「今年の報恩講(12.3)」

 コロナ禍のトンネルからようやく光が見えてきた今年の報恩講様です。

 

 ご講師は深野純一先生(下関市:誓願寺住職)でした。

 コロナが明けたとはいえ、インフルエンザ感染までも増えていることを考慮して、午前中のみの法話でした。

 今年は親鸞聖人ご誕生850年並びに立教開宗800年の記念すべき年でもあります。

 

 先生が最初にお話し下さったのは「親鸞聖人の御恩徳は私たちの生活と何ら変わらない日常の生活の中で、この私がお救いにあずかれる教えを聞き開いて下さった」ということでした。

 「浄土教はけしからん」と朝廷から罰を受け、遠い越後(新潟県)にご流罪に会われました。35歳当時の聖人には奥様の恵信尼様と幼い三人の子供たちがいらっしゃいましたが、そのお子達を抱きかかえ命がけのご流罪の旅でした。

 越後での生活は決して安楽なものではなかったと教えて頂きました。

ご自身のことはほとんど書き残されなかった聖人の実際のお人柄を偲ばせて頂く時、手掛かりとなるのは、恵信尼様が娘にあてたお手紙だということです。今日沢山のお聖教を書き残して下さっているのに、ご自身のことはほとんど書き残されなかった…(聖人のお人柄を想像するとき私が一番好きなところです)

 如来様の智慧の光に照らされた時、自身はとるに足らない煩悩具足の凡夫なりと知らされた姿を親鸞聖人のお姿の上に拝まさせていただきます。

 

 先生は世間の知識の話とは全く違う、仏様の智慧の光に照らされたお話を教えて下さいました。一番大事なところを、お喩を交えて何度も教えて下さいました。

奥深い仏様の願い、この私がお救いにあずかれる…かたじけないことでした。(12.12記)

 

 

「お誕生日ありがとう」

 学友が組報を送ってくださいますが、その中に「親鸞聖人ご誕生850年」の慶讃に関して、こんなことが紹介されていました。

 もと薬師寺管主の高田好胤師の著書「母・父母恩重経を語る」の中で紹介された歌「諸人よ 思い知れかし 己が身の 誕生日は 母苦難の日(詠み人知らず)」があります。

 誕生日は私が生まれた日ですが、母が私を生んで下さった日でもあります。生まれてくるときは母と共に「産みの苦しみ」を味わい、家族の見守りの中で誕生した命です。多くの命と支えのお陰であります。そのご恩を思うとやはり誕生日は「ありがとう」なのです…(「りゆうせん第72号」より)

 (次に続く)

 

 

 

「ドラえもんのこと」

 いつも寺報をおくって下さる福岡の「正覚寺」様の住職コラムを楽しみに拝読させて頂きます。この度はアニメ「ドラえもん」のお話でした。

 

 ドラえもんは未来からやって来た猫型ロボットです。ひょんなことから「のび太君」の机の引き出しからやってきて、のび太君の願いを叶えるべくドラえもんのポケットから色々な道具を出し、のび太君を助け夢を叶えてくれるというお話です。

 ある保育園の先生が子供たちに聞きます。「もし先生がドラえもんだったとしたら、みんなは何をしたい?」子供たちはそれぞれの願いを先生に言います。「どこでもドアでアメリカに行きたい」「タイムマシーンで恐竜に会いたい」等々。

 

 そんな中、一人の女の子は言います「ドラえもんにどら焼きをあげたい」

ドラえもんの大好物をドラえもんに食べさせてあげたいと…。

この女の子の心は、仏様のお心で、仏様の願いに似ています。

 

 阿弥陀様の願いは「あなたに幸せになってほしい。あなたの幸せが私の幸せ。あなたに私の功徳のすべてをあげたい」。それが仏様のお心で私達一人一人にそそがれているのだと。

 あれが欲しい、これが欲しいと、私だけの欲の中でしか生きていけない…情けないくらい自分勝手で自分の事しか考えられない日暮らしです。自分の家族、自分の親族、自分の友達…大切なのは「自分の」という冠が付いているからです。

 

 でもそんな私にも仏様の願いは注がれています。自分自身に愛想がつくぐらい自己中心的で、それをわかっていても止めることが出来ないのに…。

「どら焼きを上げたい心」になれとはおっしゃらないで、ただただ悲しんでおられる。そして私のために念じて下さっています。それが「お念仏」です。本当にかたじけないことでしたと、改めてお念仏申させていただきました。(10.25)

 

 

「稚児さんで参拝させて頂きました。」

 去る10月21日(土)に山口教区の慶讃法要(親鸞聖人ご生誕850年・立教開宗800年)がお勤めされ若坊守と新発意は稚児行列で参拝させて頂きました。

 新山口駅の新幹線口からkⅮⅮI維新ホールまでの道を稚児58人と親御さんがかわいい稚児姿で歩きました。

稚児で親鸞聖人のお祝いをさせて頂くことはめったにないご勝縁でした。

 

 10時から法要が始まり、お勤めの後、記念法話(深水健司師)でお昼を挟んでの一日でした。

 午後は法要記念コンサートにジャンショウイェンさんの二胡の演奏、サンドアートのパフォーマンスを見せて頂きました。山口雅楽会の演奏、コーラスと盛り沢山の中、盛大な拍手で幕を閉じました。

 法要委員長の「河野藤丸先生(真光寺住職)」のご心配とご苦労の元、それぞれの委員会の方々の心を込めた法要で大変素晴らしい1日となりました。晴天は何よりの如来様からの贈り物でした。

 

 一つ残念だったのは、閉会に拍手で終わったことです。やはりどんな形であれ、聖人様のお誕生法要はお念仏がいいと思うのですが、進行上、仕方なかったのかとも思いました。

 いづれにせよ運営に携わって下さった方々の熱意が伝わってきて、心に残る法要でした。

 

 来年3月には「宇部北組」でも慶讃法要が予定されています。また近くなりましたらお知らせいたします。沢山のご門徒さんと参拝出来たらいいなと思います。(10.23)

 

「親鸞様を想う~稲田の新米」

今年も東京三田にある當光寺の坊守様より「お仏飯にお供えして下さい」とお米を送って下さいました。

 

稲田の里「西念寺・稲田御坊」は親鸞様が常陸国稲田の領主稲田九郎頼重の招きに応じて妻子とともに20年間過ごされ、ここで「教行信証」をご執筆され、信濃ー常陸と関東での聖人の布教の拠点となりました。帰郷後、草庵の跡地に寺を開創し、それが現在の西念寺様です。

 こちらの地で、聖人自らも苗を植えられたと言われる「お手植えの田」から送られてきたお米かと思うと、勿体なく思いました。さっそく次の日の朝、御仏飯をお供えさせて頂いたことです。

 もちもちとして、真っ白なお米の一粒一粒に親鸞様を偲ぶことができ、その日はより近しい方に感じることができました。

送って下さった坊守様に感謝いたしました。(10.17)

 

 

 

「学習会に参加させて頂いて」

 10月は様々な研修会や、学習会が用意されています。コロナ禍からコロナ以前の行事も当たり前に行われるようになり、気ぜわしい日々はお寺も皆さんと変わりません。

 昨日は住職と一緒に「真宗教学会」に、その前は「新領解文」のご説明に京都から総務や統合企画室のかた、勧学様がお越し下さいました。

 

 「新領解文」では、ご指摘の様に「真宗教義にそぐわない」との和上様や多数の末寺の先生方のご意見です。私は浅学の身でお恥ずかしいのですが、今回発布された新領解文には勿論反対です。今回、教義の上から岡村和上様がはっきりと教えて下さいまして、もやもやした箇所が理解できました。

 

 先生は新領解文には「仏願の正起本末が明記されていないこと」これは大乗仏教の根本にも関わってくると、教えて頂きました。

 また「み教えをよりどころに生きるものとなり~日々に精一杯つとめます」のところでは、なるほど耳に触り良いもので、一見尊い志に思えますが、信心の実践は表明するものではないのだと仰いました。それはむしろ傲慢なのだとも…。

 

 また、以前拙寺にもご出講下された有國先生が「仏教には慈悲のあたたかい面と、修行し自己と対峙する厳しい面があります。若者に向けての耳障りの良い面だけを強調するのは、ややもすると大乗仏教の本質から離れてしまい仏教ではなくなってしまう恐れがあります」と仰ったことが印象に残りました。

 

 現在の子育てでは「ほめて伸ばす」のが良いのだと言われています。そのお陰で球界では「大谷選手」サッカー、バレーボール、バスケットボール選手など、世界で活躍する選手が沢山おられます。時代の教育の賜物かもしれません。

 世俗の教育法を引っ張り出して、なんとか浄土真宗に関心を持ってもらいたいと思われたかもしれませんが、それを「領解文」として聖教にするにはあまりにも些末なことになってしまったように思います。

「お聖教は私の命を預けるもの」とは和上様のお言葉です。

学ばさせていただける機会を有難く思うことです(10.15)

「お彼岸明けの午後」

 お彼岸も明けようかという頃、白いアレンジメントの花かごが届きました。

真っ白の花たちと淡い黄色の花です。今年が丸3年の当たり日にあわせて送って下さったものです。

 お花は口がきけないけど、心を癒してくれます。香りが仏間に広がり、清浄な空気をもたらしてくれ、ここはお浄土のように心地よい…。

 もう今生では会えないけど、一日、一日がお浄土へ繋がっている。その日を待ち遠しく思いながら「阿弥陀経」を家族でお勤めいたしました。(9.27)

 

「お彼岸に心を寄せて」

 秋の彼岸に岡山の親戚からブドウが届きました。さっそくお供えさせて頂きました。

 浄土真宗では特別な「修行」はありません。ですがこの期間は全国の真宗寺院のお寺様ではご法座をたてて下さり(拙寺は農繁期を避け、9月の頭に秋法座を立てます)、如来様のお救いのお目当てはこの私であることをお聞かせいただきます。

 

 沢山の伝師・祖師さまが浄土の住人としてお導き下さっています。その一番の導き手である親鸞様、その教えを頂かれた身近な人は、私にとっては先に浄土に還っていった祖父母や父母、見たこともないご先祖様でしょう。

 

 もちろん我がご先祖様はお墓に眠っておられるわけではないのですが、墓参りをご縁としてもお導き下さっています。

 私がお浄土をより身近に感じることができる「お彼岸」をご用意して下さった事を有難く感じます。かたじけないことでした。(9.21)

「仏様の歌」

 懐かしい歌声が戻ってきました。慰問のための練習をしました。

 仏教讃歌「生きる」を参加して下さった方と歌い、しみじみと味わわせて頂きました。少人数の10人です。その10人が同じ景色を見て仏様のお慈悲を感じることが嬉しいです。

 

 これまで寺の「ライトコールアンサンブル」として、いろいろなステージで毎年のように出演させて頂きました。それはそれで意味のあることでしたが、コロナで練習ができずにステージに立つことが無くなって、私自身もこれまでのコーラスの受け止め方が変化たように感じます。

 ステージは観客と対面し、一つ高いところから歌わせていただき、拍手を頂きます。でも、どこかしっくりこない…仏教讃歌は仏様へのご讃嘆だから、上手も下手もない、みんなが歌い聴くことで、仏様の懐に抱かれるのです。

 「音楽連盟に出ておいでよ」とお誘いを受けていますが、この今の歌い方とポジションが心地よいのです。

 

 今回はコロナ感染拡大で慰問が見送りになりそうです。でもご縁を頂いたことで練習し、この口の端に仏様の歌が乗ったことがかたじけないことでした。

多分、これからも慰問の御声掛けには出かけていくつもりです。こちらから出かけなければお出遇いすることがないかもしれない、人生の先輩たちの笑顔は何よりも嬉しい私達ライトコールのメンバーへの贈り物だからです。(9.15)

「秋晴れの秋法座」

 去る9月3日(日)午前10時より、秋法座並びに初参式が厳修されました。昨日の雨空とは打って変わって快晴の午前中、賑やかに法要が勤まりました。

 コロナ禍の間は、通常のお経を勤めた後初参式のないご法座でした。

 

 今回3年ぶりのあかちゃんを迎えての音楽法要となりました。

 予定していた一家族が欠席となり、二組のご家族がお子様を連れて参って下さいました。本山からのお祝いのお言葉を住職が読み上げ、短いご法話を頂きました。この間は不思議とお子様たちは大人しく聞いて下さっていました。記念品と記念撮影を終えて、お子様たちはおつとめを果たして退出されました。

 

 数分のお休みの後、2席のご法話を頂きました。

今回の布教使の先生は急遽、ご出講くださった「高橋亮(白滝組:専修寺)」先生です。

先生は長く京都の本願寺が運営する「あそかビハーラ病院」のビハーラ僧としてご活躍されました。(本願寺は現在はこの病院から撤退)「あそかビハーラ病院」は主に癌患者の緩和ケアを行う病院です。先生はその病院に患者さんのお心にそってお話を聞き、阿弥陀様は私のお救いが目あてであるよと、お伝えしてくださる僧侶のお仕事をしてこられました。

 大変聞きやすく、ゆっくりとした口調でお話下さいました。その丁寧な伝え方やお姿から親様のお心を感じ取ることができました。

ビハーラ僧として患者さんと限られた時間を共にされ、「死」は、やがてくるものでなく、私もまた死ぬ命をたまたま今生かされている。そして懐かしい方たちが待って下さるお浄土に還っていく身なのですよとお説き下さる。とても難しい骨の折れるお仕事だと思います…。

 

 最期に若くして癌になりお子様を残して往かなければならなかったみどりさんのお言葉

「寂しさは亡くなった人からの贈り物」を紹介して下さいました。おかあさんと会えないで寂しい時はお母さんも貴方たちの事を想っていますよ。だから寂しくても貴方は一人ぼっちじゃない。お母さんは貴方が嬉しい時も悲しい時も寂しい時も、いつも一緒なのですよ。お母さんはお念仏の声となって、いつも貴方のそばにいるよ、と教えて下さいました

。このお言葉が心に沁みました。大変ありがたくかたじけない時間でした。6歳の孫の心にも先生のお話が届いたようです。(9.8)

 

 

「  夏の終わりに 」

 夏の終わりにご門徒様がプランターのお花のお手入れに来て下さいました。不覚ながら私達が知らない間に、作業をして帰られました。

 

 秋法座をお迎えするため、朝の涼しい間少しずつ草取りを始めていました。が、捗々しい成果があげられません。

というのもNℍK朝の連続ドラマ「らんまん」が始まって、植物たちの強さやかわいらしさを再認識された方も多いのではないでしょうか。私もその一人です。草花にも名前があり、一つ一つにかわいらしい花をつける。それは誰かのためにというわけではないのですが、小さな花の一つに完成された美しさを教えてくれるドラマです。

 したがってこれまでむげに引っこ抜いていた草花にも目が止まり「ごめんね」と詫びながらのお手入れなのです。

 

 ご門徒様のお蔭で殺風景な境内にも夏の暑さに耐えた可憐なお花や木花たちが「ようこそ」とお迎えしてくれます。

 私はといえば、大したことも出来ず如来様のお慈悲の上にあぐらをかいて住まわさせていただいている日暮らしです。かたじけないです。(8.30)

 

「  天ぷら僧侶 」

 前回の坊守通信を読んでくれた友達(学部時代の友で彼女も僧侶です)がラインで「天ぷら僧侶」という言葉を教えてくれました。

 「ころも(衣)ばかりが立派で中身は貧相な僧侶の譬え」そんなところでしょうか。

この言葉が妙に気に入りました。

 

 天ぷらは寿司と並び日本料理の代表格、和食の中で外国人観光客にも大人気です。愛される理由は日本独自のメニューで料理職人の腕が試されるお料理だからかなあ…。

 

 天ぷらの御衣を用意して頂き、着させて頂き、最上のお料理に仕上げて下さる。勿論、熟練の職人さんあってのことです。

 最上の御衣をご用意くださった阿弥陀如来様のお働きが頼もしくかたじけなく思われました。(8.6)

「 恥ずかしい話 」

 例年通りの予定でお盆勤めを回らせていただいています。近所のおばちゃんの家にお勤めに上がらせていただいた昨日の事です。

 

 お勤めが終わってお茶を頂いているとき、おばちゃんが大声で「ムカデ!」と叫んだのです。おばちゃんが用意してくれた座布団の下から15㎝はあると思う大ムカデがゴソゴソ出て来ました。

 法衣姿の私の叫んだ言葉は「おばちゃん殺虫剤!」でした。

 

 1年前に小さなムカデにかまれて以来、あの痛みが蘇ってきました。ムカデを見たら「殺(や)るか殺(や)られるかの畜生界…を身をもって実感してきました。が…のそのそと動く仏間のムカデを殺虫剤で殺そうとしている、しかも法衣を身につけさせてもらっている今でさえ…何とも言えない気持ちでした。

 

 おばちゃんは冷静になって厚めの雑巾でムカデを捕まえ、外の畑に逃がしてくれました。

「お盆にはせめて、見える殺生は控えようよ」

このお言葉を聞かせて頂いても、それすらも守れない、情けない自身の姿です。

いつもそうです。ギリギリのところで守って下さる人がいる。その人こそ、私のために使わされた仏様です。

 

 地獄に堕ちるしかない私です。(8.3)

 

「夏法座を終えて」

 今年の夏は早かった。というのもプライベートで5人目の孫の誕生に伴い里帰り出産を娘がしてくれたからです。ちょうど里に帰っていた時の夏法座でした。

 

 ご講師の厚見先生は同じ組内のご住職様です。子供の頃はお寺に縁がなかったご生活から、母方のお寺の後を継ぐことになられたのです。

ですからお勉強も国立大学の考古学を学んで、それから真宗学のお勉強をなさった大変努力家の先生です。

ご法話の「名号と念仏」について、このようなお話が印象に残りました。

 

 自分はお寺をするとは思っていなかったのですが、でも幼少の頃の母方の祖母のお寺に遊びに行ったときの話しです。祖母が部屋で休んでいる時、「○○ちゃんがお念仏を称えてくれたら、おばあちゃんは嬉しいよ」と子供の自分にお念仏をご催促されたのです。そんなご縁もあり、お寺の如来様のお給仕をさせてもらうことになりました、と…。

お婆ちゃんの願いが届き、立派にお寺を継いで、お念仏を弘めておられる先生の身の上は本当に尊いお働きあってのことだなあと、有難く思いました。

 

 同じように尊いお導きを頂きながらも受け取れる人と、素直に受け取れない人の差はどこにあるのだろうと、ぼんやり考えていました。

 

 全ては如来様のみ手の中、こちらが受け入れようと受け入れまいと、抱かれている、そんなことを改めて教えて頂いたご法座でした。(7.19)

 

 

 

「お同行」

 何十年ぶりかのお同行が、私をお訪ね下さりお参り下さいました。本堂がまだ再建されていない頃、お子様を連れて来て下さったのです。

 私自身もこの30年間くらい、お寺での生活、子育て、親の介護などでほとんど記憶に残らないくらい時間がアッという間に過ぎていきました。ですから嬉しいお同行様の事を思い出したのは、お帰りになってからのことでした( ^ω^)・・・

 

 笑顔の素敵な方…どこかでお会いしているのだけど思い出せない…もどかしさを抱えながら、その方のお話に耳を傾ける。時には頷き、やや込み入った話にはう~んとうなりながら、仏様のお話には涙をしながら聞かせて頂きました。

 私にはどうすることもできないような事柄です。でも、彼女は如来様にご相談に上がられたのだろう、そのうち自身の内に如来様からのご返事が届くことでしょう。それまでは、ただただお話を黙って聞かせて頂くしかできない…のです。(5.24)

 

 

「後生の一大事」

 最近、坊守通信が更新されていませんね…と気遣って下さるお同行の方があります。「忙しいんだろうね」と…有難いことです。

 拙い文章です。それでも気にかけて下さり、こちらの体調まで心配して下さり、「更新を待っていますよ」と仰って下さる。これはもう如来様からの御手回しの声です。

 

 今さらですが、寺族の者は入院患者。如来様の教えを聞かせてもらうために、お寺に生まれさせていただき、ご催促をいただいているのです。

 ご門徒様やご信徒様に導かれ、たどたどしい足取りながら今日まで、歩かせて頂きました。心配事も取るに足りない事柄ばかり。「後生の一大事の解決を急げ」と蓮如さまの領解文で教えて頂きます。

 今日は義母の3回忌法要です。仏となってまで法事を用意して下さった義母のご催促の声がお念仏となって聞こえてきます(5.17)

 

「お斎とみ仏様」

 ご降誕に際して、久々の御斎の準備、やっと皆さんとで準備できる嬉しい日でした。

 本堂横の門徒会館で食材を広げ、ワイワイと賑やかに(勿論マスク着用)お料理が作れることが嬉しい。特別豪華な物ではなく、それでも同じものを、同じ時に頂かれるお同行のお顔を思い浮かべる。

 「み仏と皆様のお陰によりこの御馳走を恵まれました。深く御恩を慶び有難く頂きます」…なんていい響きのお言葉でしょう。

 わたしが口にするもの全ては御仏様、皆様のお陰であり、そのご恩を頂くのです。

難しい仏教の教えは解からなくても、食べ物を口にするときに「御仏様」と称えることができる環境が有難いと、今さらながらに思わせていただくのです。

 

 お寺での御斎を楽しみにして下さる方もいらっしゃいますが、ただ空腹を満たすためだけではないようです。「食」という生きるためには欠かせない行為を、御仏様に許され、見守られながら味わわせて頂く時、本当に美味しいと感じることができそうです。(4.29)

「心の故郷に想うこと」

 新領解文のことを坊守通信で読んで下さったインスタの友だち(お寺の先生です)から「Facebook」の「新しい領解文を考えるページ」でいろいろな先生方のお考えや「新領解文」発布までの経緯などが詳しく取り上げていることを教えて頂きました。

 教義を極めた先生方が詳しく投稿して下さっています。もし、ご門徒様にお尋ねされたら、こちらのページをお勧めします。

 

 京都参りはお同行の方々にとって、(勿論、私にとっても)自分の故郷に帰るような想いで参拝されてきました。今回の事ではその故郷を見失い、帰る場所が遠くになってしまったような感覚です。淋しいです。そしてお問い合わせ下さるご門徒さんにどうお伝えしたらよいか、困惑していることも事実です。

 でも、せめてご門徒さんや友人には、再び「私の故郷は御本山よ」と胸を張って言えるようになりたいです。(4.20)

「新領解文に思うこと」

 新聞やネットでも問題がとり挙げられている「新領解文」について、私にもお問い合わせがありました。「この新領解文のどこが問題なのですか?私には分かりやすいお言葉ですが・・・」というものです。

 

 過日聖人ご誕生850年の法要に京都浄土真宗本願寺に団体参拝でお参りさせて頂きました。これまでの法要にはプログラムとして入っていなかったと思われる「新領解文」を法要の締めくくりに皆で唱和するようになっていました。

 

 言葉遣いは現代の聴きなれたお言葉です。法話に出てくるような言葉も織り込まれていて、確かにit分かりやすいと思われたかもしれません。でも内容は全く簡単に理解できません。

そもそも「領解」とは、私がこのように如来様のお心を頂きました。と自身の信仰を述べる上で間違った聴き方をしてはいけないので8代伝師蓮如上人がまとめて下さったものです。それが500年以上もの間大切に伝えられてきたのです。

 

(従来の領解文)は「もろもろの雑行…」と始まるのに対して、(新領解文)は「南無阿弥陀仏 われにまかせよ そのまま救う」で始まります。

内容を進めてみますと「私の煩悩と如来の救いは本来一つゆえ」と出てきます。はあ?…ここでまずひっかかりました。仏教用語には「煩悩即菩提」と言われていますが、お説教で「氷が多いほど水は多い」「渋柿の渋があっての甘み」とお聞かせいただいています。

 でも、これらはすべて「阿弥陀如来様」のお働きがあってのことです。いとも簡単に本来一つなんて言うことはできません。親鸞聖人の20年間のご苦労を偲ばさせていただけば軽々しい言葉です。それは如来様の眼差しからのお言葉で言えることかもわかりませんが、私はどこまでいっても煩悩の塊です。その重みに沈むしかないこの身です。その私をお目当てに、救いたいとお念仏になって下さったのです。聴きそこないをして「もう何をしても私は如来様とひとつなのだかお救いにあずかれる、いや救われた身なのだと誤解まで生み出しかねないお言葉です。

 

 次の「自然(じねん)の浄土」とは形のない「空」の境地を言うのでしょうか。もしそうだったとしたら、私のために現れて下さった「阿弥陀如来様」のご苦労をすべて否定するものです。

 

「これもひとえに宗祖親鸞聖人と法灯を伝承された歴代宗旨の尊いお導きによるものです」というご文はその通りです。でもそれに加えて従来頂いてきた御文章からは私をお導き下さった有縁無縁のご先祖様や善知識様、生き物たち、鳥、路傍の石…あらゆる命の働きを感じさせて下さる如来様のお働きの上にお導き下さったものと受け取らさせて頂きます。

 

 最後の御文も多くの人が「こんな生き方を書かれたら、私は如来様のお救いから漏れてしまいます」と仰っています。私も同じです。せめてすこしでも仏様のまねをさせていただこうよ…と仰せですが、心の底の底を見たら、恥ずかしくて…とてもまねごとすらもできません。責められているような心がざわざわする冷たいお言葉に思えます。

 

 まだまだ言葉足らずで、言わんとしていることが伝わらないかもしれません。

勧学和上様方の御文(抗議文)や諸先輩や友人のコメントで学ばさせて頂き、整理して今の感じるところを書かせていただきました。勉強不足を痛感しながらも学部の指導教授岡先生の「真宗学は卒業してから始まるのだよ」と教えて下さったお言葉を思い出させていただきました。(4.10)

  

「親鸞聖人御生誕850年・立教開宗800年慶讃法要のお参りしました」

 

 宇部北組団体参拝は3月30日から4月1日の2泊3日でした。私は法要だけ参加させて頂き、皆さんと親鸞聖人のお誕生のお祝いをさせて頂きました。いつもは心躍る京都参りの参拝です。が、この度の「新領解文」発布と法要の中に用いられることで宗門内外で、様々な意見がありましたことで、どこかしら心寂しものを感じてしまいました。

私は「新領解文」を唱和することができませんでした。勉強不足でありながら僧籍を許されている身です。教義の上でどこがどうとはハッキリ申せないのですが、どっか変だなあという違和感を感じてしまいます。それにお言葉からは温かい如来様のお心を感じにくいのです。精一杯お称えされているご門徒さんに申し訳ないです・・・

 

 自坊に着きお夕事のお勤めをしながら涙が出てきました。法要後の前門様が門信徒さんの御剃刀を終えられたのちのお姿を思い出したからです。ドラマチックに仕立てられた法要のきらびやかさとは違って音のない静かな阿弥陀堂で、堂内の光を落した如来様の後ろからお出まし下さいました。たどたどしい歩きでした。言葉をかみしめるように今日の御剃刀を受けられた方々にお言葉を下さいました。数年の心労からのお姿でした。勿体ないな、かたじけないな…今回の法要で一番心に響きました。

 

 私がお得度を頂いたときの慣れ親しんだ「領解文」はどこかに追いやられていくのでしょうか。誰もが愛山護法のお気持ちから真剣に「領解文」を問うて下さっています。最高学位の勧学の深川和上様たちの提出文は納得できます。

 社会や若者のアピールに目が行きすぎ、自身の後生の一大事やご信心、浄土を憶念する気持ちがおろそかになっているように思います。勿論、社会貢献活動も大切ですが、それらのすべては助縁です。本当に伝えたいものは「お念仏」一つです。今回のことは私自身に問われた大問題であったことを心して、学ばさせて頂こうと思いました。

 

 私のためにお出まし下さった阿弥陀如来様のお心を聞き開いて下さった親鸞様のお心を悲しませたくありません。(4.1)

  

「永代経法要」

 3月26日に当山の永代経法要をお勤めいたしました。ご講師は伯浄教先生(下関市)でした。

 先生は「お墓は何のためにあるのですか」という質問をされ、妙好人(浄土真宗の信仰に生きた讃岐の人)庄松さんのご往生の時のことをお話しくださいました。

身寄りのない庄松さんのために友人が耳元で「心配せんでもええ、わしらが立派な墓を建ててやるからな」と伝えます。それを聞いた庄松さん「ワシは骨になるわけではない。骨になって墓の下に眠っているわけではないから墓はいらんよ」とお応えになる。

 

 少し前に流行った「千の風になって」の歌は「私のお墓の前で泣かないでください」「千の風になって大空を吹き渡ります」~と続きます。先生はご自身で作られたこの歌詞の替え歌を歌って下さいましたが、思わず拍手が…(法話に拍手なんて、と思われたかもしれませんが先生は歌がお上手だったこともありの拍手でした)。

「私のお墓の前で 泣いてもいいですよ

 そこにも私はいますよ あなたの心の中にも

 ナムアミダブツの お念仏の親(声)となって 

 あの大きなお浄土で あなたを迎えとる

 ナモアミダブツ ナモアミダブツ・・・ 」

少し違っているかもわかりませんが、こんなような歌でした。

 

 また、山口教区仏教婦人会元会長の重田さんの事もお話し下さいました。

ある親戚の法事にお参りされたときの事、小さな子供さんが仏様の前で「なもあみだぶつ」とお念仏を申された。それを聞いた重田さんは「ありがとね、おばちゃんのお耳に、お念仏が良く聞こえたよ。届いたよ」と喜ばれたそうです。

このお話から、お念仏は聞くものですと教えて下さいました。私は誰の声を一番よく聞いているでしょうか、それは自分の声です。ですから、お念仏は声に出してお唱えし、自らの声を聞かせていただくのがお念仏なのですよと教えて下さいました。

 

 お墓に参ることだけがご先祖様の供養ではありません、とお叱りを受けることなく、そのように偲ぶことでしか寂しい心を置けない私の心を見通して下さった上で「お墓の前でも泣いていいよ」と仰せです。私の心に添い、念じ続けてくださったいるみ仏様のお心が届いたなら「なもあみだぶつ」と称えさせていただき聞かせて頂く。これが一番のご報謝なのですよと、永代経の法要の意味を教えて下さいました。「信心正因 称名報恩」の肝要をかみ砕きお聞かせいただきました。

半日の法座だけでは勿体なく感じられた伯先生のご縁でした。(3.30)

 

「永代経法要の準備」

 お花を入れさせていただきました。仏華が整うとホッとします。明日は午前中お勤めをして、午後から住職と仏様のお供え餅をつきます。(今回以降からは皆さんと、またワイワイしながら沢山のお餅がつける予定です。)

 一つ一つ整っていく、そのことが嬉しいです。

 今回のWBC(世界ワールドベイスボール)の大会では日本中に歓喜と感動をもたらしてくれました。試合を終えた選手たちは皆さん「とても楽しかった」「野球がこんなにたのしいことを再認識させられた」と言われていたことが印象深く残りました。

 野球を生業としてお金を得て生活している人達です。大好きな野球でも時には嫌になったり挫折を味わうこともあるでしょう。プロの厳しい道を歩むなかで、こんな感動を味わえることはほんの一瞬かもわかりません。でもこの時ばかりは、野球少年がひたすらに白球を追いかけ、無邪気に遊ぶ時の姿のように映りました。

 

 大したことは為せずに終わっていく一生の中、ご法座の準備をしながら(仏様の眼からご覧になったらおままごとのようかも)お荘厳が整っていく。この時が本当に楽しく感じられます。プロ野球の選手とは比べようもない無名の坊守ですが、ひたすらに遊ぶような気持ちに共感するのです。 (3.24)

 

「 卒業式 」

 昨日は小野小学校の卒業式でした。毎年ピアノ伴奏のお手伝いをさせて頂いています。今年で13回目を迎えます。

 最初にお声を掛けて頂いたのは、今は統廃合された小野中学校の校長先生からでした。子が子が中学校3年の時担任をされていた先生でしたが小野に栄転となり校長先生となられてからの再会の時でした。

 

 ピアノ伴奏を受けてから13年間となりました。その次の年に、東北大震災が起こり忘れられない卒業式となりました。

 

ことしの今年の入場曲には「瑠璃色の地球」を選びました。

ウクライナ戦争が始まり、コロナ禍の真っただ中を小学生として過ごした子供さん達です。

 瑠璃色の地球がいつまでも瑠璃色に輝いていれるように…ささやかな望みと希望を込めての選曲です。

 

 「おめでとう」の言葉が時には辛く、悲しく響く時もあります。本当はこの言葉で卒業したかったきみたち、あなたたちには「ありがとう」を贈りたいです。かけがえのないこの時はあなたから教えてもらったもの、私の身の上に起きてもおかしくない事柄を、あなたが引き受けて下さったこと、命を考えるときを与えて下さったそのすべてに、「有難う」を贈りたいです。(3.18)

 

「3.11の日」

 昨日で12年目の春を迎えた東北震災、様々な想いの中過ごされたことと思います。

 こんな詩を見つけましたのでご紹介します。

 

「潮の匂いは」(石巻:片平侑佳)

潮の匂いは世界の終わりを連れてきた。

僕の故郷はあの日 波にさらわれて

今はもう、かつての面影をなくしてしまった。

引き波とともに僕の中の思い出も

沖のはるか彼方まで持っていかれてしまったようで

もう朧気にすら故郷の様相を思い出すことはできない。

 

潮の匂いは死を連れてきた。

冬の海に身を削がれながら 君は最後に何を思ったのだろう。

笑顔の遺影の口元からのぞく八重歯に 夏の日の青い空の下でくだらない話をして笑い合ったことを想いだしてどうしょうもなく泣きたくなる。

もう一度だけ君に会いたい。

下らない話をして、もう一度だけ笑い合ってサヨナラを言いたい。

 

潮の匂いは一人の世界を連れてきた。

無責任な言葉、見えない恐怖。否定される僕たちの世界。

生きることを否定されているのと同じかもしれない。

誰も助けてはくれないんだと思った。

自分の事しか見えていない誰かは、響きだけあたたかい言葉で僕たちの心を深く抉る。

「絆」と言いながら見えない恐怖を僕たちだけで処理するように遠回しに言う。

「未来」は僕たちには程遠く「頑張れ」は何よりも重い。

お前は誰ともつながってなどいない、一人で勝手に生きろとどこかの誰かが遠回しに行っている。

一人で生きる世界は、あの日の海よりもきっとずっと冷たい。

 

 潮の匂いは始まりだった

 潮の匂いは終わりになった

 潮の匂いは生だった

 潮の匂いは死になった

 潮の匂いは幼いあの日だった

 潮の匂いは少し大人の今になった

 潮の匂いは優しい世界だった

 潮の匂いは孤独な世界になった

 潮の匂いは・・・

 

命を想う日、大切な人を想う日…なんまんだぶ(3.12)

 

「 無題 」

 久々の通信になってしまいました。

今年に入ってからお葬儀が続きました。昨年度まで頑張って下さっていた方たちが「もういいかな」と言わんばかりに、お浄土に還っていかれました。

 この世とのお別れの時は誰にも分からないし、決めることはできません。でも、「もうそろそろよかろう」と、どこかで呼ばれているような気がします。

 

 お念仏を貴び、お寺に足を運んでくださったかたの往生は寂しいけれど、どこかほっとするような安らぎを感じます。それは如来様のお浄土に間違いなく参られて、仏となって下さっているからです。そしてやがて私も参らせていただく時の道しるべとして灯りを灯して下さる「お念仏」の声となって下さるからです。

 

 沢山のご門徒さんをお見送りさせて頂きました。どの方との思い出もあります。お寺の仕事は難儀なものです。涙が枯れることはありません。でも、それだけの方と深く関われたということは、お寺に住まわせて頂いたからだとも言えます。

 すべてのことが有難く思われます。(3.7)

 

「2月は逃げる」

 2月はお寺の法座が少なく、比較的のんびりした月…だったはずです。

今年の2月は早い早い…もう半ばも過ぎていきました。2月しょっぱな孫の発達発表会が開催され見に行ってきました。幼児から児童へ…自信のみなぎるお顔で少しずつ成長をしている子どもたちに元気と勇気をもらいました。

 

 それから葬儀が続き、キッズサンガ、人権大会での吹奏楽発表、四国への用事等々、その間に母の洗濯物を取に行き、リモート面会でのたわいない話しで、今日まで( ^ω^)・・・。

 

 このままだと、こうした日々で2月も終わるな、きっと。そしてあれっという間に一生をおえていくな、きっと。

 でも、それも悪くないかな…待ってくれている人がいてくれる安心感の中、いつ終わってもお浄土に参らせて頂ける、かたじけないことです。(2.16)

 

「キッズサンガと絵本の読み聞かせ」

 去る2月9日、当山にて宇部北組キッズサンガが開催されました。組の行事ではコロナ禍で集うことができなかった行事の先陣を切って、久々の大会となりました。組長様の挨拶、正善寺様のご法話、当山住職の勤行を終えて、楽しい催し物として、本の読み聞かせ、養福寺様の御指導のボッチャ大会をいたしました。

 

絵本の読み聞かせでは、お友達の古村一味さんをお迎えして短い時間でしたが、えほんを読み聞かせてくださいました。優しい声と、お人柄に子供達も大人も物語に引き込まれました。

 

 ちょうど葬儀が入っていたので、サンガを終えて葬祭場に直行。笑ったり泣いたりの一日となりました。一つ一つの行事を無事勤めることが有難く、私でも仏様のお役に立てているのかなと思うと、すべてのご縁が有難く思われました。(2.9)

 

「メタバースのこと」

 

「一月は行く(いぬるとも言うそうです)」の如く、早くも今日で最終日です。

そんな今朝の住職との話しです。

 「アバター(仮想空間で繰り広げられる映画のタイトル)の興行収入がすごいことになっているらしいよ」

 実際メタバース(仮想空間)で子供たちが学校から帰って遊びのスペースになったりしているらしい。(全て聞き書き)

 

 そういえば孫もパソコンの中で自分のお家を建てて、自分の街を作って遊んでいたな…なんともお婆ちゃんの私にはその遊びのどこが面白いのか、分からないのです。

 でも実際には、仮想空間を体験することで、高所恐怖症の人が治ったり、病気で足の不自由な人が空間の中では走る喜びを味わえるとのこと。

 確かに使い方によっては思い通りにならないで苦しんでいることが自分の思い描いたとうりになる夢のような世界であるらしい。

 

 しかし…良い事ばかりに使えれば問題ないのだけれど、人間はそんなに賢くない。欲望のためにはどこまでも悪知恵を働かせる。しまいには幸せのために開発されたものが、とんでもない不幸を招くこともしばしばです。

 

 その場に本物の人間がいて顔とかおをつきあわせ、楽しそうにオセロゲームに興じている姿にホッとするこの頃です。(1.31)

 

「山口別院修正会」

 1月5日の別院修正会におまいりしてきました。一昨年より赴任された輪番様のお話を頂きたく、バタバタの中お別院にたどり着きました。

 コロナが増えている中、距離を保ち椅子が並べてありました。5人の別院の先生方の心地よいお勤めをいただきながら、輪番様のご法話です。シールド越しのマスクを外されたお顔を拝見させていただきました。何とも柔和な和やかな雰囲気のお顔立ちです。お念仏を頂かれた方の、にじみ出る柔らかさを感じます。

 

 「後生の一大事は 命のあらん限り 油断してはならぬ」(岩見 護「赤尾の道宗」より)

ここまで聞かなければ助からない。また、ここまで聞かせてもらったからよかろう、という自己満足のお聴聞ではありません。どこまでも報恩感謝のお念仏、そのためのお聴聞です。

 久しぶりのお別院の常連様にご挨拶させていただき、同じ同胞が先を行き後を押してくださっている心強さを感じながら、修正会を頂きました。(1.6)

 

「 元旦 」

門松(元旦)は冥土の旅の一里塚

めでたくもあり

めでたくもなし

 

元旦には一休禅師のこのお言葉を思い出します。

めでたいめでたいと正月気分の只中の人々のお祝い気分に、「門松はまるで冥土へと向かう道に築かれた一里塚にたいなもの」と仰る。

確かに考えてみれば、一日経つということはそれだけ老いているということ、年を新たにお迎え出来てうれしい反面、それだけの老を背負ったということでしょうか。

 

 新年早々、ご門徒様のお葬儀がありました。お優しいお顔でお棺から微笑んでおられるお姿を拝ませていただいたとき、めでたくもない「死」が、めでたい「往生」であったと思われました。浄土の教えで良かったな。いつ、どこでも、どんなときも、時節の良し悪しを問わず「そのまま来いよ」と呼び続けていて下さる親様がましまして下さる。かたじけなく勿体なく思われたことです。(1.3)