今日は。宝林寺坊守です!

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「12月31日」

 毎年、この日は午前中掃除とお料理、午後は除夜会の準備をしている。が…今年は違った。

 隣寺の前前坊守様がご逝去され、今日が葬儀となった。導師は住職が勤めさせて頂いた。

 

 前前坊守様の葬儀には北組の法中がたも多く参られ、本堂には「正信偈」のお勤めが響きわたる。美しく荘厳なお経を、今年最後の日に頂こうとは…有難かった。

 

 私が坊守の努めをさせて頂く時には、もうすでにご隠居?され、ほとんど坊守会でもお会いすることはなかった。でもご当山にお参りをさせて頂くと、遠くからでも挨拶をしてくださった。お寺を守るためご苦労をされたと、祖母から聞いたことが忘れられない。

 全てが終わって、義父の病院、義母の施設を住職と見舞った。やがてこの義父母とも別れが来るのかな…そう思うと寂しかった。

 今年の大晦日はとても寂しい。(12.31)

 

「お見舞い」

 昨日は住職とご門徒のOさんのお見舞いに行った。長いこと病気を患い、今年の夏以降急に体力が落ちてこられ、また入院された。

 想像はしていたものの、身体が痩せ、眼だけはぎょろりと輝いている。その場にいたたまれなかった。少しだけお話させて頂いた。

 「夢を見るんです。色とりどりの蓮の花を前に、閻魔さんが「お前はどの色の花を選ぶんだ?」と聞いてくる…。」と、Oさん。

 住職は「選ぶ必要なんてありませんよ。私達の往く処は「お浄土」ですよ。亡きお父様、お母様がちゃんと手引きして、間違いなくつれていって下さいます。大丈夫ですよ。」

 

 もうこれが最後のご報謝になると思われていたのか、ここ数年お寺に、よくお参りしてくださった。それでも「お寺さんには十分なご報謝もできんかった。」と、言われた。

 無言のまま帰路に着いた。(12.27)

 

「今年もやったね!」

 昨日、ライトコールのプチ忘年会をしました。今年も元気で歌うことができた一年に感謝して、また来年も楽しく歌いましょう、と約束して終えました。

 色々な合唱団があるが、仏教を通して繋がっているコーラス団体である。だからこそ、皆が心地よい時間を過ごさせてもらっている、と思う。年齢も所属寺院もそれぞれだが、「法の友」として出会えた家族のような存在。これからもどうぞよろしくお願いします。(12.24)

 

「どこからきたの?」

 早朝玄関前に可愛い鳴き声。開けてみるとこの猫がちょこんと座っていた。

 「お前さんどこから来たの?」中に入ろうともしないで、慎ましくこちらの様子をうかがっている。誰かに飼われているのだろうか、毛並みも美しく上品な猫だ。住職が「中に入れてやろうか?外は寒いよ」と言う。

 「でも…赤ちゃんがいるから…居ついたら困るよ。」と非道な私。

私達の会話を聞いているのか、いないのか…ずっと大人しくこちらを覗っている。

 目を離した間に、どこかに行ってしまった。報恩講を終えた次の日の朝だった。

 きっとあの子はこのお寺に参りに来たのだろう。一夜の宿も貸してあげないで帰らせてしまった。今も後悔が残る…。(12.18)

 

「祈りの折り鶴?」

 宝林寺の報恩講を無事お勤めし終わり、今は各門徒さんの報恩講をお参りしている最中。

 全国的に雪が降ったその日、午前中、孫の検診に連れてゆき、その帰りに義父の病院へより、孫の顔を見せに行った。

 胃ろうの手術を受け、絶食中の義父は情けない顔でうつろに私の顔を見る。「お爺ちゃん、曾孫をつれてきたよ」とひまごの顔を近づける。これまでグタッとしていた体を起こそうとする。喜んでくれているのがわかる。赤ちゃんのパワーはすごい!

 

 その日の夕方、某お世話になった方から電話。今日、義父の見舞いに行きお花と祈りの千羽鶴を下さったそうだ。見舞いは有難い、が千羽鶴?しかもはやく良くなるように祈りながら折ってくださったとのこと。

 

 時間の合間をみて、住職は毎日父の顔を見に行く。そして耳元でこう言う。「全ては阿弥陀様にお任せ。なにも心配することはないよ」

 

 千羽鶴を下さった方には申し訳ないが、少し違和感を感じる。なんだろう?この気持ち…。(12.14)

 

 

「宝林寺の一年」

 若院・若坊守が「宝林寺の一年」というムービーを制作してくれた。今年の報恩講に参拝の皆さんとで見るためのもの、時間にして5分弱。

 一年間の行事を撮りだめた写真をまとめたものだ。

 「こんな風にできました」と若坊守が見せてくれた。「今年もいろんなことがあったね」見ながら、ちょっと感慨深く胸にこみ上げるものがあった。

 今年はもう今年限り、ここに映っておられる参拝の皆さん、行事、風景すべてが移り行くもの…だからとても愛おしく思える。

 来年はどんな年になるのかしら?それもまた移り行くものではあるが、全力で楽しみたい。(12.8)

「お取り越しのお参り」

 私もやっと、お取り越し報恩講のお参りを回り始めた。今年は(まだ終わってないが)公私共に来寺客が多く、寺行事の準備がおくれてしまう始末。

 昨日は全国的に冷え、各地で初雪。お参りの道中、雪が舞い始めた。「やった~ホワイト報恩講!」「(^^♪親鸞さまでありました~」と「みちゆく親鸞」の歌を歌いながら当家に到着。

 お勤めは「正信念仏偈」御文章を終えざっと35分。それからお茶を頂き話に花が咲き、1~2時間があっという間に経つ。私はもっぱら聞き役である。

 帰りながら「今、奥さん何の話をされたかなあ?」と、頭の中を整理する。取り立てて内容がある話はすくない様に思う。が、この時間がいいのだ。この時間を含めて「お取り越し報恩講」なのだろう。(12.6)

「自由に…」

 赤ちゃんもあと4日で1か月、本当にあっという間だった。

 何かしら忙しく、坊守通信もおろそかになってしまい…反省。

我が子の子育てではないので、こちらの生活ペースに支障はないと思っていたが、そうはいかなかった。

 孫は可愛い。泣いていると、つい手がでてしまう。

 あまりにもお節介が過ぎたのか、娘から「自由に子育てしたい」という要望があった。これにはショックだった。

 

 「今時の若者は、自由ばかりを要求して、義務を勤めようとしない。」と昔の大人たちは言う。

 スマホを師と仰ぎ、育児書を先生とする若い人達ーと、ひとくくりに見る私も歳をとったもんだ。

 

 赤ちゃんが泣いている。条件反射的に、すぐ抱っこしてしまうのだ。

小さな親子喧嘩だったが、若者との関わり方を考えさせられた。(12.4)

「目は口ほどに」

 二人目の孫も明日で2週間を迎える。赤ちゃんといえども、すでに個性がある。よく寝る子、眠りの浅い子、おむつがぬれて大泣きする子、そんなことには動じない子。よくお乳を飲む子、げっぷを上げるのが上手にできる子。もの音に敏感な子…など等。

 

 新生児室に寝かされた赤ちゃんは、一様に可愛い。特別個性的な子を除いては、どの子も同じ様に見える。我が孫がどの子なのか、見つけるのに苦労する。ほとんどの赤ちゃんは目を閉じ、寝ているか、泣いている。

 ところが、眼を開くと、すぐに我が孫を見分けることができる。

「目は口ほどにものを言う」とはよく言ったもの…顔の印象の大半はこの目が占めているようだ。

 何を見て生きてきたか…私の目。これから何を見て生きていきたいか私の目。

「生きる力」

 今日は義父の胃ろう手術の日。

鼻から栄養を送ることにも限界がある。義父が今後生きるためには胃ろうの手術を選択するしかない状態になった。

 義父に説明すると、「手術を受ける」と言ってくれた。手術自体は簡単で30分くらいで完了するらしい。

 しかし…義父の生きようとする力には驚かされる。身体がどんどん痩せて、小さくなった。そんな中でもリハビリを頑張っているらしい。

 元々食べることが大好きで、大食漢の義父が全く食べることができない身体になった。その中でのリハビリだ。

 何のために生きるの?

この問いに対する答えは、戦中戦後を生き抜いてきた義父の今の「生きざま」なのかもしれない。

 答えなんていうものは何もない…命がある限り生きるだけ…生かさせてもらうだけ…と。(11.14)

 

「生まれた!」

 昨日早朝に待望の孫(二人目)が生まれた。長女の里帰り出産だったので、お腹の中にいたときから名前をよんで、出産の日を待ちわびていた。いざ対面した時は「ようこそ私のお孫さん、無事生まれてきてくれたね」という思いであった。

 

 今は、4Dのカメラでお腹の中の映像を写し、赤ちゃんの顔が映しだされ、目鼻立ちもよく分かる時代なのだ。お腹に宿った時から実に真実味をもって、いのちの成長を垣間見ることができる。

 昔の年は数え年で、実年齢より一つ多く(誕生日前の人は二つ多く)じぶんの歳を数えた。お腹に命が宿ったときから、一人の人生が始まり、それは社会的にも認知されていた命だ。

 今は?…どうだろう?

 

 孫の誕生日を入院中の義父に伝えた。住職が「僕の孫が生まれたよ。父さんはまた曾孫がふえたんだよ」と耳元で囁いた。分かってか、分からずか、うんと小さくうなずいてくれた。

「嬉しい時も悲しいときも」

 昨日は甥っ子の結婚式を某会館で挙行した。式場の一室をお堂に見立てて、親族が見守る中厳かに行われた。(写真はリハーサルの様子)

 新しい人生の門出を如来様の御前で誓う二人に、お念仏でお祝いする。「嬉しい時も、悲しい時もみ親(阿弥陀如来様)と共にありなん」という仏教讃歌が、わたしの頭の中で響いていた。新郎新婦の合掌する姿がなんとも美しく、忘れられない結婚式となった。(11.3)

「つながるいのち」

 山口仏教音楽連盟が来年20周年を記念し、記念曲の歌詞を募集していた。我がチームライトコールの仲間で歌詞を考え応募したところ、採用され、手元に曲集が届いた。

 昨日のコーラス練習で歌ってみた。「二階堂和美」さんが作曲してくださった美しいメロデイーに乗せ、仏様を讃える想いが溢れる。

 来年7月の仏教讃歌のつどいで、二階堂和美さんと共にこの歌を合唱する。今から楽しみだ。(10.29)

「延命治療のこと」

 臓器移植、ips細胞の実用化に向けて、医学の進歩はめまぐるしい。一昔なら助からない命も、医学の進歩により多くの命が助かっている。それは当人、家族にとって喜ばしいことで、病気に打ち勝ち、まだ未来に希望が見えてきたことを意味する。

 

 先週の金曜日、入院していた義父の病状が落ち着き、近くの病院へ転院した。嚥下検査で口から食べることができないと評価された義父は、鼻から胃へ管を通し、直接栄養を流して生命維持を続けていくことになった。

その後は「胃ろう」という手術を施してもらい、胃に直接栄養を送ることになる。

 鼻の管は大きく、痛々しい。ずっと見ていると私の鼻にもこの大きな管が胃に繋がれているような錯覚をする。そして、気持ちが悪くなって、はきそうになる。

 義父の命の先にどんな希望があるのだろう。

 

 病院のベットで一人寂しく繋がれている。

「お爺ちゃん、また来るね」とさよならを言ったとき、淋しそうな眼で合図してくれた。(10.23)

 

 

 

光陰矢の如し…」

 先日、学生時代の友人から、自坊の伝道紙が送られてきた。同じ日に、東京のお寺の若院さんかも寺報を頂いた。

 読ませて頂き、活発に活動されている様子が伺えた。それぞれの場所で、念仏相続のために励んでおられる…何とも心強い御同朋である。

 大学を卒業してはや35年?…ええーっ…と自分が驚く。その間何をしてきたのだろう。振り返ると「これこれをした」と胸を張って言えるようなものは、何もしてこなかった。あっという間のことだった。「・・・」

 

 今年の2月に孫が生まれた。写真は生まれて2日目の赤ちゃんの足。か細く、ただ泣いて待つだけだった孫も、8ヶ月になり、つかまり立ちしようとする程に成長した。日に日に成長する孫の様を見るにつけ、まだ自分にも出来ることがあるのではないか…と思わせてくれる。(10.19)

 

「渋柿の渋そのままの甘味かな」

 

 母が渋柿をむいて竹竿に干してくれた。秋を彩る景色である。

 この渋柿は、そのまま食べると渋くて不味い。お日様にしばらくあてて干しておくと、不思議なことに甘くなる。渋みが強ければ強いほど、甘みも増すという。

 

 お日様の力は凄い!人間の力なんて及びもしないくらい、不思議を生み出してくれる。

 

 お日様の光に照らされたとき、自分がいかに自分のことしか考えられない身勝手な者であったか分かる。我執に泣くだろう。そして、流した涙をお日様の光が優しく乾かし、このどうどうしょうもない自分をやさしく包んでくれる。我執に苦しみ流した涙がいつか感謝の涙に転ずるとき…ほとけさまの仏願力の不思議を想う。(10.13)

「七五三のお話」

「お寺さんは七五三はしないの?」と聞かれ、「しませんよ」と答えた。「お参りの必要がないので…」と即答したものの、ちょっと不親切な回答だったので、改めてここに記します。

 七五三は子供の健やかな成長を願い、折に触れ神様に感謝する行事として、日本の伝統文化になっている。これを目くじらたてて否定する気はない、とても美しい慣例だと思うんです。

 

 私のいう「必要がないから」というのは私自身の仏教徒としての味わいです。「今日も一日、得難いいのちを授かったこの子等を見守っていて下さる仏様に有難うございます」という思いです。

 一日、一呼吸が「七五三」の日にあたります。

 仏様から与えられ授かった命を、いつお返しする時がくるかもしれない。その時まで毎日が「七五三」の感謝の日です。(10.10)

「老いては子に・・・」

 敬老会から1週間、その間また義父が深夜緊急入院。慌ただしい1週間だった。前回の入院からは長く3ヶ月空いたが、それでも義父を取り巻く医療スタッフ、介護関係者は「またか…」という思いもあるだろう。

 

 今回の入院先から2日目くらいにケアマネージャーから電話。退院した後をどうするかという話だった。義父は沢山のチューブにつながれ、医師からは「年が年なので、急変する可能性もある」と言われたところだった。

 状況を話し「まだ先をどうするか考えられない。今はとにかく義父が口からご飯が食べられるように願っているところです」と申した。

確かに、この先また同じように誤嚥性肺炎を繰り返し、じぶんで口から食べることが難しくなるだろう。夜の痰吸引ができる病院先に行くか、それともこれまでの施設でお世話になるか…住職と話し合った。

 

 「子供の時は親に、嫁しては夫に、老いては子に従えというけれど、いつになったら子に従うだけでいい人生がくるのかねェ」と私が言うと住職は大爆笑…。(10.7)

「敬老会(9月30日)」

 今年の2月から義母がお世話になっている施設で「敬老会」の案内を頂いた。せっかくなので、義父と一緒に参加し、お昼ご飯を頂いた。施設内では行事ごとのスナップ写真が貼られており、義母の楽しそうな写真もその中にあった。そんな母の表情を見て「よくして頂いているんだな…」と、安堵した。

 

 祝賀会は、地域の社会福祉関係の偉い方々が列席され、祝いの言葉を賜る。その後、88歳の方と、今年百歳になられる方の表彰式があった。

百歳の健やかなお姿に驚かされたが、その後余興として日舞を舞ってくださった98歳のおばあさまには驚きました…びっくりぽん!

 「乱れ髪」という曲を軽やかな足取りで舞って下さり、ひときわ大きな拍手で舞台を後にされた。

 

 人生百年時代を目の当たりにし、90歳は趣味を謳歌する年なのだと実感。90の私は何をする人ぞ?

でもどんなに頑張っても「その日」は来る。いつその日がきてもいいように、「後生の一大事」の問題を解決しておかないと…敬老会の宿題をいただいて帰った。(10.2)

「礼状」

 今年の夏の終わりに、布教使を志す方の布教実習の場所を提供し、法座を厳修したことがあった。京都の伝道院から3名の実習生と先生が来られた。

 その内、東京の実習生から「お寺に帰りました」と丁寧なお礼の手紙を頂いた。

ホームページの案内があったので開いてみた。( 浄土真宗本願寺派 湯嶋山 明西寺;東京都調布市) 東京は西本願寺系のお寺が少ないと聞いている。日本の首都を置く東京で、どんな法座活動をされているのか、興味津々…。

 まず驚いたのはお参りの人の多さ。本堂に入りきらないのでテントを張って椅子が用意されていた。お斎も写真で紹介されていたが、洗練されたお洒落で美味しそうな精進料理だ。

 月の活動もびっしりとあり、熱心にご教化に取り組まれていることがうかがえる。「素晴らしいな…」と同時に嬉しくなった。

 全国津々浦々、環境の違う所でそれぞれのお寺さんががんばっておられる。人口の多い東京で、もっともっと浄土真宗のお御法が伝わることを願いながら、私も今、ここで出来ることを精進したい。(10.1)

「坊守会」

 一昨日は北組の坊守会があり「救急救命」のことを教えて頂いた。講師は同組内西念寺坊守さま。坊守様は日本赤十字での救急救命のボランティア活動をされているとのこと。

 大版ハンカチを使っての止血の方法。骨折した時の応急処置等々…。どれもこれも対処の仕方が理にかなっていてよく分かる。

 お寺は人の集まる所、いつ何時、今日のような対処が必要になるかもしれない。とてもいい勉強をさせて頂いた。(9.28)

「往生浄土真実の宗教」

 お彼岸の日曜日、隣寺でお座が立ったのでお参りさせて頂いた。

若い37歳のご講師であったが、有難かった。

 我が宗派の名前は「浄土真宗」というけれど、この名前は親鸞聖人が付けられたわけではない。聖人は生涯、法然上人を師と仰ぎ、「弟子一人も持たず」を貫いた方である。この部分だけみても、聖人の素晴らしさがわかる。

 凡人の私なんかは、ちょっとかじった知識を誰かに自慢したがる。あれやこれや博識を触れ回り「自分はこんなにも物知りなのよ」と…。

 

 聖人が往生されたのち今日の教団名が「浄土真宗」となったが、元々は教団の名を表す言葉ではなかった。「浄土の真実の教え」という意味の「浄土真宗」であると聞かせて頂いた。そして、「浄土」の前に「往生」がつくと私達が宗とする教えの意味がよく分かる。

 

 お彼岸の日にお墓参りは大切である。でもそれだけで終わってはならない。元々お彼岸は「パーラミター」といい「到彼岸」という意味。最も彼岸を想うに適した時期で修行(浄土を想う)しやすいことから、このお彼岸が仏事としてある。ご先祖様に感謝するその先には、尊いおしえに導いて下さった、諸々の師、親鸞さまの恩徳を忘れてはならないと思う。(9.26)

「朝の事」

 いつものように本堂で朝のお勤めをしていたら、突然電気がパチンと音を立てて消えた。「どないしょぅ~」

 お説教先の住職に電話。「朝早くごめんね。葬式ではないから大丈夫よ」と念を押した上で、本堂の電気が消えたことを説明。住職の指示を受けて事なきを得た。

 

 電気が消えてどのくらいの時間が経っていたのだろう…その間不安だった。お寺の朝は早く、4時には起きてごそごそしている。その日は私の勤行なので、朝が明けない内から始めた。電気が消えて本堂に非常灯が燈った。

 二つの事を思った。一つは震災に遭われたかたのこと。僅かな時間電気が止まっただけなのに、こんなにも不安になる。どんなに心細かったことか。今更ながら思う。

 二つ目は本堂の非常灯のこと。非常時の時、灯がついてくださることは心強い。だが、この非常灯は非常時だけではなく、いつでもわたしたちが困らないよう、準備してくれているのだろう。仏の心も同じよう。勿体ない。お彼岸の中日に仏様の親心にまた、あわせていただいた。

「・・・」

 連休に日本列島を襲った台風で、また死者。北朝鮮は変わらずミサイルを射ち続けるなか、参議院の解散選挙もあるとか、ないとか…。そんな中での相変わらずの不倫報道…。

 

TVから入ってくる情報は有難い。でもあまりにも雑然とした情報に振り回され「またか」という感情が起こり、感覚をマヒさせてしまう。誰もがスイッチを付けると、世界中で起こっている事が瞬時にわかる。それは本当にいいことなのだろうか?

 

 昨日の台風で大雨の中、玄関前にふらりと人影が…。台風で戸締りをしていた玄関のカギを開けると、なんと!カボチャを抱えて立つ老人。

昨日退院してきたという、門徒のIさんだった。「この大雨の中、なんて無茶なことを…」と思ったが、カボチャができたのでとお供えに届けてくれたのだ。

 また傘をさし、フラフラと帰っていかれるIさんの後ろ姿に、何とも言えないものを感じた。

 今日カボチャを煮て届けなくちゃ…。(9.18)

「運動会」

今週日曜日は小野小学校・小野地区の大運動会。

 人数が足りないので出て欲しいと言われ、パン食い競争にでることになった。

 運動会は子供の頃から苦手。足が遅く、走るのが大嫌い。必然にかられて走らなければならない時は別として、なにもわざわざ「運動会」という催しをこさえて、走りを競うことはないのでは…と子供のころは考えていた。

 四足歩行から人間は進化して直立歩行になった。この時点で、人間はチイターやライオンのように早く走ることを諦めて、歩くことを選んだーと私は勝手に考えている。

 何はともあれ、大人になった私がパン食い競争に出る。いざ競ってみてどんな感想をもつのか、楽しみでもある。(9.14)

「お寺に赤ちゃんがやって来た」

 今年も初参式をお祝いすることができた。初参式をお寺でしたいと思っても、受けたいと言われる赤ちゃんがいないと始まらない。

小さな赤ちゃんを連れだし、お寺に連れてくるだけでも大変なのに…毎年、初参式ができることに感謝している。

 

 赤ちゃんは活力の塊。行動や言葉による表現がおぼつかない時は全身で泣き、自分の欲求を訴える。小さな体のどこからこんな泣き声がでるのかしら、と思う。

 静止し、じっとこちらの顔を見つめる赤ちゃんは哲学者の如く、何かを考えていそうだ。「この人間は信頼するに足る存在か…」などと思ったりしているのではないかしら。

 

 TPOをわきまえ、今ここでは泣いてはいけない…ということを、ちゃんと理解している。不正を働く大人の記者会見とは大違いだ。

 仏様の前の赤ちゃんは誰もぐずったりしない。やや緊張の面持ちで、この式は何やら大切な行事らしいと感じているようだ。

 

 大人たちはじっと見られ、試されている。仏様のように何でもお見通しだ。(9.9)

 

「91歳の誕生日」

義父は今年で91歳を迎えた。その日、姉たちからお誕生日のカードとプレゼントが届いたので、お世話になっている施設に届けた。(義父は今年から近くの小野ケアハウスに入所している)

 義父はいつもの所定の椅子で、夕食を頂き、のんびりとテレビを見ながらくつろいでいた。

 カードを渡すと嬉しそうに読み始めた。

 91年…義父の人生がどうであったか、その何分の一も知らない。結婚し市川の実家に帰省した時、ぽつりぽつりと自分のことをはなしてくれていた。でも僅かだ。

 大切な人のはずなのに、何も知らない。

 私が知っている義父の顔は、病気をして、こちらで過ごす日々…穏やかに笑う義父の顔…これからも、ゆったりとした時間を過ごせるように願う。(9.7)

「夏の終わりに」

 伊佐地区のご門徒さんが往生された。行年90歳。

 お元気な時の印象は、気丈で活発な方であった。早くにご主人と死別されてからは娘4人を育て上げ、後,,お孫さんも育てられた。

 孫たちからも慕われた頼もしいお婆ちゃんであられた。

 晩年は、「足が悪いから」と、足を投げ出しお経本を広げて一緒にお勤めした姿が思い出される。

 

 夏が終わる…この季節はなんとなく寂しい。

 そしてお彼岸が近くなるにつれて、浄土が懐かしい。(9.4)

「小さなお手て」

 蓮仏教婦人会主催の秋法座が8月31日に厳修され、無事満堂の中終えることができた。今回は平日の木曜日開座ということもあって、どのくらいの方が参って下さるか心配だったが、その心配をよそに、用意していたお弁当が足りなくなるという、嬉しい結果となった。

 今回の法座は午前中は仏婦総会・初参式・岡智徳先生によるご法話。お昼は九州豪雨震災の支援バザー。午後は伝道布教実習生お二人と指導講師の内田先生によるご法話…と、なんとも贅沢で勿体ない充実した一日となった。次の世代に繋がる若い布教使さんが、着々と育っていかれる様を見させて頂き、心強い思いがした。

 

 また、初参式では7名の赤ちゃんの手に住職からお念珠がかけられた。この小さな手が合わさり、これから尊いお仕事を為していくことだろう。頼もしい…いつまで見ていられるか分からないけど、この子たちが成人するまで・・・見とどけたい。ちょっと欲張りかな…(9.2)

記念写真」

 初孫誕生から6か月。記念に写真館で写真を撮ってもらいに行った。

 小さかった孫(写真は1ヶ月くらい)もいつの間にかお座りができるようになった。表情も豊かになり、話もしてくれるようになった。これが親ばかならぬババ馬鹿というものだろうか…孫のどんな表情もかわいくて仕方ない。

  

 夏休み期間の楽しみの一つにラジオ番組の「子供電話相談」というのがある。子供たちが日頃不思議に思っていることを質問し、その専門の先生が答えてくださる。下は2歳くらいから、小学生の子ども達までだ。

 大人では考え付かないような、素朴な質問がポンポンでてくる。それに対して、子供が理解できる語彙で、限られた時間内で丁寧に答えて下さる。

 その答える先生の回答の仕方がおもしろい。なるほどと、納得できる時と、それはこの年齢のこどもには無理でしょう、と思う回答のときもある。

 大人をタジタジにさせる子供の真っ直ぐな質問を、我が孫からも受けるときがくるのだろうか。どんな質問がくるのか。孫から最初に受ける質問を今から楽しみにしている。

 

 明日は拙寺、秋法座の初参式の日。孫も孫の友達も健やかにあれと念ず。(8.30)

 

「菩提樹がお出迎え」

 これまで外で育てていた鉢の菩提樹を、堂内の玄関ロビーに運んできた。

 この菩提樹は隣寺のご門徒さんがインド仏跡旅行の時、持ち帰られた苗木を頂いたもの。住職が大切に育ててきたものだ。

 菩提樹はインドに育つ木なので、暑さには強いが、冬の寒さには弱い。冬が近づく秋後半から、住職と二人がかりで、植え木鉢を室内に入れて冬を越すこと数十年?今に至る。

 

 冬にはすべての葉を落とし、もう今年限りかな…という位、木も弱ってくる。悲観的な私は「もうだめだ。もうこの木は死んだ」などとつぶやくのだが、住職は諦めない。

 それに応えてくれるように、夏には青々とした葉を見事に付けてくれる。

 

 お釈迦様が菩提樹の木の下で、瞑想に入られ、悟りを得られたのは有名な話。お寺の菩提樹を見ながら、静かに釈尊を偲ばせて頂く。(8.25)

「秋法座はワクワクが満載!」

 今年は8月31日(木)に秋法座を開催する。秋法座にはいつも初参式をして、小さな子供たちの初めての仏参をお祝いする。

 今年は、この田舎で7人の赤ちゃんたちが参加してくれる。これはもう事件です!

 

 同日の午後からは伝道院の学生さん達と指導講師がご法話くださる。これからの宗門の一端を担っていかれる方たちだ。お会いできることが今から楽しみ!

 

 今年も昼休みにバザーを行う。「熊本災害で被災された方がやっと仮設住宅に入った。ホッと一息した。」というテレビレポートの声。まだまだ一部の方たちだ。どれほどの支援になるかわからないが、自分のためにも続けて行きたい。

 

 残暑厳しい中にも、秋を運んできてくれる風を感じる。

秋はすぐそこに…。(8.21)

「いよいよ後半戦」

 お寺の一年をサッカーの試合に例えるなら、お盆が境になるだろう。

 盆参りを終え、ホッと一息の昨日は大阪の娘夫妻がお墓参りに帰って来てくれた。「夕食は何が食べたい?」と聞くと、若い人達らしく「お肉」と答えた。

近くにできたレストランに予約を入れ、いざ夕食に!お盆明けの日にステーキは少し気が引けた…。レアで出てきたお肉の元の姿を、やはり想像してしまう。「ごめんね…」

 

 普段はほとんどと言っていいくらいお肉は頂かない。年相応に野菜中心のさっぱりした食生活である。その夜は胃袋がびっくりしたらしく、胃の調子がおかしく寝付けなかった。

 

 今日、大坂の二人が帰ってしまうと、もとの静かな日常に戻る。

さあ、これから後半戦が始まる。全力で駆け抜けるぞ。(8.18)

「セミの抜け殻」

  今日は初盆のお宅にお参りした。亡き父、おじいちゃんを偲んで、小さな子供たちもお勤めしてくれた。

 初盆のお家では「仏説阿弥陀経」をお勤めする。

子ども達も大きな声でお勤めしてくれた。

 帰る時、小学生の子が、お父さん達と見送ってくれた。

その子に何もあげるものがなかったので、出かける前に拾った「セミの抜け殻」をあげた。(お寺に参ってくれた時、虫取りの網を持ってきてた子だったので)

 

 きらきらした瞳で、嬉しそうに貰ってくれた。そして飛んでお家の中に入って行った。兄弟たちに自慢げに見せているのであろうか…

 帰りの車中では、子供たちの会話を想像しながら帰った。時にはニヤニヤしていたに違いない。すれ違う車が私の顔を訝しそうに見ていた。(8.14)

 

「事件です!」

 おあさじが終わって、お仏飯を下ろして、炊飯器に戻しましょう…としていたら、仏飯器がすとんと足の指に飛んで落ちた。(お寺の仏飯器は大きくて重いのです)

 丁度、人差し指の上、やや赤くなっている。

 午前中は遠方に盆参りが入っていて、朝の事も慌ただしく、そんな中での出来事だった。「目から火が出る」とはこういうことを言うのだ。自業自得…。何とか午前中はお参りできたが、午後になって、足が腫れて、足袋が履けない。片方の足は靴下をはき、お家の方にお断りしてまいらせて頂いた。(靴下と足袋…カッコ悪い~)

 

 動作が鈍くなった。これは、「慌てるな。心を落ち着けて、お勤めに励め」という仏様のはからいなのだ。

記念に足の指の写真をパチリ…!(8.11)

「お盆参り」

 毎年この時期、ご門徒さんのお宅にお参りさせて頂く。

「お久しぶりです。お元気でしたか?」普段、仕事でお寺のお座に参られない方との挨拶はこうだ。

 

 最近、各門徒さんの家々にお盆参りするのを止めて、お寺に参って来てもらうーというお寺様の話を聞いた。それをちょっぴり羨ましく思った。が…今こうして門徒さんの家を訪ねていると、このお盆参りは大事だなとも感じる。

 

 世の中、物騒になった。田舎においても、戸締りは怠りなくという時代になった。そんな中、赤の他人が、堂々と仏間(ぶつま)という家の一番いい部屋に上げていただき、お勤めをさせて頂き、お茶までよばれ、御布施を頂いて帰る。世間では考えられない、勿体ないことである。

 

 当たり障りのない世間話から、ぽつりぽつりと本音の悩み事まで、聞かせて頂く。きっと、お坊さん全般に対しては、まだ安心してもらえているのだろうか。この門徒さんの信頼にわたしは育ててもらった。そのことを再確認させてもらえる場でもある。(8.9)

「夏の風景」

 昨日は夕方から地域の墓掃除、5号台風も心配されたが雨も降らず、何とか出来た。

 住職はお説教に出ていたので、代わりに若院が出て、母、私若院の親子3代での参加だった。

 これまで出て来ていた方も次第に出れなくなる。墓掃除も深刻な問題の一つだ。

 すっきりしたお墓たち「今年も無事、墓掃除ができて、お盆がお迎えできる」清々しい心を頂く。墓掃除は自分の心を整えるためでもあるのだ。

 

 暑い夏の清々しい心の風景である。(8.7)

「上げ法事」

 お寺で各ご家庭の法事をさせて下さいということが多くなった。

昨日は転勤で岡山に行かれた方がお参り下さり、お寺で上げ法事をされた。

 車で5時間…夏休み期間ということもあり、移動が大変だったろう。よくお参りくださったなと思う。今回の法事はおばさんに当たる方の7回忌。この方にはお子さんがなかったので、法事を甥に当たる方がされている。ご自身の両親も早くに往生されているので、法事の数は傍から見ると大変だ。自分がこの方であったら、叔父・叔母の法事を施主となって、50回忌まで勤めることができるか?と思う。そんなことを考えながら、お迎えした。

 淡々と何でもないように岡山から車を走らせて来られる。本当に頭が下がる。(8.4)

「ピアノ教室」

 ピアノ教室を始めて今年が25年である。この過疎の田舎で、よくまあ続けてこれたものだと思う。

 20年の時お教室を閉じようと思っていた。そんな中、新しい生徒さんが教えて下さいと来られる。

 「ピアノの先生なんて他所に行けば沢山いますよ、紹介しますよ」と言ったが、結局お引き受けしてしまった。

 考えてみれば有難い話で、沢山いる先生の中、こうしてご縁あり来て下さった。体力・気力ともに下降気味の状態だが、子供の小さな手が可愛いく、その指が動くだけでも感動してしまう。

 小さな指から音楽が紡ぎ出される。今日も子供たちの私の小さな音楽会が始まる。(8.3)

「しろの5回忌」

 お盆が終わると亡くなった愛犬「しろ」の丸4年がやって来る。

 4年前のお盆過ぎには、京都に住んでいた息子も山口に帰って来る予定だった。しろにとって息子は一番の御主人さまだった。

 その願いは叶わず、息子とも会わずに、息を引き取った。

 

 小さなお骨箱に入れられたしろは、未だに仏間にちょこんと安置されている。亡くなったときのしろの写真は、お花に囲まれ、うっすらと微笑んでいる。…しろはどんな世界に生まれ変わったのだろう。

 きっと、人間界に生まれ変わっているに違いない。そして、犬の時には合わせられなかった手を合わせ、お念仏の教えに遇っているに違いない。そのしろが、人間の命終わるとき、決して二度と迷わない、仏のお浄土へ生まれさせてもらうことだろう。

 だってしろは、とてもいい子だったから。

 犬であるがゆえに仏縁に遇えない哀しさを、教えてくれた善知識さまだったから…。(8.1)

「スイカ」

 今日も暑かった。そんな日の夕方、三吉さんが軽トラでお寺に上がってこられた。車の中には大きなスイカと野菜たち。

 毎年、一番良くできたスイカを如来様にお供えしに来て下さる。

 丹精込めて、やっと収穫できたスイカの、一番いい大きなスイカである。「立派だなあ…」

 

「年はとって、身体も無理がきかなくなった。そんな中でも、体調のいい時には畑に出て、体を動かすことができる。有難いことだ。その上その畑からこんな立派な実りの果実を頂いた。全ては如来様のお陰である。」

そのご報告とご報謝をお供え下さった。(7.30)

 

「施設の夏祭り」

 義母のお世話になっている施設で夏祭りのイベントをするということで、家族に案内を頂いた。

 夜6時半から住職と出かけ、イベントに参加した。

 義父の入院騒動からずっと、義母の顔を見に行ってない。お寺でお堂コンサートをしたとき、連れて帰って以来、1か月が空いた。

 職員の人が振る舞う夜店で、かき氷とたこ焼きを頂いた。義母はおいしそうに食べた。ふと義母の足元を見ると、冬用の靴下が履かされていた。

服も秋用の長袖シャツ…施設内は常に冷暖房完備なので、このくらいの洋装でいいのだろうか。でも…私は誰かから、責められているように感じた。「明日さっそく靴下とシャツを買いにいかなくちゃ…」

 

 時間があればちょこちょこ顔を見に行ってくれる息子(住職)だが、それすらも時には責められている様に感じる。「ちょこちょこ行ってくれる割には身の周りの物とか、気がつかないの?」と逆に言いたくなる。これは男女差の違いなのにね。この時だけは「男はつらいよ」ならぬ「嫁はつらいよ」と感じる。

 

 賑やかに音楽が流れる祭りは1時間半で終わった。(7.29)

 

「きゅうり」

 たくさん採れたからと、福田さんがきゅうりを下さった。畑の匂いがするような、青々したみずみずしいきゅうりである。暑さ厳しい日々、食欲も低下気味だが、見ているだけでも元気になれそうだ。

 スーパーで見るきゅうりはどれも個性がない。どこか品がよく、真っ直ぐに伸びた温室育ちのお嬢さんみたいだ。野菜の生命力を感じることが少ない。

 曲がったり、泥がついていたり、時には虫が食っていたりと(今回の胡瓜にはみられないが)個性豊かに並ぶきゅうりたちは生命力にあふれ、「私を食べてみなよ」と誘っているようだ。

 今日の夕食に、有難い命を頂く。(7.28)

「 断 ・捨・ 離 」

 やっと一息ついたので、昨日は 部屋のプチ大掃除をした。

 色々なものが次から次へと、出てくる。明らかにこれは使わないだろ…と言える物から、あれば助かるな…と思えるものまで。この見極めがむつかしい。

「自分が死んだときは、大切にした物ですら不要のゴミ?」

そう考えると、思い切りもよくなる。パッと思い切り自分の手から離す。

 

 不要扱いされた物の埋まった袋は、部屋の片隅でじっとしている。

「断捨離、だんしゃり…」

 

 夕方、捨てたはずの物が台の上に並んでいる。「ありゃ?」…そうこれは紛れもない住職の仕業。私が、離した物を選別して拾ってくる。

 こうしてまた、拾われた物達は、しばらくの間、私達の役に立ってくれる。「断捨離」とは程遠い生活であるが、まあいい…か。(7.27)

「 手 紙 」

 数日前、嫁の八重ちゃんの中央仏教学院時代の友だちが福岡から遊びに来て下さった。

 おっとりとして優しさがにじみ出ている、笑顔の可愛い礼儀正しいお嬢さん…でした。

 後日、お礼のはがきが来た。

整った文字と行き届いた文章から女性らしい柔らかさが伺え、益々このお嬢さんが好きになった。

 

 昨今の若者は(と言うと、私も歳をとったのかな…)手紙やはがきを書かなくなった。「あけおめ」(「あけましておめでとう」の略語)という年賀を送り、スマホで要件を済ませる時代。かくいう私でさえもスマホは重宝している。

 

 それにしてもである。私達の時代は、お世話になった方には必ず、手紙で感謝の気持ちをしたためた。手紙を書いていると、楽しく過ごさせて頂いた時間を、もう一度味わえる。

手紙を頂いた時は、何度か繰り返し読み、思わず顔がほころぶ。

 

 手紙とは…と思う。(7.24)

 

「萵苣(ちしゃ)をかぐ」

 恥ずかしい失敗談。もう数十年前のこと。お寺の下に畑をもっておられるおばちゃんから、よく大根や、菜っ葉など頂くことがあった。

 そのおばちゃんから電話があった。「萵苣が沢山できたから、かいで食べてね」

 私はすぐに降りて畑にいった。たくさんの青紫の萵苣が並んでいる。私は電話で言われた通り、萵苣を嗅ぎ、大根をひくあんばいで2本頂いてかえった。ぽっこり抜き取られた萵苣の跡に丸い穴ができた。

 次の日、おばちゃんが慌てて、萵苣の葉だけをかいで持って来て下さった。

 

 日本語は難しい…というか、私の無知さ加減が露呈した事件だった。

萵苣は葉っぱだけを手でちぎり取る。そうするとちぎられた葉を補うように、新しい葉が次々と出てくるらしい。

 それにしても…「かぐる」?という言葉を「嗅ぐ」と聞き間違え、萵苣の香を楽しみ、畑の実りを頂くなんて豊かだなと…勝手に勘違いしてしまった。

 以後、電話ではなく、おばちゃん自らとったお野菜が玄関先にちょこんと並べられている。(7.21)

 

 

「夜明け前」

 ゴロゴロ、ピカッと光ったかと思うと同時にドンと鳴る雷の音。

 停電の中、懐中電灯を点け、小さな灯りにホッとする。今朝の雨は怖かった。

 明け方には雨も止み、やっと空も落ち着いた様子。

 

 年々大型化する自然災害のニュースを見ながら、信じられない光景に、ため息をつくばかりのこの頃。今朝の出来事は、九州地方を襲った災害に比べようもないくらいのものだったろう。

 九州地方の被災された方々になんだか申し訳がなかった。(7.18)

   

「夏ですね」

 今日は同じ組内の常光寺さまのご法座に遇わせて頂いた。常光寺のご門徒さんからお誘いをいただき、またご案内のお葉書まで頂いた。

 自坊の法座では、ゆっくりとお聴聞…が難しく、どこか落ち着かない。今日は本当にいいご縁だった。(講師は宝林寺住職で我が夫さま…身内の私が言うのはおかしな話だが、有難いご法話でした。)

 

 帰りには仏婦の方の手作りのお弁当を頂き、写真の手作りうちわtと坊守さまのパンを頂いて帰った。ご法縁に遇わせて頂いた上、お土産げ付きである。なんとも勿体ない。

 このうちわは、副住職(常光寺住職のご尊父)さまのお姉さまが作られたもの。こうしたお教室の先生で、7月の終わり頃お寺に教えにこられるとのこと。興味ある方はご連絡してお尋ね下さい。うちわの風とともに中のハーブの香りが漂い、夏を楽しめますよ。(7.11)

 

「大雨」

 また経験したことがないような大雨が広島・九州地方を襲った。

 テレビを付け、眼に飛び込んだ風景に愕然とした。

 濁流がうねりを上げて迫ってくる。大きな流木が橋の欄干に突き刺さり、車は為されるがまま、水中にぷかぷか浮いているものや、ねじ曲がった橋にだらりと垂れ下がった軽トラなど…。改めて水害の恐ろしさを見せつけられた。

 

 そんな中、高齢者二人を抱える婦人がインタビューされた。救助隊に助けられ、これから救護場に向かうところ。

「皆さんにご迷惑をかけ、年よりを助けて頂いてすみません。」いつも使い慣れておられるのだろう。どんな時も「すみません」という言葉がさらりと口をついて出る、そんな様子だった。そのけなげで謙虚な姿が心に留まった。

 

 こんな状態でカメラを向けられ、心の平静さを失ってもおかしくない。場合によっては、カメラを向けるなんて不謹慎な…と怒鳴られるところだ。自分のせいで災害が起こったわけでもない。災害から逃げ遅れ、たすけられたのも、仕方ないことなのに…。そんなに謝らないで下さい。そう声をかけたかった。

 

 こんな心持の婦人のような人が、日本のどこかでひっそりと暮らしている。「大丈夫!」…きっと大丈夫。(7.7)

 

「夏法座を終えて」

 今年も無事、夏法座のご縁に遇わせて頂いた。

 今年のご講師は宇部市明照寺・岡原弘和先生でした。岡原先生は一昨年、青年布教使を卒業されたばかりの若い先生です。

 お寺の掲示板にお名前を見ることが多いので、今日のご縁を住職と私はとても楽しみにしていました。

「私達にとっての幸せとは、何ですか?」後席では、「私達に幸せになって欲しいと願われた仏様とはどのようなお方ですか」と、ご自身のお言葉でお話して下さった。

 若い方が一生懸命、仏様のお話をして下さる。そのことが嬉しく有難いご縁でした。

 むしむし夏の暑さを、気が付くと爽やかな風が心を優しく包んで下さっていた…そんな一日でした。

 

「開座までのエネルギー」

 明日一心会の夏法座が開かれる。住職は数日前から寺回りの草を刈ったり、岡本さんにお庭を綺麗にしてもらった。

 私は内の掃除や買い出し、仏様のお荘厳をさせて頂く。

 思えば法座ごと、同じように周りを整え、当日を迎える。

 

 「いつまでさせてもらえるかな…」と思うことがある。

この法座を開くまでの準備までは、なかなか…エネルギーが要る。

思えば、どこのお寺様も同じように心を砕き、準備して、お参りの方が不自由がないよう整えて下さっている。有難い。

 明日は沢山、お参りがあればいいな。(7.1)

「家族葬で…?」

 ご縁の薄いご門徒様がご往生され、家族から「家族葬でお願いします」と電話がかかってきた。「家族葬」とは、葬儀屋さんが言いだしたことで、家族だけで慎ましく故人をお見送りすること…となっている。

 

高齢化した現在、遠くにいる親戚も高齢者が多く、参り辛い中、声を掛けづらいのも確かである。

 

 ところで、お寺から言わせていただくと、「家族葬」も「普通のお葬儀」もない。

「葬義規範勤式集」という経本に則って、読経し、儀式をとり行う。どんなに会葬者が少なくても、為すことは変わらない。だから「家族葬」用のお勤めなんてないし、家族葬という形式の葬式もない。

 

 葬儀の中でお念仏の声が聞こえると、ほっとする。この声を称え、聞かせんがための葬儀だからである。(6.29)

 

「坊守研修会」

 昨日は山口別院で坊守研修会が開催された。講師は本願寺連研中央講師の季平先生。

先生は私が学部時代、伝道部というサークルでお世話になった先輩だ。

 変わらない巧みな話術と学問の深さで、坊守の皆さんを居眠りさせることもなく(笑)、楽しく、考えさせられることの多い研修会だった。

 連研とは、門徒さんの聞法を深める会で、各組ごとに取り組んでいる連研の仕上げに、本願寺で研修会を受ける。

そこを卒業して晴れて門徒推進員となり、住職を支え、門徒さんを引っ張っていく立場の人になる。

いろいろな立場から、お寺の護持をして頂いている。

 

 過疎寺院の今後、核家族化、若者の宗教離れ、等々。問題は山積。

住職と話していることは、

「お寺は寺族のためにあるのだはなく、門徒さんのもの。だから門徒さんがお寺を必要としなくなった時は、仕方ないよ。」

 

 あの手この手で法座に参って下さるよう努力しているつもりだ。仮に、目新しいことをしてお参りの方を増やしたとしても、仏法繁盛に繋がるかと言えば…疑問…。でも、今、何かをしなければ。

 

 昨日の坊守研修会は普段より多くの方が見えたように感じた。

危機感を坊守の皆さんも抱かれてのことだろうか。(6.27)

 

「花音(カノン)」

 お堂Deコンサートの朝、お寺の睡蓮が花を咲かせた。偶然だろうか…。いやいやこれは仏様がこの日のために下さった大きなプレゼントだ…と思う。

 

 花音と書いて「カノン」と読む。音楽用語に用いるときの楽曲の形式にある。合唱団「カノン」の団長さんから、こんなことを教えて頂いた。

「花音」は蓮の花が開く時の、音の意味もあるのだと。花がほころびる瞬間、聞こえるか聞こえないくらいの小さな音をたてる。その音のことだそうだ。

 

 その音を聞きたくて、次の朝、睡蓮の鉢の前でまだ開かない蕾の花とにらめっこした。いつまだたっても花は開かない、音がする気配もなし。

 

 そのうち住職が呼ぶ声がした。「あ~あ…」

これは次の日の宿題としよう。

でも一つ分かったことがある。「花音」を聞くためには、心の準備と、ゆったりとした時間が必要であるということ。

私には、当分の間「花音」は聞こえてきそうもないな…(6.23)

 

「梅雨空を歌声でカラッと!」

 今年3回目となる「お堂Deコンサート」も無事終わった。

 今年は「音楽の祭日」本部からポスターも来ないので、宣伝薄の状態。何人の方が聞きに来て下さるか、分からない。

 前日、カードを添えて花かごが届いた。

「素敵な言葉…よし明日は晴れ、頑張るぞ!」

 

 その通り晴天の中、椅子席に座りきれない方もあるほどに、沢山の方がいらして下さった。有難く…。

 

 ライトコールアンサンブルのコーラス部を作って早15年。続けてこれたのも、入れ代わり立ち代わり、歌を歌いに来て下さった部員がいて下さったからこそである。

 また、今日からスタート!新たなライトコールの活動が始まる(6.20)

 

「まさかの坂」

 昨日は6常例法座で、当山住職のお説教を聞かせて頂いた。

「人生には3つの坂がある。一つは上り坂。二つは下り坂。そして三つ目がまさか…のさか」これは元総理・小泉純一郎氏も講演のマクラに使われた。

 この引用を仏法に当てはめてみて「悪人こそがお目当ての救い」というのが今日のお話の内容だった。

 

 「悪人」とは誰のことか?

浄土真宗では「悪人」というときの「悪」を倫理・道徳上に置かない。もっと根源的な深い意味の「悪」である。

 

 ところで、住職にとってのまさか・・・はお話の上からは「神奈川の両親が二人が一度に病気になり、その介護のために、二人を山口に引き取ることになったこと・・・である。

 ふたりを自宅で介護すること4年半。それから義母だけは老健福祉の介護施設に。二人を別々の形で見るようになり、10年と半年。

やっと今年から義父の入所が決まり、やれやれと思った矢先、義父入院。住職と私は、また介助で通院する日々が、ここ一ヶ月続いた。

 

 仏教の上からは「老・病」は誰の身の上にも起こり、避けられない当たり前のこと。我が両親の身の上に起こったことは当たり前のこと。

 でも…なにも二人同時になるなんて…ね。

 

 これは当たり前の事。でもこの私の身の上に起こったら、当たり前というわけにはいかない。「分かっちゃいるけど…」で苦しむ。心が悪を作る。

 

 私の「まさか」はこの住職と出会ったことかもしれない。この住職と出逢い、47歳から介護の生活が始まった。

 でもこの「まさか」があるから、いいのだ。

 自分の身の上にも起こる「まさか」を見させてもらう。教えてもらう。

 

 平穏で何事もない一日が愛おしく感じられる。(6.16)

「M.Iさんのこと」

 Iさんがお浄土に還られた。行年91歳。

 いつもにこやかな笑顔で声をかけて下さった。晩年は病気で入院、介護施設に入所しながら人工透析を受けるなど、お辛い事も多かっただろうに…。

 法事でお寺にお参りして下さったとき、こんなことをおっしゃっていた。

「施設の中で、朝、仏様に手を合わす。お経をとなえさせて頂く。ここにいても仏様を拝まさせてもらえる。」

 

 今はIさんの優しい満面の笑顔しか思い浮かばない。

私を「まゆみちゃん」と呼んで下さったことが、嬉しかった。いつもIさんの中の私は、子供の様に頼りない存在だったかもしれない。

 見守ってもらえる安心感が、Iさんにはあった。(6.14)

 

「赤ちゃんメダカ」

 赤ちゃんのメダカが生まれた。あまりにも小さくて、じっと目を凝らして見ないと、どこにいるのか分からない。

 メダカの餌よりも小さい。

 

生きとし生けるもの全ての赤ちゃんは3歳までには親孝行をし終えているという。その可愛いしぐさに親はなぐさめられ、癒される。愛しい我が子を抱っこするとき、最高に幸せと感じる。

 

 メダカの赤ちゃんは、卵で生まれてくる。そのまま親と一緒の水槽だと親が卵を食べてしまうそうな…あるいは孵化しても小さな子を食べてしまうそうな…。子も哀れであるが、親も可哀そうだ。

 

 自分が哀れだという事を知らず、ただ生きる。自分の自性(煩悩)を自性のままにしか生きられないメダカの姿に、私の姿を重ねて見る(6.11)

 

「今日は…何日?」

 おじいちゃん(義父)が5月12日に入院してから、退院。一日を置いて再入院している。

 やっと病状が落ち着き、御粥が食べられるようになった。

 朝の食事介助、薬を飲ませ、ひげをそってあげる。

 住職も時間を見つけては面会してくれる毎日だ。

 「今日は何日だっけ?」日にちがわからないくらいならいいが、月が変わったのも判らなくなるときがある。

 

 「勿体ないな。今日という日は今日だけ…」わかっているけど、落ち着かない。朝のお勤めをしながら次の予定を考えているのだ。

こんな時もあるよね…自分を励ましながら病院に出勤~(6.8)

 

「一人いてしも 喜びなば」

 昨日、阿弥陀様に結婚のご報告をしに来て下さった若い二人である。

 岡山から車を走らせ4~5時間、ようこそのお参りであった。

 

「報恩講の歌」の歌詞に次のご文が出てくる。

「一人いてしも / 喜びなば / 二人と思え  /  二人にして / 喜ぶおりは / 三人なるぞ / その一人こそ / 親鸞なれ

 

 嬉しい時も、悲しい時も、常に寄り添って下さる親鸞様。

阿弥陀様の慈悲のお心を、私に届けて下さった親鸞様にまずもってご報告に来て下さったお二人が、これからも実り豊かな人生でありますように…(6.4)

 

「お爺ちゃん」

 昨日肺炎で入院していた義父が退院した。今回は18日間だった。

 退院が決まった日、義父は喜んだ。まだ完璧に治りきったわけではない。義父の肺は度重なる炎症を起こしては、治し…の繰り返しで11年目を迎える。

 

 「ゆっくり、落ち着いて」食べてね…何度繰り返しても直らない。

 せっかく戻って来れた小野ケアハウスでは、ムース食と薬を飲まないまま寝てしまった。「😥やれやれ…」

 

 義父に振り回されたような一日だったが、次の日はけろりとして、今日の事もあまり覚えてないのだろう。

 

 そういえば今年から住職も「お爺ちゃん」なのだ。しかし安穏とした「お爺ちゃん」の座は易々となれないものだ。(5.31)

 

 

「 むかで 」

むかでを殺した。

私達の部屋に音もなく入ってきて、もぞもぞ歩いている。

10センチもある巨大むかでだ。

映画のシーンのように、巨大ムカデが音もなく、不気味に接近してくる。殺虫剤…。むかでは苦しそうにもがきながら、生き絶えた。

 人類の勝利?殺虫剤の威力はすごい!

 でも、殺す必要があったのかな…どうして私の前に現れたのよお…。

 

 昨夜泊まった孫の顔が浮かぶ。「昨日の出現でなくてよかった」

 でも…このムカデにも家族があろうな…

 

 次の日、胃痛になった。きっとバチが当たったんだ。(5.29)

 

 

「入院2週間目」

 義父が入院して二週間が経つ。

山口に来てから、入院はちょこちょこ。いつでも入院できるように、準備は万端である。

 

 今年の2月、これまでデイに通った隣のホームでお世話になることにした。半年して、また肺炎で入院。朝、食事介護に通う生活である。

 

 看護師さんもいるし、毎日病院に通わなくてもいいよと住職は言う。勿論、義父のことが気にかかるからであるが、一つの習い性になってしまった。

 

 病院の中も高齢化している。ドアを開けていると看護師さんの声が二階の部屋中に響く。「大きな声・ハッキリと・ゆっくりと」が声掛けの原則なのだろうか。疲れることもあるだろうに、皆さん優しい。(5.27)

 

「 ボデーガードマン (見守隊)」

 お寺の坂道にセンサーライトが付いた。人の気配を感じ取って、暗い夜道を照らしてくれる灯りである。

 このライト、夜だけその偉力を発揮するので、夜だけ働いているのか…と思いきや、実は昼間の明るい時にもずっとスタンバイしてくれている。そして必要な時明かりを灯してくれる。

 

 なんだ?このライトは仏様の働きのようではないか。

 障害を感じない(昼間)時は、静かに見守り、いざ困難な(夜)時は、それを見越して、困る先から優しく行く先を照らしてくれる。

 

 この灯りを頼りに、一歩一歩、歩むことができる。

センサーライトはただ黙々と佇み、働き続ける。頼まれたわけでもないのに、昼夜問わず、私を心配して明りを灯して下さる。(5.21)

 

「病院の中の病人」

 義父が肺炎のため入院。6日になる。当たり前のことだけど、病院に行けば病人ばかり。入院するのも病人である。

 

 点滴の付き添いをしながらこんなお説教を思い出していた。

「お寺にお聴聞に来る人は通院患者。お寺に住まわせてもらう寺族は入院患者」

 

 私はずっと退院の見込みのない入院患者…?あちらこちら、悪いところだらけの重症患者らしい。

だから、先生が四六時中診て下さる、看護師さんが付き添って下さる。

自覚のない病人。だからこそずっと入院が必要。

 

 有難いな。(5.18)

 

「のんのさま」

 去る14日に嘉川の明正寺さま降誕日にお招きを受け、ミニコンサートをさせていただいた。

 部員は半数だったが、新しいお堂が素晴らしく、有難いご縁となった。

 仏教讃歌は「のんのさま」。歌いなれた曲ではあるが、コンサート会場で歌うのと違って、お堂はいい。優しい歌詞に包まれ、有難い気持ちになる。

 聞いてくださるご門徒さまの暖かい眼差しは佛様の眼差しのよう。

 

 横山先生の独唱、ひばり昭和歌謡楽団の伴奏で全員合唱と、アッという間の30分だった。住職さま始めご門徒さま、お声掛け頂いた仏婦会長の益富さんに感謝です!(5.15)

 

 

 

 

「 想 」

 先日の上げ法事で施主様がお持ち下さったお花である。こだわりのアレンジメントということ…季節の花を頭に、青と白で清らかな浄土を想わせる。

 そして、花を見ることで優しい気持ちになり、浄土から故人が微笑んで下さっているように思われる。

 

 時間とともにしぼんでいく花の様(さま)を見させて頂く。

 花は「汚く枯れているから私をどうにかして」とは言わない。その場にじっと佇み、枯れ朽ちる姿を自らの体で教えてくれる。

 ここにも仏まします。(5.11)

「守りたいもの」

 テレビやインターネットから様々な情報が流れている。こんな田舎の小野にあっても、今世界で何が起こっているか瞬時にわかってしまう。便利な世の中になったものだ。と、呑気に言っていられない時もある。

 

 世界情勢…何かおかしいぞ…なんて思うことがある。このままいけば戦争、地球を壊し続けて来た人間の、最終段階にきているのでは…と、想像すると恐ろしくなる。

 そこまで人間は愚かではないだろうと思いつつも…「分かっちゃいるけど、止められない」とも歌われた(故:植木等さん)

 みんなが豊かで幸せになることを求めた。その結果、争いが起こり不幸になる人が出てきた。争いは止まない。

 幸せってなんだ?私はどうあることが幸せなのか?

 争って、奪って、悲しむ人達の上に、私の幸せが成り立っているのだとしたら、それは本当の幸せと言えるのかしら?

 

 あなたが幸せになってくれないと、私の幸せはありませんー私のために呼び続けて下さっている仏様の言葉を、今聞く。(5.7)

「メダカの学校は~睡蓮の鉢の中(^^♪」

 お寺の玄関の前に、二つの睡蓮鉢が置いてある。これは紛れもない住職の趣味で購入したスイレン鉢。

 そこにメダカ20匹がやって来た。水中のボウフラなどを食べて、睡蓮の成長を助けてくれるお助け部隊…なのだ。

 私が子供の頃は、メダカと言えば小川のどこにでもいる生き物だった。今は小川を探すことが難しくなった。

 

 三吉総代さんが睡蓮鉢を見つけてくれて「これにメダカを入れたらいい」と、防府の親戚からもらって来て下さった。

 鉢に放つと、小さなメダカ達は素早く鉢底に隠れてしまった。

「こんな小さなメダカのどこに、自らの危険を察知する能力があるのかね~」…素早く泳ぐ、泳ぐ。

 これもご縁、お寺にようこそメダカくん!(5.3)

「いのち」

 先代住職が大切に育てていたランの花が咲いた。

先住が往生してから14年…。その間、住職の死を悲しむかのように花は咲かなかった。

 「ずっと葉ばかりだね…。」

 

 初孫が生まれた今年、思いもがけず、美しい花を咲かせて見せた。奇跡?偶然?必然?…。

 お浄土から喜ぶ先住の顔が浮かんだ。

 次に繋がれた命を祝福するかのように、ランが咲いた。(4.28)

「大空を泳ぐ」

 初孫の、鯉のぼりが上がった。高台に位置するお寺は、風がよく吹き、鯉のぼりも機嫌よく泳ぐ。

 

 誰が考えたのだろうか…鯉を空に泳がすなんて。

 

 お父さん、お母さん、子供の鯉のぼりが風に任せ、動き回る姿は本当に泳いでいるよう…。

どんな風にも身を任せ、泳ぐ。泳ぐ。

 

     負けるな、鯉のぼり!

 大空を泳ぎ切れ!…と願うばかりの私…。(4.25)

 

「伝灯奉告法要参拝」

「第25第専如門主伝灯奉告法要」の宇部北組団体参拝に参らせて頂いた。(17~19日)

 これまでは、寺の留守番だったので、団体参拝は初めて…前日からワクワク。

 朝早くに発ち、初日の午後が参拝になっていた。宇部北組は最前列で拝むことができた。北は北海道から、南は熊本までと日本各地からの参拝で大きなお堂が埋め尽くされた。前門様、専如ご門主様がお出ましになられたとき、堂内にお念仏が響き渡る。尊いお姿が有難く、こうしてお念仏を頂いていることが有難かった。

 美しい夢を見ているような時間であった。

  縁が整い、こうして参らせて頂けたすべての方に感謝と、お寺で留守を守ってくれた若院・若坊守にも感謝。(4.21)

 

 

「前坊守様ご往生」

  同じ組内の前坊守様がご往生された。行年93歳。

通夜に住職とお参りをさせて頂き、お別れを言ってきた。

かけた言葉は一つ「お導き下さり、有り難うございました」…。

 

 同お寺様の法座・先住職さまの勉強会に参らせて頂いたことがある。その時、お会いしてご挨拶させて頂いた。僅か数回の中でのご挨拶だったが、品がよく、とても愛らしい(年上の方には失礼な話だが…)方だという印象があった。

 

 多くの法中さまと共に「正信偈」を頂いた。美しい声明が堂内に響く。前坊守さまがお浄土の声となって、届いて下さった。(4.15)

「今年の桜ありがとう」

 今年は例年よりも少し遅れての桜の開花だった。そのお陰で、小学校の入学式は、校門の前を桜満開でお出迎え。

 毎年のことだが、桜の名所と言われる所へ出かけて「花見」とはいかない。

 その代わり、お寺から小野湖畔を見下ろすと、素晴らしい花見ができる。

 淡い桃色を添えて、若々しい景色を見せてくれる。

 

 今年の桜に、また出会う。

 そして、出会えたことにありがとう。(4.13)

「多くの感動をありがとう」

 去る4月5日、宇部北組仏婦・子供会・実践運動合同の花まつりが厳修された。

 午後からの花まつりの主役は、京都龍谷大学実践学科の学生さんたちによる「実践ジャーショー」だった。(写真コーナー)

 迫力満点のショーに泣き出す子供も出た。

 大人の私が見ても「ジャカツ(自分の中の悪者)」が登場した時はゾクッとした。

 ビャクドウとジャカツという二人のヒーローが戦う場面では、子供たちは食い入るように見つめ、「ビャクドウ頑張れ!」という声援が飛び交った。

 このショーで伝えたいことが、小さな子供さんに、どれくらい伝わったかは、分からない。でもこれからの宗門を背負って立つ若い人達が、一生懸命していることは、どこかで実を結ぶことだろう。

 前日は自坊に泊まって下さったので、色々な話を聞くことができた。爽やかな青年達が真っ直ぐに、自分の夢を語る姿が素晴らしく、また羨ましくもあった。

 

 これからはきみたちの時代だよ。頑張れ~!(4.6)

 

「宝林寺の法座弁当」

 法座のお昼は、仏婦の方がお接待で、手作りの精進弁当を頂く。

この味付けは、仏婦の松本さんを中心に作られている。

 

 精進の味付けは難しく、日頃お肉や魚といった食生活の味に慣れている人からすれば、ちょっと物足りなさを感じるかもしれない。

 しかし、野菜のコクがしっかり味わえる精進料理はまさに大地の恵みを感じることができる。

 法話で心を満たし、精進弁当でお腹を満たして、一日を豊かに送ることができる。こんな幸せをあなたにも…(3.31)

メニュー:煮しめ(小芋・ニンジン・厚揚げ・昆布・さやいんげん)・和え物(ほうれん草ともやしの梅肉あえ)・なます(キャベツと胡瓜・甘酢しょうが)・汁

 

「永代経法要のご縁」

 去る3月26日、当山で永代経法要が勤まった。今回のご講師は「石丸法光」先生。

 他力のお救いを、他力という言葉を使わず、解かりやすくご法話頂いた。とても、熱心にお話して下さった。

 ご自坊は島にあられるのだが、ご縁あって、今は市内のお寺のご住職も勤めておられるとのこと。

 島のお寺のご門徒様のお話は有難かった。昔の風習の中で、三日間をかけて丁寧に法事を勤められていることなど…聞かせて頂いていて、羨ましく思うこともあった。

 お坊さんがお坊さんらしく、ご門徒さんはご門徒さんらしく、お互いの関係がお御法繁盛ということで、結ばれている。

お寺のお参りを増やすには、お寺のファンを増やすことーと教えて頂いた。

 

 お寺のフアンになっていただくには…お御法繁盛に一生懸命な姿勢を住職や寺族の者が示すこと。その一点でしか、お寺参りの人を増やすことはできないのではないかな…改めて考える機会を頂くことができた(3.27)

 

「ふぐ兜」

 なんとも可愛い「フグ兜」。友達の友だちを介して、孫の誕生を知り、祝いにと、作って届けてくれた。

 友だちは刑務官で罪を犯した人たちの社会復帰になるための技術を教えている指導員である。(「矯正展」として、時々彼らの作品を目にすることができる。)

 時間をかけて、作ってくれた作品であることが、解かる。

 昔わたしも萩の土で、作品作りに挑戦したことがある。でも結果思うように形ができず、難しかったという記憶がある。

 

 愛嬌たっぷりのお人形に心がほっこり、思わず笑顔になる。(3.23)

 

花まつりのワクワク

 

 今年初めての試みである。宇部北組で子供たち、大人たちがお釈迦様のお誕生をお祝いする「花まつり」が同組内「浄誓寺」さまで行われる。(4月5日)

 

 アトラクションでは、京都龍谷大学の学生さんたちが取り組んでいる「実践ジャー」というヒーローがやって来る。

 子供たちの喜ぶ顔を見ることができる…のを楽しみにしている。

と、同時に私自身もとても楽しみなのだ…これからの宗門を担う、若い学生さん達がどんな発想で、このお御法を伝えようとしてくれているのか。

 前日はお寺に泊まって下さる。

 まだ体験したことのない、新しいことにワクワクする。(3.22)

 

「23人の仲間たち」

 晴れ渡る3月18日、宇部市内の小学校の卒業式が行われた。

その中で一番小さな卒業式が、ここ小野小学校ではなかろうか?

 全校児童数23人…対して来賓の方の参列の方が多く感じられた。

 

 厳粛な式の中、久保田校長先生の祝辞。校長先生は一人一人の卒業生のお名前を呼び、思い出と感謝の言葉を述べられた。小規模校ならではの心温まるご祝辞に、思わず泣けてきた。

 こんな学校で見てもらえた子供たちは本当に幸せだと思った。

 

 式の最後は「校歌」。私も6年間、歌った歌をピアノ伴奏でまた歌うことができた。懐かしいあのころを思い浮かべながら…(3.19)

 

小野小学校の卒業式」

 

 今週の土曜日は小野小学校の卒業式。ピアノ伴奏をさせてもらう。

 今日はリハーサルをしてきた。

まだ練習日だというのに、だめだ。目がうるうる…(花粉症からではありません)

 素直な声で元気一杯歌う子供たちの歌声は、どんなに上手い歌手でも敵わないくらい、心にどんどん入り込んでくる。

 

 この子達に、清いもの、美しいものを教えてもらった。

卒業式本番は、私も全力で伴奏させていただこう。(3.15)

 

「面白き 事もなき世に  おもしろく」(高杉晋作)

 

 長州(現在の山口県)の英傑、幕末を駆け抜けた高杉晋作の歌である。

享年27歳。

 高杉晋作の歴史上の業績は大きい。それを僅か27年間にやってのけた人、まさに「雷雲の人」である。

 

 病に伏し、第一線から退かなければならなかった彼の、心の一端が現れているのかもしれない。

 

 「面白き世」を目指して生きた彼が、今の世をどう見るのだろう。(3.13)

 

「さんがつさんぽ」

 

三月はふわふわと散歩する

失くしたものを探すでもなく、

目的地に急ぐでもなく

 

三月はふわふわと過ぎ去る

でも、私の中から、あの日の記憶がよみがえる

 

 ここにいて、私を探して…と呼ぶ声がする  (東北大震災から6年目に)

 

 

「三月の小野湖」

ここ数日、暖かく春だなあーと思いきや、昨日はみぞれ交じりの冷たい雨。体調もおかしくなって、管理が難しい。

 今朝も原因不明の頭痛に悩まされ、いや…花粉症?身体は重い、だるい。軽い吐き気はメニュエル病?

 あれやこれやの自己診断をしていたが、疲れるのでやめた。

 

 毎朝ベランダから小野湖を眺める。小野湖は毎日、違う顔を見せてくれる。「おはよう、今日の顔も素敵だね」

 こんなに素敵な朝に、身体がだるいんじゃ勿体ない。鏡を見て、笑顔を作って、さあ、素敵な一日のスタートよ(3.9)

 

「がらん~、と泣いている」

 賑やかにやって来た若院夫妻と孫のお部屋、もぬけの殻となった部屋のお掃除をした。

 お布団干して、シーツを洗って…

 小ざっぱりしたお部屋をぐるりと見渡す。

昨日までの賑やかさがうそのよう。がらん~、とした静かなお部屋…泣いている。

「へえー部屋も泣くことがあるんだ…」

独り言をつぶやきながら掃除機をかける。(3.6)

 

「 あら、梅の花 」

 

 匂いほのかに梅の花

 ほころびほころび

 春を告げる

 

 言葉にならない春

 ときめきを

 花で かほりで そっと告げる

 

 私はここにいて あなたを待つ

 そしてこう言うの

 「あら、梅の花…」と   (3.2 )

 

 

「2月は逃げる?」

 

 2月も今日で終わる。

「2月は逃げる」と言われるごと、日が経つのが早く感じられた。

 

 名実ともに「おばあちゃん」になった私には、後生の問題がますます近しい。

 

 ぼーっとしてはいられない。

 

 昔、聞いたご法話の中で「宗教年齢」というものを、身に当ててみる。

(70歳が平均寿命と考えられた頃の話)

 

  実年齢 ÷ 3 = 宗教年齢 だそうだ。

 

 私は56÷3=18.33・・・

これを24時間時計に当てはめてみると、18時過ぎ

 

 陽が沈み、夜に向かい、一日が終わる。

 

真っ暗な闇夜になるのか、月灯りの中、灯りを頼りに穏やかに歩んでいけるのかは自分自身の大問題。

 

 ぼーっとしてはいられない (2.28)

 

 

 

「 御 文 章」

 昨日はご法事を勤めた。30人くらいの親戚が集まり、大きな声でお経を頂く。下は2歳児から、上は80歳代の施主様である。

 

 今朝のお朝勤(あさじ)で住職が拝読してくれた「御文章」の一文が心に残り、それを法話の締めくくりに頂いた。

 

 古語のもつみやびな美しい文を、意味がわからなくても、分からないままに聞き流しているうち、「あなかしこ あなかしこ(もったいない)」の思いに至るから不思議だ。

 

 「御文章」が大好きになった。(2.27)

 

「 あこの手 」

 

この世のものとも思えない

小さな清き手に

そっと指をのせてみる

 

ぎゅっと握り返してくる小さな手が「私をはなさないで」と言った

 

 この手は たくさんの人の幸せを包み込む手…

 私の指を心を あたたかくする

 

 清き手は決して私をはなさない

 仏様の手とおんなじだ…   (2.22)

 

 

 

「 普通に 」

 

普通に生まれて

普通に成長して大人になる

普通に社会人になり

普通に良き伴侶に出遭う

 

普通に子を授かり

普通に子が成長し結婚する

                 

                 普通にその子がまた子を授かり

                 私はお婆ちゃんになる

 

   たくさんの、この普通という奇跡が繰り返される(2.18)

 

 

 

「生まれる」

 

新しい命の誕生

 

ようこそ 有り難う

 

この命が生まれるとき、どこかで失われる命があるっていうこと…

 

     たくさんの命を背負って 今、生まれた命

 

     重いね 尊いね

 

     ようこそ ようこそ 有り難う (2月14日によせて)

 

 

 

「この世界の片隅に」

 数日前、話題作のアニメ映画を住職と母とで見て来た。第二次世界大戦前後の混沌とした時代を、主人公「すず」を通して、市井の人々の生活を丁寧に描いた作品。

広島、呉市が舞台になっている。

 

 「この世界の片隅に〇〇…」と問われているように思う。

私なら何という言葉を当てはめよう…「生きている」「私がある」「小さな幸せがある」…etc…言葉にすると軽いかな。

 

 戦争をテーマにした作品を見終えたとき、いつもは重苦しく、「戦争は絶対にいけない」と半ば強迫観念的な思いが頭の中を占領する。それと同時に、いけないと分かっていても、戦争を起こしてしまう愚かな人間世界に絶望と無力感を感じてしまう。

 

 今回の作品も反戦映画ではあるものの、見終えた後、強迫観念や絶望感はあまりなかった。むしろ人間の優しさ、けなげに生きる姿や逞しさに救われる。

 それは、住職もいっていたが、敵国だけが悪いと、一方的に責めていないからだろうか。人を責めると、憎しみが生まれる。憎しみを持つと後で自分の心が苦しくなる。

 

「どうしてこんなことになっちゃったんだろうね」

失った右手の代わりに、残った左手で井戸の水くみをする「すず」の姿は哀しい。でも哀しさ以上のものがある。それを教えてもらった。(2.11)

 

「静かな朝の梵鐘

 今朝は予報通りの雪、平日なのでそろそろと行く車のエンジン音すらも静かである。静かな朝の中、鐘を突く。

 

 雪のクッションのお陰でか…なんだか今朝の鐘の音は柔らかい。まろやかで、遠くの山まで包み込む音色。

 

 こんな日は、特別ゆるりと、響きを楽しみながら、鐘を突く。

 

これから始まる新しい日を励ますように。行ってらっしゃい、お帰りなさいと響く。(2.10)

 

「コンクリートに咲く草花」

 お寺の坂道である。こんな難しい場所に咲かなくても…と思う。

 

 草花は強い。どんな場所でも、種が落ちた場所が我が居場所と、根を張る。見つかると、無碍に引っこ抜かれ…邪魔者扱い。

 

 でも、負けていないぞ。

次から次へと、種を飛ばして根を張る。この草花の逞しさ…。

 

 眩しいくらいに凛として、慎ましく咲いていく。これが我が人生と、誰を羨むでもなく、自らを卑下するでもなく、ただ咲いていく。

素晴らしいな。(2.9)

 

「おばあちゃんのお見舞い」

 

 ご門徒さんのおばあちゃんのお見舞いに行ってきた。お年は百歳。

気丈な方で、97~8歳まで家で、デイサービスなどに通っておられた。

 

 しばらくお会いしていないから、私のことを分かっていただけるか心配だった。「おばあちゃんわかる?お寺よ」と声をかける。その声に反応して、手が動いた。その後、もう自力では開かない瞼を指で押し上げ、中から小さな瞳が出てきた。「おばあちゃん私の顔が見える?」

 

 見えたのか見えないのか、反応はなかったが、重い瞼を開けて私をずっと見ていて下さった。手を握り、さすっては声をかけして、時間が経った。

 

 会話のない静かな時間だった。自己満足にすぎないお見舞いかもしれないけど、お婆ちゃんに、なんだかとても会いたくなったのだ。(2.7)

 

 

「おじいさんが入所しました」

 10年と4か月、自宅からデイサービス、ショート⒮に通っていた義父だが、今年からいよいよ生活拠点が小野ケアホームになった。ここはお寺から歩いて3分というエレベーター付きの建物。

 おじいさんにしてみたら、とても住み心地のよい場所だ(これまでショート⒮でもデイサービスでもお世話になり、介護してくれる方とも人間関係ができている。)

 

 いよいよ1月末、これまでの生活を続けるか、義父に入所してもらうかの決断を迫られたとき、主人は「君は娘でもできないことを、10年間してくれた。孫も生まれることだし、ここで生活スタイルを見直そう」ときっぱり!割り切って、心を決めてくれた。私は…ずるずると…。

2月が来た。

 

 それから数日、何もする気が起こらず、熱が出た。

介護、介護と息巻いていたが、結局、家で最期まで見てあげれなかった自分に腹が立ち、情けなかった。

 あれこれと心配したが、その意に反しておじいさんは、元気に生活しているらしい…。まだ、施設を覗けないでいる。(2.6)

 

「坊守の仕事」

 よく「お寺の坊守さんは忙しいでしょ」と言われる。そんな時は決まって、「はあ、まあ、ぼちぼちです」と答える。

 日本語は優れている。この曖昧ともいえる「ぼちぼち」の意味だが、相手の想像に任せ、相手が納得する答えを、決めさせているのだ。「ぼちぼち」を「忙しい」とも「それほどでもない」ともとれる。

 

 そもそも「これが坊守の仕事」ということは決まってなく、各寺院の事情による。ただし、「住職をサポートし、ご法義繁盛につとめる」ことが基本にある。

 会社で言えば住職は社長。坊守は秘書?なるものだろうか。秘書がどの程度のものかは皆様のご想像にお任せいたすところ…。

 

 日々を「ぼちぼち」とご報謝させて頂き、お給料は阿弥陀様が下さる。勿体ない。(2.4)

 

 

「トランプさんと杉原千畝さん」

 今月のシアターは杉原さんの話。元外交官で第二次世界大戦中、リトアニア地でナチス・ドイツに迫害され危機に面したユダヤ人を救うため、自を犠牲にして6,000人以上に「命のビザ」を発行した人物である。

 日本人としての誇りを忘れず、自身の命の危険を顧みずビザを発行し続けた方だが、日本よりも、むしろ海外での評価が高い方かもしれない。

 今回の御堂シアターをとても楽しみにしている。(2月23日)

 

 アメリカでは新しくトランプさんが大統領になって、連日マスコミや世間を賑わしている。政治のことはよく分からないし、アメリカで実際に抱えている問題も表面的なことくらいで、根っこにある問題の根深さは解からない。

 ただ、仏教を通してみると、物事がなるには「縁起の法」にのっとり厳粛に行われているということ。様々な因と縁により、相互に作用しあい、一つの結果があるということを教えて頂いた。そして、根っこの部分ではみんな繋がっているという。

 

 自分の国だけが良くなることは、縁起の法から見るとありえない。

今後のアメリカの行く末が心配だが、それは私達の問題でもある。

 しかし、トランプさんはある意味凄いひとだ。こんな政治オンチ、一主婦の私までにも、問題を提起してくれる。(2.2)

 

「2月の声」

 昨日は1月の締めくくりの31日。この大事な日にダウンしてずっと一日中、寝ていた。やらなければならない仕事は沢山…。

 でも人間、寝てろと言われたらいくらでも寝れるもんだ。

 

 今日から2月。あれして、これして…考えていたらまた頭が痛くなってきた。

 

 今日は大切な友達のご主人の5回忌命日。心は沈むが、一日中、思い出のCDを聞いて過ごそう。(2.1)

 

「今年も御堂シアター」

 新年最初の御堂シアターは「寅さん」で有名な山田洋二監督の「家族はつらいよ」。

 現在の家族が抱える問題を、コミカルに、またシニカルに描いたもの。

 

 定年退職して、犬の散歩とお酒が大好きなやや暴君的な家長、夫に尽くし、さあこれからは自分の時間を謳歌したいと趣味に走るその妻。長男夫妻と二人の子、嫁をもらわない次男の7人家族。そこに嫁に嫁いだ長女夫妻が絡んでの物語が…。

 

 今時7人家族で暮らすところは珍しい。でもあえて山田監督はこの設定にされた。家族はこうあって欲しいという山田監督の願望と、「家族」ってなんだ?という疑問を問う時、この家族構成にされたのかな?…。

 

 つまるところ、家族であっても個々の人格を持った人達の集まり。だから、言葉できちんと思いを伝えなければいけないよ、でも、家族だから心配し合い、乗り越えられるというメッセージに思えた。

 

 この物語を羨ましくご覧になった方もあったかもしれない。

当事者としては、笑えない話だが、喧嘩しあえる人が傍にいることは幸せなことだから。軒下の人と人との間に、幸せと不幸が混濁して、味のある人生の手助けをしてくれている。(1.28)

 

 

「子孫へ最後の贈り物ー青木新門さん」

 

 読売新聞に青木新門さんが寄稿されていた。青木さんは「納棺夫日記」の著者である。後にこの本を基に「おくりびと」という映画が作られた。

 その青木さん、久々に顔写真を見た。1937年生まれなので、齢80歳。おじいちゃんとして、柔らかくでも厳しい、いい顔だ。

 上のタイトルからも想像できるが、高齢者が若い世代になにを残してあげることができるか。高齢の自分が亡くなる時の、最後の贈り物として、これまで納棺師として働き、自身が遺体から教えてもらったことを記してあった。

 

 どんなに科学や医学が進歩しても、命に終わりはある。その自身の「死」を有縁の人に最後のお説法として、聞いてもらう。それが自分が今日までお育て頂いた方々への、最後の贈り物だと言われる。

 

 私もやがてその日は来る。最後のお説法ができるように、日々を大切に生かさせてもらいたい。(1.26)

 

「ある朝目覚めると 真っ白な白髪の老人になっていた…」

 

 ラインの友だちがこんな文章を送ってきた。これは小説の中の一文である。「恐ろしいことです」こんなことは恐ろしいことです…とある。

 確かに、私も白髪を持つ年齢になってきたが、これまで黒髪だった者が、目覚めると一夜にして白髪の老人に変わっていたら驚くだろう。

 

 が、よく考えて見ると白髪…年をとり老化しているということは、紛れもない事実。それが、たまたま一夜という時間で見せられたので、自分には驚きの事件となっただけのことである。

 

 じわじわと老化をしている。その変化を短時間で見ることは出来ない。

自分はまだ若い(時間がある)なんて思っている。でもそれは必定だ。

 

 もう一つ厄介なのが、じわじわと年をとり、十分に考える時間を与えられたにもかかわらず、「いつこんなに年をとり白髪になってしまったか」と後悔の中に嘆く人である。こんな人にとっても上の文章は当てはまる。

 

 「後生の一大事」を急げ!「ある朝目覚めたら…」なんていう戯言は小説の中だけにしてほしい。今がその時。(1.25)

 

「 非常の言(ことば) 常人の耳に入らず 」

 

山陽小野田の法蓮寺さまの報恩講に遇わせていただいた。講師は中島正念先生。雪をちらつかせた朝にも関わらず、大きな本堂が満堂であった。

 よわい81歳となられた先生は、変わらない中島節でトツトツとお話下さる。聖人さまのご法事である報恩講にどのようなご恩があるのか。この年齢で、確かになったこと、後輩に一番残したい言葉など…今の先生にしか話せないお話を聞かせて頂いた。

 上のお言葉は曇鸞大師のお言葉。「非常」とは非日常のこと、仏教の世界観を表す。その仏教の言葉ー理(道理)は、常人(人間の知識にとらわれ生活する私達)には聞こえてこない。ということらしい。

 

 歳をとり、色々な経験を積んできて、年の数ほど知識も増え賢くなったか?否、否…年をとればとるほど、身体が思うようにならず、集めた知識も手放さなければならなくなる時がくる。年をとるとはそういうことだ。

 

 そんな中、「非常の言」が聞こえている人は幸せだ。長い年月をかけて、かき集めてきた全てを失う日がきても、全く問題ない。そもそもかき集める必要がないのだから。

 

 「お聴聞に始まりお聴聞に終わる」親鸞聖人が聞き開いて下さったこの道を、師のみ跡を辿り、歩ませて頂く。

 そんなお話を聞かせて頂いた。(1.24)

 

「小さな法事の大きな心遣い」

 昨日は午前中、ご門徒さんの法事に参らせて頂いた。

 今回の法事は50回忌の法事だった。通常、50回忌といえば、法事では括りの大法事である。が、当家には縁の薄い「おばさん」に当たる方の法事を、父・娘の二人で勤めて下さった。

 「どのようなご関係でしたか?」当家の御主人に尋ねても「いやあー私も子供の頃でしたからね」と、今回の法事の方のことはよくご存じない。「でも、お寺さんからご案内をもらったから…」とのこと。

 

 そうなのだ。お寺の過去帳に載っている方は、施主様に、暮れに来年の法事を一応通達する。ほとんどの方は律儀に法事を勤めておられる。今回の法事のように、遠縁の叔父、叔母さんであっても、お寺のご案内ならば勤めないわけにはいかないと、縁の薄い二人が勤めて下さり、これまた縁の薄い私が唱導師でお経を上げさせて頂いた。お経を頂くこの不思議な時間…。

 

 法事後に、慣れない手つきでご主人がお茶を入れて下さり、色々とお話を聞かせて頂いた。娘さんのご病気のこともあり、決してお金が沢山あるとは思えないようなお家である。工面をしてお布施を用意されたのだろうことは解かる。本当に頭が下がる。

 こちらは昨日の雪が薄っすらと残っていた。

お勤め後の悴んだ指先が、御主人の入れてくださったお茶で暖かくなった。(1.22)

 

「あれから…」

 「1・17…22」と数字を並べてみる。阪神淡路震災が1月17日にあってから22年の月日が経過した。それ以降も大きな地震、災害に見舞われた平成の時代、今なお災害復興への課題は山積している。

 もう過去のこととして前を向いて歩こう…そんなことは分かっている。分かっているけど、22年経った今でも遺族のかたにとっては、昨日の事の様に、ぬぐっても、ぬぐっても、涙が乾くことはないだろう。

 大切な方を、突然失ったその日から「なぜうちの人が、いとしいこの子が、やっと穏やかな老後を暮らせるはずだった親が、こんな死を迎えねばならなかったのか」考えても戻ってこない人の事を、あの時、助けられなかった自分を責め続ける。

 

 私達は、苦しみの大海を、浮き沈みしながら、沈没しないようにもがき、喘いでいるようなものだと教えて頂いた。その私に船を差し向けてくださり、何があっても沈没させない。この船は「私の願」ぞと、阿弥陀という仏様が声となって届けてくださった。

 いつ、なんどき、どんな死に様であったとしても、その舟に乗せてもらっているから大丈夫。弥陀の願いの「願」なれば必ずこの大海を渡しける…と。

 

 もう悲しまないで。お浄土で仏様となられたあなたの大事な人を悲しませないでください。亡き方は、お浄土から「南無阿弥陀仏]の声となって私に届いて下さっているのですから。やがてこの私も参らせていただく、その日まで、「南無阿弥陀仏」と共に、ここにまします。(1.19)

 

「1月の常例法座」

 H29年度最初の常例法座が勤まった。住職のお話は「浄土」について…だった。

 この話は以前お聞かせいただいたものだったが、何度聞いても有難いお話だ。

 お浄土の話は本当にいい。こんな私でも、やがて参らせて頂ける清浄な故郷…迷わないでいいように、浄土を建立して下さり、「お前の帰る場所はここぞ」と、用意して下さった。

 今日は私のために話して下さったようなお説教だった。住職に感謝したい。(1.17)

 

「あなたは今、幸せですか」

 昨日、何気なく付けたテレビで、こんなドキュメントインタビュー番組をやっていた。ご覧になった方もあるかな?

 無作為に選んだ地方の、一般の人々に上の質問をして、その元となる幸せ度を円グラフで表してもらうというものだった。

 東京でスカイツリー窓ふきの清掃員として働く方、鹿児島で桜島大根を作っている70歳の農家の方、福島でカキを養殖している60歳の方…。テレビを付けた時ちょうど、この三名の方がインタビューに答えられていた。

 

 この方たちは「今、幸せです」と答えられていた。その他のインタビューに答えられていた方の大半も同じ回答だったらしい。仕事に誇りをもち、家族と時間を過ごし、自分の趣味をもてる…。それが幸せ度を表したグラフ内容だった。

 

 難しい質問だ。おそらく私も「幸せ?」と聞かれたら「幸せ」と答えるだろう。でも…あっけらかんと答えるには憚られる。

 

 東北大震災があってから5年10ヶ月…復興もまだ過程だときかされている。かき養殖を再開した方も両親を震災で亡くされた。その悲しみを癒す間もなく、生きていくために歯をくいしばって頑張ってこられた5年と10ヶ月だ。それが分かっていて「幸せか、幸せでないか」を問うのは…でもテレビ番組的には、そうせざるをえないところがあったのだろう。

 こうした問いかけの番組の裏で、哀しい体験と向き合って、今も苦しんでいる方があることを忘れてはならないと思う。

  百人の内、99人が幸せと答えても、一人が不幸せだと思う人があることが哀しい。その一人を哀れみ、悲しんで、共に我がこととして泣いて下さる方がある。なもあみだぶつ。(1.16)

 

 

「御正忌報恩講」

 全国的に雪をもたらした今朝、御本山(京都・西本願寺)では報恩講が勤まっている。ここ数日葬式や法事で忙しく、心が落ち着かなかった。

 

 昨日は亡きM様の3回忌の法事を勤めさせてもらった。持参した経本は30冊。それではとても足りない数の子孫、兄妹、ご親戚が集まり、にぎにぎしい法事となった。お寺の法座に参って下さいと案内しても、せいぜい1軒から一人か二人。ご先祖様の影響力ははかり知れない。

 ご当家ではまだ「報恩講」のお勤めが勤まっていなかったので、M様の法事の読経後、「お正信偈」をいただいた。中には余宗の方もおられたが、大きな声で皆さん勤めて下さった。

 

 昨日は全国のあちらこちらで「お正信偈」が唱えられたことだろう。京都に想いを馳せながら…。(1.15)

 

 

 [  お葬式 part2 ]

  今日はご門徒さまのお葬式だった。住職と出勤させてもらった。ご門徒さんが亡くなったと知らせを頂く。それから葬儀までの間、軽いうつになる。

 

 浄土真宗では、亡くなって終わりではない。お墓の下に眠るのでもなければ、ごみと同じように燃やされて灰になって無になるのでもない。お浄土に生れさせていただき、今度は縦横無碍に仏となって、苦しみの中にいる衆生を救う働きをさせてもらえる…とお聞かせ頂いている。

 

 だから、悲しくないのだーと自分に言いきかせながら、お勤めをする。でも、後ろからすすり泣く声や、泣きたいのにそれをこらえて挨拶される喪主さんの声を聞くと、やはり悲しくなる。

 

 しばしの間、ご縁あって親子となり、兄弟となり、親戚となり、また友達となる。振り返ればほんとに僅かな、あっという間の淡い時間…だからこそ愛しい。

 

 お世話になりました。そして今度はお浄土で再び会える日まで、私を、有縁の人たちをお導きください。(1.11)

 

「お葬式」

 同じ組内の前住職様がご往生された。今日は通夜。明日が門徒・遺族合同の葬儀となる。

 我が亡き父の葬儀のことを思い出しながら、これからますます変わっていく葬儀のスタイルの事を憂う。

 社会が忙しくなり、生きていく者は自分のこと、家族のことで精一杯。死んだ人のことなどをいつまでもかまっていられない…と、いうところだろうか。どんどん簡略化され、しまいには家族葬、葬儀なし。あげくの果てには、お坊さん抜きの「お別れパーティー」などということまで耳にする今日。

 その人らしい見送り方で…と言うが、つまるところは生きている人の都合を最優先に考えているーとしか思えない。

 

 亡き方には、亡き方の最期のつとめがある。自分の代わりにお坊様に最期のお勤めをして頂き、今生でお育て頂いた仏さまへのお礼と、そして今生を最期に参らせて頂く浄土という国を、会葬に訪れた人達に自らがお伝えする仏としての仕事だ。その大切な最期の仕事には、生きている周りの人の協力が欠かせない。

 

 父の本葬の葬儀の時は沢山の組内のご住職さまにご出勤頂いた。その美しい荘厳と勤行は、今も心に響いている。(1.8)

 

「 初 法 座 」

 5日に山口別院の初法座。木下輪番のお話を頂くことができ、今年は幸先の良いスタートとなった。お話の中で二つのご和讃(巻頭讃・親鸞聖人作)を挙げられ、「この二つくらいは真宗門徒として覚えてみませんか」と、目標を頂く。そのご和讃とは次のもの

 

「弥陀(みだ)の名号(みょうごう)となえつつ/ 信心(しんじん)まことにうるひとは/ 憶念(おくねん)の心(しん)つねにして/ 仏恩(ぶっとん)報ずる思いあり」

 

「誓願不思議(せいがんふしぎ)をうたがいて/ み名を称(しょう)する往生(おうじょう)は/ 宮殿(くでん)のうちに五百歳/ むなしくすぐとぞときたもう」

 

 覚えたから、覚えないからということで、如来さまのお救いに違いはないが、それほどの御恩である。聖人のみあとを慕う門信徒としての僅かばかりの心意気を問われたのかな?

「仏法には世間のひまを闕()きてきくべし」(蓮如上人御一代記聞書155)と蓮如上人のお言葉を頂き、ご法話を括られた。有難いご縁だった。(1.6)

 

「 初 夢 」

 ここ数年、初夢らしきものを見ていない。お正月の賑わいが終わり、やっと平常の生活に戻った今日、そろそろ初夢を見たいものだが…夢は見ようと思って見れるものではないなあ…。

 どんな夢を見たい?どんな夢でもいいのだけれど、夢の中でしか会えない、懐かしい人に会いたいと思う。

 

 今年、還暦を迎える住職に合わせて、赤い色を多くした部屋の模様替えをした。浄土真宗らしくないな…とも思うけど、気持ちが明るくなる。

60年間働いてくれた身体も一度メンテナンスの時期。振り返れば、あっという間の、夢のような60年間ともいえる。

 

 夢から覚めて、さあ一歩!(1.4)

 

「 酉  年 」

 年末、年始のお客様をお見送りして、やっと家族だけの静かな時間に戻った。今日は私のプチお正月。(と、言っても毎日の習慣は変わらず、朝は4時半起床。年を取ると目覚めが早い)

 頂いた年賀状を読み返しているところ。「そうか酉年か…」賀状には「鳥の様に大きく羽ばたきましょうよ!」とあり、建設的な思考で頼もしい。うん…はて…何処へ羽ばたこう?

 今年の目標は「多くを語らず、心を耳にして聞く」とした。聞いてきたはずのことが、聞こえていない。心に響いていないから、聞こえてこないのだ。

 今日から、今から。お聴聞はいつもゼロから出発。そしてゼロが到着点。聞いて、聞こえて、響いたままがお念仏。お救いの中。なんだか決まったぜ!(1.3)

 

「明けました29年!」

皆様おめでとうございます。カレンダーも新しく、坊守通信も新たにスタートします。たわいもない日記にお付き合い下さり、有難うございます。どうぞ今年もよろしくお願いします(1.1)