第6回 宗教は恐いか (1) (2014.11.16.)

  宗教は必要だと思うが、しかし、そうかといって自分が何かの宗教を信じるのは、どうも、という人が多いようです。なぜでしょうか。そのことを二回にわけて考えてみたいと思います。

 <何かがおかしい>

  幼児の連続殺人事件や、小学校や中学校でのいじめによる子供の自殺などのニュースを聞くと、今の世の中どこかおかしいと、感じます。人間として大切なものが失われてきているのではないか。そう感じます。皆さんもそう感じているのではないでしょうか。それでは人間として大切なものとは何か。やはりそれは他人を思いやる心であると思うのです。そういうやさしい心が失われてきていると思うのです。それでそういう心を育てるというのは、これは宗教の仕事です。だから宗教というものはどうしても必要です。一般にもそう考えられていると思います。宗教の時代、心の時代といわれて久しいですが、誰もが宗教の必要性に気づいてるのだと思います。

<宗教は恐い>

  確かに宗教は必要である。だが、自分が何かを信じるとなると、ちょっと、と尻込みしてしまう。それが普通の人の心理ではないでしょうか。この尻込みしてしまう気持ちの中には、どうも宗教に対する恐怖心というものがあるのではないかという気がします。何かを信じたら理性を失って、狂信的になってしまうのではないか、なんらかの宗教団体に入ったら、多額の寄付金を求められるのではないか、そんな心配があるのかもしれません。

 あるいは、恐いと言うのではなしに、何か自分以外のものに頼るというのが自分に許せないと考えて、一般的には必要だろうが、自分には必要ないという人もあるかもしれません。健康で人生に目標をもって、ばりばりと働いている人などは、そうかもしれません。宗教は弱い人間には必要かもしれないが、自分のような強い人間には不要である、そう考えているかもしれません。しかしこういう人の場合であっても、その心の奥底に宗教を信じると自分がなくなるのではなないかという恐れがあるように思います。

宗教は必要だと認めるが、自分が何かを信じるとなるとどうも恐い気がする。そういうのがごく普通の気持ちであるかもしれません。

<恐いものみたさ>

   「あなたには先祖の悪霊がついているから、その霊をとるためにこれこれの壷を買ったらいいと言われて、何十万円も出して壷を買わされた」とか、「まじないをして悪霊を祓ってやるから、何百万円出しなさいといわれて、全財産をはたいてしまった」など、そんな話を聞くと、たしかに宗教というのは人を盲目にしてしまう。恐ろしいものだという気がします。ですから、普通の人が漠然と宗教に対して何か恐ろしいものと感じているのは、むしろ健全なことであるといってよいかもしれません。

 しかし、また人間というのは、おかしなもので、恐いとなるとかえってみてみたいと思うのですね。守護霊だとか背後霊だとか、何か超自然的な力について聞いてみたい、読んでみたい。できれば、そういうものの力を借りて何かうまいことをしたいと考えたりするのです。本屋さんに行くとその手の本がたくさん並んでいますから、いかに一般の関心が高いかがわかります。

 宗教はなにかしら恐いが、それだけに関心がある。そんなところでしょうか。(次回に続きます。)