩提樹 第104号(1999年2月28日号) (2020.7.6.更新)

筆者の言葉  五木寛之著『他力 大乱世を生きる100のヒント』

<他力>と書いて、<タリキ>と読みます。よく<他力本願>などと安易に使われますが、じつはこの他力は、出口なき闇の時代にギラリと光る、日本史上もっとも深い思想であり、すさまじいパワーを秘めた<生きる力>です。

 もはや現在は個人の<自力>で脱出できるときではありません。法然、親鸞、蓮如などの思想の核心をなす<他力>こそ、これまでの宗教の常識を超え、私たちの乾いた心を劇的に活性化する<魂のエネルギー>です。この真の<他力>に触れたとき、人は自己と外界が一変して見えることに衝撃をうけることでしょう。

 

 特定の宗教を文学の土台としない五木寛之さんが、こういうものを書いてくれたこと、有り難く思った。

 ただ、その念仏(他力)讃嘆の調子には何か異質なものを感じた。救われた自身の喜びの上からの讃嘆でなく、現代という時代をうまく生き抜くための一つの知識・方法として他力本願を捉え、そのような知見を得た喜びに終わっているように感じられたからである。

 末尾の「衝撃をうけることでしょう」にも、引っかかった。お念仏に出遇う(真に他力に触れる)ということは、もっと深々とした人間存在の覚醒であろう。

 それは仏の願いに背き続けていたことへの慚愧と、そのような者なればこそと願い続けていてくだされた仏の大悲を知った歓喜とが交錯して、しみじみとご恩喜ぶ称名となって実感されるものである。 

                         南無阿弥陀仏   合掌 釋幸佛

菩提樹 第103号(1999年1月31日号)  (2020.6.10.更新)

浄土真宗の原点  大峯 顕

 蓮如上人における浄土真宗の再興もまた、信心そのものの再生、浄土真宗が説いてきた他力の信心をその源泉の発生状態へかえすという仕方でおこなわれのである。それはたんに教学の再興や教団組織の拡大という次元での表面的な改革でなくて、これらのものの根底にある信仰それ自身の次元にまでもう一度たちもどり、そこから発動した内部改革である。既成の土台はそのままにしておいて、その上にただ新しい建物を建てるというような増築工事ではなく、信心という浄土真宗の基礎そのものの工事のやりなおしなのである。

                                                                                                       大峯顕著『蓮如のラディカルリズム』から

 

蓮如上人の五百回遠忌法要が終わった。法要は衰退した教勢を回復させるカンフル注射となったろうか。むちろんそんな意図を隠しての法要ではない。どこまでも上人のご行跡をしのび、そのご恩徳に報いるための法要である。

 しかし、宗門人であれば、誰もがこの法要を機に一宗の繁昌を願ったのではなかろうか。そんな私たちの胸の底を見透かしたように蓮如上人は仰せになる。

「一宗の繁昌と申すは、人のおほくあつまり、威のおほきなることにてはなく候ふ。一人なりとも、人の信をとるが、一宗の繁昌に候ふ」

 大法要の厳修に満足し、それをもって蓮師への報謝とし、自らの信決定を抜きにして宗門の繁昌を願う。もしそれで終わなら、上人の厳しいおとがめを免れまい。「信をとれよ」が上人一代のお勧めなら、信をとってこそ本当の報恩である。

 一人の胸に信心の花が開くとき、それが一宗の繁昌となる。一宗の繁昌はいつも「私」から始まる。釋幸佛

                                                               

 

菩提樹 第101号(1998年11月30日号) (2020.5.9.更新)

ロックしない安心 岩政弘之

 僕の自転車には今も錠がついていない。変質者が壊したままになっている。買い物などでは鍵をかけずに乗り捨てる。実に気楽で楽しい。鍵をかけないことがこんなにも楽しいことだとは思わなかった。錠がないということは何て開放的なのだろう。

 

  「響命」という求道誌に載った法友の随筆を採ってみた。

 娑婆では道を誤るまいとして世間体、義理人情、信義道徳の鍵を心にかけて励む。しかし、ひとたび無常の風が吹けば、その鍵は何の役にも立たない。さればこそ、後生が一大事。ああなったら、こうなったら安心と今度は心に後生の安心の鍵をかけていく。

 どれほど多くの鍵を掛けたら本当に安心できるのだろうか。所詮はたよりない自分の心にどれほど安心の施錠をしてみたところで安心できるはずもない。

 たしかな拠り所をもたないために、娑婆で迷い後生をも迷う私に、そのまま救うとおっしゃる仏の本願が南無阿弥陀仏と成就された。

 その仰せにすっかり信順して身をあづけきったとき、「錠がないということは何て開放的なのだろう」という世界に出る。広々として他力の大信心に勝る安心がどこにあろうか。 南無阿弥陀仏    合掌 釋幸佛

 

 

菩提樹 第100号 (1998年10月31号) (2020.4.11.更新)

 戒名の値段

 信士・信女  30万

 居士・大姉  70万

 院号     100万

 

 先日「戒名の値段」と題したNHKのテレビ番組を見た。

 番組の中でご主人を亡くされた横浜の奥さんが証言していた。悲しみのさなか、葬儀社の人からいくらの戒名をつけるかとたずねられ、その時に冒頭の相場表を示されたという。

 戒名料が高いと批判された僧侶の側は、しかしそれがなければ寺の経営が成り立たないと主張していた。

 ここには、寺と檀家の信頼関係など微塵もない。ただ完全な葬儀ビジネスの世界があるだけだ。これが都市部における葬送儀式の現実なのかとさむざむしく思った。

 浄土真宗では戒名とは言わない。お釈迦様のお弟子としての法名を生前にいただく。(本山で帰敬式を受け、冥加金は1万円である) 仮に生前法名をいただいていなかったとしても、そのための法名料を特別にとるという習慣は真宗にはない。(少なくとも私はまだそのような例を見聞したことがない。)ただし、真宗においても院号の下付を本山に願い出る場合には、冥加金として20万円以上収めるという規定がある。

 寺院・教団の維持経営のためには、確かにお金がいるだろう。しかし、私は番組を見ながら、そこに転倒したものを感じた。教えによって苦を脱することができたからこそ、人々がその法とその法を説く僧侶を尊んでくださった。そして浄財を布施してくださり、それによって僧侶は身を養い、聞法の道場たる寺の護持管理に心を砕いてきた。門徒も僧侶も、ともに尊んできたのは、教法であったはずである。それが、これでは生活ができないからと、一般の人にとって経済的に非常に負担となる法外な戒名料をとって自分の生活と、私物化した寺を守ろうとしている。

 これまではなんとかお釈迦様のご遺徳で守られてきた私たちであるが、もはやそのご遺徳をもってしても、守っていただけないほどに私たちは無軌道な生活に染まってしまった。

 世界文化遺産に選定されるほどの威容を誇る京都の大本山も、すべてはお念仏よろこぶ人々の信心から生まれたのである。人々の胸に念仏よろこぶ信心の火が消えたとき、お寺もまた消える。大事なのは、お寺の存続や経営ではない。お寺の目的である教法の繁昌それであろう。

 今、自分のなすべきことは何か。自らがお念仏よろこぶ人となって、一人でも多くの人にお念仏を伝え、人々に真実の命の拠り所を指し示す。それができているなら、お寺のことはご門徒様の心に住まわれるようになった如来様がちゃんとよいようにしてくださる。       南無阿弥陀仏     合掌        釋幸佛

 

菩提樹 第99号 (1998年9月30日号)  (2020.3.7.更新)

 凡夫の持ち前

「今さらくわしいこたぁ知らんでもええだ。この源左がしゃべらいでも、親さんはお前を助けにかかっておられるだけ、断わりがたたん事になっとるだけのう。このまま死んで行きさえすりゃ親のところだけんのう。こっちゃ持前の通り、死んで行きさえすりゃええだいのう。源左もその通りだっていってごしなはれよ」

                                    梯実圓著『妙好人のことば』より

 死に臨んで自分の後生が気になってならず、さりとてお念仏も申されず、どうしたものかと娘を使いに寄せてたずねてきた法友に対して答えたのがここに挙げた妙好人源左の言葉である。答えた源左もまた思い病の床にあった。

 「こっちゃ持前の通り、死んでゆきさえすりゃええだいのう」

 余計な思議を一刀両断に切り捨てる。恐ろしいほどの切れ味をもつ言葉だ。この言葉の前には、「よろこぶべきことを、よろこばぬにて、いよいよ往生は一定とおもひたまふなり」、「なごりおしくおもへども、娑婆の縁尽きて、ちからなくしてをはるときに、かの土へはまいるべきなり」(歎異抄)という親鸞聖人のお言葉も間延びして聞こえる。

 阿弥陀様の救いの確かさを聞くことを忘れて、自分の心のほうを確かにしよう、しようと励む。どこまでいっても確かになれぬこの私がここにいて、その私を目当てに仕上げられた南無阿弥陀仏が、現にある。耳に聞き、心に届き、口に届いた。いったいそれ以外に確かな証拠をどこに見つけようというのか。まして自分の心のありかたをもって救いの証拠にしようなどとは、とんだ高上り、自力執心の極みである。そんな余計なことをもう考えるな。

 「こっちゃ持前の通り、死んでゆきさえすりゃええだいのう。」

                                   南無阿弥陀仏  合掌  釋幸佛

 

 

菩提樹 第98号 (1998年8月31日号)  (2020.2.28.更新)

 それから、わたしの実感は、間に合ってよかったなという感じです。それだけはもう偽らない気持ちです。もしあのまま知らなかったら、いまどこをどう自分はうろついているだろうか、しかし、いま仏法を聞かしていただいて、念仏を称えさしていただいている。ああ、間に合ってよかったという感じです、それはよろこびです。たしかによろこびなんです。                                 加藤辨三郎

 

 加藤辨三郎さんは、元在家仏教協会理事長であり、また協和発酵工業の社長をつとめた方でもある。その加藤さんは、最初仏教が大嫌いで、お念仏できなかったという、それが社長の命令でいやいや法話会に出席しているうちに、仏教に対する自分の誤解にきづかされた。そして五十歳近くになって初めて自分から求めて浄土真宗のおみのりを聞くようになったのだという。

 「間に合ってよかったな」という感じは、お念仏に出遇い得た人の共通の感想ではなかろうか。

 たよるべきものは自分だけである。自分さえしっかりしていさえすれば、この人生を誤ることはない。健康に留意し、知識教養を身に着け、良き社会人、家庭人となって地域社会や家庭の中でおのれのつとめをはたしていく。それが人生のすべてである。何の疑問ももたないままにそう信じて生きてきた。

 しかし、いよいよ命終の時が近づいて分かったことがある。これさえあればと大切にしてきた財と名誉と地位と家族は、死にゆく私の支えとならなかった。身に着けた知識も教養も老苦・病苦の前には役に立たず、死に臨んで自分はとごへ行くのかもわからずおびえている。

 振り返ってみれば、自分なりに 精一杯人生を生きてきた。しかし本当のことは何も知らなかった。人間として生まれた目的は何か。この命はどこから来てどこへ帰るのか。

 もしかしたら臨終間際に後悔の涙にくれたまま死の恐怖の中に終わっていったかもしれない自分が、五十歳近くになってとはいえ、ともかくも後生の一大事を解決しえた。最後まで、自分をたのむ心を捨てられなかった私が、この自分こそ一番当てにならないものでありましたと知らされて、弥陀の本願他力にすっかり身をあづけきってしまった一念帰命の喜び、安堵の気持ちが「間に合ってよかった」と口に出る。

   南無阿弥陀仏                               合掌   釋幸佛

 

菩提樹 第97号 (1998年7月31日号)  (2020.1.24.更新)

 女は顔とちがうで

「そしたら、おかあちゃんが、あほ、外側とはちがうんや、中や、中身や、心や、心が大事なんや、外見ばっかり見てたら、一番大事なもんを見落としてしまうんやで、男も女も心が大事なんや。おぼえときや。…ええか、お父ちゃんもやで」と言って、お父ちゃんをにらみました。 (pHp八月号より)

 

 

「心が大事なんや」の言葉にはっとした。このお母さんの健全な感覚を私たちは急速に失ってきてはしまいか。心よりお金が大事、そんな意識が社会にじわりじわりと浸透してきているのを感じる。

 青少年による凶悪犯罪の続発によって「心の教育」の必要性かせ識者の間で熱心に論議されるようになった。そのことは裏返せば、それほどに現代の親は子供の心を育てることに無関心であり、無力であるということであろうか。

 仏教は心を大切にする。なぜならどれほど立派な体と優れた知性があろうとももし心が歪んていたならば、その体と知性をよく生かすことができないからである。

 それではどのような心が人をよく生かすのであろうか。他人を思いやるやさしい心、それではそのような心はどうしたら育てられるのか、心を育てるものは正しい教え以外にない。

 仏教は心を育てる最良の教えであり、もっとも滋養に満ちた心の糧である。とりわけ念仏の教えは、人間知性の虚妄性をはっきり教えてくれ、我執に溺れない謙虚な心を育んでくれる。そして、如来の本願によって恩を知る身となり、感謝と同時にその恩に報いる心が育てられる、他人を思いやるやさしい心は、高ぶることのない謙虚な心と純一な感謝・報恩の心を土台として育まれるものである。

 子供の「大事な心」を育て、人間を育てる最良の教えは念仏であると、私は信じている。

                                   南無阿弥陀仏 釋幸佛 合掌

 

菩提樹 第96号 (1998年6月30日号)  (2019.12.20.更新)

 アーラヴァカ神霊「この世で人間の最上の富は何であるか? いかなる善行が安楽をもたらすのか? 実に味の中での美味は何であるか? どのように生きるのが最上の生活であるというのか?」

 尊き師 (ブッダ) 「この世では信仰が人間の最上の富である。徳行に篤いことは安楽をもたらす。実に真実が味の中での美味である。智慧によって生きるのが最高の生活であるという。」 『ブッダのことば』より

 

 尊き師(お釈迦様)のお言葉を私なりに味わってみた。虚仮・顚倒の娑婆に煩悩具足の身を抱え、人間に生まれた目的も知らないままに生死流転を繰り返している私。それを案じた弥陀が、仏の国(浄土)に往生させて必ず仏にさせると誓われた本願念仏をいただく信心こそが、人間の最上の富である。

 如来のお慈悲を知らされて、罪深きわが身を慚愧しつつ申すお念仏は十方にご響流して弥陀の大悲を行ずるものとなる。念仏の中になされる娑婆の生業の一切は如来さま相手のご報謝の生活であるから見返りを期待しない。それゆえに常に安楽である。

 たよりない火宅無常の娑婆に自らの煩悩に苦しむ私を救わずにおれないと起こされた弥陀の本願念仏こそは、いかなる時代、いかなる所においても決して私を裏切ることのない真実である。よって念仏こそが、味の中の美味である。 

 健康・金・名誉・愛情・仕事、老病死の前には必ず破れる幸福の条件。何のたよりにもならないと聞かされても、それにしがみついて生きていくしかない愚かな自分でありますと教えていただき、その私にかけられた弥陀の本願に身をまかせて、報恩感謝に心を満たされて浄土往生の道を安んじて歩むこと、それこそが最高の生活であるという。                               南無阿弥陀仏  合掌  釋幸佛

 

菩提樹 第95号 (1998年5月31日号) (2019.11.9.更新)

 「土」 金子みすゞ

 こっつん こっつん

 ぶたれる土は

 よいはたけになって

 よい麦生むよ

 

 朝からばんまで

 ふまれる土は

 よい道になって

 車を通すよ

 

 ぶたれぬ土は

 ふまれぬ土は

 いらない土か

 

 いえいえそれは

 名のない草の

 おやどをするよ

 

 隣寺の寺報に上のみすゞの詩が載っていた。子供の詩のように素直でやさしいみすゞの詩。その世界はそのまま豊かな仏徳讃嘆になっている。きっとこの人の言葉の命源は幼い時から聞き親しんだお念仏なのだろう。

 毎日生きるのに精一杯で、自分と自分の家族の心配で一生生きていくだけの私。人のために「よいはたけになって よい麦生む」ことも、「よいみちになって 車を通す」こともない。そのように「よいはたけ」「よいみち」になれる人は、まことに志操堅固な立派な人である。しかし、それではただ生きんがために生きるしかない群萌の民草は、この世では「いらない土」なのか。役たたずの余計者として捨てられるだけのものか。

 いえいえ、そういう人こそが、如来様の一番の目当てでありました。わが身のあさましさに涙する人なればこそ、「われにまかせよ。かならず救う」のおよび声に一心に帰依し、お念仏申されるのです。「いらない土」の凡夫の身が仏の救いの確かさを身証し、喜び申すお念仏が仏の大悲を行ずるものとなる。

 名もない無数の「いらいない土」(悪人凡夫)が「よいはたけ・よいみち(善人)」を支えて、それの用を際立たせる。弥陀の世界にいらない命はひとつもない。          南無阿弥陀仏  合掌     釋幸佛

 

 

 菩提樹 第94号 (1998年4月30日号) (2019.10.12.更新)

「事実、私たちは迷いにとらわれている世俗の人間です。今でもこの世界は改善できるし、この世界が、私たちみんなに幸せをもたらしてくれると夢みています。しかしこの夢のために生死流転を繰り返すのです。

 この世はあらゆるものの苦しみの結果であり、本質的には改善出来ないのだとよく分かっている、ほんのわずかなの人々だけが、悟りへ向かう決心をすることが出来るのです。」 

                     アグネス・エンジェエスカ著『お念仏に解放された私』より

 

 アグネスさんは、もとポーランドの女医さんであったが、縁あって浄土真宗に帰依し、その後来日して得度し、横浜にある真宗寺院の坊守さんとなった人である。

 生老病死の四苦を抱え、愛憎の中に苦悩する、その苦は、無常の世に不変を願い、無我の世界に生きながら、我に執着する無明煩悩のもたらすものである。しかし、それが苦しみのもとであると知らされても、それを自ら捨てることも無くすこともできない。ただ念仏して仏の真実の世界を願うよりほか助かりようもない私たちである。

 しかし、ひとたび一心に弥陀をたのむ心がさだまれば、その時から未来の浄土往生の旅が始まる。浄土の真実の光に照らされて、自身の無明煩悩の闇が破られる。救われた喜びから称える無私のお念仏は、弥陀の慈悲を伝える報恩の行となって十方に響流していく。一人ひとりの胸にその南無阿弥陀仏が届くとき、この世の苦しみ汚れのもととなった各人の我欲の心が徳へと転成せられていく。

 この世を厭い(厭離穢土)、真実の浄土を願う(欣求浄土)浄土真実の教えは、厭世的な現実逃避の教えではない。凡夫が凡夫のままに成仏させていただき、この世の不浄を清めることのできる私たちに与えられた唯一の仏道である。                                南無阿弥陀仏  合掌   釋幸佛

 

 

菩提樹 第93号 (1998年3月31日号)  (2019.9.15.更新)

 「南無阿弥陀仏を称えるということは特殊の仏道ではありません。仏道というそういう特別のものがあるのじゃない。南無阿弥陀仏を称えるのは宇宙の万化の一つなんです。宇宙は南無阿弥陀仏を称えておるのです。

 わしらが南無阿弥陀仏を称えるのは宇宙のすべての声の中へ入るのです。仲間へ入れてもらうのです。だから賑やかなことです。わし一人でない。皆が称えておる中にはいる、これがまた万物の生活です。」暁烏 敏

 

 暁烏の上の文章を読んだ時、鮮烈な感動をおぼえ、広大無辺な弥陀の宇宙の広がりを感じた。法としての弥陀がもっと語られていい。説教では、ありがたい話にこだわるあまり、如来といえば慈悲の面ばかりが語られてきたのではないか。

  4月になると桜が咲き、5月にはツバメが飛んで来る。新緑がみずみずしく輝きわたり、さまざまな命が生き生きと活動を始める。あたりまえと思ってみてい る一つ一つの個物の背後にある当たりまえでない不可思議なはたらき(無量光)がある。そのはたらきはあらゆる命を養い育て慈しんでいる(無量寿)。いちいちの個物を通してしか感じることのできない不可思議ないのちのはたらきは色もなく形もない。それゆえにあらゆる個物に姿をかえてそのはたらきを示すことができるものである。その色もなく形もない透明ないのちのはたらきが、そのようなはたらきを南無阿弥陀仏というのだと自ら名乗り出て、桜やツバメのような個物を拝まないでもいいように、私たちのたしかな依るべとなってくれた。

 夜空に輝く無数の星の運行も春雨に散りゆく可憐な桜の花びらも、すべては南無阿弥陀仏のかなでる命のしらべである。その南無阿弥陀仏を称える念仏は大いなる仏のいのちと一つになることである。それはそのままに念ぜられ慈しまれた私のいのちでしたと知らされることでもある。  南無阿弥陀仏     合掌    釋幸佛

 

 

菩提樹 第92号 (1998年2月28日号)  (2019.8.23.更新)

布教使は人格者であるべきか

 「伝道にあたっては、説教はあまり重要ではない。重要なのは誠実であり、献身であり、伝道者の人格である」

 

 キリスト教の神学校の校長が、伝道の第一線に出ていく卒業生に贈った言葉であるという。

 一方、浄土真宗の伝道の主軸は今日でも、法座布教におかれていて、説教が重要な位置を占めている。お寺は説教を聞く道場として、またひとたびご信心をいただいた人にとっては、仏徳をともどもに喜ばせていただく法悦の場として、ご門徒様に護持されてきた。その法座の説教を仕事とするのが布教使である。私もまたその端くれである。その布教使としての私の立場から伝道の心得を言えば、うえに挙げた言葉とはだいぶ違うものになる。

 「伝道にあたっては、伝道者の人格はあまり重要でない。重要なのは法に対する恭敬心であり、救われるはずのない自分が救われた歓びの心であり、その歓びがこの法を伝えずんばおかぬとという熱意となってあらわれた、生

きた言葉(説教)である」

 しかしながら、法が人によって伝わるものである以上、たとえ真宗の伝道であっても布教する人の人格がどうでもよいはずはない。だが、その人格性は自分の力で努めはげんで鍛錬していくものではない。なぜなら、そのような立派な徳目を積んだ人格者になれぬと見抜かれた法をいただいた私が、そのような人格者たらんと望むことか、そもそもの矛盾であろう。布教使はそのような人格者たらんことをめざすものではない。そのようなものにはとてもなりえぬ私にかけられた法に一心に帰命し、その法を恭敬していくところに、おのずとひらかれる謙遜をこそ、その徳性とすべきである。(それは法を説く者でありながら、常にその法に聞く者の座をに守るということである。)もとよりその徳性は目的とするものではなくて、恭敬する心に結果としてついてくるものであろう。

 法に対する恭敬心が内にあり、この法を伝えずんばおかぬという熱意がこもっている限りは、いかに下世話に落ちた話のように見えても、弥陀のお慈悲を悦ぶその讃嘆の言葉は、必ず聞く人の胸に伝わるものと私は信じている。

第91号 (1998年㋀31日号)より (2019.7.11.更新)

 相田みつを

 「いろいろあるんだな にんげんだもの いろいろあるんだよ 生きているんだもの」

 歯を食いしばって苦しさに耐えている人に、顔を真っ赤にして怒っている人に、満面に笑みを浮かべて喜んでいる人に、涙を流すまいと必死に悲しみをこらえている人に、「いろいろあるんだな、にんげんだもの。いろいろあるんだよ、生きているんだもの」そういって受け止めてくれる人は、やさしい人である」。その人の共感の言葉にどれほど私たちは癒されることだろう

 この詩を読んだ時、南無阿弥陀仏を思った。人間であることの苦しみ(人間苦)と人生で出会う苦しみ(人生苦)を、たった一人でたえている私たちに、「いろいろあるんだな、にんげんだもの。いろいろあるんだよ、生きているんだもの。でも、わかっているよ。わかっているよ。おまえがひとりでがんばっていることは。そういうふうにしかできなかったことは。だからさ、そんなに力むことも、自分を責めることもいらないよ。そのままでいいんだ。そのまま私にまかせておくれ。必ず救うから。いつだっておまえのことは見守っているから。そしてこの娑婆の命が終わったら、苦しみのない真実の世界に生まれさせて仏にさせるから。いいかい、必ずまかておくれよ。」そうおっしゃってくださっている如来さまの真心のお喚び声、それが南無阿弥陀仏である。

   南無阿弥陀仏                                 合掌  釋幸佛

 

菩提樹 第90号 (1997年12月31日号)より (2019.6.13.更新)

 

 青木新門著『納棺夫日記』より

 「死を忌むべき悪ととらえ、生に絶対の価値を置く今日の不幸は、誰もが必ず死ぬという事実の前で、絶望的な矛盾に直面することである。

 親戚や知人といった身近な他者の死に出会っても、一時的に哀惜の念が起きるだけで、日頃自らの中に死を認知していないために、他者の死は他者の死であって、他人の死は仏教でいう機縁とはなりえなくなっている。」

… … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … …

 先日ある公民館で、成人学級の授業をもたされた。現代社会に必要な教養を身につけ、健康の管理方法を学ぶことを目的としていた。受講者はすでに七十歳をご老人たちばかり80人ほどであった。

 よく生きるためには、よく死ねる道をはっきりさせなくてはなりません。そう切り出して「後生の一大事」をお話しした。

 話が終わった後に、世話人の方がお礼の言葉をくださった。その中に「…私は現在75歳ですが、小学校の時にお寺の日曜学校に行ったきり、その後一度もお寺にお参りしたことがありません。…」とあった。そこに誇りを感じているような調子だった。頭もしっかりしている。健康にも心配ない。だからお寺の世話になるのはまだ早い。そんなふうに考えられているのだろうか。

 仏さまの教えが人々の生きる依り所とされず、お寺が死にまつわる不吉なところのように一般の人に思われるようになったのは、なぜだろう。

 「人生の四苦である生老病死を解決することが本来の目的であったはずの仏教が、死後の葬式や法要にスタンスを移し、目的を見失ったまま教条的な説教を繰り返している」それが原因ではないかと、青木新門さんはいう。

 「道心の中に衣食あり」と信じて歩むべき僧侶が、いつのまにか衣食のために道心を忘れてきた。その報いを今受けているのかもしれない。お寺にお参りしないことが人々の誇りとなるような風潮を作ってしまったのが、僧侶自身であるなら、それを改めるのもまた僧侶自身でなくてはなるまい。「道心の中に衣食あり」「念仏の中に菩提心あり」肝に銘じて歩むべし。       南無阿弥陀仏            合掌    釋幸佛

 

 

菩提樹 第89号 (1997年11月30日号)より (2019.5.16.更新)

三つの不幸

 病人にとって大変苦しいことが、三つあると思います。

 そのひとつは、自分の病気が治る見込みのないことです。

 ふたつめは、お金がないことです。

 みっつめは、自分の病気を案じてくれる人のいないことです。

 私はその中でも、このみっつめの不幸が一番苦しかろうと思います。   

                           井村和清著『飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ』から

 

 井村さんは、幼な子を残して癌のために32歳の若さで亡くなった青年医師である。「三つの不幸」を読んだ時に、弥陀の救いを思った。

 「死にたくない私」に永遠の命(無量寿)の世界(浄土)を用意して案ずるでない「死なせはせぬぞ」とおっしゃり、「いっそ死にたいと思うほどに苦しむ私」には、二度と煩悩の火に焼かれることのない真実の智慧(無量光)の世界(浄土)に生まれさせ、迷いの境涯には二度と返しはせぬ、必ず仏にするぞと抱き留めてくださる。

 しかも、その無量寿・無量光の浄土への旅は、この命終わった時に始まるのではない。

 「煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界はよろずのこと、みなもってそらごと・たわごと・まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておわします」と助からぬわが身にかけられた如来の確かなる救いに身をあずけた信の一念に往生は定まるのである。

 それは確かな未来の浄土を楽しみとしつつ、いっそ死にたいと思いつめた自分の心の迷い…すでにそのままに摂取されていたにもかかわらず、自分の思うようにならない事柄に身悶えして何とか思いどおりにならないかと苦しんでいた、迷いの姿に気づかされることである。

 と同時に、そこに南無阿弥陀仏ひとつを真実のよりどころとして生きる、広々として自由な、恐れのない安心の日暮が恵まれるのである。  南無阿弥陀仏                    合掌     釋幸佛

 

 

菩提樹 第88号(1997年10月31日号)より (2019.4.8.更新)

神戸少年事件・家裁処分 

 事件の始まりからその結末まで、すべてが異様で、私たちの理解をこえたものに思われた。犯人が中学生とわかってみると、なぜこんなむごいことをと誰もがその犯行の原因・動機をしりたがった。そして、二度とこんなおそろしい、悲しい事件が起きないでほしいと願った。

 こんな事件がおこった原因はどこにあるのか。この事件の責任は誰にあるのか。よくよくたずねてみたら、その責任はみなこの自分にあった。

 自分さえよければ人がどうなってもよい。そんな思いで生きている自分がここにある。求めているのは、自分の欲をかなえることばかり、その自分がこの世の水を毎日毎日汚し続けている。その汚れた水を子供たちが毎日飲んでいる。その子供たちが病まないはずがない。

 心を養う思想という精神の水は、私の拝金主義と利己主義によって汚れ、子供たちに夢と理想と愛と希望と善意を与える意味を失ってしまった。(子供に安心して見せられるテレビ番組がいかに少ないかを思う)         

 身を養う肉体の水は、私の利便性を求める効率至上主義によって汚れた。子供たちが毎日吸っている空気は私の車の排気ガスに汚染され、その水は私の使う農薬に汚染されて、子供の身体を蝕むものとなっている。

 子供を大切に思っているはずの私が、毎日毎日その子供の身心を育てる命の水を汚している。一つもそんなことを願っていないはずなのに。

 ここに何が善で何が悪なのか、本当に知ることのできない無明の私がいる。その私が、この世の水を汚している。

 こんな事件は二度と起こしてはならない。その最初の一歩は、この自分から始めるのだ、世の中の水を汚している自分が、まずそのことに気付いて、なんでも自分の我欲我執を通そうとする、その心を清めることから始めるのだ。

 煩悩に迷う心を癒し、欲望に汚された心を清めてくれるもの、それは、かかる人間業のあさましさに大悲して流してくだされた、弥陀の涙たる南無阿弥陀仏のお念仏である。      南無阿弥陀仏   合掌  釋幸佛

 

菩提樹 第87号(1997年9月30日号) より  (2019.3.11.更新)

マザーテレサからの手紙

「あなたに会いたくて、インドに行きます。どうかその時期1日でよいからカルカッタにいてください」

遠い日本の一面識もない青年の身勝手な手紙に対して届いたのが右に掲げたマザー・テレサからり返事(文面省略)

であった。「まさか」の驚きと感激であった。

 インドでマザー・テレサに育てられたたくさんの若いシスターに会い、短い期間ではあったが、その活動をともにした。マザーテレサが彼女たちに身をもって教え伝えたのは、自分のなすべきことをなす、ということではなかったかと思う。自らの行いにおごらず、ほこらず、謙虚で自然な態度のうちに黙々と貧者や病者に献身する彼女たちの姿を見てそう思った。

 「苦しむ人がいれば助ける。それは人として当然のつとめで、私はそのなすべきことをなしただけです。」きっとそれと同じ道理で、手紙をもらったら返事を書く、そう思って私に返事をくださったのであろう。

 事の大小を選ばず、常に人としてなすべきことをなすに徹したところに、常人の及ばないマザーテレサの偉大さを思った。誠実であるとはどういうことかを、このとき学んだと思う。

 南無阿弥陀仏                                  合掌 釋幸佛

 

よしあしの文字をもしらぬひとはみな

まことのこころなりけるを

善悪の字しりがほは

おおそらごとのかたちなり(親鸞聖人作「正像末和讃より)菩提樹86号

 この御和讃は、親鸞聖人が正像末和讃の最後に読まれたものである。あれこれと物知り顔に沢山の和讃を読んできたご自身の心を、名利を求める知者ぶったふるまいとして懺悔されたものである。

 私は最初この御和讃の心を読み間違えていた。つまり「よしあしの文字をもしらぬひと」とは、念仏を頂くようになった自分のことであり、「善悪の字しりがほは」とは、教養・理性にわざわいされて、お念仏の教えを誹謗し、信じることのできない人のことであると。したがって、念仏頂いた私の心こそ「まことなりける」と思い、いまだ念仏に帰依していない人の心こそ「おおそらごとのかたちなり」としていた。

 

 しかし、上述の如くに御和讃の真意を教えられてみて、改めて親鸞聖人の慚愧心の深さを知らされた。そして同時に、転倒していた我が姿を思い知らされた。

 「善悪の字を知っている」と己の自力にたのむ心が、お念仏の智慧によって「善悪のふたつ総じてもて存知せざる」自分であったと翻り、凡夫が我が身の座りとなった。ところが、そうなると今度は、いつの間にか自分が「善悪の字しりがほ」の念仏者となって、念仏の教えに帰依しない人達をして「よしあしの文字をもしらぬひと」たちと憐れむような思い上がりに住してしまった。

 

  凡夫のわが身と知らされて、一生頭の上がらない者に育てられていたはずの自分が、凡夫であると知っていることを手柄にして、善人智者になろうとしていた。

 念仏者でもよく見かけることだが、熱心な信仰者といわれる人のなかにおうおうとして、偏狭で人の痛みに鈍感な人が少なくない。かえって特別の信仰をもっていないという人のほうが、寛容で優しいことがある。これも上述した思い上がりがその言動に現れるためであろうか。

 しかし、そうなったのなら、それはどれほど教えを熱心に聞いても、何も聞いていないのと同じである。心したいことである。(9.19)

 

「法に依りて 人に依らず」

           菩提樹第83号より

「法に依りて人に依らず」は、案外に難しい教えである。私たちはその人が言っている事柄よりも、その人がどのような人であるかを見て、その人の言葉の真偽を測るからである。口でどれほど立派なことを言おうと、その人の日頃の行いがその言葉にともなっていなければ、だれもその人の言うことに耳を傾けようとはしない。信じようともしない。人を離れて法を聞くことは、私たちには至難であるそれゆえに、そういう私たちの性情にかなった言葉として、一方では「法に遇うとは人(善知識)に遇うこと」だとも、「人に依りて法は弘まる弘」ともいわれ「人」の重要さが説かれる。

 しかし、またそうであるからこそ、「法に依りて人に依らず」の教えが大切なのかもしれない。

 「この先生(人)にさえついていたら大丈夫だ」「この先生のもとにいさえしたら、信心いただけるだろう」「この先生にさえ、自分の真実がわかってもらえていたら、ほかの人にどう思われようともかまわない」

 「法」の導きの上から慕った「人」がいつしか「法」より大切な者となり、「人」を頼りとするようになる。法と私の関係が、いつしか人(先生)と私の関係となる。そうなると、自分のすべてが先生の心一つにゆだねられてしまい、先生の一挙手一投足が自分の関心の的となる。そこから、自分が自分の主であることを忘れた主体性の欠落した求道がはじまる。もとよりそれはもう真の意味での求道ではあるまい。

 この際(きわ)が難しい…。人に遭わねば法に遭えず、さりとて人に依れば、道を失う。しかしてその結論は、やはりどこまでも「法に依りて人に依らず」である。生死出離の道はどこまでも一人一人が自からたずね求める道である。その法(道)の求めを忘れて、ただ人に依るなら師も弟子も共に道を失うことになる。いよいよ自戒したい。(7.4)

「仏説阿弥陀経」

                 菩提樹第80号より

 お釈迦様の当時も、今日も浄土真宗の教えは「難信の法」である。特に今日は、科学の知見によって、人間の己を頼む心が強くなった分だけ、より一層他力救済の浄土の教えは聞き難く、信じがたいものになっているかもしれない。

 ときどき人間の本当の偉さとは何かということを考える。

 高学歴をもち、学問の深い人。やり手で、政界実業界で成功をおさめた人。独特の才能によって、芸術やスポーツの世界で顕著な成績をおさめた人。様々な社会事業に貢献し奉仕と懇身にご苦労下さっている人。皆、まことに尊く立派だなあと思う。

 しかし、そういう学歴や名誉や栄達と無縁のところで、ひっそりと自分の分をつくして、お念仏を慶んでいる人に出会うと、どうにも頭のあがらないものを感じて、わけもなくありがたいなあと思う。そしてこういうおじいちゃん、おばあちゃんのお陰で、わたしのようなものが生かされているのだなあと思う。

 そういう人に接して思うのは、柔らかい人柄である。驕るでも卑下するでもない。そのままに自分の分を守って、不足なく、人に我をおしつけるでもない。いつでもその周りの人を包み込む優しく暖かな風が吹いている。

 きっと「難信の法」が聞こえると、如来の光明の働きで己の堅い心が、柔らかな心に変えられるのだろう。(5.27)

「一番わかっているようで

  一番わからぬ この自分」

 

    菩提樹第78号より

 

「あの時自分はなんであんなことをしたのか」すまじきことをもし、言うまじきことをも口にしたとき、私達はしばしば「一番わかっているようで一番わからぬ自分」に出会う。この「一番わからぬ自分」を明らかにするのが仏教である。「一番わかっているようで、一番わからぬのが自分のことでありました」と「自分で自分のことがわからない」ことがはっきり「わかる」ことが、念仏の智慧をいただくということである。

 宿業のままに、「さるべき業縁もよおせばいかなるふるまい」を模して生きていくよりほかに昌のない私であると、私自身が気が付くより前に「仏かねてしろしめして煩悩具足の凡夫なれば」と、私の姿を見抜いての、弥陀の先手の働きに「まかせる以外に助かるすべを一つも持たない私でした」とお念仏いただかれたのが親鸞聖人であった。(H.30.3.14)

            (菩提樹第83号より)

 

どうすべきかは直ぐに決まる / それは愛によって 

愛の定義も至って簡単だ / それは無私 そして献身 

だがそれを何が鈍らせるのか / それは利己心だ 

利己心は自分をごまかして / 何かと理屈をこねるから 

富んでいようと貧しからうと / 賢くても愚かでも

元気であろうと病気でも / それは一向 愛を妨げない

この花の美しさを / 理屈無しに認めるように

愛することができぬなら / 潔く頭を下げるほかにはない

              毎田周一著「大雪山巻頭言集」から

 

かつてパリでキリスト教の修道士に伝道の一番の苦労は何かを尋ねたことがある。

「愛を実践するために、利己心に打ち勝つ力を得ること。そのために毎朝そのような力を賜りますように神に祈ります。」

 ひるがえって、我が身を思う。「この花の美しさを、理屈なしに認めるように、愛することができぬ」者。ただ「深く頭を下げるほかはない」者であった。

 しかし、深く頭を下げて如来の「われにまかせよ」の声に信順し、そのお慈悲をいただく者になったとき、念仏者の身の上に不思議がおこる。

 如来のお慈悲をよろこび、仏徳たたえて申すお念仏には、あれほどとれなかった利己心の垢が微塵もついていなかった。その無私念仏なればこそ、未信の人の耳にまで無理なく届くらしかった。利己心離れぬこの者が、いつのまにやら如来様の大悲を行ずる者となる。

「頭をさげる」と「頭が下がる」

   同じようで大違い    平成8年度直柱会カレンダーの言葉

                                                             (菩提樹第73号より)

 

「頭をさげる」は、いろいろに考えて、ここはひとつ頭をさげておいたほうがよさそうだと、娑婆世界の様々な損得勘定から、そう判断して自分で、自分の頭をさげるのである。その限りでは、内心の自我は一つも頭を下げていない。私の主はどこまでも私である。

 一方「頭がさがる」には、何か自分を超えたものの素晴らしさ、立派さにうたれて、自ずと頭を下げずにいられない心持がうかがえる。まいりましたと、完全に兜を脱いだ感じがある。

 だが、それは力くらべ、知識くらべに完全に負けたから、潔く兜をぬいで、参りましたと頭をさげたのではない。その「参りました」には、まだ、「潔い自分」が残っている。「自分が頭を下げた」のである。

 

 本当に「頭が下がる」というのは、そのような力くらべ、知識くらべをしようと懸命だった己のおろかしさ、あさはかさを、慈悲の目で慈しみ、憐み、まかせよとおっしゃってくだされていた如来の慈悲の心に包まれたときに、初めて感得されるものであろう。

 如来の大悲に抱かれて、己の自力邪見の心が優しくほぐされたときに、自ずからさがらぬ頭が下がったのである。私の主人が、私でなくなったのである。如来さまが、私の主人となって、常に仏に帰依する心が与えられたのである。

 頭のさがらぬ私が、如来の御恩を知って、頭のあがらぬ私に育てられたのである。それは、まことに煩悩具足の凡夫でありましたと教えられることである。(7.25)

「自分のうしろ姿は 自分じゃ みえねんだなあ」

        相田みつを (PHP3号から)

                                         菩提樹第69号より

 私は「うしろ姿」を「自分自身の本当の姿」と読んでみた。人には見られない内心の姿であるが、それはまた時として自分でも知らない自分の真実の相でもある。それはもとより、鏡に映らず、自分の内省の光も届かない。底知れぬ無明の闇である。

 

 順境にあれば、もっともっとと貪り、逆境にあれば、思い通りにいかぬと怒りに狂う。正しいのはいつも自分で、悪いのは相手と決めてかかって互いに罵りあいの日暮らしを続けていく。いっときの平安もないままに、勝った負けたで空しく過ぎていく。

  

 しかしそれが人生であるとして、そこになんの疑もない。どこからきた命であるかも知らず、この命の目的を知らず、この命の還り往く世界を知らない。無明の闇に覆われてあるわが相である。

 

 其の相は人間理性の灯火をもっても破ることができない。「自分のうしろ姿は自分じゃみえねんだなあ」である。

 

 その見えない私達の自分の後ろ姿を慈悲の心をもって如実に映し出し、その闇を破ってくれるもの、それが真実の世界から差し込み、常に照らし続けている無量の光たる南無阿弥陀仏である。(5.25)

 

「花のたましい」

     金子みすゞ

     菩提樹第68号より

 

 散ったおはなのたましいは

 み仏様の花ぞのに、

 ひとつのこらずうまれるの。

 

 だって、お花はやさしくて、

 おてんとさまがよぶときに

 ぱっとひらいて、ほほえんで、

 ちょうちょにあまいみつをやり

 人にゃにおいをみなくれて、

 

 風がおいでとよぶときに、

 やはりすなおについてゆき、

 

 なきがらさえも、ままごとの

 ごはんになってくれるから。

 

 この詩を読んだとき「おはな」は「念仏よろこぶ人」の事だと思った。

 

 念仏よろこぶ人はみな

 如来様のお浄土に

 一人のこらず生まれるの。

 

 だって、念仏の人はやさしくて

 おやさまの声きくそのときに

 信心歓喜のお念仏

 自分は救われずとももうよいよと、

 楽果はすべて人にやり

 

 帰っておいでとよばれたら

 はい、と素直についていき

 

 後の残した念仏の薫香は

 有縁の方を仏縁に

 導く糧としていくから。

 

読みすぎかもしれない。しかし願わくば、そのような花になりたいと思う。毀誉褒貶に動ぜずに、すべては如来さまへのご恩報謝と感謝しつつ、静かに自分の分を尽くしたい。(5.3)

 

 

如来の本願は 「人間よ本当の人間になって下さい」 という願い

              菩提樹第66号より

 

 人間と他の動物との違いを考えてみた。

 一生の間、きゅうきゅうと励む。食べて、寝て、働いて、伴侶をえて、子を育てることは、大抵の動物がしている。だからもし、それだけで終わるのであれば、なんら人間としての面目をほどこすこともなく終わった人生ということになるだろう。「本当の人間になれ」という如来の願いもそこにある。

「死」を知り、それを恐れることも、別に人間に限ったことではない。ただ、人間は、結局は死で終わるしかない自分の人生の「意味」を求める。「何のために生きるのか」「自分とはいかなるものであるか」。そこに、これによって生き、これによって死んでいけるという、生死の帰依処を求める願いをもつ。

 ただ欲を満たしておれば、それでよい。そう信じて歩んだ人生の最後に、あれもこれも手に入れたが、何か心に空しいものを感じる。果たしてこのまま死んでいけるか。

 そう自らに問う心をもつところに、人間が人間である由縁がある。そうであれば、その問を明らかにしてこそ、本当に人間になったということができるのではないか。

 

 欲のままに生きて終わってはならない尊い命をいただいた私である。しかし、そうでありながらも、その欲を捨てて生きることもかなわぬ自分である。まことに恥ずかしいことである。そうしかできない自分の姿をあさましいと思う。しかし、そのあさましいお前ならばこそ必ず救うと誓われた如来の願いを知らされると、その大悲の深さの前にはもう頭があがらない。ただ、すみません、ありがとございましたというしかない。

 

 「俺が、俺が」の自我の角がとれて、如来様に願われ生かされてあった私とはっきり頷けたときに、人間は本当の人間になる。(3.2)

 

 なもあみだぶつ          岡部つね

 

 仏法いうもんは / 風やな 

 風が網の目でも / すうーっと通り抜けるように

 この娑婆の / どないな難しい / 通れんとこも

 すうーっと通して / もらえる

                 林暁宇著・澤田悌二編

                「みんなあみださまのおかげです」

                              菩提樹第63号より

 

 親鸞聖人が念仏は「難度海を渡する大船」であり、「無明の闇を破する恵日なり」(「教行信証」総序の文)と頂かれたところを、岡部さんは風に例えて念仏の功徳を味わわれた。

 この世界では、無常の道理にはばまれ、お互いのもつ自分かわいやの思いに邪魔されて、なかなかに自分の思う通りにはいかない。そこに哀しみがあり、苦しみがある。それが「網」であり、「難しい通れんとこ」となる。その網を念仏いただくとまるで風になったように「すうっー」と通させてもらえるのだという。

 「自分の思うとおり」を通そうとすると、すべが「網」にひっかかって「思う通り」にいかない。だが、その「自分の」がとれると、何もひっかかるものがなくなってどこでも思う通りに通れるのであろう。

 その「自分の」は、それではどうとるのか。岡部さんは、すっかり阿弥陀様にうちまかせて、自分の主人の座を阿弥陀様に譲ったのである。すると、これまでは「自分の」と力み、負けてたまるかとがんばっていた肩の重荷がとれた。そこから岡部さんにとっての風のように軽やかな人生がはじまった。(2.17)

 

「お母さん、由紀乃ちゃんは、顔も、手も、足も、お腹も、全部きれいだね。由紀乃ちゃんは、お家のみんなの宝物だもんね」

              

あなたは覚えていないでしょうが、昔、お母さんが由紀乃ちゃんの身体のことで悩み、一緒に死のうと思ったとき、あなたが助けてくれたのです。

 幼いあなたのこの一言が、お母さんの目を、心を覚ましてくれたのです。そして、それからはずうっと、あなたのお陰で生きてこれたような気がしています。    

                                          平野恵子「子供たちよ、ありがとう」より

            菩提樹第62号

 

 浄土真宗(大谷派)の坊守であった平野恵子さんは癌のために41歳で浄土にかえられた。後に残していく子供たちへの思いを綴った手記が「子供たちよ、ありがとう」という本にまとめられた。ここに紹介したのは、その本の中から、長男の素行さんにあてて書かれたものの一節である。

 長女の由紀乃ちゃんは3歳の時に重度脳性小児麻痺の診断を受けた。ひとりでは食べることも、着ることもできない。着せ替え人形同然の我が子の将来を案じ、死のうとまで思い詰めた。

 このままいっても、治る見込みのない娘は、ただ世間の厄介者である。だれの役にもたてず、社会の無用な荷物になるだけだ。この先になんの望みもない。そう考えていた。そうとしか考えられなかった。その娘が「宝物」であったとは。

 役にたつかたたないかの秤で命の価値をはかろうとばかりしていた自分に、素行ちゃんの言葉は、命そのものの尊さを教えてくれた。それはまさに如来様の言葉であった。さかしらな理性分別の価値の秤が、素行ちゃんの言葉で木っ端微塵に打ち砕かれた。

 私達の命は、その働きによってさだまるのではない。命そのものに価値があるのだ。命そのままが尊いのである。

 酢行ちゃんの子の言葉を読んだとき、涙がでてならなかった。有難かった。全ては南無阿弥陀仏の自然(じねん)の中にある。弥陀の世界には、つまらないものなど一つもない。(1.30)

 

 

それといっしょに、自分が得意の絶頂にある時も、

    どこかに、泣いている人があるということが

 考えられる人になっておくれ」 

 

恵ちゃんは素晴らしいお父さんをもった幸せの思いと感動で、失敗のショックなんか、ふっとんでしまいました。  

               東井義雄著「若婦人のための法話集」

               (菩提樹60号)

 

 それだけのことをしたのだから、確かに誇っていい。「やったぞ!」と叫ぶもいい。そういう人の自信と誇りに満ちた姿は、すがすがしくこちらも存分にその成功をたたえてあげたい。

 しかし、その得意の絶頂のさなかにあって、敗れていったものがあること、自分の成功のためにどこかで泣いている人があるのだということに思いがいたせる人は、美しいと思う。

 「自分の知恵才覚でなんでもできるのだ」と手放しで自我を肯定するところには、そのような慎み深さと恥らいは息をつけまい。手柄はすべて「がんばった」自分のものだから。

 「私のこの命は、生かされ、願われてある命である。」

そう自分の小我が捨てられたところに、全ての手柄を如来にかえし、一切を感謝と報恩のうちにいただく心が育つのではあるまいか。(1.16)

 

 

ぞうきんの詩   (榎本栄一作)

 

ぞうきんは 他のよごれを いっしょうけんめい拭いて

自分は よごれにまみれている

                                                  (菩提樹第59号)

 

 学歴、地位、財産の前には少しも頭はさがらないが、この詩のような働きをしている人に出会うと、思わず頭が下がり、有難い人だと思う。私を含めて世の中には、自分が光ることばかりに夢中な人間が多すぎるのだろう。そういう中にあって「私はもう光らないでも、あなたが輝いてくれたらそれで満足です」という人がいると、かえって誰よりも輝いて見える。

 

 念仏よろこぶ人の一生は、このぞうきんの働きに徹して少しも悔いのないもののように見える。ぞうきんとなって私に働いて下さる如来さまのご恩を知ると申し訳なくて、自ずと自分もぞうきんになって生きていってしまう。娑婆にある身はどこまでも煩悩の自分であるけれども、その自分が念仏を行じることで、娑婆の汚れを拭いとるぞうきんになっていく。ぞうきんになったら、ますます汚れてしまうようだが、ぞうきんに徹した念仏者はあたかも泥中に咲く白蓮華のように娑婆の汚れに染まらずに、かえって清らかな人柄をもって周囲を清浄ならしめていく。きっと凡夫と座りが定まって、汚れのもとに我見がいつでも如来さまのぞうきんで拭われているからであろう。(1.10)

 

人と生まれた悲しみを 知らないものは

人と生まれた喜びを 知らない   (「真宗法語カレンダー」)

                  菩提樹第58号

 

 こんな話を聞いた。

 保育園の園長先生が夏に子供たちをプールに連れていった。他の保育園からも大勢の子ども達が来ていた。プールに入ってしばらくして、監視員が突然叫んだ。

「子供が溺れているぞ!」

一瞬はっとする。周囲が騒然となった。自分のところの園児ではないか。不安で身がこわばった。まもなくその溺れた子がよその園児だとわかった。「よかった」そう心の中で大きく安堵した。溺れたその子は死んだというのに。

 不虜の事故で幼い命が奪われたその刹那に、自分の心によぎったのは、その子の死をいたむ心よりも、自分のところの園児でなかったことを喜ぶ心であったという。

 人間に生まれた悲しみがここにある。自分に近い命を大切に思う心を失くせない。命を平等に貴ぶことができない。あさましいことである。恥ずかしいことである。それではいけない、これではだめだとわかっていても、自分を一番かわいいと思う心を失くせないのである。それがために自分を傷つけ、他人をも傷つけていく。その私が悲しい。

 だが、それだからこそ仏の願いがある。その苦悩の境涯を抜け出すすべを一つも持たないものなればこそ、必ず救わんとする仏の大悲がある。その大悲がこの私をこそ目当てにしていたと知らされたとき、人間に生まれた本当の喜びが知られるのであろう。(12.11)

 

 

恐るべき第一の難とは、坊主同行の無信仰と無道徳。これほど恐ろしい大問題はないぞ。

 坊主同行が目覚めて、信仰に本づき道徳を堅固に守っていくならば、百千の仲基・篤胤が一度に来ようが、さらに恐るべきでない。この言葉をお前の餞(はなむけ)にする。

                雲山龍珠「不動の信念」から

                                         菩提樹第57号

 

 仏教をそしり、おとしめす破仏家の富永仲基や、平田篤胤の説こそ、仏教を衰退させるもっとも恐るべきもの。なんとしてもかかる説を論破せねばなるまいと考えて、若き青年僧だった恒順師は師匠の南渓師そのための教えを求めた。

 それに対して南渓師は、外からの論難など恐れるにたらぬ。むしろ一番恐ろしいものは、教えを頂いているという「坊主と門信徒(同行)の無信仰と無道徳」にこそあると答えた。

 口を開けば、やれ伝道だ、布教だ、教化活動だ、宗門の活性化だと、外ばかりに眼が向いていた。自分一人が頑張っているように、やかましく騒ぎたてている自分の内面生活はどうなのか。そういう根本の問題はそっちのけにしていたのではないか。

 顔面に冷水を浴びせかけられたような南渓師の言葉であった。「足もとを見よ。まず己の身をただせ」

 当たり前の教訓である。しかし、その当たり前のことができていないことこそ、もっとも恐れ、心すべきことなのであろう。(11.19)

 

あなたは、一体何をドタバタしているのか

 生死(しょうじ)はお任せ以外にはないのだ。人知の及ばぬことはすべてお任せしなさい。そのためにお寺に生まれさせてもらって、お寺に嫁いだのではなか。生死はあなたが考えることではない。自分でどうにもならぬことをどうにかしょうとすることは、あなたの放漫である。ただ事実を大切に引き受けて任せなさい

               鈴木章子著「癌告知のあとで」から

                   菩提樹第56号

 癌と知って動揺する章子さんに届いたのが、ここにあげた父親の手紙である。

 鈴木章子さんは、癌のため四十六歳でお浄土に還られた。

 坊守として、これまで何百回も念仏の教えを聞いて来た。だが、如来さまが「お前を救うぞ、任せよ」とおっしゃって下さっていたその言葉が、本当には聞こえていなかった。

 癌になって、ただ「助けて下さい」というしかない場に立たされたとき、初めて如来様の「お前を救う」とおっしゃって下さっていた「おまえ」というのが、「私」のことであるとわかった。

 鈴木章子さんは、癌を縁として如来様の心を、信心をいただかれたのである。

 癌と知らされたときの苦しみ、悲しみが、この時に、念仏によって「今」を生かしていただいている感悦に転成(てんじょう)せられた。

 

   念仏は  私に  ただ今の身を

   納得して  いただいてゆく力を

   与えてくださる (章子)      (10.30)

 

 

 

ただ一つの眼

 頭脳は千の眼(知識)を持つが、心情にはただ一つの眼(愛情)のみしかない。けれど、ただ一つの眼がなくなれば、全人生の光は消え去るというのである。知性は数限りない知識をもつけれど、心情はただ一つの慈愛を保つのみである。しかもこの慈愛の心情が消えれば、全人生は闇となる百千の論理も、人生を輝かすことにおいて、一つの慈愛に及ばない。    岡 道固追悼集「思い出」から

                                      菩提樹第55号

 

 私達が失いかけているもの、それがただ一つの慈愛の眼なのかもしれない。

 千の眼(知識)は学校で養うことができる。だが、人生を潤し、輝かせる慈愛の眼だけは教育でそだてることのできないものである。それを育てるものは、仏教であり、なかんずく念仏の教えであろう。

 正しいことを教えたら、正しいことができる。それが人間であると信じればこそ、教育において千の眼は育てられるのである。しかし、正しいことを教えられても、それができないのが私であると知らされて、その自分を愚かな凡夫と恥いる心を大地として育つものが、慈愛の眼なのである。

 千の眼には人の罪が見えても、己の罪がみえず、ただ、外に向かって、罪を鳴らしつづける。しかし、一つの慈愛の眼には、己の罪が見えるゆえ、ひとの罪を責めることができない。ただ、ともにその罪を人間業の深さとして悲しむ。そこに流された共感の涙が乾いた大地を潤すのである。

 千の眼は涙をしらず、ただ一つの慈愛の眼だけが、涙を流す。その眼を失くしてはなるまい。(10.20)

 

業苦の大地は  善人の誇りに乾き  悪人の涙にうるほさるる。

 

露しげき雑草の土に帰するところなくば、巨木も生い立つ所がない。ここは道を説く賢者も、愚かなる群生手をあわせねばならぬ一境があるようである

                 金子大栄著「歎異抄領解」より

                 菩提樹54号

 

 念仏は、弥陀が凡小を哀れみ、釈迦が群萌を救わんとして、たまわった功徳の宝であり、真実の利である。

 念仏は名もなき人々が、その真実を証し、今日まで連綿と伝えひろめてくれたものである。その縁に私もまた、たまたま遇うことができたのである。

 僧侶として、布教使として、なんとしても弥陀の慈悲を伝えたい、そう願って法座にたち、説教をする。しかし、説教する私が法を弘めているのではない。如来の慈悲を自分の身で感じ、念仏に頷かれているお同行がたの一心に聞くその姿が、念仏を証し、伝え弘めているのである。

 布教のためには、いささかなりとも本を読み、学問もする。それが自分の立場での御恩報謝であると心得てそうするのである。しかし、その学問がこの業苦の大地を潤すのではない。いや、ともすればその学問と、そのわずかばかりの知識におごった私のごとき者こそが、この大地を乾かしていくのであろう。

 学問で救われない娑婆を生きている凡夫の流す涙。その涙にそそがれた如来の涙。その如来のながされた大悲の涙にいだかれて、念仏となえつつ流す凡夫のひとしずくの涙こそが、業報の土を真実に潤していくのであろう。(9.30)

 

「あなたとの 出会いは

       生きてゆく ごほうび」   (禅の友11月号より)

                      菩提樹53号

 

「もしあの出会いがなければ、とうてい今の自分はあるまい」

 人生の来しかたを振り返ったとき、そう思うことがある。つまるところ、いかなる出会いをするかということが、よくもわるくも人の一生をきめていくのであろう。そのときに「あなたとの出会いは生きてゆくごほうび」といただける出会いを持てた人は幸せである。

 如来様とのお出遇いは、生きてゆく私がいただいた一番大きなごほうびでした。

 その如来様の教えを私に伝えて下さったあなたとの出会いは、生きてゆくごほうびでした。

 その如来様の教えをもとに、喜ぶことのできるあなたとの出遇いは、生きてゆくごほうびでした。

 その如来様の教えにまだ出遇っていないあなたに出遇って、その法をお話しできるのは、わたしの生きてゆくごほうびです。

 すべてを得難き出遇い、と喜んでいける者でありたいと思う。(9.13)

 

 

「 お 魚 」   金子みすゞ

  海の魚はかわいそう。

 

  お米は人に作られる、牛は牧場でかわれてる、

  こいもお池でふをもらう。

 

  けれども海のお魚は

  なんにも世話にならないし いたずら一つしないのに

  こうしてわたし食べられる。

 

  ほんとうに魚はかわいそう。       菩提樹第52号より

 

 金子みすゞは26歳で夭折した山口県の童謡詩人である。

 幼児のように無垢な感性で詠まれたみすゞの作品は、母の懐にいだかれたようなあたたかさに満ちている。子どものときは、誰もが確かにもっていた、不思議を不思議と感じ、あらゆるものに自分と同じ命を見出していく柔らかでやさしい心。そういう心をよびさましてくれる。

 人間であるとはどういうことか。多くの命をいただかなくてはいきていけない私達である。だがそれらの命もまた、生きたいと願って生きている命である。ひとたび自分が食べられる魚の側にまわったら、そのいわれなき死にどれほどの憤りをいだくだろう。口のきけない魚に文句はいえない。「ほんとうに魚はかわいそう」の言葉は、自分が魚になって、魚とともに流す涙である。

 生きるためには、罪のない魚の命までとっていかなくてはならない。それを罪深い自分といただいて合掌できるか、生きるためにはあたりまえのこととしてしまうか。そこに人間が人間として生きることの境がありそうな気がする。

 人間に生まれたなら誰もが人間になるのではない。仏法にであって人間は初めて人間となるのである。(9.1)

 

 

「今日すべきことを

       明日に延ばさず」

 

 

仏教伝道協会刊「みちしるべ」から

         菩提樹50号より

 私達の人間生活においては、今日一日をこそ大切に生きよという教えです。時計や暦のうえで語られる時間とは、常に昨日から今日へ、今日から明日へと、絶え間なく流れていくものです。

 しかしながら、仏教でとらえる時間というものは、そのような理解とは異なっていて、常に現在の一点においてとらえます。

 このような「今」を大切にする仏教の時間観をしめす教法に「箭喩経」という経典があります。

「たとえば、ある人が毒矢に射られたとしよう。そこで彼の友人や親族たちが、驚いて急いで医者を迎えようとしていた。ところがその毒矢を射られた当人が

 「ちょっと待ってくれ。私を射たものは一体誰か、王族か、庶民か。町の人か、村の人か。その人は背が高かったか、それとも低かったか。その弓の弦はなんという草のつるか。またその矢はどんな種類の矢か。それらのことをまず調べてほしい。それが明確になるまでは、この毒矢をぬかないでくれ。」

と言ったとすれば、その人はどうなるであろうか。きっと彼はそれらのことを知り得ないうちに、命を失ってしまうであろう。マールンクヤよ。あなたは今、世界は有限か無限か。人間は死後にも存在するか、存在しないか、などとたずねているが、それはちょうどこの毒矢を射られた人が、いろいろと申して、それらが知られるまでは毒矢を抜かないでくれと言っているのと同じことである。そういう質問、たんなる未来についての質問に心をくだくよりも、まず今ある自分の問題についてこそ見つめて、その苦悩多き人生を克服し、解決すべきである。」

 いたずらに死後、来世を問うことなく、まずなによりも、今の現実、この苦悩の人生の解決を求めよと、教えられているところに、仏教における時間の思想がよく示されています。(8.12)

 

「ナムアミダブツ」

 こないな

 広い道があるとは

 夢にも知らなんだ

 これも みんな

 あのおやじが

 あんなこと

               仕出かしてくれたらこそと

               今も思い出しては

               拝んどるのや

                       林暁宇原著・澤田悦二編

                     「みんなおあみださまのおかげです

                        ー三味線婆ちゃんのことばー

                                                 菩提樹49号より

 浄土真宗の信心の世界がどういうものか、この詩にはっきり現われている。岡部さんは明治二十三年石川県に生まれた。四十八歳で生地獄を経験したという。それを縁として聞法に励み、五十歳ごろに如来様の心をいただき、以後三味線一本で全国を行脚し、法悦の歌を歌い続けた念仏者である。

 「こないな広い道」とは、如来の大悲の無碍の一道である。それにしてもこんなすごい世界があることを教えてくれたのが、よもや「あのおやじ」であろうとは。あのとき「あのおやじ」の仕打ちにどれほど泣かされたか。どんなことがあっても、許すまい。そう誓っておった。その憎いおやじが、この私に、法が聞こえる耳をさずけてくれた。してみると「あのおやじ」こそ、私を弥陀の世界に導く菩薩さまであったかと、いまはよくよく有難く思われてならないのじゃ。

 「あのおやじ」の仕打ちが縁となって、如来の南無阿弥陀仏が聞こえたなら、自分の狭い殻が破れた。弥陀の世界にはいって、ふりかえってみれば、「あのおやじ」こそがこの世界へはいる入口だった。憎む心が拝む心へと変わっても不思議はない。そこに真宗の信心の世界がある。(7.12)

「念仏の社会性」

わが身の往生一定とおぼしめさんひとは、仏の御恩をおぼしめさんに、御報恩のために御念仏こころにいれてもうして、世のまか安穏なれ、仏法ひろまれとおぼしめすべしとぞ、おぼえそうろう。

    (親鸞聖人ぼ消息集第二通)

                     菩提樹48号より

 「ただ念仏ばかりしていてもしかたないから、福祉活動や平和運動などの社会的な実践をしなくてはならないだろう。」

 福祉活動も平和運動も尊いことである。しかし、その活動の動機が「念仏ばかりしていてもしかたない」からというなら、その主張は間違いである。

 社会問題の根底には、自分こそ正しいと思い、なんでも己の思うがままにできるという人間の邪見驕慢な我執が潜んでいる。その我執を正面からたたいて、真実の自己へと私達を導くものは、念仏しかない。かりに社会的運動によって自分たちの望むなんらかの制度を勝ち取ることができたとしても、それを運営する人間が変わらないならば、問題を根本から解決することはできないであろう。

 念仏は、政治や経済など社会生活の改善のために直接働くものではない。しかし、ひとりひとりを変えることによって、人間社会の様々な問題を根本からあらためていく力となるものである。念仏者にとって念仏の弘通に勝る社会的実践はない。合掌(平成28年6月16日)

「念仏の救い」

 

「空念仏では何もできない。

 念仏を称えたくらいで 何で救われる   ものか。」

      (ある青年の言葉から)

        菩提樹47号より

 

 いったい、念仏を称えて何の益があるのか。何から救われるというのか。念仏は呪文ではないから、ただ念仏を称えたからといって、願いが叶うということはない。もとより、念仏は私達の手前勝手な欲望を満たすためにあるのではなくて、そのような欲望にふりまわされた姿を迷いであると教えてくれるものである。念仏の心が確かに聞こえたとき、念仏は力となる。

 私達には、この世で生きているかぎり、自分の力ではどうにも超えることのできない苦しみや、悲しみにであう。それは愛する人の突然の死であったり、信頼していた人の裏切りであったり、さまざまである。思わず「なぜ自分一人が、こんな苦しみにであうにか」と、呻吟せずにはいられない苦しみである。

 虚偽、転倒の世の中、老病死の現実を抱えて生きている私達は、必ずこのような苦しみにであう。私達が避けることのできない苦にであって涙するとき、そのお前を私は決して見捨てない、そういってこの私を抱きとめ、支えてくれるのが、念仏である。

 念仏は力である。煩悩の苦に迷う私を救い、「すべてよかった」と人生受け止めていく力となる。(平成28年6月5日)

「心のものさし」

 

「兎と亀は  はじめから

 競争しなかったら よかったんだね」

 

     (ラジオで聞いた話から)

       菩提樹第46号より

 

 子供にイソップ物語の兎と亀話をしたところ、子供は、上述のように答えたそうだ考えたら子供の言う通りで、本来持ち味の違う兎と亀が競争することは意味のないことである。

 競争しないでいいものが、競争することで私達はお互いに随分と苦しめ合っているのではないか。

 私達は誰もが心の中に自分のものさしをもっている。それでもってあらゆるものをはかるのだろう。たまさかはかれないものに出遭うと、それはおかしい、間違っている、そう言って相手を裁き、非難する。そこに不必要な競争が起こり、争いが生じる。だからそんな苦しみの元になるものさしはさっさとすてたらよい。

 しかし、そうとわかっていても、それを使わないでいることも、捨てることもできない。まことに愚かである。愚かであると知りながら、この愚かさを一歩も抜け出ることができない。

 だが、さればこそ如来は南無阿弥陀仏を私にくだされた。如来の御慈悲をそのごとくいただくと、ものさしをもちながら、それをつかえないような自分にだんだんに育てられていく。そこにも念仏の大きな利益があるのではなかろうか。南無阿弥陀仏 (平成28年5月17日)

「無財の七施」

        菩提樹第44号より

1.眼施 優しい慈しみの目で接する

1.和顔悦色施 にこやかな顔で接する

1.言辞施 人を傷つけないあたたかな  

      言葉をつかう

1.身施 自らの行動で人に接する

1.床座施 人のために席をゆずる

1.房舎施 建物を施す

 

 「御布施というのは、お坊さんが読経してくれたことに対する謝礼だと思っていました。」

 御布施がむさぼり心を矯め直すための自分自身の修行の一つであると知っているひとは案外に少ないかもしれない。

 あの人のことを考えると、なにか心が温かくなる。そういう人がいる。そういう人のことを思い出してみると、ここにあげた、無財の七施を実行している人であることに気づく。いつでも笑顔で迎えてくれて、こちらの言うことをふんふんと聞いてくれる。対面していると、心と体の全身で「あなたのことが大好きです」そう言われているような感じさえする。

 ある人は、自分の母親に、ある人は、自分の幼い子に、またある人は親しい友に、そういう無財の七施を見ているかもしれない。

 その気になれば、誰でもできそうな無財の七施だが、誰にもできない布施行が無財の七施でもある。なぜなら、それは自分の心を人に施すことだからだ。そしてそれゆえに、無財の七施が最も高貴な布施ともなり、最も難しい布施行ともなる。(平成28年4月30日)

「幸福の五つの条件」

          菩提樹第43号より

1.適度な健康

2.経済的な安定

3.社会的な名声

4.変わらざる愛情生活

5.老境にいても適当な仕事をもつ

 

 ある法話テープで聞いた幸福になるための五つの条件というものを挙げてみた。佛教では「財欲、飲食欲、色欲、名誉欲、睡眠欲」を人間の五欲であると説く。

 健康でお金があって、妻や子供に愛され、人からも信用され、生涯にわたる仕事を持っていたら、その人は幸せになるのだという。五欲が満たされていたら、幸せだと感じる。それが私達の日暮らしかもしれない。

 しかし、お釈迦様はそれは迷いであるとおっしゃった。人生の老いと病と、死はだれも避けることはできない。そして、すべてのものは移りかわる。そうであれば、幸福の五つの条件はどれも崩れていくものである。そのようなあてにならない条件にしがみついて、幸福を願う姿が迷いであると教えられた。

 五欲を超えたところに人間の真実の幸福がある。生老病死によっても崩れ去ることのない大きな命の世界、絶対の安養の世界、そこへ導くのが仏の教えである。(平成28年4月15日)

「お多福の顔」     菩提樹第42号より

 

 お多福といえば、顔だちの悪い女の代名詞のように考えられている。しかし、これは間違いらしい。むしろその反対でお多福の顔は、昔の女性が理想とした「五徳の美人」の顔を表現したものだそうだ。

 五徳とは何か。まず第一の徳は「目」である。その目は憎しみの目でなく慈愛の目である。第二の徳は「耳」。生きとし生けるものの声なき声を聞くことのできる「耳」。第三の徳はふっくらと豊かな「頬」。どんな子供も平等に包み込み育む優しい頬。第四の徳は「口」である。相手を非難したり、皮肉を言うとがった口ではない。第五の徳は「鼻」。高慢な鼻でなく、謙虚で慎みのある鼻。

 ひるがえって、今年一年私はどんな顔をしてきただろうか。だまされまいと猜疑の目をこらし、人の言葉には耳をふさぎ、いつも不平不満で頬をふくらませ、自分の言いたいことだけは口をとがらして主張し、低い鼻を天に届くほど高くしてきたのではなかったか。

 大経に「和顔愛語」の言葉がある。お多福の五徳は佛の心に通じるものである。佛教のお育てをいただいた人のおのずと至る顔のモデルがお多福なのかもしれない。(平成28年4月6日)

「ある ある ある」

 

さわやかな 秋の朝

「タオル取ってちょうだい」

「おーい」と答える良人がある

「はーい」とゆう娘がある

歯をみがく

義歯の取り外し 顔を洗う

 短いけれど

 指のない

 まるい つよい手が なんでもしてくれる

 断端に骨のない 柔らかい腕もある

 何でもしてくれる

 短い手もある

 ある ある ある

 みんなある 

 さわやかな 秋の朝    中村久子著「私の越えてきた道」

                   菩提樹第40号より

 

 中村さんは満二歳問十ヶ月あまりのときに、凍傷がもとで、突発性の脱疽病になり、幼くして両手両足を失った。

 さわやかな朝のこと、洗顔をして、歯を磨く。自分には手も足もないけれど、用をたしてくれる優しい夫と娘がいる。そしてかっこは悪いけれど、ちゃんと役をはたしてくれる指も腕もある。手も足もない自分だけれども、今日もこうして生かされて、このすがすがしい秋の大気を胸いっぱいに呼吸している。すべてのものが私を生かそう生かそうと働いてくれる。ある、ある、ある。確かに手も足もない自分だけれど、私はこんなにも満ちたりている。

 筆舌に尽くしがたい困苦を克服し、生きるために見せ物小屋の芸人として働いた中村さん。だが、この詩は、そんな苦労をいささかも感じさせない。むしろ自分の人生を恨むことなく、ありのままにいただいて生きてきた人のすがすがしさがある。

 念仏に生かされた人の美しさというのは、こんなところに現れるのかもしれない。             (平成28年3月14日)

「 仏の慈悲 」

よろこぶべきこころをおさへて、よろこばざるは、煩悩の所為なり。しかるに仏かねてしろしめして、煩悩具足の凡夫と仰せられたることなれば、他力の悲願はかくなごとし、われらがたねなりけりとしられて、いよいよたのもしくおぼゆる   なり

                「歎異抄」菩提樹第39号より

 生老病死の現実をふまえて、お釈迦様は「人生は苦なり」と教えられた。しかし、健康で、お金もあり、愛する人もいて、また自分を愛する人たちに囲まれている、そういう人たちにとって、人生の真実とは、実感されないのではないだろうか。人生の無常に涙し、世の不条理と、人間の不実に苦悩し、病苦に呻吟(しんぎん)する人にあってはじめて「人生は苦なり」は我がこととして、深くうなずかれるのかもしれない。かかる「苦」の自覚をもった人は、そこにどうしても仏の慈悲を仰がずにはいられない。

 だが気がついてにれば、求める先にすでに仏は、かかる煩悩の私を救おうとして南無阿弥陀仏となってはたらいていてくださった。しかし、この私は、その南無阿弥陀仏にようやくに出遭いながらも、依然として、心では、そのたよりない世間と不実な人間をあてにする思いを捨て去ることができないでいる。

 しかしさればこそ「仏かねてしろしめして、煩悩具足の凡夫と仰せられた」のだ、と親鸞聖人はいただかれた。どこまで深い如来の大慈悲であろうか。 合掌           (平成28年2月17日)

「 二度とない人生だから 」

二度とない人生だから

一輪の花にも無限の愛をそそいでゆこう

一羽の鳥の声にも無心の耳を傾けてゆこう

二度とない人生だから

一匹の螽斯(キリギリス)でも踏み殺さないようにして心してゆこう

どんなにか喜ぶことだろう

二度とない人生だから

一遍でも多く便りをしよう

返事は必ず書くことにしよう

二度とない人生だから

まず一番身近な者たちにできるだけのことをしよう

貧しいけれど心ゆたかにせっしてゆこう      坂村真民

                     (菩提樹第38号より)

 

「二度とない人生だから」と詠む真民さんの言葉には、人間としての有り難き生をいただいたことをいちおしむ思いと、さればこそ人としての真実一路をひたむきに歩んでいこうとする誠実さがにじんでいる。

「二度とない人生だから」を「死んだら終わりだから」と私たちは考えていないだろうか。「死んだら終わりだから、なるべくおもしろおかしく生きていこう。」確かにそれも一つの生き方である。

 しかし、そう言い切るには、一抹の後ろめたさが残る。善く生きようとする人間の本然の心が抗議の声をあげる。その声は微かで、ともすれば聞き漏らしがちだ。あるいは確かに聞こえたのだが、聞こえないふりをすることもあるかもしれない。だが、その声を大切にしたい。なぜならその声こそ自分の本当の思いなのだから。

 何が大切で、何が大切でないのかを訴え続けている私たちの心の声を、真民さんの詩は代弁してくれている。

                      (平成28年2月2日)

「 憲法十七条 」   聖徳太子

二に曰く、篤く三宝を敬え。

三宝とは仏法僧なり。

則ち四生の終帰、万国の極宗なり。

いずれの世、いずれの人か、

是の法を貴ばざらん

人ははなはだ悪しき者鮮(スクナ)し。

                                       能く教うなれば従う。

                 それ三宝に帰せざれば、

                  何を以ってかまがれるを直くせん。

                                        (菩提樹第36号より)

 

 長く一万円札の顔であった聖徳太子はすぐれた政治家であると同時に真の仏教者でもあった。

 親鸞聖人は聖徳奉讃の中で太子のことを「和国の教主」と称えられ、

敬慕されている。

 何が正しくて、何が誤っているのか。自分中心にしか生きられぬ私たちにとっては本当には決しがたい。

 自分の都合や好悪がいつでも善悪をはかる基準になっていないか。自分に都合が善いこと、好きな人は善、自分にとって都合の悪いこと、嫌いな人は悪。ゆらゆらと揺れ動く自分の心を判断の基準として、どうして善悪を正しくはかることができるだろうか。

 絶対にゆるがない法の真実をもって、善悪をはかり、如来の心をもっておのれの不実を写し出す明鏡とする。

 太子は一国の政の基に仏教を据えられた。仏教をもって真実をはかる秤とされた。まがりを直す鏡とされたのである。

 私たちもまた、いかなることにも狂わない真実の秤と、どんなことにも曇らない真実の鏡をもたなくてはなるまい。親鸞聖人はそれを「ただ念仏のみぞまこと」と、お示しくださっている。南無阿弥陀仏。

                             (平成28.1.19)

「 なぜですか 」

「おれが入院して元気になったかて、誰が喜んでくれるんや。結核が治っても、体力がなくなるんやで。今までもな、退院してから、必死に働いたんや。けどな続かへんのや。また再発や。その繰り返しや…。それよりな、ここにいて、酒のんで、ひっくり返って、死んでしもうたほうがええんや。おれの人生は、それでいいんや。」

            入佐明美著「ねえちゃん ごくろうさん」

                   (菩提樹第35号から)

 

 入佐さんは釜ヶ崎(日雇い労働者の街)で働くキリスト教のボランティアケースワーカーである。結核らしい男性に入院を強く勧めたときにかえってきたのが、この言葉であったという。

 誰のために自分は生きるというのか。このまま死んだからといって、誰が本当に自分の死を悲しんでくれるというのか。そこに確たる解答がなかったなら「俺の人生は、それでいいんや」そう言うしかない。

 そうではないんだ。そうではないんだ。あなたの命はあなたの命ではないんだ。あなたの命も、この私の命も、如来さまからのたまわりものの命である。だから大切にしなくてはいけません。善く生きなくてはなりません。

 たとえこの世に誰ひとりも自分のことを考えてくれる人がいなくなったとしても、如来ひとりはどんなときも、自分の上に慈悲のまなざしをむけ、見守っていてくださるのだ。

 どうか、如来の願いに目覚めてください。お願いします。合掌

                         (H.28.1.7)

「 七 仏 通 戒 」

 諸 悪 模 作

 衆 善 奉 行

 自 浄 其 意

 是 諸 仏 教    涅槃経

        (菩提樹34号から)

 

 仏教の教えとは、一言でいったらどういうことか。それは、悪をなさず善をなし、自分の意(こころ)を浄くすることである。なんだ、そんなことか、そんなことなら三歳の子供でも知っている。だが、三歳の子供でも知っていることを、本当にできる人がどれだけいるのか。

 タバコが健康に悪いことは、知っている、だがやめられない。悪口が悪いことであるのはわかっている。だがつい口をついてでる。

 法句経に「善からぬこと、おのれのためにならぬことはなし易い。ためになること、善いことは、実にきわめて作(な)し難い。の言葉がある。

 三歳の子供でも知っている道理を実行できない私の現実がある。この現実の私の姿を道理にそって歩めるように矯め治していく、それが仏教の教えである。あたりまえのことがあたりまえにできる、そういう人間になれと教える。

 仏の教えは遠いところにあるのではない。自分の毎日の日暮らしの中にある。                        (H.27.12.30)

「 論 語 」

  子日、朝聞道、夕死可(なり)

 子の曰く、朝(あした)に道を聞きては、夕べに死すとも可なり

 (*先生がいわれた、「朝(正しい真実の)道が開けたら、その暁に死んでもよろしいね」)

             「論語」 金谷治訳注 (岩波文庫)

                                              (菩提樹第31号から

一年の最初に論語を選んでみた。折にふれ、心に去来する言葉である。

 釈尊の言葉には「最上の真理を見ないで百年生きるよりも、最上の真理を見て一日生きることのほうがすぐれている」がある。

 「死んだら終わり」そういう考え方が蔓延している。その考えに感染すれば、できるだけ長生きをして、この現世をおもしろおかしく生きていくことだけが、人生の目的となろう。そうなれば、それを実現してくれるお金と、健康が日々の関心となる。

 もはや道も真理も、聞く耳もたぬ、だがやはり死ぬのはこわい。そんなところにいま私たちはいるのではないか。

 さればこそ、そのおまえを救おうとさしだされた弥陀の慈悲だ、どうして素直にいただけぬのか。

 「よろずのこと、みなもつてそらごとたはごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておはします」

 そういう世界がひらけたら、もはや「死んだら終わり」の世界は飛び越えている。念仏者が道を開き、真理を見るとはそういうことだろう。

                        H.27.12.17

「 ある少女の詩 」


わたしは一本のろうそくです

もえつきてしまうまでに

何かいいことがしたい

ひとの心によろこびの灯をともすことのできるような いいことがしたい。

            東井義雄著「根を養えば樹は自ら育つ」から

                                           (菩提樹第33号から


 作者は精神薄弱の中学生であるという。

「もえつきてしまうまでに なにか一ついいことがしたい。ひとの心によろこびの灯をともすことのできるような いいことがしたい」

 こんな思いを忘れていた。

 この詩を読んだ時、涙がこぼれた。少女の心が有難かった。尊い願いをおもいださせてくれた。自分の姿のあさましさを目の前につきつけられたように恥ずかしかった。

 毎日一生懸命生きている。そう胸を張って言うことはできる。だがその一生懸命はどこまでも自分のためだけではないのか。「ひとの心によろこびの灯をともす」そんななにかを、これまで自分は本当にしてきたか。

 この詩の清らかで純一な願いがすべての人の願いにならねばならない。わけても僧侶の道心はここが出発点でなくてはならぬ。

「死ぬまでにたったひとつでいい。人の心に灯をともすような、いいことがしたい」そう念じて私も生きていきたい。

 南無阿弥陀仏  幸仏                  H.27.12.4               

 「 恩 徳 讃 」

  如来大悲の恩徳は

    身を粉にしても報ずべし

  師主知識の恩徳も

    ほねをくだきても謝すべし

          (菩提樹第30号より)

 一年の最後の言葉に親鸞聖人の恩徳讃をいただいてみた。

 二年前に得度したが、その時に一緒だった人の言葉が忘れられない。「恩徳讃は、そんなのんきな気持ちで歌える歌ではないんだ。ただ、有難いというのではない。もっと厳しい私達の努めを歌っているのだ。」

 在家出身の人であったが、しかたなしに得度を受けに来ている寺族の子弟の、なまぬるい態度ががまんならなかったのだろう。

 如来の大悲の恩徳深きを知らされたら、その万分の一でも返さずにはおれないはずだ。かかる大悲の教えに導いてくれた善知識には、いかようにお礼しても足りないはずではないか。

 今年一年どれほどのご恩報謝ができたであろうか。報謝行は人さまざまであってよい。

 しかし南無阿弥陀仏ひとつをいただいて生きてきたかどうか、念仏者はそこを反省しなくてはなるまい。     (2015.11.16更新)

 

 

「明日の目的のために

    今を生きているのではない

           今が全部だ」(菩提樹第29号より)


 ここ二、三年座右の銘としている。何かこれをやろう、と思う。それはすぐにはできない。その目的を達成するまでは、と歯を食いしばる。目標達成までの一日一日がいつのまにか、明日のためにある今日になってしまう。そうして、その目標が達成されると、次の目標へと向かう。それはどこまでいってもきりがなく、いつでも追い立てられているような毎日であった。そんな時に、この言葉に出遇った。

 確かに大志、夢、理想、希望は一日ではならない。成るまでに長年月要する。しかし、その長年月の一日一日は、目標達成の過程ではなく、今日一日の目的である。今日が全部なのである。

 その今日の中に、大志があり、夢があり、理想があり、希望がある。それらは長年月の果てに実現されるのではなくて、今日一日の務めの中に日々実現されているのである。

 今日は明日のための手段でない。今日は今日のためにある。今日を生きずに、いつ本当に生きるのか。今しかないのだ。(2015.11.4更新)

虚 空 蔵 菩 薩 (菩提樹第28号より)

 

 虚空蔵菩薩は、衆生が求めるものを、すべて自由に与える力をもち、

さらに菩薩に祈願することによって広大無辺な智慧と福徳を授けてくださる菩薩さまとして衆生の中で信仰されてきたのだという。

 仏教には興味がないという人でも仏像は好きだ、という人は意外に多い。仏像は見る人の心をやすらかにする。

 全てを見抜いていながら、裁くことをせずそのままに救う、そういう智慧と慈悲の体現者としての仏、菩薩の心が自然と見るものの心に浸み込んでくる。

 仏教の育てを受けるということは、自己中心的にしか生きられぬ己が姿の真実を知り、そういう自分なればこそかけられた仏の願いに目覚めることである。そのとき人は佛の大悲に感涙せずにはおられない。そして、仏に赦されてある身であることを知った者は、もはや人を裁くことはできない。赦されてある自分が、どうして人を裁くことができようか。あるがままに人を受け入れるのである。周囲に安らぎをもたらす人とは、そのような人だろう。        (2015.10.18更新)

   表 題 (菩提樹第27号より)                

     雨                   野村康次郎

     雨は  ウンコの上にも

     おちなければなりません

     イヤだといっても  だめなのです

     誰も

     代ってくれないのです

     代ってあげることも  できないのです

                東井義雄著「仏の声を聞く」から


 東井さんは、中学生のときに、大経の「独来独去 無一随者」の言葉に出会ったという。

 「独り来たり、独り去り、一の随う者なし」

たった一人で生まれ、そして死ぬときにもまた、たった一人で死んでいかねばならない。いやだと言って代ってもらうこともできず、かわいそうだからといって代ってあげることもできない。どこまでもたった独りの道ゆきである。まことに厳しく辛いことである。

 しかし、誰もが、それはたとえば雨さえもが、今日今時のたった一度のいのちを懸命に生きている。後にも先にも、それはこの自分だけしか経験できない、貴重な一瞬を生きている。そう考えてみると、「独来独去 無一随者」は、ただ厳しく辛いことばかりではない。得難く有難い命をいただいているのだと知ることができる。

 人生の苦難は避けることができない。代ってやることもできない。しかし、「生きてよし、死してよし、どこまでもみ手のまんなか」そういう世界を恵まれている念仏者にとって、それがなんのさわりになるだろう。東井さんはそう教えてくれた。     (2015.10.1更新)

表題 「仏の声を聞く 真実の声を聞く」(菩提樹第25号より)

 

 真宗教団連合法語カレンダーの7月号の言葉を選んでみた。作者は桐谷順忍先生である。

浄土真宗は「聞」の宗教であるという。何を聞くのか。仏の声である。真実の声である。それでは、仏の声とは何か。真実の声とは何か。南無阿弥陀仏である。南無阿弥陀仏なら、毎日自分で称えて耳にしておる。その南無阿弥陀仏が仏の声であり、真実の声であるという。なぜ、南無阿弥陀仏が仏の声であり、真実の声なのか。そこを聞くのが、真実の「聞」である。

「聞というは、衆生、仏願の生起本末を聞きて疑心あることなし、これを聞というなり」({教行信証}信巻)

「仏願の生起本末」の説明を聞いて南無阿弥陀仏のいわれを理解することは誰にもできる。しかし、南無阿弥陀仏がそのまま仏の声に聞こえ、真実の声に聞こえるという人は希である。

 ここに真宗の「聞」の難しさがある。     (2015.9.14更新)

 

H.28年2月12日

住職創作室更新